あさきゆめみし

八神真哉

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第五十九話  『望外の報奨』

【酒呑童子】

虫の音と月に照らし出された夜の庭を肴に、酒を胃の腑に流し込む。
目の前の、水を張った椀には、その望月が映っている。

貴族は空を見上げず、池に映ったものや、こうしたもので楽しむらしい。
あの姫君は、この月を見ているだろうか。
決心がつかず、ぐずぐずと時が過ぎる。

と、物音がしたのち、足音が近づいてきた。
少々智恵は足りぬが、裏切るということを知らぬ愚直な男だ。
わしの刀鍛冶の腕に惚れこみ、鬼の弟子となることをためらわなかった男だ。
かわいそうな男だ。結局、寺男として勤めている――が、興奮してわしに取り次いだ。

藤式部と名乗る、光り輝く姫君が、わしに会いたいと訪ねてきた、と。
「あれは、輝夜姫ではありますまいか」と。

間に女房もおかず、男に直接話しかけたようだ。
それどころか、この男に顔さえ見せたのだ。
まさに破天荒な姫君である。

わしの胸の中に奇妙な感情が生まれた。
軽々しく、男に顔など見せるものではない、と。

それはともかく、
攫いに行く手間が省けたと言うものだ。

幸いなことに四鬼も出かけている。
道摩から呼び出しを受けたのだ。
奴らが飛ばす式札を、わしが頻繁に落としており、充分な意思疎通ができぬからだ。

なにより決行の日が迫っている。
その席に、わしは呼ばれていない。
裏切るのではないかと疑われているのだ。

それにしても、姫君が訪れた理由がわからない。
覗きのようなまねは避けたいと、袂に式札を潜ませなかったからだ。

ただし、姫君の立場は把握していた。
牛車の下に幾枚もの符だを貼り付け、住んでいる場所を特定後、邪鬼どもに調べさせたからだ。

講堂に入ると、燭台の灯りで几帳に映し出された姫君の姿があった。
あきれたことに女房も伴っていない。

対面して座ると、姫が、待ちかねたように「そばへ」と口にした。
その声が震えている。
あわてて断りを入れ、几帳を横にずらし、膝をついて姫君の前に進み出る。

先日とはうって変わって、豪奢な刺繍や文様の入った夏虫色の小袖に身を包んでいる。
顔色は紙のように蒼い。
膝の上に粗末な衣を着た女童を抱いている。

「あなたの力にすがりに来ました。この子の具合が悪いのです。疫病でしょうか?」
疫病の疑いがある女童を抱いてきたというのか。
驚くと同時に姫君に惚れ直した。

息苦しそうな女童を抱き取り、
「疫病ではないでしょう」と伝えると、ほっとした表情を見せる。
「この女童は?」と訊くと、邸の使用人だと姫君は説明した。
薬湯を与え、祈祷をすると女童の容態はみるまに良くなった。

姫君が、話があるというので、寺男に女童の世話をまかせ、講堂を出る。
念のため女童の懐には呪符を忍ばせ、講堂には外からの侵入を防ぐ結界を張った。

「それでは岩場に」と案内する。
わしの気持ちを察したように涼しい風が吹き始めた。

正直なところ、ほっとした。
酒浸りの毎日で、すっかり酒の匂いが染みついている。
姫君を不快にさせるのではないかと心配だったからだ。

それでも酒は手放せない。
姫君の食事を口実に、瓶と椀、菓子の入った箱を右手に、左手に畳を掴んで岩山を登る。
背負子には姫君を乗せて。

最後は自分の足で登りたいと駄々をこねた姫君だったが、背負子から降りていきなり足を踏み外し、背後の岩にもたれかかった。

思わず手を差しだした。
恐れるわけでもなく嫌がるでもなく――いや、微笑みさえ浮かべて姫君が手をさしのべてきた。

細く白い、その指先は、ほんのりと薄紅色に染まっていた。
壊れ物にでも触れるように、そっと包み込んだ。
思ったよりも冷たいその手を引きながら、この姫君を護らねばならぬと、改めておのれに誓った。

檜の枝に双頭の鴉の姿があった。
眠っているようだが、今のわしには心強い。

「ここには、お見えにならないように、と申しあげたはずです」
力岩の手前の岩に畳を敷きながら、無粋な文言を口にする。
心底大事だと思っているからこそ腹が立つ。

ところが、意外な言葉が返ってきた。
「あなたから貰った呪符があれば大丈夫だと思ったのです」
「符だを?」
「驚きました。牛は迷うことなくここに到着しました」
そのような符だは渡していない。

先日、姫君が訪れた時に、社殿に残っていた四鬼どもが帰り際に渡したのだろう。
四鬼に、そのような符だが作れるはずがない。
やはり、道摩は、この姫君をも標的としていたのだ。

だが、「知らぬ」と答えれば姫君を不安にさせよう。
「お役に立ち、なによりです」
と、笑顔を作る。

この姫君は窮地に立たされることを覚悟で、血のつながりひとつない下衆の女童を助けようと駆けつけてきたのだ。
しかも、鬼である、このわしを頼って。

観音菩薩のような姫君を放っては置けなかった。
おのれの身分、目的を隠し続けなければならない姫君の心労は察して余りある。
が、今、決断を迫られているのはわしの方である。

思いにふけっていると姫君が近くに寄ってきた。
そして、柄杓を手に瓶から酒をくみ取り、優雅な手つきで差し出してきた。

血筋を遡れば帝にたどり着く、高貴な家に生まれた姫君である。
「鬼に……酌など」
と、あわてて遠慮するが、
「誰も見てはいないではありませんか」
と、秘密を共有することが嬉しいかのように笑みを浮かべる。

望外の報奨をゆっくりと味わいたかったが、その余裕はなかった。
柄杓が、いかにも重たげだったのである。
遠慮している場合ではないと鉢を差し出した。

今日の装束で身分を知られると覚悟したのだろう。
姫君は吹っ切れたような表情だった。
とうに知っていたとは口が裂けても言えなくなった。
あの山賊どもともつながっていたと。

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