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第十八話 『生まれながらの姫君』
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【輝夜】
吉平の言うとおり、義守は、この場所に降りてきた。
意外であったのは、山賊に捕らわれていたという幼い兄妹を連れて戻ったことだ。
兄は十、妹は五といったところか。
わたしの弟、妹と比べ、そう見当をつけた。
二人の衣は、少々くたびれてはいたが、垢にまみれた様子もなく清潔そうであった。
義守が、懐から笹にくるんだ団子のような物を取り出し兄妹に与えた。
小次郎と言う名の兄が、いかにも嬉しそうにほおばった。
媼が、義守に持たせたのだという。
気に入らなかった。
それが表情に出たのだろう。
義守が、おまえも食うかと聞いてきた。
そんな物を口にする気はない。
気に入らなかったのは、媼が妙に義守に肩入れすることだ。
義守が、それを受け入れていることだ。
義守が、わたしを山賊退治に連れて行かなかったことだ。
義守が、兄妹に団子を差し出す前に、自分の口から、「空腹ではありませんが」という、気遣いの言葉が出なかったことだ。
「無事で何よりです」という、ねぎらいの言葉がでなかったことだ。
なにより、山賊どもから救い出してくれた義守に礼の一つも言えていない。
義守と会ってからというものの、後悔ばかりしている気がする。
「ほれ、おまえも」
と、小次郎が、るりという名の妹に声をかける。
だが、その反応はないに等しい。
おとなしいというのとも違う。
明らかに目がうつろである。
物の怪にとりつかれているのだろうか。
このような状況だからこそ、小次郎が一層明るく振舞っているように見える。
それが、またけなげだった。
小次郎と、るりの姿を見ながら、今年、五歳をお迎えになる敦康親王様のことを思い出していた。
親王様の母后、梅壷様が、この世を去って二年半。
その後、母后の妹君である御匣殿(みくしげどの)が養育されていたが、その御匣殿も亡くなった。
敦康親王様は明るく、才気にあふれていると聞く。
しかし、次々に周りの者がこの世を去り、後見であった伯父は流罪となり、この世を去った。
【義守】
小次郎は、粟粢をうまそうに食べ、名残惜しそうに指まで舐めた。
そのしぐさは、かつての友を思わせた。
放っておけば野垂れ死ぬだろう。
かと言って、おれに育てられるはずがない。
隠れ住んでいるおばばが受け入れるとも思えない。
思案に暮れていたが、ことはあっけなく解決した。
姫が、二人の置かれた立場を訊ね、都に住んでいるという親族が見つかるまでは「使用人として引き取る」と、請け合ったのだ。
陰陽師と思しき男が困惑しているのが見て取れた。
身元もわからぬ者を近くに置きたくないのだろう。
五年前にも同じようなことがあった。
性根の違いはともかく、周りの思惑に重きを置かないという点では、どちらも間違いなく生まれながらの姫だった。
男は、ここで説得しても無駄と悟ったのか、おれの方に向き直り、礼を口にした。
姫から、事の次第を訊いたらしく、改めて礼をすると言ってきたが断った。
面倒は御免だった。
「それでは、媼に、お礼を」
と、しつこく言ってくる。
強欲なおばばではあるが、住処を知られぬことを優先するだろう。
二度と、ここに来ぬことが一番の礼だと、きっぱりと断った。
男も、その意味を察したらしく、それ以上は言ってこなかった。
*
都城に帰る姫の牛車の上を、鷹の飛天が見守るように旋回していた。
車輪に押しつぶされたヨモギの匂いに我に返る。
違和感がぬぐえなかった。
かといって、それが何に対してであるかもわからない。
山賊退治を、おばばに伝えるのを後回しにして、踵を返した。
*
先ほどの頭目らしき男の周りには早くも鴉が群がり、様子をうかがっていた。
山賊たちのねぐらと、その周辺を見て回った。
小次郎と妹を連れ帰ることを優先し、じっくり見ていなかったからだ。
違和感の一つは屋根や壁があることだった。建屋も新しい。
先立つものも、運ぶ手間もかかる。
役人が来れば逃げ出さなければならない仮の住処であるということを考えればなおさらである。
おばばの家もそうだが、山村の百姓家では、地面を掘り下げ、立ち上げた柱を上部で交差させ、屋根と壁を兼ねた茅葺きの家がほとんどだ。
首領は出自をたどれば、それなりの家で、床板もない粗末な住処に住むことに我慢がならなかったのだろうか。
小屋の中を改めて確認する。
囲炉裏には甘い匂いが残っていた。
山伏のなりをした首領が、かつて真実、山伏であったのなら、護摩を――麻を焚いてもおかしくはない。
ふと思い立ち、梁の上に飛び乗った。
梁の上には様々な落書きがあった。
猥雑な文の上に、黒々とした墨で、
「おそろしい。このまま取り込まれてしまうのか」「もう母とは会えぬのか」
と、いう書き込みもある。
なるつもりはなかったが、引き入れられた者もいたのだろう。
読み書きができる者もいたということだ。
先ほどとは別の獣道をたどり、山を降りる。
樹木の間から峠道が見えた。
その手前から鴉が飛びたつ。
見ると無残に食い散らかされた下帯姿の男の死骸があった。
朝早くに峠道に転がる屍を確認したところ一人足りなかった。
昨夜、足を射られたあと、這うようにしてここまでやってきたのだろう。
やわらかい腹は、横から食い荒らされている。
狼か山犬によるものであろう。
加えて、その喉笛が切り裂かれていたことに気がついた。
明らかに刃物で、とどめを刺されている。
用心深いことだ。
放っておいても、昨夜のうちに口はきけなくなっていただろうに。
吉平の言うとおり、義守は、この場所に降りてきた。
意外であったのは、山賊に捕らわれていたという幼い兄妹を連れて戻ったことだ。
兄は十、妹は五といったところか。
わたしの弟、妹と比べ、そう見当をつけた。
二人の衣は、少々くたびれてはいたが、垢にまみれた様子もなく清潔そうであった。
義守が、懐から笹にくるんだ団子のような物を取り出し兄妹に与えた。
小次郎と言う名の兄が、いかにも嬉しそうにほおばった。
媼が、義守に持たせたのだという。
気に入らなかった。
それが表情に出たのだろう。
義守が、おまえも食うかと聞いてきた。
そんな物を口にする気はない。
気に入らなかったのは、媼が妙に義守に肩入れすることだ。
義守が、それを受け入れていることだ。
義守が、わたしを山賊退治に連れて行かなかったことだ。
義守が、兄妹に団子を差し出す前に、自分の口から、「空腹ではありませんが」という、気遣いの言葉が出なかったことだ。
「無事で何よりです」という、ねぎらいの言葉がでなかったことだ。
なにより、山賊どもから救い出してくれた義守に礼の一つも言えていない。
義守と会ってからというものの、後悔ばかりしている気がする。
「ほれ、おまえも」
と、小次郎が、るりという名の妹に声をかける。
だが、その反応はないに等しい。
おとなしいというのとも違う。
明らかに目がうつろである。
物の怪にとりつかれているのだろうか。
このような状況だからこそ、小次郎が一層明るく振舞っているように見える。
それが、またけなげだった。
小次郎と、るりの姿を見ながら、今年、五歳をお迎えになる敦康親王様のことを思い出していた。
親王様の母后、梅壷様が、この世を去って二年半。
その後、母后の妹君である御匣殿(みくしげどの)が養育されていたが、その御匣殿も亡くなった。
敦康親王様は明るく、才気にあふれていると聞く。
しかし、次々に周りの者がこの世を去り、後見であった伯父は流罪となり、この世を去った。
【義守】
小次郎は、粟粢をうまそうに食べ、名残惜しそうに指まで舐めた。
そのしぐさは、かつての友を思わせた。
放っておけば野垂れ死ぬだろう。
かと言って、おれに育てられるはずがない。
隠れ住んでいるおばばが受け入れるとも思えない。
思案に暮れていたが、ことはあっけなく解決した。
姫が、二人の置かれた立場を訊ね、都に住んでいるという親族が見つかるまでは「使用人として引き取る」と、請け合ったのだ。
陰陽師と思しき男が困惑しているのが見て取れた。
身元もわからぬ者を近くに置きたくないのだろう。
五年前にも同じようなことがあった。
性根の違いはともかく、周りの思惑に重きを置かないという点では、どちらも間違いなく生まれながらの姫だった。
男は、ここで説得しても無駄と悟ったのか、おれの方に向き直り、礼を口にした。
姫から、事の次第を訊いたらしく、改めて礼をすると言ってきたが断った。
面倒は御免だった。
「それでは、媼に、お礼を」
と、しつこく言ってくる。
強欲なおばばではあるが、住処を知られぬことを優先するだろう。
二度と、ここに来ぬことが一番の礼だと、きっぱりと断った。
男も、その意味を察したらしく、それ以上は言ってこなかった。
*
都城に帰る姫の牛車の上を、鷹の飛天が見守るように旋回していた。
車輪に押しつぶされたヨモギの匂いに我に返る。
違和感がぬぐえなかった。
かといって、それが何に対してであるかもわからない。
山賊退治を、おばばに伝えるのを後回しにして、踵を返した。
*
先ほどの頭目らしき男の周りには早くも鴉が群がり、様子をうかがっていた。
山賊たちのねぐらと、その周辺を見て回った。
小次郎と妹を連れ帰ることを優先し、じっくり見ていなかったからだ。
違和感の一つは屋根や壁があることだった。建屋も新しい。
先立つものも、運ぶ手間もかかる。
役人が来れば逃げ出さなければならない仮の住処であるということを考えればなおさらである。
おばばの家もそうだが、山村の百姓家では、地面を掘り下げ、立ち上げた柱を上部で交差させ、屋根と壁を兼ねた茅葺きの家がほとんどだ。
首領は出自をたどれば、それなりの家で、床板もない粗末な住処に住むことに我慢がならなかったのだろうか。
小屋の中を改めて確認する。
囲炉裏には甘い匂いが残っていた。
山伏のなりをした首領が、かつて真実、山伏であったのなら、護摩を――麻を焚いてもおかしくはない。
ふと思い立ち、梁の上に飛び乗った。
梁の上には様々な落書きがあった。
猥雑な文の上に、黒々とした墨で、
「おそろしい。このまま取り込まれてしまうのか」「もう母とは会えぬのか」
と、いう書き込みもある。
なるつもりはなかったが、引き入れられた者もいたのだろう。
読み書きができる者もいたということだ。
先ほどとは別の獣道をたどり、山を降りる。
樹木の間から峠道が見えた。
その手前から鴉が飛びたつ。
見ると無残に食い散らかされた下帯姿の男の死骸があった。
朝早くに峠道に転がる屍を確認したところ一人足りなかった。
昨夜、足を射られたあと、這うようにしてここまでやってきたのだろう。
やわらかい腹は、横から食い荒らされている。
狼か山犬によるものであろう。
加えて、その喉笛が切り裂かれていたことに気がついた。
明らかに刃物で、とどめを刺されている。
用心深いことだ。
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