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第七十二話 『臆病者』
【酒呑童子】
「……おれが今、住んでいる山は人里から離れてはいるが、自然に恵まれ食料の調達にも困ることが無い」
義守の声が聞こえてきた。
物思いに沈んでいたわしは、瞬時に意味を掴み切れなかった。
話の流れからすれば、単なる故郷自慢とは思えなかった。
その思いを察したのだろう。
義守は、ひたとわしを見つめてきた。
「そこであれば、人に気を使うことなく暮らせよう。鍛冶に精出すこともできよう」
あっけにとられた。耳を疑った。
「言う相手を間違えておるぞ」
そう、答えると義守は怪訝な表情を浮かべた。
「あの姫君に言うてやれ。お前がその気なら、すべてを捨ててついてこよう」
「……」
義守は答えない。
決断できぬのだ。
「あの姫君と暮らしたいとは思わぬか」
身分がない世であれば、と思わぬか。
「考えたこともない」
困惑したように答える。
嘘ではあるまい。
それを夢想できぬわけがあるのだ。
「傍(かたわら)におったらとは思わぬか」
たたみかけるように問うた。
口元をゆがめはしたが、本気で尋ねていることがわかったのだろう。
しぶしぶとではあったが答えた。
「退屈はせぬだろうが……」
「煮え切らぬやつじゃ……が、姫君を守るのはお前の役目。そういう星のもとに生まれてきたということよ」
「何が言いたい」
眉を寄せた男に、
「これを持て」と、呪符を差し出した。
「どういう理屈だ」
「よいではないか。自慢の護符じゃ。都一の陰陽師でもこれほどの物は作れまい」
義守は怪訝な顔を見せながらも受け取った。
危ないところだった。
話を逸らすことが出来なければ、涙がこぼれ落ちていただろう。
このわしに、「ともに暮らそう」と声をかけてくれる者が現われるなど思いもよらなかった。
その言葉を胸に死んでいける……それほどの喜びだった。
奴婢の身から逃れ、鬼たちだけでひっそりと暮らす。
幼いころ、それを夢想した。
だが、我らは呪縛されていた。
夢を見ることさえ許されぬほど。
壱支国には法力を増幅すると言われる呪具がある。
大師の手首を飾る鉄囲(てっちん)と呼ばれる呪器だ。
鉄囲は、荒覇吐様が鍛えたと言われている。
我ら鬼にとって「荒覇吐」の名は、術者としての憧れであると同時に憎しみの対象であった。
同情の余地のないものであったとはいえ、邪鬼の死は、この国の鬼たちから希望を奪い取った。
以降、長や十二大師の言うことに諾々と従ってきた。
二年前に、この男に出逢っていれば違った生きざまができただろう。
所詮、わしには覚悟がなかったのだ。
義守は、わしを許さぬだろう。
いや、義守に限った話ではない。
我らの企みを許すものなど、この世にいるはずがない。
わしには知らされていなかったが、
老ノ坂で姫君の牛車を襲った山賊は、我らの一味だったのだ。
道摩は姫君をさらい、呪をかけ、宮中に戻すつもりだったようだ。
あの日も近くにいたという。
それを義守が邪魔をした。
姫君が、わしを頼って神宮寺を訪れた時も義守が邪魔をした。
この男が祈祷場に乗り込んできた時、姫君は「ヨシモリ」と呼んだ。
あの時、姫君や童から見えぬよう、印を結び「ヨシモリ」が動けぬように、その名に呪をかけた。全く効かなかった。
偽名だったのだ。
偽の名であっても、返事をすれば、それは名となり呪もかかる。
だが、その時、やつは返事もしなかった。
むろん名を知らぬとて、直接、呪をかけることはできる。
しかし、あえて様子を見ることにした。
その判断は正しかった。
祭壇の下の岩場に、より強い結界を張り直したにもかかわらず、義守と呼ばれた男は平然とあがって来た。
破ったのではない。
呪も使わず、結界をするりと抜けたのだ。
祈祷場にも、同様に乗り込んできたのだろう。
わしでさえ、このような真似はできなかった。
とは言え、脅威は感じなかった。
なぜなら、こやつには法力がないからだ。
呪を破ろうとすれば、そやつの色とも呼ぶべき波動が出る。
それが一切なかったからだ。
何とも愉快になった。
このような男は初めてだった。
祈祷場に乗り込んできた時、こやつは印ひとつ結ばなかった。
何かに守られているのだ。
姫君が預かっているという勾玉が、それを暗示している。
今は、ただの抜け殻だが、わずかに霊力の残り香があった。
かつてその勾玉には力が宿っていたはずだ。
こやつのことを知りたかった。
酒を酌み交わしたかった。
「わしは師より『青』と呼ばれておった……そうだ、この青い目だ」
「――わしは、その師の命を奪ったのだ」
わが手が震えはじめた。
「それ以来、浴びるように酒を飲み始めた。それからだ。酒呑童子と呼ばれるようになったのは」
すでにわしは酒毒に侵されている。
かつては飲めば忘れられたあの時の事を、いまや、飲むほどに酔うほどに思い出す。
それでも酒を遠ざけることが出来なかった。
酒を切らそうものなら体に震えがくる。
覚悟も霧散する。
――窺うように前を見た。
すでに義守の姿はなかった。
告げることが出来なかった。
そうだ、その通りだ。わしは臆病者なのだ。
恥知らずなのだ。
いつ始末されても不思議ではなかった落ちこぼれのわしを、十五の齢まで長や十二大師から守ってくれた、わが師の命を奪ったのだ。
孤独だった。
誰にも愛されていないと思い込んでいた。
――だが、わしは師に愛されていた。
期待されていた。
たとえ、それが呪術者としての天分にたいしてであろうとも。
その師を、わが法力、わが呪力で殺めたその時に、わしは自ら命を絶つべきだったのだ。
だが、臆面もなくわしは生きている。
「あなたの弟子でよかった」と、伝えられなかったことを後悔しながら。
印を結び、義守が置いていった麻袋を宙に浮かべ、手元に引き寄せた。
袋口の紐を解くと、錦の袋が現われた。
都人で、そこに織りこまれた紋を知らぬ者などいない。
だが、あの姫君が用意した物ではあるまい。
それは袋の隅の茶色い沁みを見ればわかる。
これは血の跡だ。
ならば、あやつが何者かは明白である。
――この地に落ち着いてから耳にした。
今から五年前に阿岐国で騒乱があったという。
その騒ぎの中で国守の姫君を守って隣国に落ち延びようとした武士と赤鬼の子がいたという話を。
凝りもせず、こたびは、わしを救おうというのか。
鼻で笑い、錦の袋の紐を解くと、細工を施した円筒形の箱が現れた。
蓋を開けると、中には予想通りの物が入っていた。
気がつくと額に手を伸ばしていた。
そこにはわしが何者かを示すものがあった。
そっと確かめるように握った。
*
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