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16.
紙の上に、ペン先が触れる。
かすかに、震えている。
エアリスは一度、ぎゅっと唇を結んだ。
それから――
ゆっくりと、書き始める。
カリ、と小さな音。
整った字。
ナートも、執事も、カイゼルも。
誰も口を挟まない。
ただ、その手元を見ている。
やがて。
エアリスはペンを止めた。
少しだけ迷うようにしてから、紙をナートへ差し出す。
ナートが受け取る。
視線を落とす。
「……」
そこに書かれていたのは――
『わかりません』
短い、一文。
「……」
ナートはそれを、ゆっくりとカイゼルへ渡す。
カイゼルは無言で受け取った。
目を通す。
表情は変わらない。
「他は」
短く問う。
ナートが視線で促す。
「もう少し、思い出せることとか……あります?
中庭を出た後。」
エアリスは少しだけ俯いた。
考える。
頭の奥を、探るように。
だが。
はっきりとした記憶は、ない。
ただ――
断片だけが、残っている。
再びペンを取る。
今度は、少しゆっくりと。
一文字ずつ。
『そとを みていました』
カリ、カリ。
『ゆきと きし』
少し止まる。
ペン先が、わずかに揺れる。
『……こわい じゃない』
書いて、止まる。
自分でも、少しだけ迷うように。
『ち いたい』
書いて、それ以上は出てこない。
ペンを置く。
ナートがそれを受け取る。
読みながら、わずかに眉を寄せる。
「……怖い、じゃない?ち?」
思わず、声に出す。
エアリスは小さく頷いた。
「……」
ナートは無言で、それをカイゼルへ渡す。
カイゼルは紙を見下ろす。
『そとを みていました』
『ゆきと きし』
『こわい じゃない』
『ち いたい』
「……」
静かに、目を細める。
(恐怖ではない)
むしろ。
(……逆か)
守る側の思考。
あるいは――
放っておけなかった、か。
「血が出ると、痛いのか?」
頷くエアリス。
『いたい しない』
(……こいつは、、)
「人が痛いのが嫌なのか?」
コクリ。
「……他に、何かあるか」
再び問う。
エアリスは首を横に振る。
これ以上は、何も出てこない。
「……」
カイゼルはしばらく何も言わなかった。
部屋に、静かな緊張が流れる。
やがて。
「……分かった」
ぽつりと落とす。
紙を机に置く。
「お前は、意図してやったわけではないな」
確認。
エアリスは、首を傾げる。
「……」
カイゼルは息を吐く。
(無意識、だろうか…)
ここまでの規模。
要塞全体、そして前線の騎士一人一人。
それを、意識せずに。
(……規格外だな)
内心でそう評価する。
だが、同時に。
(制御、できていない)
危険性も、理解する。
「……ナート」
「はい」
「当面、こいつの行動はお前が見ろ」
即答だった。
「了解っす」
ナートは迷いなく頷く。
「無理はさせるな」
「はい」
短いやり取り。
だが、その中身は重い。
「……エアリス」
再び名を呼ぶ。
エアリスが顔を上げる。
「昨日、お前がやったことは」
一瞬、言葉を選ぶ。
「……多くの人間を助けている」
静かに告げる。
エアリスの目が、わずかに揺れた。
理解が、追いつかない。
だが――
否定はされていない。
責められてもいない。
「……」
何も言えず、ただ見つめる。
カイゼルはそれ以上は言わなかった。
踵を返す。
「休め」
それだけ残して、部屋を出ていく。
扉が閉まる。
⸻
静寂。
ナートが軽く息を吐いた。
「……びっくりっすよね」
少しだけ笑ってみせる。
「俺も、何が起きたのか全然分かんなかったです」
エアリスを見る。
まだ戸惑っている顔。
「でも」
少しだけ、真面目な声になる。
「悪いことじゃないっす」
言い切る。
「むしろ、すごいことなんで」
エアリスの指が、わずかに動く。
言葉の意味を、ゆっくり受け取るように。
「とりあえずは」
ナートは軽く肩をすくめる。
「体調優先でいきましょ」
「また倒れたら困るんで」
少し冗談めかして言う。
エアリスは、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ――
頷くのが、柔らかくなっていた。
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