あさきゆめみし

八神真哉

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第八十七話  『この世に生まれ』

【酒呑童子】

その場にへたり込んだ、わしと禍々しい鴉の上に冷たい雨が降り注ぐ。

震える双頭の鴉を懐に抱いた。
わしの手も体も震えていた。
寒さが理由ではない。

これまでは人間どもが、わしを不幸にしているのだと思っていた。
だが、そうではない。
わしの中に流れる血が、存在が、周りを不幸にしているのだ。
そう思い当たったからだ。

伏して、おんおんと泣いた。
玉が震えたのは、その時だ。

ぷるぷると震えた。
奈落の底の再現であった。
いや、あの時より、はるかに震えは小さい。

悪寒に襲われることもない。

ならば、これは「鬼滅の呪」だ。
「燻り」の呪だ。
誰かが――十二大師が生き残り、わしを燻り出そうとしているのだ。
さらなる絶望が襲ってきた。

呪縛からの解放――この世に産み落とされて初めて目にした光明。
天よりもたらされた光。
それを断とうとする者がいるのだ。

頭に何かが叩きつけられ、ようやく自分の前に誰かがいることに気がついた。
目をあげると四鬼が立っていた。

島を囲む鉄囲山の警備を担当する四匹の鬼ゆえ、そう呼ばれていると聞いた事がある。
名を、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子という。
皆、わしより五歳以上年上である。

その横に錫杖を手にした人間の童がいた。
熊童子が、「壱支国の正当なる後継、道摩様だ」と口にした。
いかにも育ちの良さそうな顔をした、ほっそりとした、齢、八ほどの童だ。
四鬼が呪を唱え、周囲に頼りなげな結界を張った。

「どこに隠れておった」
道摩という名の童が、手にした錫杖で何度も何度も打擲する。
頭から血が流れ落ちてきた。
思わず双頭の鴉を守ろうと深く抱え込んだ。

「それは何だ」と問われた。
答えると、赤く染まっていた道摩の顔が見る間に蒼白になった。

唇を震わせ、
「わが父母を……国の長と后を鳥獣に変えたというか」
元に戻せと責め立てられた。

確かに、わしが鳥獣に変えた。
師から与えられた玉が道返玉とも知らず、やみくもに試した結果である。

――もとに戻すことなどできようはずもない。
運良く魂を抜くことが出来たとしても、その魂を再び何かに入れることが出来るとは思えなかった。

そもそも、国の長と后にふさわしい器がどこにあろう。
ひたすら頭を下げながらも、恐れながらと、八咫鴉(やたがらす)を例えに出した。

火に油を注ぐ結果となった。
「わが仇、大和の伝説ではないか。鴉など、死肉を漁る鳥にすぎぬ」と叫びたて、錫杖をふるってきた。

「……わが一族は荒覇吐神の末裔ぞ、誇り高き、わが一族の長の魂を鴉に宿らせたというか」
道摩の顔が見る間に赤く染まった。
「そのような化け物に、わが父の魂が宿るはずがない」
震える腕で錫杖を握りなおした。

憎悪にかられ、狂気を宿した目は、もはや人には見えなかった。
「その化け物をよこせ、わしが成敗してくれる」
恐れていた通り、道摩は双頭の鴉をめがけ錫杖を振るってきた。

鴉とともに、このまま討たれてしまえば、二度とおのれの所業を後悔せずにすむ。
が、抱えたまま後方に体をずらした。

この時ばかりは断言できる。 
決して、我が身かわいさだけではなかった。
鴉と長、后の魂を守りたかったのだ、と。

しかし、迷いが決断を遅らせた。
錫杖の先端の切っ先が目前を横切り、顔が赤く染まった。
恐怖を忘れるほどの痛みが左目を襲った。

痛みを抑える呪を唱える。
気を失うわけにはいかなかった。
激高した道摩は、この鴉を殺してしまうだろう。

――もの心がついて以降、自問自答して来た。
死んだほうがましだ、と思うほどの、辛い修行と差別に、なぜ耐え続けなければならないのか、と。

鬼であるわしには、なにひとつ与えられなかった。
持つことを許されなかった。
友や家族はいうまでもなく、信念どころか誇りのひとつさえも。

「赤」を失い。
「友」を失い。
「師」を失い。
それでも、わからなかった……いや、だからこそ、わからなかった。
なぜ、この世に生まれ落ちてきたのか、と。

仏の教えなど理解できなかった。
神に感謝したことなど無論ない。

だが、ひとつだけ、はっきりしていることがある。
今、目の前に、助けを必要としている者がいる。
そして、わしは助けたいと願っている。

――ならば守ろう。この鴉を。
わしの力で救える命を。
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