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第二十五話 『文』
【輝夜】
二年前に疫病が流行った。
鴨川の河原には数えきれないほどの死体が放置され、鴉や犬も食いあきて手を付けなかった。
昨年、川をさらったところ、五千五百もの髑髏があがったという。
今年も、水害が起こり、疫病が流行ったと聞く。
加えて冷夏で、稲穂にはろくに実がついていないと。
またも、飢饉が襲うだろうと女房たちが噂していた。
洛中では夜になると夜盗や火事が頻発し、朝になると物乞いや身元のわからぬ者たちの死骸が次々と見つかるという。
呪いとしか思えぬ奇妙な死にざまもあるという。
さらには徒党を組んだ者たちが分限者の屋敷、近隣の郡・保の倉を襲い略奪を繰り返した。
それを調べていた検非違使たちが次々と行方不明になった。
洛外では、怨霊や悪霊、鬼、妖怪が跳梁、跋扈していると人々は恐れた。
朝廷も手をこまねいていたわけではない。
力のある僧や陰陽師に加持祈祷を依頼した。
京職や武官も駆り出し、大掛かりな探索も始めたという。
義守であれば解決してくれるに違いない。
小次郎に文を持たせ、あの媼の住まいに向かわせた。
結局、住まいを見つけることはできなかったという。
無理もない。まさに草の庵だった。
いや、まぎれもなく隠れ家であった。
訪れたことのあるわたしでさえ見つけだす自信はない。
小次郎は、なかなか気の利く童だった。
手ぶらで帰るわけにはいかぬ、と、山賊の住処の壁に炭を使って大きな文字で「小次郎」といくつも書き込んだのだという。
書ける文字はそれしかないということだったが、義守が武士であれば読めるであろう。
読めぬにしても、それを目にすれば、伝えたいことがあると考えるだろう。
媼の納屋を引き払い、そこに拠点を移しているかもしれない。
小次郎は、わたしの気持ちを察したかのように、あの男であれば、きっとここを探し当てましょうと付け加えた。
今の立場を知られたくないと思いながらも、さっそく、仕立てたばかりの美しい袿を身に着けた。
衣には香を焚き締め、万一の外出――着替え――に備え、匂い袋の香料も新しいものに入替た。
――名ばかりとはいえ、中宮という立場にありながら帝以外の男にうつつをぬかす、わたしの行動が天の怒りをかったのだろうか。
山階寺の神木が枯れた。
続いて紫宸殿に落雷、役人三名、近衛二名が命を落とした。
その中に、かつて父の意を汲み、「内大臣を流罪にすべし」と動き回った役人がいたことから、祟りではないかと噂が立った。
帝が心労から床につかれた。
小次郎が山賊の住処に手がかりを残して七日。
義守からは何の音さたもない。
気鬱な様子のわたしを慰めようとする女房達が煩わしかった。
女房達を房に帰し、簀子に出て大枝山の方向の空を見つめ、ため息をついた。
空は青々と晴れ渡っていたが、わたしの心は晴れなかった。
歌でも詠もうと、扇を手に取って考え込んでいると、空から何かが降ってきた。
叩きつけるような鈍い音に腰が抜けそうになった。
簀子の下、一間ほど前の地面――白石(しらいし)の上に子兎が転がっていた。
そこへ、羽を広げた鷹がゆっくりと降りてきて、藤の蔦の絡まる松の枝に窮屈そうにとまった。
義守の鷹だ。
鷹の区別などつかなかったが、他に考えようがなかった。
期待に胸をふくらませ辺りを見回すが、義守の姿はない。
物音を聞いて、何事かと顔をのぞかせた女房を追いはらう。
帰洛する牛車の上を鷹が舞っていたことを思い出した。
この場所までついてきて、わたしの住まいを覚えたのだろう。
足元の子兎に目をやった。
どうやらこの鷹は、人であれば誰もが義守のように片手で受け取れると思っているようだ。
贈り物のつもりなのだろう。
あの日、義守はこの鷹が獲ってきた子兎をわたしに突きだした。
だが、わたしは受け取らなかった。
ゆえに、義守に代わって渡そうとしたのではないか。
鷹がとまっているのは、ちょうどわたしの目の高さの枝だ。
鷹の習性など知るよしもなかったが、このような低い場所にとまるとは思えなかった。
意図してとまったに違いない。
懐に忍ばせていた薄様で桜色の雁皮紙を取り出した。
誰かに託せるようにと、歌をしたためておいたのだ。
急いで結び文にできるよう細く折りたたんだ。
袿を脱ぎ捨て、長袴を引き上げ、踏み抜いて、階を駆け下りる。
履物無しで、白石(しらいし)の敷き詰められた庭に降りる。
衣が汚れることは気にならなかった。
ただ、ただ、この場に誰も来ぬことを望むばかりだ。
文には、出会った時と同じ香料を焚きこんでいる。
文字が読めずとも、あの時のおなごが連絡を取りたがっていると察するだろう。
文を手に、鷹に恐る恐る近づいた。
『やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな』
さて、女房達に、汚れた袴と、この兎のことを訊ねられたらなんとしよう。
二年前に疫病が流行った。
鴨川の河原には数えきれないほどの死体が放置され、鴉や犬も食いあきて手を付けなかった。
昨年、川をさらったところ、五千五百もの髑髏があがったという。
今年も、水害が起こり、疫病が流行ったと聞く。
加えて冷夏で、稲穂にはろくに実がついていないと。
またも、飢饉が襲うだろうと女房たちが噂していた。
洛中では夜になると夜盗や火事が頻発し、朝になると物乞いや身元のわからぬ者たちの死骸が次々と見つかるという。
呪いとしか思えぬ奇妙な死にざまもあるという。
さらには徒党を組んだ者たちが分限者の屋敷、近隣の郡・保の倉を襲い略奪を繰り返した。
それを調べていた検非違使たちが次々と行方不明になった。
洛外では、怨霊や悪霊、鬼、妖怪が跳梁、跋扈していると人々は恐れた。
朝廷も手をこまねいていたわけではない。
力のある僧や陰陽師に加持祈祷を依頼した。
京職や武官も駆り出し、大掛かりな探索も始めたという。
義守であれば解決してくれるに違いない。
小次郎に文を持たせ、あの媼の住まいに向かわせた。
結局、住まいを見つけることはできなかったという。
無理もない。まさに草の庵だった。
いや、まぎれもなく隠れ家であった。
訪れたことのあるわたしでさえ見つけだす自信はない。
小次郎は、なかなか気の利く童だった。
手ぶらで帰るわけにはいかぬ、と、山賊の住処の壁に炭を使って大きな文字で「小次郎」といくつも書き込んだのだという。
書ける文字はそれしかないということだったが、義守が武士であれば読めるであろう。
読めぬにしても、それを目にすれば、伝えたいことがあると考えるだろう。
媼の納屋を引き払い、そこに拠点を移しているかもしれない。
小次郎は、わたしの気持ちを察したかのように、あの男であれば、きっとここを探し当てましょうと付け加えた。
今の立場を知られたくないと思いながらも、さっそく、仕立てたばかりの美しい袿を身に着けた。
衣には香を焚き締め、万一の外出――着替え――に備え、匂い袋の香料も新しいものに入替た。
――名ばかりとはいえ、中宮という立場にありながら帝以外の男にうつつをぬかす、わたしの行動が天の怒りをかったのだろうか。
山階寺の神木が枯れた。
続いて紫宸殿に落雷、役人三名、近衛二名が命を落とした。
その中に、かつて父の意を汲み、「内大臣を流罪にすべし」と動き回った役人がいたことから、祟りではないかと噂が立った。
帝が心労から床につかれた。
小次郎が山賊の住処に手がかりを残して七日。
義守からは何の音さたもない。
気鬱な様子のわたしを慰めようとする女房達が煩わしかった。
女房達を房に帰し、簀子に出て大枝山の方向の空を見つめ、ため息をついた。
空は青々と晴れ渡っていたが、わたしの心は晴れなかった。
歌でも詠もうと、扇を手に取って考え込んでいると、空から何かが降ってきた。
叩きつけるような鈍い音に腰が抜けそうになった。
簀子の下、一間ほど前の地面――白石(しらいし)の上に子兎が転がっていた。
そこへ、羽を広げた鷹がゆっくりと降りてきて、藤の蔦の絡まる松の枝に窮屈そうにとまった。
義守の鷹だ。
鷹の区別などつかなかったが、他に考えようがなかった。
期待に胸をふくらませ辺りを見回すが、義守の姿はない。
物音を聞いて、何事かと顔をのぞかせた女房を追いはらう。
帰洛する牛車の上を鷹が舞っていたことを思い出した。
この場所までついてきて、わたしの住まいを覚えたのだろう。
足元の子兎に目をやった。
どうやらこの鷹は、人であれば誰もが義守のように片手で受け取れると思っているようだ。
贈り物のつもりなのだろう。
あの日、義守はこの鷹が獲ってきた子兎をわたしに突きだした。
だが、わたしは受け取らなかった。
ゆえに、義守に代わって渡そうとしたのではないか。
鷹がとまっているのは、ちょうどわたしの目の高さの枝だ。
鷹の習性など知るよしもなかったが、このような低い場所にとまるとは思えなかった。
意図してとまったに違いない。
懐に忍ばせていた薄様で桜色の雁皮紙を取り出した。
誰かに託せるようにと、歌をしたためておいたのだ。
急いで結び文にできるよう細く折りたたんだ。
袿を脱ぎ捨て、長袴を引き上げ、踏み抜いて、階を駆け下りる。
履物無しで、白石(しらいし)の敷き詰められた庭に降りる。
衣が汚れることは気にならなかった。
ただ、ただ、この場に誰も来ぬことを望むばかりだ。
文には、出会った時と同じ香料を焚きこんでいる。
文字が読めずとも、あの時のおなごが連絡を取りたがっていると察するだろう。
文を手に、鷹に恐る恐る近づいた。
『やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな』
さて、女房達に、汚れた袴と、この兎のことを訊ねられたらなんとしよう。
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