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第七十六話 『呪符』
【酒呑童子】
殲滅戦から十日が過ぎた。
一部は撤収したものの、残った兵が相変わらず十種神宝と残党を探しまわっている。
大和の呪術師――陰陽師の放ったであろう式神も飛び交っている。
いかに結界を張ってあるとはいえ、いつまでも岩屋に身を潜めているわけにはいかない。
不満を口にするだけの道摩や四鬼どもの食料の調達もやらねばならなかった。
さらにわしの放った式札の報告によると、蝦夷の者を入植させるつもりらしい。そうなれば雪隠詰めである。
早々に、この国から出なければならなかった。
かといって、ここは島国である。
船が操れぬ者にとって脱出など夢物語である。
鳥に変えた式札で、生き残っているかどうかさえわからぬ漁師を慎重に探し回った。
――が、その問題は、いとも簡単に解消した。
巨石を宙に浮かべる力を船に応用すればよかったのである。
大和の者どもの目をかすめ、奪った船は、月の光を浴びながら、氷の上をすべるように海面を進んだ。
師を殺めて以降、この国から逃げ出すことに意識が向いていなかった。
師の残した言葉の呪に囚われていたのだろう。
――わが身を笑った。
るり様を助ける前であれば、独り海を渡り、壱支国から逃げ出すことが――自由の身になることができたのである。
*
道摩と、るり様、わしと四鬼は都を目指した。
鴉は常に、わしの背負子の上にとまった。
るり様と神宝を入れた箱は、わしが背負い、四鬼が道摩を背負った。
旅の途中の食料の調達は四鬼の仕事だった。
ろくでもない手段で手に入れたであろうことは推測できた。
どうにも目立つ集団である。
角を隠し、修験者の姿になったところで街道など歩けない。
いらぬ騒ぎを起こさぬようにと常に山道や夜道を使った。
山城国につくと、都周辺で燻っていた悪党や食い詰めた民に食べ物や衣を与えた。
甘い汁が吸えそうだと匂わせるだけでよかった。
簡単に人は集まった。
原資は一支国から持ち出した黄金だと、道摩は口にしたが確かめるすべはない。
火つけや流言、予言で都を不安に陥れた。
分限者や郡や郷の倉を襲った。
略奪したそれらを褒美として気前よく配下の者に与えた。
昨日の荒くれ者、喰い詰め者が今日の頭である。
次々と人が集まって来た。
法力の恐ろしさを事前に知らしめたため、秩序もそれなりに保たれた。
むろん、口の軽い物、規則の守れぬ者は四鬼や組の頭が躊躇なく始末した。
*
腐臭が、わしを現実に引き戻した。
屍どもが、ひたひたと近づいてくる。
歯をむき出しにして威嚇してくる者もいる。
死返し――である。
やむにやまれぬ理由があったとしても、慎重にも慎重を期さなければならない秘術である。
道摩は――あの腐れ外道は、その死返しに手を出したのだ。
しかも、死者が蘇ったのではない。
屍が動いているのだ。
道摩の「布瑠の言」が間違っていないのでなければ、我が呪力が足りないということだ。
あるいは、伝わっている「布瑠の言」が間違っていたのか。
――いや、それよりも解せないことがある。
このわしをも葬り去ろうと言うのか。
わしを殺せば、道摩は法力の源泉を失う。
それだけはやるまいと思っていた。
――ならば怨霊と取引したのか。
いや、甘言に乗せられたのだ。
所詮、童だ。
国の頂点に立つ一族に生まれた世間知らずだ。
わしが死んだら、その魂を何がしかの形代に移してやろうとでも言われたのだろう。
長と后の魂を鴉に移したわしの呪術を見た道摩は信じ込んだのだ。
怨霊は祟るだけだ。
疫病を流行らせ、清涼殿に雷を落とすことはできても、魂を移しかえることなど出来るはずがない。
あるいは、怨霊としての力を貸してやろうと言われたか。
愚かなことだ。
――道摩は、もっともやってはならぬことに手を出したのだ。
荒覇吐様が十種神宝を発動させたのは事実であろう。
大和の大王の軍勢を壊滅させたのも事実であろう。
荒覇吐様を崇拝し、十種神宝を発動させることを夢見ていたであろう、わが師が、ある時口にした。
「荒覇吐様は十種神宝を発動させたくなかったのやもしれぬ」と。
あの石室で古文書を目にしたのだろう。
さらには数々の言い伝えから、わが師なりの結論にたどり着いたのか。
「神軍降り立つ」
暗唱させられた国史にも、そうあった。
疑いもしなかった。
大和の軍勢五千を殲滅に追い込んだ神軍が幻であるはずがない。
少なくとも、実在する「何か」であったのだ。
それほどの衝撃、驚愕を与えたからこそ、四百年の長きにわたり、大和は壱支国に侵攻できなかったのだ。
しかし、その言い伝えは、ひどく曖昧である。
わしは、確信していた。
荒覇吐様は、黄泉の国の扉を開けたのだ。
悪霊や物の怪どもを引き入れたのだ。
荒覇吐様の力を持ってすれば、百や二百は苦も無く制御できたであろう。
だが、黄泉の国の扉をすぐに閉じることができなかったとしたら。
手におえぬほどの悪霊、物の怪――五千の軍勢を殲滅させるだけのモノどもが次々とこの地に降り立ったとしたら。
大和の呪術師は言うにおよばず、荒覇吐様の力を持ってしても、そのすべてを制御することはできなかったであろう。
やつらに敵味方の区別などできるはずがない。
目の前の、生きし生ける物すべてを獲物として捉えたであろう。
黄泉の国の扉を閉じなければならなかった。
それができねば、この地を未曽有の災厄が襲う。
無辜(むこ)の民が命を落とす。
むろん、今のわしに、それを阻止、制御する力はない。
それでもやらねばならない。
たとえ、好転する可能性が、万に一つであろうとも、守らねばならぬ者がある限り。
まずは、屍どもを蹴散らそうと呪を唱え、印を切った。
――愕然とした。
周りにいる屍どもは一瞬動きを止めたものの、すぐに動き出したのである。
離れた場所の屍どもには全く効果がなかった。
気をため、もう一度試みる。
が、同様の結果に終わった。。
そんなはずはない。
確かに、わが力、わが法力を使う優先権は道摩にある。
しかし、道摩ごときに、わが力を限界まで使い切る技量があるとは思えなかった。
屍どもを蹴散らせるだけの法力は残っているはずだ。
道摩がわしの力を削ごうと、怨霊と取引したが故か。
それとも真実、余力はないのか。
東の空に稲光が走った。
それを背に、物言わぬ屍どもが、ひたひたと押し寄せる。
腕が震えていることに気がついた。
蛙一匹殺すことのできなかったわしに、これだけの者を葬れと言うのか。
餓鬼のような姿になってもまだ、この世にしがみついている者どもに再び引導を渡せと言うのか。
だが、やらねばならない。
やらねば、姫君を守れない。
――そうだ。
おのれら餓鬼どもに、この姫君を渡せるか。
罪深いわしに、「共に暮らそう」と声をかけてくれた男の想い人なのだ――
鬼のわしを怖れるでもなく、微笑みながら酌をしてくれた春の女神なのだ。
告げることなどできようはずもないが、わしの想い人なのだ。
眼を覆っていた眼帯代わりの鍔に手をやった。
眼窩には十五の齢に師から渡された翡翠玉《ひすいだま》を押しこんでいる。
わが師も、花緑青色に輝く見事な翡翠玉を身に着けていた。
しかし、この玉は、それをはるかに凌駕する、神々しいまでの美しさだった。
師は、
「これは、お前のものだ。ただし、誰にも見せてはならぬ」
と、口にしたきり、しばらく黙り込んだ。
そしてつけ加えた。
「この玉が震えた時……それは、お前を呪う者がいるということだ。その際は、決して呪を返さず、苦しむふりをしろ」
謎かけのような師のことばには困惑した。
お前のもの、と言われたところで、わが親が、このような物を持ってるはずがない。
師が六十余州を巡っていた頃に手に入れたものだろうと思っていた。
師が、それを、わしに託した理由については、あえて考えぬようにした。
*
殲滅戦から十日が過ぎた。
一部は撤収したものの、残った兵が相変わらず十種神宝と残党を探しまわっている。
大和の呪術師――陰陽師の放ったであろう式神も飛び交っている。
いかに結界を張ってあるとはいえ、いつまでも岩屋に身を潜めているわけにはいかない。
不満を口にするだけの道摩や四鬼どもの食料の調達もやらねばならなかった。
さらにわしの放った式札の報告によると、蝦夷の者を入植させるつもりらしい。そうなれば雪隠詰めである。
早々に、この国から出なければならなかった。
かといって、ここは島国である。
船が操れぬ者にとって脱出など夢物語である。
鳥に変えた式札で、生き残っているかどうかさえわからぬ漁師を慎重に探し回った。
――が、その問題は、いとも簡単に解消した。
巨石を宙に浮かべる力を船に応用すればよかったのである。
大和の者どもの目をかすめ、奪った船は、月の光を浴びながら、氷の上をすべるように海面を進んだ。
師を殺めて以降、この国から逃げ出すことに意識が向いていなかった。
師の残した言葉の呪に囚われていたのだろう。
――わが身を笑った。
るり様を助ける前であれば、独り海を渡り、壱支国から逃げ出すことが――自由の身になることができたのである。
*
道摩と、るり様、わしと四鬼は都を目指した。
鴉は常に、わしの背負子の上にとまった。
るり様と神宝を入れた箱は、わしが背負い、四鬼が道摩を背負った。
旅の途中の食料の調達は四鬼の仕事だった。
ろくでもない手段で手に入れたであろうことは推測できた。
どうにも目立つ集団である。
角を隠し、修験者の姿になったところで街道など歩けない。
いらぬ騒ぎを起こさぬようにと常に山道や夜道を使った。
山城国につくと、都周辺で燻っていた悪党や食い詰めた民に食べ物や衣を与えた。
甘い汁が吸えそうだと匂わせるだけでよかった。
簡単に人は集まった。
原資は一支国から持ち出した黄金だと、道摩は口にしたが確かめるすべはない。
火つけや流言、予言で都を不安に陥れた。
分限者や郡や郷の倉を襲った。
略奪したそれらを褒美として気前よく配下の者に与えた。
昨日の荒くれ者、喰い詰め者が今日の頭である。
次々と人が集まって来た。
法力の恐ろしさを事前に知らしめたため、秩序もそれなりに保たれた。
むろん、口の軽い物、規則の守れぬ者は四鬼や組の頭が躊躇なく始末した。
*
腐臭が、わしを現実に引き戻した。
屍どもが、ひたひたと近づいてくる。
歯をむき出しにして威嚇してくる者もいる。
死返し――である。
やむにやまれぬ理由があったとしても、慎重にも慎重を期さなければならない秘術である。
道摩は――あの腐れ外道は、その死返しに手を出したのだ。
しかも、死者が蘇ったのではない。
屍が動いているのだ。
道摩の「布瑠の言」が間違っていないのでなければ、我が呪力が足りないということだ。
あるいは、伝わっている「布瑠の言」が間違っていたのか。
――いや、それよりも解せないことがある。
このわしをも葬り去ろうと言うのか。
わしを殺せば、道摩は法力の源泉を失う。
それだけはやるまいと思っていた。
――ならば怨霊と取引したのか。
いや、甘言に乗せられたのだ。
所詮、童だ。
国の頂点に立つ一族に生まれた世間知らずだ。
わしが死んだら、その魂を何がしかの形代に移してやろうとでも言われたのだろう。
長と后の魂を鴉に移したわしの呪術を見た道摩は信じ込んだのだ。
怨霊は祟るだけだ。
疫病を流行らせ、清涼殿に雷を落とすことはできても、魂を移しかえることなど出来るはずがない。
あるいは、怨霊としての力を貸してやろうと言われたか。
愚かなことだ。
――道摩は、もっともやってはならぬことに手を出したのだ。
荒覇吐様が十種神宝を発動させたのは事実であろう。
大和の大王の軍勢を壊滅させたのも事実であろう。
荒覇吐様を崇拝し、十種神宝を発動させることを夢見ていたであろう、わが師が、ある時口にした。
「荒覇吐様は十種神宝を発動させたくなかったのやもしれぬ」と。
あの石室で古文書を目にしたのだろう。
さらには数々の言い伝えから、わが師なりの結論にたどり着いたのか。
「神軍降り立つ」
暗唱させられた国史にも、そうあった。
疑いもしなかった。
大和の軍勢五千を殲滅に追い込んだ神軍が幻であるはずがない。
少なくとも、実在する「何か」であったのだ。
それほどの衝撃、驚愕を与えたからこそ、四百年の長きにわたり、大和は壱支国に侵攻できなかったのだ。
しかし、その言い伝えは、ひどく曖昧である。
わしは、確信していた。
荒覇吐様は、黄泉の国の扉を開けたのだ。
悪霊や物の怪どもを引き入れたのだ。
荒覇吐様の力を持ってすれば、百や二百は苦も無く制御できたであろう。
だが、黄泉の国の扉をすぐに閉じることができなかったとしたら。
手におえぬほどの悪霊、物の怪――五千の軍勢を殲滅させるだけのモノどもが次々とこの地に降り立ったとしたら。
大和の呪術師は言うにおよばず、荒覇吐様の力を持ってしても、そのすべてを制御することはできなかったであろう。
やつらに敵味方の区別などできるはずがない。
目の前の、生きし生ける物すべてを獲物として捉えたであろう。
黄泉の国の扉を閉じなければならなかった。
それができねば、この地を未曽有の災厄が襲う。
無辜(むこ)の民が命を落とす。
むろん、今のわしに、それを阻止、制御する力はない。
それでもやらねばならない。
たとえ、好転する可能性が、万に一つであろうとも、守らねばならぬ者がある限り。
まずは、屍どもを蹴散らそうと呪を唱え、印を切った。
――愕然とした。
周りにいる屍どもは一瞬動きを止めたものの、すぐに動き出したのである。
離れた場所の屍どもには全く効果がなかった。
気をため、もう一度試みる。
が、同様の結果に終わった。。
そんなはずはない。
確かに、わが力、わが法力を使う優先権は道摩にある。
しかし、道摩ごときに、わが力を限界まで使い切る技量があるとは思えなかった。
屍どもを蹴散らせるだけの法力は残っているはずだ。
道摩がわしの力を削ごうと、怨霊と取引したが故か。
それとも真実、余力はないのか。
東の空に稲光が走った。
それを背に、物言わぬ屍どもが、ひたひたと押し寄せる。
腕が震えていることに気がついた。
蛙一匹殺すことのできなかったわしに、これだけの者を葬れと言うのか。
餓鬼のような姿になってもまだ、この世にしがみついている者どもに再び引導を渡せと言うのか。
だが、やらねばならない。
やらねば、姫君を守れない。
――そうだ。
おのれら餓鬼どもに、この姫君を渡せるか。
罪深いわしに、「共に暮らそう」と声をかけてくれた男の想い人なのだ――
鬼のわしを怖れるでもなく、微笑みながら酌をしてくれた春の女神なのだ。
告げることなどできようはずもないが、わしの想い人なのだ。
眼を覆っていた眼帯代わりの鍔に手をやった。
眼窩には十五の齢に師から渡された翡翠玉《ひすいだま》を押しこんでいる。
わが師も、花緑青色に輝く見事な翡翠玉を身に着けていた。
しかし、この玉は、それをはるかに凌駕する、神々しいまでの美しさだった。
師は、
「これは、お前のものだ。ただし、誰にも見せてはならぬ」
と、口にしたきり、しばらく黙り込んだ。
そしてつけ加えた。
「この玉が震えた時……それは、お前を呪う者がいるということだ。その際は、決して呪を返さず、苦しむふりをしろ」
謎かけのような師のことばには困惑した。
お前のもの、と言われたところで、わが親が、このような物を持ってるはずがない。
師が六十余州を巡っていた頃に手に入れたものだろうと思っていた。
師が、それを、わしに託した理由については、あえて考えぬようにした。
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