王子としらゆき

秋月朔夕

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第二十七話 しらゆきは王子の眠り姫にはならない

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 ――雪乃が目覚めない……

 呼吸も乱さずに穏やかに眠っているものだから、最初は異変に気付かなかった。けれど、半日以上待っていても全く起きる気配がなくて、さすがにおかしいと思った。
 「雪乃、そろそろ起きないと……」
  呼びかけても瞼すら動かない。確かにここ一カ月ほどは、眠る時間がいつもより長くなっていたけれど、もともと寝起きの良い彼女は声を掛ければすぐに起きていた。
  ――嫌な予感がした……
「ゆきのっ、起きて……!」
  懇願に満ちた願いは届かない。
  何度名前を呼んでも、肩を揺すっても頬を軽く叩いてもそれらはなんの意味もなかった。
 (いったい、どうして?)
  呼吸も脈も心臓もいつも通り動いているのに。
 (それなのに、どうして目覚めないの……?)
  嫌な汗が背中に流れる。
 (とりあえず、医者を呼ばなければ……)
  震える指でスマートフォンを作動させようとするのに、指が上手く動かない。白髪の交えた初老の医師はニ十分程でマンションにやってきたけれど、私はその間ずっと雪乃の手を離すことはなかった。




  結局ニ週間が経った今でも雪乃が目覚めることはなく、寝返りすらうたないで静かに病室で眠り続けている。どれだけ、検査を繰り替えしても理由は全く分かることはない。結果、医師は精神的なものだと判断した。
 (精神的なもの……)
  心当たりなんて山ほどある。
  ――わたしのせいだ。
  私が追い詰めたから、彼女は夢の世界に逃げたのだ。
 「しらゆき……」
  呼びかけは意味のないことだということは、もう知っている。それでも、一縷の望みを掛けていたいのだ。握る手は震えて、涙が頬を伝う。
  このまま――
 彼女がなくなったら、私の方が死んでしまう。だって、私の世界は雪乃がいるから色づいているのだから。
  ――もしかしたら、このまま雪乃は眠っているほうが幸せなのかもしれない。
  だけど……
「それでも、キミの目覚めをいつまでも待つよ」
  たくさん謝らなきゃ、いけないことがあるから。話し合わなきゃいけないことだって、本当にたくさんあるのだから。
 「愛しているんだ」
  お願いだからこのまま眠り姫にならないで欲しい、と祈るように雪乃の指先に口付けた時、彼女の指がピクリと確かに動いた。
 「ゆき、の……?」
  カラカラに乾いた声で彼女を呼べば、ゆっくりと瞼が上がり、久しぶりに彼女の瞳に私が映った。




  ――目が覚めると、涙を流している人がいた。
 「泣かないで……」
  この人が誰かは分からないのに、彼が泣いているとなぜだかわたしまで悲しい気持ちになってくる。絵本の中から飛び出してきた王子さまのような人なのに、眠っていないのか大きな隈が出来ていて、肌も少し乾燥している。やつれたように顔色も悪くて、せっかく綺麗な顔をしているのにもったいない、と苦笑した。流した涙の粒を指で掬い取ってあげると、悲しさや嬉しさを混ぜ込んだ表情で顔を歪めて、弱々しい力で抱き付かれる。
 「ゆきの、ゆきの……」
  ごめんね、と彼は何度も苦しげに謝った。
  けれど、わたしにはどうして彼が謝ってくるのか全く分からない。
 (――だって、わたしは彼なんて知らない)
 「……どうして、わたしはここにいるの?」
  腕に刺さっている点滴を見て、わたしは疑問を抱いた。
 「キミは二週間前から、ずっと起きなかったんだ」
  まるで自分の身に起きたかのように痛々しく彼は眉根を寄せる。
 「二週間……」
  口に出しても現実感が湧かなかった。けれど確かに寝過ぎたせいか、身体全体が倦怠感に襲われていて、それがなによりも過ぎた時間の証明だった。
 「ずっと心配してた。このまま雪乃が起きなかったらどうしようと……」
  彼の腕の中に引きこまれると、わずかに震えが伝わってくる。
 (なんで、この人はこんなにも親身になって心配してくれているの?)
 「あの……」
 「……うん?」
  彼が溢すひだまりのように優しい微笑みが、眩しかった。
 「あなたは、だれ?」
  …………一瞬、辺りが時を止まったかのように静寂が支配し、彼の微笑みは打ち消えた。
 「ゆきの、なに、言っているの?」
  わたしの顔を覗き込む彼は信じられないと、目を大きく見開いて、腕を掴まれる力が強くなる。
 「あ、の……」
 「まさか、記憶でもなくしたとでもいうのか……!」
 「記憶なら、ちゃんと……」
  ある、とは言えなかった。自分の名前や生年月日くらいなら分かる。けれどそれ以上のことは、なにも思い出せない。
 (この人のことも知らない)
  目の前に居る男性は、ずっとわたしの名前を呼んでいたし、抱きしめられても違和感を感じることはなかった。
 (知らない人なのに……?)
  それなのになんの疑問も持たないで、身を委ねていた。
  ――それが一番おかしいことなのに。


 「あなたは、わたしのことを知っているの?」
 「………………知っているよ。だって私はキミの婚約者だもの」

  痛切に、絞り出すような声で彼はそう言った。
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