あさきゆめみし

八神真哉

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第八十話  『ひふみ祓詞』

【酒呑童子】

怒りに震えた。
もはや都の民のことなど頭から消えていた。

奪われた法力の残りかすを絞りだそうと念を込める。

――が、力は湧いてこない。
背筋が凍った。膝が震えた。
これでは姫君を守れぬではないか。

しかし、後悔している暇はない。
姫君を岩の上におろし、懐から呪符を取り出し、呪を唱え、姫君の襟元に滑り込ませた。
その体が一瞬、ぼんやりと光を放った。

魑魅魍魎どもから身を守る呪符である。
わしに力があったときに作ったものだ。
この符だであれば、いくばくかは時が稼げよう。
姫君を背に回した。

その間に、やつらはそのおぞましい姿を恥じるでもなく、力岩を取り囲む。
もたもたしていると、姫君がやつらの餌食になる。

腹から声を絞り出し、力任せに錫杖を振り回し、次々と屍どもの首をふき飛ばした。

腐った肉汁が飛び散り、強烈な腐臭が襲ってきた。
それはもはや、毒とかわらなかった。
匂いを吸い込もうものなら、たちまち動きに支障をきたす。

加えて罪悪感という名の呪縛が体の自由を奪う。
すでに死人(しびと)に過ぎないとわかってはいても、腕の震えは止まらなかった。
死人だからこそ、その尊厳を守るべきではないのか。
わしは、未来永劫許されぬ罪を犯しているのではないか。

念仏ひとつ唱えることを許されず、崖下に打ち捨てられた鬼の姿が蘇った。
次々と、われらの前から姿を消した同胞たちの顔が浮かんだ。

しかし、感傷に浸っている暇などなかった。
やつらは、片腕を吹き飛ばされても倒れることなくこちらに向かってくる。
それどころか、首を失った屍も、何事もなかったかのように立ち上がり向かってくる。

しかも、生きている者と違って恐れを知らない。
腐臭をまき散らしながら、かまわず前進してきた。
かろうじて悲鳴をこらえ、錫杖で掃うように両脚を吹き飛ばした。

ところが、崩れ落ちた屍は、脚がないなら腕があるとばかりに、這いずりながらわしに向かってきた。
脚を奪ったお前は言うまでもなく、その後方にいる姫君も、われらの贄としてやろうとばかりに。

叫びながら、何度も何度も錫杖をたたきつけた。
腐った肉と油が錫杖に絡みつき、手が滑った。
跳ね返った錫杖は、近くにいた屍の頭を吹き飛ばし、岩場を転がり落ちていった。

得物無しで姫君を守ることなどできるはずがない。
慌てて、近くにあった太さ一尺、長さ三間ほどの御柱を抱え込み、力づくで引き抜いた。

岩の隙間から、蛇(へび)があわてて這いだしてきた。
柱を支えていた基礎の岩は、はずみで飛んでいき、崖を登ってきた屍どもを巻き込んで転がり落ちていく。

御柱を振り回すと、やつらは叩きつけられた蛙のようにあっけなくつぶれた。
蛙と違ったのは五体がばらばらになり、腐った汁をぶちまけながら飛散していくことだ。

とんでもない出来損ないだ。
死返玉があったところで、呪力が伴わねばこのようなことになる。

飢えて死んだ者だろうか。
先ほど岩元の隙間から這い出してきた蛇を掴んで食いついた。
横から現れたおなごが、蛇を奪おうとして肘で打たれる。
ならばと、おなごは相手の腕にかみつき、その皮ごと食いちぎった。

それは、すぐに連鎖した。
別の屍に襲いかかり、その死肉を喰らう者が次々と現れた。
幼い子どもは格好の餌食になった。
まさに地獄絵図だった。

なんということだ。
きゃつらとて、人であったのだ。

――と、首のないおなごの姿に目を奪われた。
おなごの背には、何かが背負われていた。
首のない赤子であった。

その首を飛ばしたのは、わしであろうか?

それに思い当たったとたんに迷いが生じた。
御柱を振り回すのが遅れた。

三間ほど先にいたはずの媼の屍が寸前まで忍び寄っていた。
頬の肉が裂け、上下の歯をむき出しにした顎で姫君に襲いかかる。
姫君の悲鳴が耳に届いた。

その白い首筋に噛みつく寸前で叩きつぶした。
二度と姫君に襲いかかってこれぬように、岩の上に転がった屍の頭を、体を、御柱でこれでもかと砕いた。

だが、無益な憂さ晴らしをしている間に、力岩は数え切れないほどの屍どもに取り囲まれた。

同時に月が陰り、頭上から布瑠の言が聞こえてきた。
「一二三四五六七八九十(ひとふたみよ いつむななや ここのたり)、布留部由良由良止布留部(ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」

背後の岸壁の頂上、磐座に小次郎の姿がある。
左右には四鬼の姿があった。
不遜にも磐座の上に立っている。

われらは山城国に到着して以降、住処を別にして来た。
小次郎こと道摩が、わしを遠ざけたからだ。
必要なものを手に入れたからには用済みというわけだ。

わしにとっては歓迎すべきことであった。
おのれが、この先何をなすべきか熟考する時を与えられたのだから。

にもかかわらず、わしは動かなかった。
ただただ、決断を引き延ばし、時を過ごしていただけだ。

しかし、今、わしには守らねばならない姫君があった。

背後の段上には、六芒星を刻んだ祭壇がある。
そこに上がり、岸壁を背にすれば、屍どもに背後を取られることはない。
一方で、道摩たちに頭上を抑えられてしまうことになる。

道摩の手には八握剣(やつかのつるぎ)。
四鬼の一匹、熊童子の手には死返玉(まかるかへしのたま)。
その名を唱えながら振り動かし、「布留の言」を唱えると、死者さえ甦ると伝わる玉だ。

わしの力を掠め取った道摩が起動させたのだ。

道摩が、自らの名を唱えながら剣を揺り動かすと、わが身から力が吸い取られていく。
その事実に驚いた。

屍どもを追い払う法力さえ奪われたと思っていた。
だが、この身には、いくばくかの力が残っていたのだ。
一筋の光明に高揚を覚えたものの、この程度の力で姫君を守り切ることなどできようはずもない。

その時、一陣の風が、わが身を襲い、袖をひるがえした。
岩場にいくつものつむじ風が起きていた。
嫌な風だ。悪い予感がひしひしと押し寄せる。

同時に屍どもの動きが鈍くなった。
道摩が別の呪詛を始めたことで四鬼たちの持つ死返玉に与えられる力が弱まったようだ。

姫君と、るり様の無事を確認し、道摩の目線を追って天を仰いだ。
鬼のわしは、人とは比べものにならぬほど夜目も遠目もきく。
予期していたにもかかわらず背筋が凍りついた。
道摩は、決してやってはならぬことに手を出していた。

――貴船山の上空が瘴気に満ちていた。
目を凝らすと空に裂け目がはいっている。

離れている故、小さく見えるが、近くに寄ってみればその長さは十間。いや三十間はあるだろう。
長さに比べ隙間は狭いとみえ、死霊、悪鬼や物の怪どもが、抜け出るのに苦労している。

あれが壱支国の神軍の正体だ。
黄泉の国のモノどもだ。
奴らは地の底に棲んでいる。
ゆえに、遠目の利かぬ人間どもは勘違いしたのだ。

何らかの手法で空間を捻じ曲げたのだ。
あるいは、それこそが十種神宝の力なのか。
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