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第七話 『我慢くらべ』
【輝夜】
「暑くないか」という問いかけで、目が覚めた。
義守と名乗る男が、わたしの顔を覗き込んでいた。
慌てて顔を隠そうとして、袖が顔にかかる。
危うく悲鳴を上げるところだった。
袖に血がついていた。
さらに、筵の上に寝かされていると知って機嫌を損ねた。
義守は、勝手にしろとばかりに納屋の外に敷かれた筵の上に座る。
同じ屋根の下で一夜を共にすることはできないという、わたしの言葉に従ったのだろう。
「それほど離れていて、護れるのですか?」
と、不満を口にした。。
気難しげな表情はそのままだったが、わたしの様子も心配だったのだろう。
今は、戸口に筵を移動させ横になっている。
わたしは、といえば、義守が椀を片付けた箱の上に座っている。
むろん黴臭い埃だらけの箱の上に座れるはずがない。
それを察した義守が、革袋から端切れを取り出し敷いてくれたのだ。
その布が清潔かどうか、この暗さでは確かめようがなかったが。
開け放たれた戸口から、月の明かりに照らされた竹藪が見えた。
その葉が、涼しげにそよいでいる。
だが、いかに安普請であっても、後方は岩の壁である。
風の通り道のない納屋に風は吹きこまない。
衣が体に纏わりついてくる。
汗をかけば珍しいことではない。
だが、こたびは様子が違う。
皮膚の下に何やら得体のしれぬ虫が幾匹も入り込み震えながら這いまわっている。
物の怪にとりつかれたのではあるまいか。
――都城を出るより、ずっと前から。
匂い袋は身に着けていたが、それでも匂いが気になった。
むろん、この男と、どうにかなろうと思っているわけではない。
単に恥をかきたくないだけだ。
とはいえ、目の前にいるのは、若い男である。
幼き頃より、口説くのは男の礼儀だと聞かされてきた。
女房たちも、男とはそういうものだと口をそろえた。
たとえそれが人の妻、帝の后であったとしても口説くのだと。
だが、この五年というもの、一度もそのようなことはなかった。
こういう場であれば、力づくで迫ることもできるはずである。
わたしは、この男と出会ってから扇で顔を隠すことを何度も忘れている。
にもかかわらず、この男は口説き文句ひとつ口にしない。
それほどまでに、おなごとして魅力がないのだ。
見目形が悪いのだ。
この歳になって、ようやくそれに気がついた。
男は道具を使い、革袋のようなものを修繕している。
その額にも汗が浮かんでいる。
――薄物一枚になりたかった。
そうすれば、この男は態度を変えるだろうか。
つまらぬ疑問を頭から追い出し、扇で扇ぐ。
自分が立っている納屋の一番奥は暗い。顔は見えまい。
男は声をかけてこない。
もはや我慢比べである。
ようやく声をかけてきたと思ったら、
「そのような衣では動きにくかろう。おばばに何ぞ借りてくるか」
と言うので、檜扇を下げて睨みつけてやった。
今、身に着けている時代遅れで貧相な小袖でさえ腹立たしく思っているのに、
あの雑炊とやらを作った、あのおばばに替えを頼もうというのか。
美的感覚以前の問題だ。
不潔であるに決まっている。
実は先ほどから痒みもある。
蚊であってほしいと心底願った。
蚤とかいうものであったとしたらとんでもない騒ぎとなろう。
そう考えて可笑しくなった。
どこへ帰ろうとしているのだ。
そう、わたしには帰るところなどない――今日のことを起こすよりも、五年も前から。
「結構です」
と言いながら、扇で顔を隠し、納屋から出ようとした。
男に目をやると、予想通り、どこへ行く、とばかりに顔を向けてきた。
「危険はない、のでしょう」いらぬ言葉を口にした。
「足元は暗い。近くで済ませろ」
興味などない、とばかりの言い回しではあったが、恥ずかしさに熱くなった。
気遣いのない男に怒りを覚えた。
【義守】
月の光が入り込んでいるとはいえ、薄暗いことに変わりはない。
やぶ蚊の餌にはなりたくなかったが、戸を開けねば暑くて寝ることもできまい。
なにより、どこぞの姫であれば、男と一夜を共にしたと言われる状況は作りたくあるまい。
近場には鹿の糞しか見当たらなかった。
その鹿とて、ここに入ってくることはできぬ造りになっている。
立ち上がり、先ほどまで藤式部と名乗る姫のいた場所に進んだ。
藤式部は偽名だろう。
輝夜はありそうだ。
暗くて顔が見えぬだろうと安心していたようだが夜目の利く自分には見えた。
見目形は確かに輝いている。
娘可愛さに親が、そう呼んでも不思議ではない。
とはいえ、何とも我儘な印象である。
物語の姫同様、周囲に無理難題を吹っかけているのではないか。
だが、当面の興味は、この納屋である。
突き当りの壁の前に立ち、掌で押してみる。
屋根と壁を兼ねた茅葺の納屋にも関わらず、奥の壁にだけ、びっしりと板が張られていた。
不自然極まりない作りだ。
小刀をこじ入れ、なるべく音をたてぬように板を剥がしていく。
「暑くないか」という問いかけで、目が覚めた。
義守と名乗る男が、わたしの顔を覗き込んでいた。
慌てて顔を隠そうとして、袖が顔にかかる。
危うく悲鳴を上げるところだった。
袖に血がついていた。
さらに、筵の上に寝かされていると知って機嫌を損ねた。
義守は、勝手にしろとばかりに納屋の外に敷かれた筵の上に座る。
同じ屋根の下で一夜を共にすることはできないという、わたしの言葉に従ったのだろう。
「それほど離れていて、護れるのですか?」
と、不満を口にした。。
気難しげな表情はそのままだったが、わたしの様子も心配だったのだろう。
今は、戸口に筵を移動させ横になっている。
わたしは、といえば、義守が椀を片付けた箱の上に座っている。
むろん黴臭い埃だらけの箱の上に座れるはずがない。
それを察した義守が、革袋から端切れを取り出し敷いてくれたのだ。
その布が清潔かどうか、この暗さでは確かめようがなかったが。
開け放たれた戸口から、月の明かりに照らされた竹藪が見えた。
その葉が、涼しげにそよいでいる。
だが、いかに安普請であっても、後方は岩の壁である。
風の通り道のない納屋に風は吹きこまない。
衣が体に纏わりついてくる。
汗をかけば珍しいことではない。
だが、こたびは様子が違う。
皮膚の下に何やら得体のしれぬ虫が幾匹も入り込み震えながら這いまわっている。
物の怪にとりつかれたのではあるまいか。
――都城を出るより、ずっと前から。
匂い袋は身に着けていたが、それでも匂いが気になった。
むろん、この男と、どうにかなろうと思っているわけではない。
単に恥をかきたくないだけだ。
とはいえ、目の前にいるのは、若い男である。
幼き頃より、口説くのは男の礼儀だと聞かされてきた。
女房たちも、男とはそういうものだと口をそろえた。
たとえそれが人の妻、帝の后であったとしても口説くのだと。
だが、この五年というもの、一度もそのようなことはなかった。
こういう場であれば、力づくで迫ることもできるはずである。
わたしは、この男と出会ってから扇で顔を隠すことを何度も忘れている。
にもかかわらず、この男は口説き文句ひとつ口にしない。
それほどまでに、おなごとして魅力がないのだ。
見目形が悪いのだ。
この歳になって、ようやくそれに気がついた。
男は道具を使い、革袋のようなものを修繕している。
その額にも汗が浮かんでいる。
――薄物一枚になりたかった。
そうすれば、この男は態度を変えるだろうか。
つまらぬ疑問を頭から追い出し、扇で扇ぐ。
自分が立っている納屋の一番奥は暗い。顔は見えまい。
男は声をかけてこない。
もはや我慢比べである。
ようやく声をかけてきたと思ったら、
「そのような衣では動きにくかろう。おばばに何ぞ借りてくるか」
と言うので、檜扇を下げて睨みつけてやった。
今、身に着けている時代遅れで貧相な小袖でさえ腹立たしく思っているのに、
あの雑炊とやらを作った、あのおばばに替えを頼もうというのか。
美的感覚以前の問題だ。
不潔であるに決まっている。
実は先ほどから痒みもある。
蚊であってほしいと心底願った。
蚤とかいうものであったとしたらとんでもない騒ぎとなろう。
そう考えて可笑しくなった。
どこへ帰ろうとしているのだ。
そう、わたしには帰るところなどない――今日のことを起こすよりも、五年も前から。
「結構です」
と言いながら、扇で顔を隠し、納屋から出ようとした。
男に目をやると、予想通り、どこへ行く、とばかりに顔を向けてきた。
「危険はない、のでしょう」いらぬ言葉を口にした。
「足元は暗い。近くで済ませろ」
興味などない、とばかりの言い回しではあったが、恥ずかしさに熱くなった。
気遣いのない男に怒りを覚えた。
【義守】
月の光が入り込んでいるとはいえ、薄暗いことに変わりはない。
やぶ蚊の餌にはなりたくなかったが、戸を開けねば暑くて寝ることもできまい。
なにより、どこぞの姫であれば、男と一夜を共にしたと言われる状況は作りたくあるまい。
近場には鹿の糞しか見当たらなかった。
その鹿とて、ここに入ってくることはできぬ造りになっている。
立ち上がり、先ほどまで藤式部と名乗る姫のいた場所に進んだ。
藤式部は偽名だろう。
輝夜はありそうだ。
暗くて顔が見えぬだろうと安心していたようだが夜目の利く自分には見えた。
見目形は確かに輝いている。
娘可愛さに親が、そう呼んでも不思議ではない。
とはいえ、何とも我儘な印象である。
物語の姫同様、周囲に無理難題を吹っかけているのではないか。
だが、当面の興味は、この納屋である。
突き当りの壁の前に立ち、掌で押してみる。
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