15 / 89
第十四話 『空木』
しおりを挟む
【輝夜】
媼には、納屋にある葛籠を置いていく旨を伝えた。
むろん、礼としてである。
岩の墓に手を合わせたのち、足を庇いながら再び竹藪を下り、川原に向かった。
義守の姿が見えたからだ。
媼と話しているわずかな刻で、八丈はあろう、あの崖から降りたということになる。
昨夜の弓の腕と言い、わたしと薪を背負って山の斜面を上り下りしたことといい、人並み外れた体力と技量を持っているようだ。
その手に笛はない。懐に仕舞い込んだのだろう。
声をかけようと傍によると、羽を広げた鷹が、上流からこちらに向かって滑空して来た。
足には何かを掴んでいる。
思わず、あとずさりした拍子に体勢を崩した。
転びそうになったわたしの背に義守が手を回した。
そして引き寄せる。
まるで愛しい人を抱きしめるように。
男に――殿方に抱きしめられるなど初めての経験だった。
息をすることさえ忘れ、その状況に身を任せた。
顔を見ることなどできなかった。
白く涼やかな空木(うつぎ)で埋め尽くされた対岸だけが鮮やかに焼き付けられた。
その時、上空から何かが降ってきた。
義守が、それを左手一本で、いともたやすく掴んだ。
手にしていたのは子兎(こうさぎ)だった。
下流上空で鷹が向きを変え、こちらに向かって来る。
義守がわたしを離し、ユガケを巻いた右腕を差し出すと、鷹はゆっくりと、その腕に舞い降りてきた。
鷹は、羽をそろえると「なんだ、お前は」とばかりに、わたしを睨みつけてきた。
鷹の雄雌の区別などわからなかったが、いかにも嫉妬深そうなその眼差しを見て、雌に違いないと決めつけた。
義守が「足は大丈夫か?」と、聞いてきた。
痛みは残っていたが、虚勢を張る。
「すっかり良くなりました」
と答えると、ならば良い、とばかりに兎を突き出してきた。
「おばばに渡せ。お前から渡した方が良かろう」
もちろん受け取らなかった。
貴族は穢れを嫌う。
が、それ以前の問題だった。
死んだ獣を掴むことなどできるはずがないではないか。
なんと野蛮で鈍感な男だろう。
そのようなおなごしか傍にいなかったのだ。
そもそも、あの媼には関わりたくなかった。
わたしが口にした山姥という表現は、あながち見当違いではなかったのだ。
あのあと、媼は続けた。
子をなした時、その子がどのような子であっても……と。
そして口を閉ざした。
わたしと義守を、手枕を交わした仲と見たに違いない。
義守に、義光様の姿を重ねたとは言え、そのような関係に見られたことに腹が立った。
無神経で得体の知れない媼にくわえ、野卑な義守の言動に腹を立てた。
「あなたから渡した方が喜びましょう」
と、言い捨て、後先も考えず再び急な斜面に向かった。
足の痛みが、ぶり返していた。
近くの木にすがり、一息も二息もついていると、後方から人の気配がした。
義守は、ああ見えて、困っている者を放っておけない性質だ。
背中に乗れと言えば乗ってやらぬでもない。
ただ、こたびは背負子を背負っていなかった。
直接、背負われることになるだろう。
そう考え、頬が火照った。
媼には、納屋にある葛籠を置いていく旨を伝えた。
むろん、礼としてである。
岩の墓に手を合わせたのち、足を庇いながら再び竹藪を下り、川原に向かった。
義守の姿が見えたからだ。
媼と話しているわずかな刻で、八丈はあろう、あの崖から降りたということになる。
昨夜の弓の腕と言い、わたしと薪を背負って山の斜面を上り下りしたことといい、人並み外れた体力と技量を持っているようだ。
その手に笛はない。懐に仕舞い込んだのだろう。
声をかけようと傍によると、羽を広げた鷹が、上流からこちらに向かって滑空して来た。
足には何かを掴んでいる。
思わず、あとずさりした拍子に体勢を崩した。
転びそうになったわたしの背に義守が手を回した。
そして引き寄せる。
まるで愛しい人を抱きしめるように。
男に――殿方に抱きしめられるなど初めての経験だった。
息をすることさえ忘れ、その状況に身を任せた。
顔を見ることなどできなかった。
白く涼やかな空木(うつぎ)で埋め尽くされた対岸だけが鮮やかに焼き付けられた。
その時、上空から何かが降ってきた。
義守が、それを左手一本で、いともたやすく掴んだ。
手にしていたのは子兎(こうさぎ)だった。
下流上空で鷹が向きを変え、こちらに向かって来る。
義守がわたしを離し、ユガケを巻いた右腕を差し出すと、鷹はゆっくりと、その腕に舞い降りてきた。
鷹は、羽をそろえると「なんだ、お前は」とばかりに、わたしを睨みつけてきた。
鷹の雄雌の区別などわからなかったが、いかにも嫉妬深そうなその眼差しを見て、雌に違いないと決めつけた。
義守が「足は大丈夫か?」と、聞いてきた。
痛みは残っていたが、虚勢を張る。
「すっかり良くなりました」
と答えると、ならば良い、とばかりに兎を突き出してきた。
「おばばに渡せ。お前から渡した方が良かろう」
もちろん受け取らなかった。
貴族は穢れを嫌う。
が、それ以前の問題だった。
死んだ獣を掴むことなどできるはずがないではないか。
なんと野蛮で鈍感な男だろう。
そのようなおなごしか傍にいなかったのだ。
そもそも、あの媼には関わりたくなかった。
わたしが口にした山姥という表現は、あながち見当違いではなかったのだ。
あのあと、媼は続けた。
子をなした時、その子がどのような子であっても……と。
そして口を閉ざした。
わたしと義守を、手枕を交わした仲と見たに違いない。
義守に、義光様の姿を重ねたとは言え、そのような関係に見られたことに腹が立った。
無神経で得体の知れない媼にくわえ、野卑な義守の言動に腹を立てた。
「あなたから渡した方が喜びましょう」
と、言い捨て、後先も考えず再び急な斜面に向かった。
足の痛みが、ぶり返していた。
近くの木にすがり、一息も二息もついていると、後方から人の気配がした。
義守は、ああ見えて、困っている者を放っておけない性質だ。
背中に乗れと言えば乗ってやらぬでもない。
ただ、こたびは背負子を背負っていなかった。
直接、背負われることになるだろう。
そう考え、頬が火照った。
7
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる