3 / 21
3.
石造りの階段を上がる足音が、静かに響く。
先を歩くナートの背は一定の速さで、迷いがない。
それに遅れまいと、エアリスは小さな歩幅でついていった。
(……喋らないな)
ふと、そんな考えがよぎる。
ここまで、一言も発していない。
呼びかけにも、返事は頷くだけ。
――だが。
(まあ、無理もないか)
ナートは内心で肩をすくめる。
婚約破棄。
それもこの国で。
貴族社会において、それがどれほどの意味を持つかは理解している。
家からも厄介払いされ、こんな辺境に送られた。
王都の人間からすれば、ここは“流刑地”も同然だ。
(話したくもない、か)
あるいは、誰とも関わりたくないのかもしれない。
それ以上は踏み込まなかった。
⸻
「こちらっす」
二階の奥。
分厚い扉を開けると、冷気が遮断される。
中は簡素だった。
余計な装飾は一切ない。
だが、机も椅子も寝台も、どれも手入れが行き届いている。
火の入った暖炉が、静かに室内を温めていた。
「部屋はここを使ってください」
ナートは一つひとつ、簡潔に説明していく。
「トイレと風呂はこちら。食事は執事が運んでくれるっす。」
言葉を区切りながら振り返るが、やはり返事はない。
ただ、視線を向けて頷くのみ。
「何かあれば――」
そこでナートは、ふと気づいた。
後ろに立っていた執事の存在に。
その手には、小さな鞄が一つ。
「荷物は……?」
思わず口に出る。
「まだ後から来るんですかね?」
この地に来る者は、皆それなりの備えをしてくる。
衣服、防寒具、嗜好品――少なくとも数個の荷は当然だ。
だが。
「いえ、これで全てでございました」
執事は淡々と答えた。
「…………へ?」
ナートの眉がわずかに動く。
視線が、鞄へと向けられる。
小さい。
あまりにも。
そして、エアリスへ。
「……荷物は、これで全てですか?」
問いかける。
エアリスは一瞬だけ顔を上げ、
すぐに視線を落とし――
こくり、と頷いた。
それだけだった。
「…………」
言葉が、出なかった。
(冗談だろ)
そう言いかけて、飲み込む。
服装もそうだ。
この寒さの中では明らかに足りていない。
それなのに、本人は何も言わない。
何も求めない。
まるで――
(それが当然だとでも言うように)
ナートは小さく息を吐いた。
「……分かりました」
それ以上は、何も聞かなかった。
聞くべきではない気がした。
「何かあれば、執事に伝えてください」
それだけを告げて、踵を返す。
扉に手をかけ、ふと振り返る。
エアリスは、部屋の中央に立ったまま動いていなかった。
暖炉の火を、どこか不思議そうに見つめている。
(……本当に、王都の人間か?)
そんな疑問が浮かぶ。
だが、口にはしない。
「では」
短く言い残し、部屋を後にした。
扉が静かに閉まる。
⸻
一人、残された室内。
暖炉の火が、ぱちりと小さく音を立てた。
「……」
エアリスは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、ゆっくりと視線を巡らせる。
机。椅子。寝台。
そして、暖かな空気。
(……あたたかい)
それだけのことに、ほんのわずかに目を見開く。
指先が、そっと空気に触れる。
冷たくない。
痛くない。
凍えるような感覚が、ない。
(……どうして)
理解できない、というように。
やがて、おそるおそる寝台へと近づく。
指先で触れる。
柔らかい。
思わず、手を引いた。
壊してしまうのではないかと、錯覚するほどに。
(……使って、いいのか)
答える者はいない。
それでも。
エアリスは、静かに首を振った。
――言われた通りにしなければ。
ゆっくりと膝をつき、床へと座る。
その動作に、迷いはなかった。
まるで、それが当然であるかのように。
暖炉の火が、変わらず揺れている。
その温もりに触れながらも、
エアリスはベッドではなく、冷たい床の上で
小さく身体を丸めた。
あなたにおすすめの小説
死ぬだけの悪役令息に転生したら、待っていたのは攻略対象達からの溺愛でした。
きうい
BL
病でで死んでしまった優は、気が付いたら読んでいた小説の悪役令息として転生していた。
それもどのルートでも十五歳という歳になると、死ぬ運命にある悪役———フィオレン・オーレリウス。
前世で家族に恵まれず、家族愛とは程遠い世界で生きてきた優は、愛されたいという願望を捨て、ひとりで生きることを決意する。
しかし、家族に対して表情と感情を隠し、言葉も発さず、一人で生きて行く術を身につけようと家族から距離をとるフィオレンとは裏腹に、家族や攻略対象達は異常なほどの愛を注ぐ。
フィオレンの知らない所で、小説のシナリオとは正反対の道を辿ることになるも、愛に無頓着で無自覚なフィオレンは溺愛されていき………?
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
家に帰ったら、妻は冷たくなっていた。突然シングルファザーになった勇者パーティーの治癒師は家族を修復したい
八朔バニラ
ファンタジー
勇者パーティーに所属し、魔王討伐した治癒師(ヒーラー)のゼノスは街の人々の歓声に包まれながら、3年ぶりに家に帰った。家族が出迎えてくれると思ったが、誰も出迎えてくれない。ゼノスは不満に思いながら家に入ると、妻の身体は冷たくなっていた。15歳の長男ルミナスはゼノスの代わりに一家の柱として妹を守り抜き、父に深い拒絶のこもった瞳を向けていた。そして、8歳の長女ミリアは父の顔も忘れていた。
ゼノスは決意する。英雄の肩書きを捨て、一人の不器用な父親として、バラバラになった家族の心を繋ぎ合わせることを。
これは世界最強の治癒師が家族を修復する物語である。
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です
ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。
理由は不明、手紙一通とパン一個。
どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。
そんな理由でいいのか!?
でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適!
自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない!
……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!
『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる
レイ
BL
「出来損ない」と捨てられた場所は、私の居場所ではありませんでした。
ラングリス王国の第三王子・フィオーレは、王族の証である『聖種の紋様』が現れなかったことで「偽物の番」と罵られ、雪降る国境へと追放される。
死を覚悟した彼の前に現れたのは、隣国アイゼン帝国の「冷徹皇帝」ヴォルフラムだった。
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
悪役令嬢と呼ばれた侯爵家三男は、隣国皇子に愛される
木月月
BL
貴族学園に通う主人公、シリル。ある日、ローズピンクな髪が特徴的な令嬢にいきなりぶつかられ「悪役令嬢」と指を指されたが、シリルはれっきとした男。令嬢ではないため無視していたら、学園のエントランスの踊り場の階段から突き落とされる。骨折や打撲を覚悟してたシリルを抱き抱え助けたのは、隣国からの留学生で同じクラスに居る第2皇子殿下、ルシアン。シリルの家の侯爵家にホームステイしている友人でもある。シリルを突き落とした令嬢は「その人、悪役令嬢です!離れて殿下!」と叫び、ルシアンはシリルを「護るべきものだから、守った」といい始めーー
※この話は小説家になろうにも掲載しています。