あさきゆめみし

八神真哉

文字の大きさ
67 / 89

第六十六話  『祝宴』

しおりを挟む

【酒呑童子】

師が、めったに見せぬ笑顔で迎えてくれた。
この荒行を終えて、これほど体力を温存した者はいないという。

三角の話題は出なかった。捕まっていないことを祈った。

その夜、師が二人だけの宴を催してくれた。
湯気を立てる椀と、大鍋を焚く薪の火が、わしのかじかんだ手と冷え切った体をほぐしていく。
なにより、師に認められたという喜びが、わしの心を温めてくれた。

ぶつ切りにした肉と餅、そして菜と温かな汁に舌つづみを打った。
肉と山椒の匂いが食欲をそそる。
海の幸、山の幸。
普段口にできぬ鮑(あわび)や栄螺(さざえ)をはじめ、好物の干し菓子も山盛り積まれていた。

これほど豪勢な夕餉は初めてだった。
自らの手で獣の命を奪うことはできなかったが、肉は好物であった。

師は、普段口にせぬ酒をちびりちびりと飲んでいた。
わが師の面目をほどこすことが出来たのだと誇らしくなった。

わが師は言った。
「法師として呪を極め、唯一無二の存在になるのだ。お前が、荒覇吐様に劣らぬ力の持ち主であることを世に示せば、この国に攻め入ろうとする者はいなくなるだろう」

聞き違えたのだと思った。
師は、わしに荒覇吐様に匹敵するほどの高みに登れといっているのか。

確かに、わしには天分があるのだろう。
力技の呪に限れば、齢十にして、この国一の力を持つ、わが師、弱法師をも凌いでいたのだから。

しかし、荒覇吐様が残した伝説は、まさに神と呼ぶにふさわしい桁外れのものだ。
畏れ多い、と言うより滑稽でさえあった。

だが、師は本気で口にしているのだ。
口数は少なくとも、その期待と喜びがひしひしと伝わってきた。

荒行の中、わしは想った。
一つは三角のこと。
そしてもう一つ。
見たこともないほど美しい宝玉を与えてくれたわが師のことを。
できるものなら、期待に応えたい――その気持ちに偽りはなかった。

足掛け八日の多くを熊の穴で過ごしたとは言え、さすがに疲れは隠せない。
師に礼を言い、ねぐらである小屋に戻ろうとして、立ち上がる。

ねぐらの近くで待たせている赤が腹を減らし、わしの帰りを待っていよう。
その幸せをかみしめた。
わしは、もう孤独ではない。
飼うことは許されずとも、赤が近場に棲み処を構えれば会うことはできる。

湯気の立つ鍋を見ながら、赤を、わしのねぐらに入れてやればよかったと思った。
師なら許してくれたのではないかと。

鍋の具も随分と残っていた。
師に、鍋の具を少々持ち帰ってよいかと尋ねた。
「持ち帰ってどうする」
と問われた。

犬にやるには惜しいほどの御馳走である。
それでも正直に答えた。
「鉄囲山から連れ帰った山犬に与えたいのです」

師はわずかに眉をひそめ、そして憐れんだように答えた。
「それは無理だ」

犬には骨でも与えておけ、と言うことだろう。
師の言葉に逆らうわけにはいかない。
詫びと礼を口にして背を向ける。

背後から声がかかった。

「犬は、お前の腹の中よ」

――意味が咀嚼できなかった。
確かに先ほど、口にしたものは獣の肉であった。
四つ足の肉であった。

まさか、とは思ったが、否定できる材料もなかった。
それどころか、師はそのような戯言(ざれごと)を嫌う質(たち)であった。

――血の気が引いた。
膝から下が消えうせ、悪寒が押し寄せた。

胃の腑の中の物がせり上がり、口から滝のように流れ出た。
震える両手で、ようよう体を支え、胃の腑が空になるまで吐き続けた。
嗚咽しながら、鼻につく黄色い液体を絞り出した。

追い打ちをかけるように師の非情な言葉が続いた。
「お前は、この国の盾となり矛となるため生かされてきたのだ。敵対する者があれば呪い殺し、蹂躙しようという者がいれば躊躇なく討たねばならない――獣さえ狩れぬ者にそれができようか。出来ぬというなら、お前が狩られる側に回ることになる」

――わしは十二大師の一人、弱法師に拾われた。
だが、それは稀有なことであるという。
十二大師は国の守護を第一とし、鬼の赤子を拾ってくるのは、三十六法師の仕事であったからだ。

大師は皆、奴婢である鬼の弟子と人間の弟子を抱えている。
ほぼ毎年のように一人ずつ増えていくが、わが師は、わしを拾ってきて以降、新たな弟子をとらなかった。
せめて人間の弟子を持て、と長から言われていたことは後に知った。

それほどまでに、わしの天分を買っていたのだ。
今となればわかる。

もっとも、それゆえに、わしは長やほかの大師、さらには兄弟子からも疎まれた。
わしにとって期待とは、重荷以外のなにものでもなかった。

    *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...