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第七十三話 『我に力を』
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【酒呑童子】
望月の光が降り注ぐ。
この世で最も高貴な姫君にも、鬼のわしにも区別なく。
辺りは静寂に包まれていた。
時折、不思議と懐かしい気持ちになる。
生国はわからぬままだが、このような鄙びた地で生を受けたのだろう。
常に頭の中で鳴っていた不快な羽音がしなくなったことに気がついた。
さすがに疲れたのだろう。
姫君は、うつらうつらと舟をこぎ始めた。
得体のしれぬ鬼を前に、何とも無防備な事だ。
とは言え、それほどまでに信頼してくれているのだと思えば至福の時と変わる。
明朝、早くに、この姫君を連れ出し、遠く離れた場所に隠さねばならない。
いざとなれば、呪で縛ってでも。
だが、翼をもがれた鳥同様のわしに、果たしてこの姫君を護りきることが出来るだろうか。
懐から青磁の壺を包んだ錦の袋を取り出し岩の上に置く。
紐をほどき、壺の蓋を横に置く。
中にある一寸ほどの白いかけらを二つばかりつまんで口に放り込む。
ゆっくりと、ゆっくりと噛み砕く。
味わうように咀嚼する。
わが師の骨である。
「師よ、我に力を」
*
【義守】
夜の静寂。
背には酒呑童子が鍛え直した剣がある。
衛士と門衛の目をかすめ、塀を乗り越え、御所とやらの藤の木のある庭に向かった。
当初は、盗賊退治は、おのれの得物で行うつもりだった。
だが、盗賊どもや酒呑童子の事を調べているうちに、事がそれほど単純でないことがわかってきた。
まだ、襲われていない郷の倉の近くで網を張っていると、三日ほどして盗賊どもが襲ってきた。
郷の側でも警護の武士を増やし、待ち構えていたが、手引きしていたものがいたらしく内側から門が開けられるとあっけなくけりがついた。
先日のように加勢するつもりはない。
後方で指揮していた男を捕らえ、連れ去って口を割らせた。
姫の口から、それを朝廷の有力者に伝えさせようとした。
しかし、その段取りは早々に狂った。
女房たちが姫を探して右往左往していたのだ。
また抜け出したようだ。
思わずため息をつく。
なんとも手のかかる姫である。
加えて、示し合わせたように洛中の空が赤く染まり始めた。
しかも一か所ではない。
踵を返し、塀を三つ飛び越え、一番近い火元に駆けつけた。
住む者のいない邸らしく逃げ遅れた者はいないようだ。
が、すでに手の施しようがないほど燃え上がり、火の粉をまき散らし、付近の屋根を赤く染める。
呑気に見物などしていると火に囲まれることになろう。
にもかかわらず野次馬は増える一方だ。
さらには避難を始める者たちで、あたりはごった返し始めた。
ただの火付けではあるまい。
と、あたりを見回していると、袖の中からざわざわと音がする。
いつからそこにあったのか、式札である。
酒呑童子が忍ばせたのであろう。
式札は、おれの気を惹くように顔をのぞかる。
下の方をつまむと、違う違う、とばかりに頭を振る。
力を抜くと、するりと舞い上がり、くるりと旋回したのち、羅城門のある南の方向に向かう。
ついてこいとでもいうように。
火の巻き起こす風で、火の粉や木っ端が宙を舞っている。
目前の火事に気を取られ、熱風に煽られたように舞う式札を不審に思う者はいなかった。
逃げ惑う民を誘導するでもなく、のんきに馬の上から火事を見物していた検非違使と思われる男を引きずり下ろし、馬にまたがると腹を蹴った。
*
望月の光が降り注ぐ。
この世で最も高貴な姫君にも、鬼のわしにも区別なく。
辺りは静寂に包まれていた。
時折、不思議と懐かしい気持ちになる。
生国はわからぬままだが、このような鄙びた地で生を受けたのだろう。
常に頭の中で鳴っていた不快な羽音がしなくなったことに気がついた。
さすがに疲れたのだろう。
姫君は、うつらうつらと舟をこぎ始めた。
得体のしれぬ鬼を前に、何とも無防備な事だ。
とは言え、それほどまでに信頼してくれているのだと思えば至福の時と変わる。
明朝、早くに、この姫君を連れ出し、遠く離れた場所に隠さねばならない。
いざとなれば、呪で縛ってでも。
だが、翼をもがれた鳥同様のわしに、果たしてこの姫君を護りきることが出来るだろうか。
懐から青磁の壺を包んだ錦の袋を取り出し岩の上に置く。
紐をほどき、壺の蓋を横に置く。
中にある一寸ほどの白いかけらを二つばかりつまんで口に放り込む。
ゆっくりと、ゆっくりと噛み砕く。
味わうように咀嚼する。
わが師の骨である。
「師よ、我に力を」
*
【義守】
夜の静寂。
背には酒呑童子が鍛え直した剣がある。
衛士と門衛の目をかすめ、塀を乗り越え、御所とやらの藤の木のある庭に向かった。
当初は、盗賊退治は、おのれの得物で行うつもりだった。
だが、盗賊どもや酒呑童子の事を調べているうちに、事がそれほど単純でないことがわかってきた。
まだ、襲われていない郷の倉の近くで網を張っていると、三日ほどして盗賊どもが襲ってきた。
郷の側でも警護の武士を増やし、待ち構えていたが、手引きしていたものがいたらしく内側から門が開けられるとあっけなくけりがついた。
先日のように加勢するつもりはない。
後方で指揮していた男を捕らえ、連れ去って口を割らせた。
姫の口から、それを朝廷の有力者に伝えさせようとした。
しかし、その段取りは早々に狂った。
女房たちが姫を探して右往左往していたのだ。
また抜け出したようだ。
思わずため息をつく。
なんとも手のかかる姫である。
加えて、示し合わせたように洛中の空が赤く染まり始めた。
しかも一か所ではない。
踵を返し、塀を三つ飛び越え、一番近い火元に駆けつけた。
住む者のいない邸らしく逃げ遅れた者はいないようだ。
が、すでに手の施しようがないほど燃え上がり、火の粉をまき散らし、付近の屋根を赤く染める。
呑気に見物などしていると火に囲まれることになろう。
にもかかわらず野次馬は増える一方だ。
さらには避難を始める者たちで、あたりはごった返し始めた。
ただの火付けではあるまい。
と、あたりを見回していると、袖の中からざわざわと音がする。
いつからそこにあったのか、式札である。
酒呑童子が忍ばせたのであろう。
式札は、おれの気を惹くように顔をのぞかる。
下の方をつまむと、違う違う、とばかりに頭を振る。
力を抜くと、するりと舞い上がり、くるりと旋回したのち、羅城門のある南の方向に向かう。
ついてこいとでもいうように。
火の巻き起こす風で、火の粉や木っ端が宙を舞っている。
目前の火事に気を取られ、熱風に煽られたように舞う式札を不審に思う者はいなかった。
逃げ惑う民を誘導するでもなく、のんきに馬の上から火事を見物していた検非違使と思われる男を引きずり下ろし、馬にまたがると腹を蹴った。
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