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第八十三話 『八握剣』
【酒呑童子】
力岩の端から境内の一部が望める。
馬に乗った男たちが次々と駆けつける。
兜に大鎧の大仰ななりから見れば、検非違使や京職ではあるまい。
姫君の――中宮の居所を探し当てた内裏の警護の者か、屍どもを追ってきた武士であろう。
しかし、その男たちは境内で屍どもに囲まれ、すぐに動きが取れなくなった。
なにしろやつらは太刀に怯むこともなければ、手足を失っても痛がることもない。
供を連れた大鎧姿の二、三組が抜け出したものの遅々として進まない。
登りの径は一つしかない上に、やつらが横合いから襲って来るからだ。
しかも怖れを知らない。
径(みち)が塞がっているのを見てとると、岩に手をかけ登ってくる。
さらに、疲れも知らなかった。
一方のわしはと言えば、息が切れ、体も悲鳴を上げていた。
御柱を一振りするたびに限界が近づく。
酒を控えておかなかったことを後悔した。
これ以上囲まれては手におえない。
呪を唱え、印を切った。
わずかに力が残っていたと見え、焚火の残り火が燃え上がる。
燃え上がる薪と、そのかたわらに置かれていた予備の薪を宙に浮かせ、わしと姫をぐるりと囲むように岩の上に落とす。
さらに呪を唱え、火力をあげて一丈ほどの火柱を立てる。
火だるまになった者が次々と崩れ落ちる。
時が稼げると思ったのもつかの間だった。
四鬼の詠唱が大きくなると、それに後押しされるように屍たちが先を争って押し寄せる。
結果、炎に包まれた者と続いた者が薪の上に倒れこみ、火柱が弱まっていく。
魚の焼ける匂いだ。
人の焼ける匂いだ。
壱支国が滅びる匂いだ。
またも、逃げ出したい衝動に駆られた。
臆病風に吹かれた。
確かに、わしは、兵でもなければ守護鬼でもなかった。
だが、壱支国最強の呪術師、弱法師から荒覇吐神以来の天分の持ち主と期待されていた。
にもかかわらず逃げた。姿を隠した。
誰一人救うことなしに。
自らの命を縮めてまでも、わしの天分を証明しようとした、わが師の期待に応えようともせず。
湿った布でも叩きつけるような音が耳に届き、強烈な匂いが鼻をついた。
その方向に目をやると、左手にいた屍が力岩に這い上ろうと体を岩にこすり付け、腐った肉をこそげ落とし、あばらの骨をあらわにしたところだった。
焼け落ちたと思っていた者どもも立ち上がる。
磐座に立つ道摩と四鬼の動向は気になるが、屍たちに背後を取られては姫君を守りきれない。
躊躇している暇はなかった。
姫君を左手で抱え、両横から這いあがろうとする屍どもを御柱でなぎ倒した。
後方の一段上にある祭壇にあがり、振り返る。
義守は、まだかと眼下に目をやる。
目に飛び込んできたのは、境内にいくつも灯る松明の火の下で、呆けたように口を開け、こちらを見上げる武士たちであった。
その視線の先、わしの頭上に白き望月があった。
奴らが驚くのも無理はない。
その月を背に、人が空に浮かんでいたのだ。
荒覇吐と名乗り始めた道摩の姿であった。
この二年は小次郎と名乗っていた人間の童だ。
わしが、燃え上がらせた照り柿色の薪の火が、その姿を照らし出す。
武士どもは「酒呑童子が」と叫び、小次郎の下に立つわしを指さしている。
わしが、法力で童を宙に浮かしていると思っているのだろう。
あながち、見当違いとも言えまい。
道摩は、わしの力をかすめ取って浮いているのだから。
大岩を宙に浮かべる力があれば、それほど難しいことではない。
より集中力を必要とするものの応用力の問題である。
師が存命であれば、どれほど喜んでくれただろう。
荒覇吐は荒脛巾とも書く。
荒脛巾とは足が長い。転じて、足が速いという意味を持つという。
荒覇吐様は空を飛べたのではないか、ある時、師がそう口にした。
「空を?」
思わず、わしは声を発していた。
五の齢には人の頭ほどの岩を飛ばせるようになってはいたが、思いつきもしないことだった。
しかし、場もわきまえず、無駄に力を使って見せる道摩には、あきれを通り越し、腹が立った。
それで相手が恐れ入ってしまえばよい。
だが、道摩ごときの力で、呪符を貼り付けた矢を四方八方から射かけられて防ぎきれるのか。
それほどの集中力を要する術である。
たとえ、十種神宝で力を増幅していたところでやるべき場ではない。
まさに童だ。
手に入れたものを見せつけたくてたまらぬのだ。
――もっとも、それでこそ、つけいる隙があろうと言うものだが。
道摩の狙いを境内の武士どもに知らすべく、あえて道摩に声をかけようとした、その時。
背中に八握(やつかの)剣(つるぎ)を背負い、蛇比礼を身にまとった道摩が宙に浮いたまま境内に向かって声を発した。
「待ちかねたぞ」
喜びに満ちたその言葉は、呪によって拡声され、あたりに響き渡った。
誰が到着したか見当がついた。
が、疲れから徐々に崖側へと押し込まれた状況では、境内を望むことができない。
右腋に抱え込んだ御柱を振り回し、祭壇の端に手をかけあがってこようとする屍どもを吹き飛ばしながら端まで進む。
わしの鈴懸にしがみついていた姫君も身を乗り出し、境内に目を向ける。
義守の姿が見えた。
ようやくたどり着いたようだ。
わしが鍛え直した剣を背負っている。
姫君の目では、駆けつけた者が誰かなど判別できまい。
少々、癪ではあったが、
「義守が来ましたぞ」と、息を切らせながら伝え、その口で「遅いわ」と吐き捨てた。
もっとも、言葉とは裏腹に、わしの顔には笑みが浮かんでいたに違いない。
息を整え、そして屍どもを止めるべく呪を唱えた。
屍どもが、ぴたりと動きを止めた。
四鬼はもちろん、道摩の気がそれ、わしが使える呪力が増えたからだ。
*
力岩の端から境内の一部が望める。
馬に乗った男たちが次々と駆けつける。
兜に大鎧の大仰ななりから見れば、検非違使や京職ではあるまい。
姫君の――中宮の居所を探し当てた内裏の警護の者か、屍どもを追ってきた武士であろう。
しかし、その男たちは境内で屍どもに囲まれ、すぐに動きが取れなくなった。
なにしろやつらは太刀に怯むこともなければ、手足を失っても痛がることもない。
供を連れた大鎧姿の二、三組が抜け出したものの遅々として進まない。
登りの径は一つしかない上に、やつらが横合いから襲って来るからだ。
しかも怖れを知らない。
径(みち)が塞がっているのを見てとると、岩に手をかけ登ってくる。
さらに、疲れも知らなかった。
一方のわしはと言えば、息が切れ、体も悲鳴を上げていた。
御柱を一振りするたびに限界が近づく。
酒を控えておかなかったことを後悔した。
これ以上囲まれては手におえない。
呪を唱え、印を切った。
わずかに力が残っていたと見え、焚火の残り火が燃え上がる。
燃え上がる薪と、そのかたわらに置かれていた予備の薪を宙に浮かせ、わしと姫をぐるりと囲むように岩の上に落とす。
さらに呪を唱え、火力をあげて一丈ほどの火柱を立てる。
火だるまになった者が次々と崩れ落ちる。
時が稼げると思ったのもつかの間だった。
四鬼の詠唱が大きくなると、それに後押しされるように屍たちが先を争って押し寄せる。
結果、炎に包まれた者と続いた者が薪の上に倒れこみ、火柱が弱まっていく。
魚の焼ける匂いだ。
人の焼ける匂いだ。
壱支国が滅びる匂いだ。
またも、逃げ出したい衝動に駆られた。
臆病風に吹かれた。
確かに、わしは、兵でもなければ守護鬼でもなかった。
だが、壱支国最強の呪術師、弱法師から荒覇吐神以来の天分の持ち主と期待されていた。
にもかかわらず逃げた。姿を隠した。
誰一人救うことなしに。
自らの命を縮めてまでも、わしの天分を証明しようとした、わが師の期待に応えようともせず。
湿った布でも叩きつけるような音が耳に届き、強烈な匂いが鼻をついた。
その方向に目をやると、左手にいた屍が力岩に這い上ろうと体を岩にこすり付け、腐った肉をこそげ落とし、あばらの骨をあらわにしたところだった。
焼け落ちたと思っていた者どもも立ち上がる。
磐座に立つ道摩と四鬼の動向は気になるが、屍たちに背後を取られては姫君を守りきれない。
躊躇している暇はなかった。
姫君を左手で抱え、両横から這いあがろうとする屍どもを御柱でなぎ倒した。
後方の一段上にある祭壇にあがり、振り返る。
義守は、まだかと眼下に目をやる。
目に飛び込んできたのは、境内にいくつも灯る松明の火の下で、呆けたように口を開け、こちらを見上げる武士たちであった。
その視線の先、わしの頭上に白き望月があった。
奴らが驚くのも無理はない。
その月を背に、人が空に浮かんでいたのだ。
荒覇吐と名乗り始めた道摩の姿であった。
この二年は小次郎と名乗っていた人間の童だ。
わしが、燃え上がらせた照り柿色の薪の火が、その姿を照らし出す。
武士どもは「酒呑童子が」と叫び、小次郎の下に立つわしを指さしている。
わしが、法力で童を宙に浮かしていると思っているのだろう。
あながち、見当違いとも言えまい。
道摩は、わしの力をかすめ取って浮いているのだから。
大岩を宙に浮かべる力があれば、それほど難しいことではない。
より集中力を必要とするものの応用力の問題である。
師が存命であれば、どれほど喜んでくれただろう。
荒覇吐は荒脛巾とも書く。
荒脛巾とは足が長い。転じて、足が速いという意味を持つという。
荒覇吐様は空を飛べたのではないか、ある時、師がそう口にした。
「空を?」
思わず、わしは声を発していた。
五の齢には人の頭ほどの岩を飛ばせるようになってはいたが、思いつきもしないことだった。
しかし、場もわきまえず、無駄に力を使って見せる道摩には、あきれを通り越し、腹が立った。
それで相手が恐れ入ってしまえばよい。
だが、道摩ごときの力で、呪符を貼り付けた矢を四方八方から射かけられて防ぎきれるのか。
それほどの集中力を要する術である。
たとえ、十種神宝で力を増幅していたところでやるべき場ではない。
まさに童だ。
手に入れたものを見せつけたくてたまらぬのだ。
――もっとも、それでこそ、つけいる隙があろうと言うものだが。
道摩の狙いを境内の武士どもに知らすべく、あえて道摩に声をかけようとした、その時。
背中に八握(やつかの)剣(つるぎ)を背負い、蛇比礼を身にまとった道摩が宙に浮いたまま境内に向かって声を発した。
「待ちかねたぞ」
喜びに満ちたその言葉は、呪によって拡声され、あたりに響き渡った。
誰が到着したか見当がついた。
が、疲れから徐々に崖側へと押し込まれた状況では、境内を望むことができない。
右腋に抱え込んだ御柱を振り回し、祭壇の端に手をかけあがってこようとする屍どもを吹き飛ばしながら端まで進む。
わしの鈴懸にしがみついていた姫君も身を乗り出し、境内に目を向ける。
義守の姿が見えた。
ようやくたどり着いたようだ。
わしが鍛え直した剣を背負っている。
姫君の目では、駆けつけた者が誰かなど判別できまい。
少々、癪ではあったが、
「義守が来ましたぞ」と、息を切らせながら伝え、その口で「遅いわ」と吐き捨てた。
もっとも、言葉とは裏腹に、わしの顔には笑みが浮かんでいたに違いない。
息を整え、そして屍どもを止めるべく呪を唱えた。
屍どもが、ぴたりと動きを止めた。
四鬼はもちろん、道摩の気がそれ、わしが使える呪力が増えたからだ。
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