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第六十三話 『友』
しおりを挟む【酒呑童子】
わが師、弱法師は、国で最も力のある呪術師であった。
その師が、わしには天賦の才があると断じてくれた。
喜びに身が震えた。
誇りに思い精進した。
師の世話を免ぜられた代わりに、兄弟子の何倍もの修行を課せられた。
兄弟子から嫉妬され、いじめを受けるほどに。
ただし、それほど深刻にはならなかった。
師がそれを許さなかったからだ。
一月もせぬうちに、頭ほどの大きさの石を宙に浮かべることができるようになった。
十二大師と呼ばれる法師であれば皆できると言う。
が、荒覇吐様の呪具も符だも使わず呪も唱えず、印を結ぶだけでそれができるのは師とわしだけだ、とも。
だが、その力は、師が良いというまで、ほかの者には見せてはならぬ、と釘を刺された。
幼いながらも、ただならぬ理由があるのだろうと察し、深くうなづいて見せた。
そもそも、わしには力を見せびらかそうという気などなかった。
人前で注目を浴びるのが苦手であった。
力を隠しておいた方が、逃げ出すときに都合が良いだろうとも思った
五の歳には、式札に使いをさせることもできるようになった。
九の歳に式札を目的地まで飛ばせれば良しとされる試験がある。
それを考えれば上出来である。
ある日、修行が終わって後、師から、浮かべた石で近くにいる蛙を討てと言われた。
だが、臆病なわしは、生き物の命を奪うことが出来なかった。
師に打擲(ちょうちゃく)された。
「蛙や獣の命ひとつ奪えぬ法師に、国を護ることが出来ようか」と。
当時は理不尽に感じたものだが、今になればわかる。
師は、わしの天分を買っていたのだ。
――鬼は天分を示せねば切り捨てられる。
この国で鬼が切り捨てられる、ということは死を告げられたに等しい。
蛙一匹殺すことができぬ鬼の行く末は、師の怒りを見れば予測できた。
鬼は五の歳より篩(ふる)いにかけられる。
無駄飯は食わさぬとばかりに、能力がない者を切り捨てる。
五の歳は試問、詠唱、体力が試される。
*
十の歳を迎えると、半数が命を落とすという荒行が待ち受ける。
その荒行を明日に控え、空に小望月が浮かぶその夜。
わしは一尺半の雪に覆われた鉄囲峠(てっちとうげ)の天辺に震えながら立っていた。
奴婢であるわれらには本来、おのれの時間というものはない。
しかも、この道の先には国の出口たる湊(みなと)がある。
無断でここに足を運ぶことは固く禁じられていた。
にもかかわらず足を運んだ。
運ばずにはいられなかった。
今日、十角と呼ばれる二つ上の鬼が崖から足を滑らせ、命を落としたからだ。
修行であるから危険は避けられない。
人間の修験者とて命を落とすことはある。
だが、岩に叩きつけられた蛙のようなありさまになった十角は、そのまま放置された。
念仏を唱える大師も法師もいなかった。
それに対し意見できる鬼などいなかった。
わが師は、その場にいなかったが、落ちたのがわしであっても、涙をこぼすことはおろか、念仏ひとつ唱えてくれなかったのではないか。
明日は我が身――そう感じた途端むなしくなった。
同じ死ぬなら、この国の外でと。
ゆえに、ここまで足を運んだ。
しかし、わしは船の操り方ひとつ知らなかった。
墨を流したような海と瑠璃色に染まった空の境を眺めながら、震えることしかできなかった。
なによりわしには戻る故郷がないのだ。知らぬのだ。
逃げ出したところでなんになろう。
国の真ん中にある高い山は須弥山(しゅみせん)。
国をぐるりと囲む外輪山――今、わしの立つ山――は鉄囲山(てっちせん)と呼ばれていた。
これ以上先に進めば、逃亡の疑いをかけられ、なぶり殺しにされるだろう。
そもそも、この国から逃げおおせた鬼は一匹もいないのだ。
引き返そうと振り返ると、雪をかきわけ登ってくる者の影が目に入った。
一瞬、血の気が引いた。
が、それは人ではなかった。
角が三本あったからだ。
今年の荒行は、わしが明日から。
三角は、その八日後に組まれていた。
三角は、わしの影に気がついて怯えたように足を止めた。
影の主が、わしと知ってようやく肩の力を抜き、呼吸を整える。
「見逃してくれ、青」
その声は震えていた。
月と雪明りに照らされた顔の右側は腫れあがり変色していた。
瞼はふさがり、ぶらりと下がった右腕も腫れあがっている。
折れているかもしれない。
鬼にとっては珍しいことではない。
わしも師に打擲されたことがある。
だが、それは、わしを生かそうとしてのものだった。
他の師は気分次第である。
無理難題を押し付けられ、錫杖で殴られ、まっ赤に焼けた火箸をあてられる。
修業とは名ばかりの制裁……憂さ晴らしで目や手足を失った鬼も多い。
「こたびの荒行で生き残れたとしても五体満足で戻らねば山に送られる」
金銀が採れるとされる山である。
毒が湧き出る上に坑道の岩盤が落ちると噂されていた。
三十を過ぎて生き残っている者は稀だとも。
命を削るほどの修行をさせられた挙句、いわれのない暴行を受ける。
無能と判断されれば、「山」と呼ばれる鉱山に送られるか、「的」と呼ばれる標的となる。
法力と体の自由を奪われ、人間の法師見習いどもの呪術の修練に使われる。
自分より遥かに能力のない者たちの的――餌食となる。
丈夫に生まれたがゆえに容易く命を落とすこともない。
命を失うより前に気がふれる。
「……逃げられまい」
周りは海に囲まれている。
船の操り方は言うまでもなく、泳ぎも教えられていない。
しかも冬の海である。
たとえ、これが夏であっても、隠れて泳ぎを覚えていたとしても潮流は激しい。
右腕も使い物にならない。
万が一、奇跡的に海を渡れたところで、われらは呪で縛られている。
われら鬼は、須弥山と鉄囲山のはざまから抜け出すことができないのだ。
わかっている、とばかりに三角が睨みつけてくる。
「嬲り殺されるのを待っているより遥かにましと言うものだ。この体で荒行を乗り切れるはずがない。万に一つ、乗り切れたところで一日、二日刑期が延びたにすぎぬ」
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