あさきゆめみし

八神真哉

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第三十三話  『黒幕』

小次郎が臥せっているという木工内侯に牛車で到着し、少なからず衝撃を受けた。

薪小屋の一角に簀子を敷いただけの、狭く汚らしい寝所であったからだ。
義守と一夜を過ごした壁のなかったあの小屋が風流に思えるほどである。

臥せっている小次郎の顔色を見て、自分の至らなさに涙がうかぶ。
すぐに吐き出し、行成が毒消しとされる甘草を与えたとかで、思ったほど衰弱していないのが救いである。

行成に、
「女官と厨女をここへ。わたしからも口止めをしておきましょう」と命じる
自分を守るために、中宮が下賤の者に直接声をかけようというのである。
異例の申し出に、行成は涙を浮かべ地面に平伏した。

その背に、そっと手をやり、早く呼んできなさいと促して、小次郎のかたわらに座った。
あの納屋で一夜を過ごしたことで慣れてしまったのだろうか。
さほど抵抗もなく納屋の簀子に座れたことに驚いた。

小次郎は、親王様の夕餉の盗み食いをしたことがばれ、しょげ返っている。
扇越しに、微笑んでみせる。
「あなたが親王様を救ったのです」
しばらくゆっくりしてよいのですよ、と。
その言葉に、ようやく情けなさそうな照れたような笑顔を見せた。

こたびの件を、隠し通すわけにもいくまいが、親王様を守るには別の手立ても考えねばなるまい。

その悩みを察したように小次郎が、「姫君」と話しかけてきた。
機転が利く上に聡い子である。
わたしが何者かを知っても、最初に出会ったとき同様、姫君と呼びかけてくれる。

そのほうが、わたしが喜ぶということを、聞き及んでいるのだ。
言葉遣いも驚くほど改善されていた。

「こたびのことが公になれば、朝廷の……いえ、主上の権威が地に落ちましょう。かといって口をつぐんでいれば相手の思う壺」
そういって小次郎は、わたしの顔を見た。
宮中の噂と、こたびの件を結び付け、わたしの父が、その黒幕であると確信しているのだろう。

「わしが……いや、わたしが囚われていた先、千丈ヶ嶽の神宮寺に酒呑童子という法力を持った鬼が棲みついているのです。その鬼に頼ってみてはいかがでしょうか。なにしろ、その鬼は一度たりとも法力勝負に負けたことがないとのこと」

「噂は聞いておりますが、素性のしれぬ者に、こたびのことを告げるわけにはいきません」
と、とぼけた。

「霊験あらたかで口も堅いと評判です。でなければ、あれほどの多くの貴人、分限者どもが頼りにはせぬでしょう」

むろん承知している。
先日のことがなければ、すぐにでも頼りたいところだ。

その迷いを察したように小次郎は続けた。
「噂だけで、お薦めしているわけではないのです。山賊どもの話を漏れ聞いたのです。酒呑童子が山頂付近に社を構えてすぐに、山賊の頭梁が酒呑童子をおどした、と」

わたしが興味を示したと見て、小次郎は続けた。
「分限者や貴人が引きも切らず訪れているではないか、さぞかしお宝を貯めておろう。わしにも分け前をよこせと……しかし、その法力で金縛りにあった挙句、早々に今のねぐらから立ち去らぬと、いずれ矢で射殺されることになろう、と告げられたと」

小次郎は、驚くわたしの目をひたと見つめる。
「事実、あの男は予言通りの運命をたどったではありませんか」
「畏れ多くも」と、小次郎は続けた。
「親王様のお命を奪おうという不敬者の正体を暴けるのは酒呑童子をおいてありますまい」

確かに、それ以上の方策はないように思えた。
いまや、わたしにとっての生きがいは敦康親王様を帝に立てることである。
ならば、親王様を亡き者にしようとしている黒幕をあぶりださねばならない。

しかし、一方で、それはわたし自身の破滅につながりかねない行為であった。
それが父以外の者である可能性は極めて低かったからだ。

ことが明らかになれば、父は失脚する。
いや、おそらくは咎人として捕られたのち、罪が確定する前に命を奪われてしまうだろう。

逆臣の娘であるわたしも連座となるか、良くて出家といったところだろう。

娘を女御、更衣としている肉親、親族は色めき立つだろう。
清廉潔白で通っている大納言でさえも、自らが正しいと思う政を行うために娘を入内させるかもしれない。

それは、親王様の立場をも危うくする。
有力な後見がなければ帝にはなれない。

だが、物は考えようだ。
父が黒幕である証を密かに掴めば、親王様を立太子に、と交渉もできるのではないか。
ともあれ、親王様をここに残していけば何が起こるかわからない。
女官と厨女に固く口止め――正しくは、脅し、すぐさま行動を起こした。

わたしが宮中から出られぬよう、吉平が手を打っているのではないかと心配したが、弟の病の見舞いにと言うと、拍子抜けするほどたやすく承認された。
吉平にしても、締め付けすぎると前回を上回る騒動を起こしかねないと考えたのだろう。

     *

翌朝、中宮大夫が物忌で出仕していないことを良いことに、行成を呼び出し、用件を伝えた。
親王様を、わたしの実家にご招待したいと。

簀子の上で平伏している行成が絶句した。
御簾の向こうで、蒼白になっているのが手に取るようにわかる。
当然である。腹をすかせた猫の前に生まれたばかりの子ねずみを差し出すようなものである。

それでも、先日、恩を売ったことが功を奏したのか、結局、行成自身も同行することを条件に了解した。

さすがに自らの邸でことを起こすような愚かな真似はすまい、と判断したのだろう。
あるいは生真面目な男ゆえ憤怒にかられ、この際、左大臣に釘を刺しておかねばと覚悟を決めたのかもしれない。

弁舌巧みな行成が父をやり込める場面には興味があったが、物事には優先順位と言うものがある。
行成が、親王様のお出かけの準備に奔走している隙を狙って出発した。

むろん、返閉、方違(かたちが)えも無視してである。

    *

小次郎が臥せっているという木工内侯に牛車で到着し、少なからず衝撃を受けた。

薪小屋の一角に簀子を敷いただけの、狭く汚らしい寝所であったからだ。
義守と一夜を過ごした壁のなかったあの小屋が風流に思えるほどである。

臥せっている小次郎の顔色を見て、自分のいたならさに涙がうかぶ。
すぐに吐き出し、行成が毒消しとされる甘草を与えたとかで、思ったほど衰弱していないのが救いである。

行成に、
「女官と厨女をここへ。わたしからも口止めをしておきましょう」と命じる
自分を守るために、中宮が下賤の者に直接声をかけようというのである。
異例の申し出に、行成は涙を浮かべ地面に平伏した。

その背に、そっと手をやり、早く呼んできなさいと促して、小次郎のかたわらに座った。
あの納屋で一夜を過ごしたことで慣れてしまったのだろうか。
さほど抵抗もなく納屋の簀子に座れたことに驚いた。

小次郎は、親王様の夕餉の盗み食いをしたことがばれ、しょげ返っている。
扇越しに、微笑んでみせる。
「あなたが親王様を救ったのです」
しばらくゆっくりしてよいのですよ、と。
その言葉に、ようやく情けなさそうな照れたような笑顔を見せた。

こたびの事を父に告げないわけにもいくまいが、親王様を守るには別の手立ても考えねばなるまい。

その悩みを察したように小次郎が、「姫君」と話しかけてきた。
機転が利く上に聡い子である。
わたしが何者かを知っても、最初に出会ったとき同様、姫君と呼びかけてくれる。

そのほうが、わたしが喜ぶということを、聞き及んでいるのだ。
言葉遣いも驚くほど改善されていた。

「こたびの事が公になれば、朝廷の……いえ、主上の権威が地に落ちましょう。かといって口をつぐんでいれば相手の思う壺」
そういって小次郎は、わたしの顔を見た。
宮中の噂と、こたびのことを結び付け、わたしの父が、その黒幕であると確信しているのだろう。

「わしが……いや、わたしが囚われていた先、千丈ヶ嶽の神宮寺に酒呑童子という法力を持った鬼が棲みついているのです。その鬼に頼ってみてはいかがでしょうか。なにしろ、その鬼は一度たりとも法力勝負に負けたことがないとのこと」

「噂は聞いておりますが、素性のしれぬ者に、こたびのことを告げるわけにはいきません」
と、とぼけた。

「霊験あらたかで口も堅いと評判です。でなければ、あれほどの多くの貴人、分限者どもが頼りにはせぬでしょう」

むろん承知している。
先日のことがなければ、すぐにでも頼りたいところだ。

その迷いを察したように小次郎は続けた。
「噂だけで、お薦めしているわけではないのです。山賊どもの話を漏れ聞いたのです。酒呑童子が山頂付近に社を構えてすぐに、山賊の頭梁が酒呑童子をおどした、と」

わたしが興味を示したと見て、小次郎は続けた。
「分限者や貴人が引きも切らず訪れているではないか、さぞかしお宝を貯めておろう。わしにも分け前をよこせと……しかし、その法力で金縛りにあった挙句、早々に今のねぐらから立ち去らぬと、いずれ矢で射殺されることになろう、と告げられたと」

小次郎は、驚くわたしの目をひたと見つめる。
「事実、あの男は予言通りの運命をたどったではありませんか」
「畏れ多くも」と、小次郎は続けた。
「親王様のお命を奪おうという不敬者の正体を暴けるのは酒呑童子をおいてありますまい」

確かに、それ以上の方策はないように思えた。
いまや、わたしにとっての生きがいは敦康親王様を帝に立てることである。
ならば、親王様を亡き者にしようとしている黒幕をあぶりださねばならない。

しかし、一方で、それはわたし自身の破滅につながりかねない行為であった。
それが父以外の者である可能性は極めて低かったからだ。

ことが明らかになれば、父は失脚する。
いや、おそらくは咎人として捕られたのち、罪が確定する前に命を奪われてしまうだろう。

逆臣の娘であるわたしも連座となるか、良くて出家といったところだろう。

娘を女御、更衣としている肉親、親族は色めき立つだろう。
清廉潔白で通っている大納言でさえも、自らが正しいと思う政を行うために娘を入内させるかもしれない。

それは、親王様の立場をも危うくする。
有力な後見がなければ帝にはなれない。

だが、物は考えようだ。
父が黒幕である証を密かに掴めば、親王様を立太子に、と交渉もできるのではないか。
ともあれ、親王様をここに残していけば何が起こるかわからない。
女官と厨女に固く口止め――正しくは、脅し、すぐさま行動を起こした。

わたしが宮中から出られぬよう、吉平が手を打っているのではないかと心配したが、弟の病の見舞いにと言うと、拍子抜けするほどたやすく承認された。
吉平にしても、締め付けすぎると前回を上回る騒動を起こしかねないと考えたのだろう。

     *

翌朝、中宮大夫が物忌で出仕していないことを良いことに、行成を呼び出し、用件を伝えた。
親王様を、わたしの実家にご招待したいと。

簀子の上で平伏している行成が絶句した。
御簾の向こうで、蒼白になっているのが手に取るようにわかる。
当然である。腹をすかせた猫の前に生まれたばかりの子ねずみを差し出すようなものである。

それでも、先日、恩を売ったことが功を奏したのか、結局、行成自身も同行することを条件に了解した。

さすがに自らの邸でことを起こすような愚かな真似はすまい、と判断したのだろう。
あるいは生真面目な男ゆえ憤怒にかられ、この際、左大臣に釘を刺しておかねばと覚悟を決めたのかもしれない。

弁舌巧みな行成が父をやり込める場面には興味があったが、物事には優先順位と言うものがある。
行成が、親王様のお出かけの準備に奔走している隙を狙って出発した。

むろん、返閉、方違(かたちが)えも無視してである。

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