あさきゆめみし

八神真哉

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第六十一話  『主殺し』

【義守】

ツクツクボウシの鳴き声が山中に響き渡る。

建屋の前に立つ。
間口三間。奥行六間。
建てて一年というところか。

建屋の周りに目をやると、奥の山毛欅(ぶな)の枝に、先日の宴で見た双頭の鴉の姿があった。
やはり酒呑童子の鴉のようだ。

あの姿では餌をとるどころか飛ぶことさえ難しいだろう。
事実、建屋の横の木陰には止まり木と餌が置かれた台が置いてあった。
鴉は、おれに気づいたにも関わらず、鳴き声ひとつあげなかった。
門番としての自覚はないようだ。

建屋の戸口は開け放たれていたが、人の住む家に比べ風通しは悪い。
風が吹き込んでは仕事にならないからだ。

担いでいた背負子を降ろし、奥の様子をうかがう。
薄暗いものの、誰かが潜んでいるようすはない。
それでも、念のために片目を閉じ、背負子を担ぎ直し戸をくぐる。
護摩……麻の葉と花穂を焚いた甘い匂いと、酒の匂いが鼻を突く。

何とも豪快ないびきが聞こえてくる。
狸寝入りではないようだ。

閉じていた目を開けると土間の向こうに炉とふいごが見える。
奥に進み、背負子を降ろし、再び片目を閉じた。
壁の戸板を押し上げ、明かりと風を入れる。

神棚には奇妙なものが載っている。
髑髏(どくろ)である。
角はないので人間の物であろう。

その下の箱の上に、かつて読み書きを教えてくれた姫のもとにあったものと良く似た小ぶりな壺が置かれていた。
青磁の壺である。
価値は言うまでもなく、置かれた場所から、酒呑童子にとって大事なものであろう、と見当がついた。

奥の板の間には、おのれの手を枕に眠る無防備な酒呑童子の姿があった。
その胸には、色のさめた籠目紋の守袋がある。
十ある酒の瓶は、すべて空になっている。
空になっていないのは水瓶だけだった。

外から吹き込んだ風が酒呑童子のごわごわした髭をそよがせる。
その後方では、頭でっかちで手足の細い一尺半ほどの奇妙な生き物三匹が、口を開け顔を真っ赤にして眠りこけていた。

酒呑童子のいびきがとまった。
差しこんだ明かりが眩しいのだろう。
目を細め、瞼をあげることさえ辛そうにゆっくりと上体を起こす。


【酒呑童子】

目を覚ますと、義守と呼ばれている男が立っていた。
「何用だ」

その声で、ようやく目を覚ました邪鬼どもが騒ぎ出す。
わしの酒を食らうだけ食らって眠りこけていたのだ。
しかも、わしを盾に後方に回り込む。

役に立たぬやつらだ。
近くにあった柄杓で払いのけると悲鳴を上げて消えうせた。

酒の入った瓶に柄杓を突っ込み、空になっていることに気づき舌打ちする。
やむなく水瓶の蓋を開け、柄杓から直に喉に流し込む。

「不用心だな」と、いらぬ世話を焼いてくる。
「わしのねぐらと知って押し入ってくる命知らずは、お前ぐらいのものじゃ」
不機嫌な声で答えるが、義守は気にする様子もなくつけ加える。
「呪詛などすれば、返されることもあろうものを」

「わしを誰だと思うておる」
足がつくようなへまはしない。
わしを上回る呪力を持つ者がどこにおろう。
師をも凌ぐ術者であることが、わしの誇りなのだ。

そもそも、この鍛冶場の周囲には人が入れぬよう結界を張ってある。
その結界を破るでもなく、すり抜けて来るのはこやつぐらいのものだ。
都一の陰陽師でさえ、そのような真似ができるとは思えなかった。

先日、姫君の牛車を追ってきた式札も社の敷地内に入れず、うろうろしていた。
呪で偽物の牛車を作り、内裏に帰っていくように見せかけた。

「それにしても、よう探しあてたな」
呪術は使えまいが、念のために鎌をかけてみる。
「おまえの寺の門番に、このあたりだと聞いた」

ようようの事で舌打ちを押さえた。
尋ねたのが、検非違使や宮廷陰陽師であったらどうするのだ。
結界を張り忘れていたところで、やつら相手に窮地に陥ることはあるまいが、面倒なことになるのは目に見えていた。

「鍛冶師は仕事場で寝起きはせぬ、と聞いておったが」
神聖な場所ではないのか、と言いたいらしい。
太刀を打たなくなってから水垢離(みずごり)ひとつやったことがない。

ふん、と鼻を鳴らし、
「お前は神を信じておるのか?」
と、返すと、
「見返りもなしに力をかしてくれる神がいるのであれば、な」
と、少々ずれた答えが返ってきた。

とは言え、同調すべき点はあった。
万に一つ、気前の良い神がいたところで、鬼を救おうとはすまい。
それは、すなわち、われらにとって、「いない」のと同義語だ。

義守は、話はそこまで、とばかりに、足元にあったものを押し出してきた。
麻の袋に入った三尺足らずの細長い物だ。
これが、訪問の目的だったようだ。

「使えるようにしてくれ。少々急いでおる……」
その寸法、形状から一目で剣(つるぎ)であることがわかる。
先日の笛と言い、たやすく手に入るものでは無い。

溜め息をつくと、ついた数だけ体が重くなる。
わかってはいるがやめられぬ。

耳の奥で羽音が鳴り始めた。
頭痛も襲ってきた。
酒の効き目がなくなったのだ。

気がつくと、酒の瓶に柄杓を突っ込んでいた。
むろん空である。
腹立ちまぎれに柄杓を水がめに投げ捨てる。
こやつに酒を勧めることもできぬではないか。

義守は、わしの機嫌などお構いなしに、袋から物を取り出した。
思った通り、古い剣が出てきた。

しかも、火をくぐっている。
真っ黒だ。
長さ二尺八寸。幅二寸。
刃先は菖蒲の葉に似ていた。

「どこで手に入れた?」 
何年か前に清涼殿の柱に落雷が落ち、小火が発生し、神剣一振りが焼けたと聞く。

「依頼主が来るたびに、そのように尋ねているのか?」
「六月前より依頼は受けておらん……そもそも、焼き入れを施さねばならぬほどの状態ではないか」

義守は、わしの問いには答えず、壁にかかっている鍛冶道具に目をやった。
依頼は受けぬ、と言いながら、槌や、てこ棒の手入れを怠っていないことに気がついただろうか。

壁に義守が持ち込んだらしい背負子が立てかけてある。
そこには畳まれ括られた漁網がこんもりと載っていた。
「なんじゃ、あれは?」
義守は、わしの目線を追い、
「網だ」と、答える。

「あほう。わしが訊いているのは使い道の事だ。漁に使う網を山奥に持ち込んでどうするつもりだ。しかも、穴だらけではないか」
「修繕すれば使えよう。漁師が手本を見せてくれた」

確かに新しい糸で修繕した跡が見える。
しかし、物が古すぎる。
修繕した端から破れていくだろう。
ろくでもないものを掴まされたようだ。

「そのような懐具合で、依頼しようというのか?」
義守は黙って左手に持っていた革袋を詰所の床に置いた。

床は、その重さに耐えかねたように軋んだ。
呪など使わずとも何が入っているか見当がついた。

「新しい網を買え。修繕したところで五年が良いところぞ」
と、忠告してやると、
「それだけ持てば充分であろう」
と、答える。

面白いことを言う。
身を寄せている、おばばが使うということか。

「修繕用の糸はあるか」
義守がうなずいた。
「……出せ。わしが手本を見せてやる」
怪訝な表情を浮かべながらも、糸巻ごと差し出して来る。

「わしは海に囲まれた地で育ったのよ」
海に近寄ることは固く禁じられていたが、川や池の魚をとるための網は修繕させられた。
自分たちの食い扶持は自分たちで何とかしろと。
わしには無用な物であったが、それを公言するほど愚かではなかった。

「頼んでいるのは剣のほうだ」
「網の修繕であれば四半刻もかからぬわ……おおっ、それより、あの笛だがどうなった?」 
義守は、わずかに眉を寄せた。
「姫が何とかするだろう」

「そうか」と答え、印を結び、呪を唱えた。
するすると伸びた糸は糸巻を回転させながら、宙を泳ぐ。
たたまれていた網は、見えない者に打たれたように広がり、糸はおのれに意志があるかのように卍を描き修繕を始めた。

あえて見せてやった。
お前のそばには呪術を使う者がいたのであろうと。
お前は、その力を操れぬのかと。

驚く様子一つ見せなかった。
やはり、呪術を使う者が身近にいたのだろう。

依頼を受けることを条件に、問い詰めようとしたが先を越された。
一回りも違う若造が、説教を始めたのだ。
「その体であれば、呪で稼がぬとて食うことはできよう。周りと縁を切ったらどうだ」

先日に続き二度目のおせっかいである。
しかも、わしが置かれた状況を知っているかのような言い回しだ。
真実、わかっているわけではあるまい。
酒や麻に溺れた姿や、鬼の置かれた立場を憐れんでいるのだ。

おなじ身に生まれながら肉親の愛を受け、心優しき美貌の姫君に好意を寄せられる。
そのような男に、わしの気持ちがわかろうか。
ふつふつと怒りがこみ上げる。

二度と口にするなとばかりに睨みつけた。
「わしは今の暮らしが気に入っておるのよ」

お前に何がわかる。
――逃げられぬのだ。

呪詛は、相手の髪の毛や持ち物を手に入れてかける。
あるいは名にかける。
呪術師が相手に諱(いみな)を知られるということは、命を握られたに等しい。

そもそも、われら鬼は、わが名を、わが諱を知らない。
壱支国では、人間の大師どもが生まれたばかりの我らに勝手に諱をつけ、隠し持つ。
鬼を服従させ続けるためにだ。

その諱は、長とすべての大師に握られていた。
加えて、主殺しを防ぐための特殊な呪術がかけられている。
逃げ出したくとも逃げられぬように呪縛されていたのだ。

我ら鬼は現世(うつしよ)に生れ落ち、壱支国に売られたその時より、あわいで生きる奴婢(※奴隷)に堕ちたのだ。

だが、その壱支国も滅び、今やわれら鬼の諱を握っているのは道摩だけになった。

その道摩が、これから起こすであろう非道、惨劇も予想が出来た。
道を説いてわかる男ではない。
奴の暴走を止めるには、奴を常夜(とこよ)に落とすしかなかった。

しかし、できなかった。
出来ぬから今、このような事をしている。

四鬼も、道摩が現世から消えてくれたらと切実に願っているであろう。
一方で、道摩の逆鱗に触れれば、虫けらのように始末されることも重々承知していよう。

言うまでもなく、道摩を道連れに、民を救おうとするような殊勝な者どもではない。
それだけの力もない。

ゆえに、わしをけしかけているのだ。
事実、わしであればできるであろう。
奴らは知るまいが、わしには前科がある。

古(いにしえ)より、未来永劫、絶対に不可能と言われてきた「主殺し」――をやってのけた唯一の「鬼」という。

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