あさきゆめみし

八神真哉

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第五十二話  『ひざ枕』


【輝夜】

さすがに父が頼りにしてきた陰陽師である。
わずか四半刻で義守の顔に朱がさし、表情が穏やかになった。
一日もすれば回復するだろうということだった。

陰陽師は義守が倒れた理由については口を濁した。
物の怪にとりつかれたのでなければ、酒呑童子の呪詛を疑っているのだろう。

だが、わたしはそうは思わなかった。
あの時の酒呑童子は、まるで無邪気な童のようだった。
一方の義守も顔はしかめることはあったが、わたしと出会ったあの夜に比べ口が軽かった。
そもそも酒呑童子を嫌っていれば、笛の演奏には付き合わなかっただろう
翌朝など楽しそうに見えた。

動かさぬほうが良いとはわかっていたが、枕を外し、義守の頭を自分の膝の上に載せた。
至福の時であった。

家司に用意させた水に濡らした布で額や首筋の汗を拭いてやる。
頭に巻いている布がいかにも暑苦しげに見えた。
はずしてやろうか、と幾度も手を伸ばした。

だが、その厳重さに恐れをなして、そのままにした。
それをすれば、二度と義守と会えぬ予感がしたからだ。

わたしの軽率な行いが供の死を招き、義守を巻きこんだのだ。
それどころか、この国を混乱に巻き込もうとしていた。

これまで幾度も繰り返された権力闘争の末の武力の行使。
帝の出家。遠島。死。
繰り返してはならなかった。
思わず涙が湧きあがり、義守の頬の上に落ちた。

義守の瞼が、わずかに震えた。
あわてて、袖口で義守の頬を、そしてわが目元を拭う。
義守の瞼が、ゆっくりとあがる。
視点の定まらぬ目であたりをうかがったのち、眉間にしわを寄せ起き上がろうとする。

「無理をしてはなりません」
声をかけながらも、倒れぬようにと背中に手を回す。
「ああ」と言いつつも、ふらつく足で立ちあがろうとする。

そんなに急ぐことはないではないか。
膝枕が気に入らなかったのだろうか。
軽いおなごだと思われただろうか。

私が中宮と言う身であることにも、とうに気づいているだろう。
何が初めてだ、と笑っていよう。

「もう少し横になっていたほうが」
いら立ちが声に表われた。

義守が、のんびり横になっているはずがないではないか。
目覚めるのを遅らせた方が回復も早いはずだ。
気の利かぬ陰陽師に腹が立った。
それとも、わたしの気持ちに気づかぬ義守にだろうか。
癇癪を起したと思われても仕方のない口調だった。

いつもいつも口にしてから後悔する。
忠告を聞いてか、真実つらいのか、義守は胡坐をかいて座り込んだ。

わたしが酒呑童子の笛の話をすると、否定するでもなく、汗がひいてきた顔で見つめてきた。
笑ったように見えたのは気のせいだろうか。

「お前の声を聴くと何やらほっとする」
その言葉に救われた。
幼き頃、父から同じことを言われたことを思い出した。

入内する前はこうではなかった。
癇癪を起したことがないとは言わないが、少なくとも、周りの女房たちにとって扱いにくい姫ではなかったはずだ。

「これを……」と、横に置いていた守袋を差し出した。
袋は、わたしが縫った。

義守は、なんだとばかりにわたしを見た。
中に入れる符だは、自ら神社に足を運び、手に入れるつもりでいたが間に合わなかった。
だが、それを承知していたかのように、この邸の主である陰陽師が護符をくれたのだ。
「護符が入っています」

そのような物は邪魔にしかならぬ、とばかりに、
「神仏には頼らぬ」
と、言い捨て、衣筥に押し込んでいた革袋と弓を手に、ふらつく足で庭に出ようとする。
このような状態で、塀を乗り越えようとでも言うのだろうか。

後方からすがるように口にした。
「二度と頼み事はしませんから」

行かせてはならなかった。
だが、この男は行ってしまうだろう。
ならば、せめてもうしばらく休ませたかった。

義守が、愛想ひとつ浮かべるでもない無表情な顔で振り返った。
しかし、決して不機嫌ではない。
あらためて守袋を差し出すと、懐にしまい込む。

そして、思い出したように、
「お前に渡すものがあった」
と、口にして、革袋から何かを取り出す。

剣の借用書でも書いたのかと、間の抜けたことを考えた。
義守は、わたしの正面に立ち「手を」と、声をかけてきた。
なんのことかはわからなかったが、そっと袖を差し出す。

――と義守が、わたしの手を取り、袖口から引き出した。
顔が熱を持ち、胸が早鐘を打った。
そして、手のひらを上に向けさせた。

「あっ」と、思わず声を発していた。
手のひらを見られたくなかった。
わたしは指の力が弱く、針をよく滑らせた。
衣など縫おうものなら傷だらけになるのだ。

指に筒状のものがはめられた。
指貫のようだが少々形状が変わっている。
指先をすっぽり覆っているのだ。

続いて、手のひらに物が載せられた。
堅い革で中ほどがへこんでいた。
隅に穴が開けられ紐がついている。
義守が、その紐を手の甲の側で結ぶ。
「おれが使っている物だ。試してみろ」

何を試すのかと訊こうとして、この革が見られたくなかったすべての傷を隠していることに気がついた。
だが、わざわざこのような無粋なもので隠す必要はない。
普段は袖の下に隠れているからだ。

そしてようやく気がついた。
これは、隠すものでは無い。
これに針をあてて使えば、手のひらが傷つくことはないだろう。
指先をすっかり覆った指貫も、それを考慮しての物に違いない。

なるほど便利である。
この男が工夫したのだろう。

身に着けている変わった意匠の衣も自らが手掛けたということか。
いや、背負っている革袋さえ自ら縫っているのだ。
いまさらながら、媼の納屋で、義守が革袋の補修らしきものをしていたことに気がついた。
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