声を失った悪役令息は北の砦で覚醒する〜無詠唱結界で最強と呼ばれ、冷酷侯爵に囲われました〜

天気

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石造りの階段を上がる足音が、静かに響く。

先を歩くナートの背は一定の速さで、迷いがない。
それに遅れまいと、エアリスは小さな歩幅でついていった。

(……喋らないな)

ふと、そんな考えがよぎる。

ここまで、一言も発していない。
呼びかけにも、返事は頷くだけ。

――だが。

(まあ、無理もないか)

ナートは内心で肩をすくめる。

婚約破棄。
それもこの国で。

貴族社会において、それがどれほどの意味を持つかは理解している。

家からも厄介払いされ、こんな辺境に送られた。
王都の人間からすれば、ここは“流刑地”も同然だ。

(話したくもない、か)

あるいは、誰とも関わりたくないのかもしれない。

それ以上は踏み込まなかった。




「こちらっす」

二階の奥。

分厚い扉を開けると、冷気が遮断される。

中は簡素だった。

余計な装飾は一切ない。
だが、机も椅子も寝台も、どれも手入れが行き届いている。

火の入った暖炉が、静かに室内を温めていた。

「部屋はここを使ってください」

ナートは一つひとつ、簡潔に説明していく。

「トイレと風呂はこちら。食事は執事が運んでくれるっす。」

言葉を区切りながら振り返るが、やはり返事はない。

ただ、視線を向けて頷くのみ。

「何かあれば――」

そこでナートは、ふと気づいた。

後ろに立っていた執事の存在に。

その手には、小さな鞄が一つ。

「荷物は……?」

思わず口に出る。

「まだ後から来るんですかね?」

この地に来る者は、皆それなりの備えをしてくる。
衣服、防寒具、嗜好品――少なくとも数個の荷は当然だ。

だが。

「いえ、これで全てでございました」

執事は淡々と答えた。

「…………へ?」

ナートの眉がわずかに動く。

視線が、鞄へと向けられる。

小さい。

あまりにも。

そして、エアリスへ。

「……荷物は、これで全てですか?」

問いかける。

エアリスは一瞬だけ顔を上げ、
すぐに視線を落とし――

こくり、と頷いた。

それだけだった。

「…………」

言葉が、出なかった。

(冗談だろ)

そう言いかけて、飲み込む。

服装もそうだ。
この寒さの中では明らかに足りていない。

それなのに、本人は何も言わない。

何も求めない。

まるで――

(それが当然だとでも言うように)

ナートは小さく息を吐いた。

「……分かりました」

それ以上は、何も聞かなかった。

聞くべきではない気がした。

「何かあれば、執事に伝えてください」

それだけを告げて、踵を返す。

扉に手をかけ、ふと振り返る。

エアリスは、部屋の中央に立ったまま動いていなかった。

暖炉の火を、どこか不思議そうに見つめている。

(……本当に、王都の人間か?)

そんな疑問が浮かぶ。

だが、口にはしない。

「では」

短く言い残し、部屋を後にした。

扉が静かに閉まる。




一人、残された室内。

暖炉の火が、ぱちりと小さく音を立てた。

「……」

エアリスは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

やがて、ゆっくりと視線を巡らせる。

机。椅子。寝台。
そして、暖かな空気。

(……あたたかい)

それだけのことに、ほんのわずかに目を見開く。

指先が、そっと空気に触れる。

冷たくない。

痛くない。

凍えるような感覚が、ない。

(……どうして)

理解できない、というように。

やがて、おそるおそる寝台へと近づく。

指先で触れる。

柔らかい。

思わず、手を引いた。

壊してしまうのではないかと、錯覚するほどに。

(……使って、いいのか)

答える者はいない。

それでも。

エアリスは、静かに首を振った。

――言われた通りにしなければ。

ゆっくりと膝をつき、床へと座る。

その動作に、迷いはなかった。

まるで、それが当然であるかのように。

暖炉の火が、変わらず揺れている。

その温もりに触れながらも、

エアリスはベッドではなく、冷たい床の上で
小さく身体を丸めた。









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