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第九十話 『神の炎』
【酒呑童子】
義守が、背負っていた剣(つるぎ)を革の鞘から抜いた。
二尺八寸、菖蒲の葉に似た形状。
わしが打ち直した剣だ。
見る間に義守が紅く輝き始めた。
いや、そうではない。
義守の首にかかった紅い勾玉が脈打つように怪しげな深緋色(こきひいろ)の光を放っていた。
それはまるで怒りに震えているように見えた。
あれが、姫君の言っていた勾玉だ。
あれが、わしの結界をすり抜けたのだ。
それは、いつの間にか義守の胸を離れ、宙に浮いている。
玉の光は輝きを増し、四方八方に矢のように放たれた。
が、その光は一瞬にして収まり、残った躑躅色(つつじいろ)の光が霞のように揺らぎ、義守の持っている剣にまとわりつき始めた。
玉は輝きを失い、重さを取り戻し、義守の胸もとに戻った。
代わって剣が、勾玉の力を吸い取ったかのように鮮やかな猩々緋色(しょうじょうひいろ)の鋭い光を放ち始めた。
ついで、それは唸りをあげた。
唸りと言っても獣のそれではない。
虫の羽音のような音だ。
だが、虫の軽さとは対極にある、いかにも重量感に満ちた音だ。
義守が握り直すと、剣は、「ぶぉん」と唸りを上げた。
軽く振っただけで、遠く離れているわしの腹に響いた。
重い音が大気を震わせ、腹を叩き、頬を震わせた。
その太刀捌きと波長を合わせるように、放つ光も音と連動した。
それはもはや、剣と言うより得体のしれぬ生き物のように見えた。
義守が手を離しても宙に浮いたであろう。
いつしか、わしは笑みを浮かべていた。
あの勾玉の力と連動しているとはいえ、わが手で鍛え直した剣に霊力が宿ったのだ。
「伏せろ!」
義守の言葉に、姫君を抱えるようにして岩陰に伏せた。
義守が剣を一閃すると、その刃(やいば)から紅蓮の炎が迸った。
辺りを震わせ、うなりをあげた。
放射状に伸びた炎が屍どもを襲った。
その炎は、刃のように屍どもを切り裂いていく。
切り裂かれた頭が、腕が、胴体が弾けるように転がり落ち、岩の上にとどまると、その切り口から燃え上がった。
わしが錫杖で吹き飛ばした時と違い、屍どもは二度と立ち上がって来なかった。
まさに神の炎であった。
焦げた匂いがあたりに満ちた。
魚を焼いたような匂いだ。
人が焼ける匂いだ。
壱支国が滅亡した、あの日の匂いだ。
――気配が変わったことに気づき、あたりを見回すと、残った屍どもも動きを止めている。
布瑠の言がやんでいるのだ。
義守が振るう剣の神々しさに気おされただけではあるまい。
「荒覇吐は鬼であった」と言う、義守の言葉に四鬼が気をとられたのだ。
かの国で、人間どもに隷属してきた鬼にとってこれほど魅惑的な言葉はない。
むろん、わしにとってもだ。
だが、たとえそれが真実であるとわかったところで、四鬼はすぐに布瑠の言を再開するだろう。
今生、今、この時は人間の童に命を握られた奴婢以下の存在にすぎないのだから。
それでも、ただ一つ、四鬼を寝返らせる方法がある。
わしには鬼滅の呪が効かぬことを知らせることだ。
加えて、われら鬼の間でささやかれてきた竹簡の正体は、道摩が羽織る品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)であると。
二年前。神宝を発動させようとした。
あの時は、畳んだままの比礼しか見ていなかった。
じっくりと観察などしなかった。
比礼を起動させるまでには至らなかったからだ。
今、道摩の羽織ったそれを見ればわかる。
びっしりと文字が書かれている。
あれは、経でもなければ、人の名でもない。
ならば――あれが、鬼の名だ。
鬼は長生きなどできない。
五百もあれば使いまわすことができよう。
――その比礼を、わしの元に。
だが、わしが、それに気づいたことを道摩に気取られれば、隙を突く機会を失うことになる。
――と、姫君が悲鳴のような声をあげた。
わしもつられて声をあげそうになった。
あたり一面、屍どもで埋めつくされている中、うつろな目をした女童が、屍の背負った背負子の上にちょこんと座っていたのだ。
姫君が連れてきた道摩の妹――るり様であった。
動きの止まった屍どもに気づかれている様子はない。
わしの持たせた魑魅魍魎や悪霊から身を隠す呪符の効能に加え、人としての感情を失ったがゆえに、屍どもも、るり様を人間と認知できなかったのだろう。
講堂を抜け出たこと自体は驚くに値しない。
こたびの結界は、魔への障碍(しょうげ)として張ったものである。
内側にいる者を、そこにとどめるものではない。
常におとなしくしていたので、このような行動に出るとは思いもしなかった。
るり様は、ふらつきながらも背負子から降りる。
そして、こちらに向かってくる。
時折、屍どもにぶつかり、すがりながら。
いかに身を隠す呪符を持っていたところで、気づかれるのは時間の問題だった。
あわてて祭壇から飛び降り、左手一本で、るり様を壇上に押し上げる。
姫君が、るり様を抱きしめた途端、四鬼が布留の言を再開した。
屍どもが動き出した。
境内手前に留まっていた屍どもも押し寄せるだろう。
一息はつけたものの、御柱を振り回してきた腕は悲鳴を上げていた。
再度、結界を張ろうと試みるができなかった。
義守の神剣に対抗するために、道摩が力を根こそぎ持っていったのだ。
このままでは姫君や、るり様を守れぬではないか。
新たに呪符を書いている余裕はない。
書けたところで力を失った今、それが役に立つとは思えなかった。
わしに残された手は限られている。
が、手持ちの呪符ぐらいは飛ばせよう。力のある時につくったものだ。
道摩も四鬼も義守が手にした神剣に釘付けとなっている。
懐から、義守に与えたものと対をなす呪符を引き出し、道摩に向けて放った。
道摩の結界は、わしの結界でもある。
ゆえに、すり抜けることができるはずだ。
呪符は宙を滑るように進み、見込み通り、道摩の足裏に貼りついた。
義守が、再び剣を薙いだ。
あたりを圧する重低音を響かせながら放たれる紅蓮の光は灼熱の炎となって、岩をよじ登る屍どもを次々と焼き払う。
この世の不浄の穢れを祓う神の炎だ。
だが、岩の影や死角に入っている者も多い。
次々と押し寄せる、それらのすべてを葬ることなどできるはずもない。
加えて、屍どもに埋め尽くされた山を登るのは容易ではない。
腐った体の肉や脂が斜面を覆い、足をすくう。
行く手を阻む。
道摩も傍観してはいないだろう。
わしにできるのは御柱を振り回すことだけだ。
しかし、屍どもの腐った肉が絡みつき重さが増す。
腕が、足が――いや、全身が悲鳴を上げていた。
薙ぎ払い、焼き払っても、怖れという感情を失った屍どもはまとわりついてくる。
後から後から押し寄せてくる。
無間地獄だ――ここはすでに奈落の底なのだ。
息は切れ、黒鉄(くろがね)を飲み込んだかのように重い体は言うことをきかない。
抱え込み、振りまわしてきた結果、腕の皮がむけ、御柱は血にまみれていた。
義守が、背負っていた剣(つるぎ)を革の鞘から抜いた。
二尺八寸、菖蒲の葉に似た形状。
わしが打ち直した剣だ。
見る間に義守が紅く輝き始めた。
いや、そうではない。
義守の首にかかった紅い勾玉が脈打つように怪しげな深緋色(こきひいろ)の光を放っていた。
それはまるで怒りに震えているように見えた。
あれが、姫君の言っていた勾玉だ。
あれが、わしの結界をすり抜けたのだ。
それは、いつの間にか義守の胸を離れ、宙に浮いている。
玉の光は輝きを増し、四方八方に矢のように放たれた。
が、その光は一瞬にして収まり、残った躑躅色(つつじいろ)の光が霞のように揺らぎ、義守の持っている剣にまとわりつき始めた。
玉は輝きを失い、重さを取り戻し、義守の胸もとに戻った。
代わって剣が、勾玉の力を吸い取ったかのように鮮やかな猩々緋色(しょうじょうひいろ)の鋭い光を放ち始めた。
ついで、それは唸りをあげた。
唸りと言っても獣のそれではない。
虫の羽音のような音だ。
だが、虫の軽さとは対極にある、いかにも重量感に満ちた音だ。
義守が握り直すと、剣は、「ぶぉん」と唸りを上げた。
軽く振っただけで、遠く離れているわしの腹に響いた。
重い音が大気を震わせ、腹を叩き、頬を震わせた。
その太刀捌きと波長を合わせるように、放つ光も音と連動した。
それはもはや、剣と言うより得体のしれぬ生き物のように見えた。
義守が手を離しても宙に浮いたであろう。
いつしか、わしは笑みを浮かべていた。
あの勾玉の力と連動しているとはいえ、わが手で鍛え直した剣に霊力が宿ったのだ。
「伏せろ!」
義守の言葉に、姫君を抱えるようにして岩陰に伏せた。
義守が剣を一閃すると、その刃(やいば)から紅蓮の炎が迸った。
辺りを震わせ、うなりをあげた。
放射状に伸びた炎が屍どもを襲った。
その炎は、刃のように屍どもを切り裂いていく。
切り裂かれた頭が、腕が、胴体が弾けるように転がり落ち、岩の上にとどまると、その切り口から燃え上がった。
わしが錫杖で吹き飛ばした時と違い、屍どもは二度と立ち上がって来なかった。
まさに神の炎であった。
焦げた匂いがあたりに満ちた。
魚を焼いたような匂いだ。
人が焼ける匂いだ。
壱支国が滅亡した、あの日の匂いだ。
――気配が変わったことに気づき、あたりを見回すと、残った屍どもも動きを止めている。
布瑠の言がやんでいるのだ。
義守が振るう剣の神々しさに気おされただけではあるまい。
「荒覇吐は鬼であった」と言う、義守の言葉に四鬼が気をとられたのだ。
かの国で、人間どもに隷属してきた鬼にとってこれほど魅惑的な言葉はない。
むろん、わしにとってもだ。
だが、たとえそれが真実であるとわかったところで、四鬼はすぐに布瑠の言を再開するだろう。
今生、今、この時は人間の童に命を握られた奴婢以下の存在にすぎないのだから。
それでも、ただ一つ、四鬼を寝返らせる方法がある。
わしには鬼滅の呪が効かぬことを知らせることだ。
加えて、われら鬼の間でささやかれてきた竹簡の正体は、道摩が羽織る品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)であると。
二年前。神宝を発動させようとした。
あの時は、畳んだままの比礼しか見ていなかった。
じっくりと観察などしなかった。
比礼を起動させるまでには至らなかったからだ。
今、道摩の羽織ったそれを見ればわかる。
びっしりと文字が書かれている。
あれは、経でもなければ、人の名でもない。
ならば――あれが、鬼の名だ。
鬼は長生きなどできない。
五百もあれば使いまわすことができよう。
――その比礼を、わしの元に。
だが、わしが、それに気づいたことを道摩に気取られれば、隙を突く機会を失うことになる。
――と、姫君が悲鳴のような声をあげた。
わしもつられて声をあげそうになった。
あたり一面、屍どもで埋めつくされている中、うつろな目をした女童が、屍の背負った背負子の上にちょこんと座っていたのだ。
姫君が連れてきた道摩の妹――るり様であった。
動きの止まった屍どもに気づかれている様子はない。
わしの持たせた魑魅魍魎や悪霊から身を隠す呪符の効能に加え、人としての感情を失ったがゆえに、屍どもも、るり様を人間と認知できなかったのだろう。
講堂を抜け出たこと自体は驚くに値しない。
こたびの結界は、魔への障碍(しょうげ)として張ったものである。
内側にいる者を、そこにとどめるものではない。
常におとなしくしていたので、このような行動に出るとは思いもしなかった。
るり様は、ふらつきながらも背負子から降りる。
そして、こちらに向かってくる。
時折、屍どもにぶつかり、すがりながら。
いかに身を隠す呪符を持っていたところで、気づかれるのは時間の問題だった。
あわてて祭壇から飛び降り、左手一本で、るり様を壇上に押し上げる。
姫君が、るり様を抱きしめた途端、四鬼が布留の言を再開した。
屍どもが動き出した。
境内手前に留まっていた屍どもも押し寄せるだろう。
一息はつけたものの、御柱を振り回してきた腕は悲鳴を上げていた。
再度、結界を張ろうと試みるができなかった。
義守の神剣に対抗するために、道摩が力を根こそぎ持っていったのだ。
このままでは姫君や、るり様を守れぬではないか。
新たに呪符を書いている余裕はない。
書けたところで力を失った今、それが役に立つとは思えなかった。
わしに残された手は限られている。
が、手持ちの呪符ぐらいは飛ばせよう。力のある時につくったものだ。
道摩も四鬼も義守が手にした神剣に釘付けとなっている。
懐から、義守に与えたものと対をなす呪符を引き出し、道摩に向けて放った。
道摩の結界は、わしの結界でもある。
ゆえに、すり抜けることができるはずだ。
呪符は宙を滑るように進み、見込み通り、道摩の足裏に貼りついた。
義守が、再び剣を薙いだ。
あたりを圧する重低音を響かせながら放たれる紅蓮の光は灼熱の炎となって、岩をよじ登る屍どもを次々と焼き払う。
この世の不浄の穢れを祓う神の炎だ。
だが、岩の影や死角に入っている者も多い。
次々と押し寄せる、それらのすべてを葬ることなどできるはずもない。
加えて、屍どもに埋め尽くされた山を登るのは容易ではない。
腐った体の肉や脂が斜面を覆い、足をすくう。
行く手を阻む。
道摩も傍観してはいないだろう。
わしにできるのは御柱を振り回すことだけだ。
しかし、屍どもの腐った肉が絡みつき重さが増す。
腕が、足が――いや、全身が悲鳴を上げていた。
薙ぎ払い、焼き払っても、怖れという感情を失った屍どもはまとわりついてくる。
後から後から押し寄せてくる。
無間地獄だ――ここはすでに奈落の底なのだ。
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