あさきゆめみし

八神真哉

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第九十二話  『母に抱かれて』


【輝夜】

義守の声が聞こえた。
酒呑童子の名を呼んでいた。

酒呑童子の角が震えている。
いや、体全体が震えている。
額には玉のような汗が浮かび、目の焦点は定まっていない。

酒呑童子が、のしかかる巨大な岩を必死で支えていた。
酒呑童子は言うまでもなく、わたしとるりの命も尽きようとしているのに足は張り付いたように動かない。
それどころか、わたしの意識は、足元にある守袋に向いていた。
酒呑童子が眼窩から翡翠玉を取り出すときに落としたのだ。
紺地の籠目の紋様だ。

媼が持っていた守袋の文様も籠目だった。
色はさめていたが、もとは紺地であったに違いない。
文様の大きさも形も同じに見える。
るりを抱きしめたまま、手を伸ばした。

――墓に見立てた岩に向かって手を合わせている媼に声をかけた。
「浄土で安らかに暮らしておられましょう」と。

媼は答えた。
「坊主の言うことなどあてになるものか。念仏など唱えたことはない。わしはただ、謝っておるのだ」 
と、答え、媼が伴侶の墓だと手を合わせていた、あの七尺の岩。
その隣にあった小さな岩。

――伝えなければならなかった。
心の底から後悔している人がいることを。
今でも、毎日手を合わせている人がいる、ということを。

「あなたに伝えなければならないことが……」
「義守に伝えていただきたい」
酒呑童子の震える声に遮られた。

だが、言わねばならなかった。
「生きていて欲しいと願っている人が」

酒呑童子は真っ赤な顔で顎から汗を滴り落としながら、わずかに口角をあげ、わかっているとばかりに視線を送ってきた。
「……お前に会えてよかった、と」

義守の事ではないのだ、と口にしようとしたができなかった。
酒呑童子が、一尺では収まらぬであろう、その大きな手の平をわたしに向かって伸ばしてきたからだ。

そして、獣のような咆哮が響き渡った。


【酒呑童子】

膝が震える――いや、全身が震えている。
汗で視界が塞がれる。

真っ赤に焼けた鋼(はがね)を突き付けられたような痛みに、頭の中は悲鳴を上げる。
一方の背中の感覚はないに等しい。
力が入らない。

左肩が、みしり、と音をたてる。
厚さ七尺、縦横二丈はあろう岩の重みに耐えきれず膝が落ちる。

その寸前に腕を差出し、るり様を抱く姫君を掴み、手首を返すように投げた。
膝がしらが軋んだ音をたてた。
頭が破裂したかのような痛みに一瞬意識が飛んだ。

まだ――だ。
まだ、気を失うわけにはいかない。

ここで、気を失えば、すべてが終わる。
すべてを失う。
わしがこの世に生を受けた意味を失う。
姫君が、屍どもの餌食となる。

叫び声を上げながら、右手一本で印を切った。
呪を唱えた。
姫君は、地に落ちることなく宙に浮かんだ。

姫の襟元からこぼれ落ちた勾玉が月の光を浴びて柔らかに輝く。
花緑青色の儚げな光を発している。
姫君の体を宙に浮かせたのは、わしの呪ではなく、その勾玉だったのかもしれない。

るり様を抱いた姫君は、供物岩の左にある檜の良く張った枝の上にゆっくりと乗った。
あの枝と護符が、しばらく時を稼いでくれるだろう。
にやりと笑った。
笑みがこぼれた。

義守よ、わしにできるのはここまでだ。
お前に見せ場を残してやったのだ。
後は、お前の働き次第ぞ。
お前の力で、姫君の心を掴んでみせるが良い。

わしが死ねば、道摩は、ただの童となる。
その力の源は、わしであるからだ。
奪っているに過ぎないからだ。

やがて十種神宝の発動は停止し、屍どもは腐った肉塊に戻るだろう。
すべての呪が効力を失うだろう。
が、それですべてが解決するわけではない。

――道摩に憑りついた怨霊を葬らねばならない。
黄泉の国の裂け目を閉じなければならない。
次々と押し寄せる死霊、悪鬼、物の怪どもを調伏しなければならない。

それらすべてを成し遂げられるだけの術者が、この世に存在するだろうか。
荒覇吐様は、どうやってあの裂け目を閉じたのだろう。

わしに力があれば、義守の前で網を繕って見せた時同様、繕いなおして見せようものを。
気がつくと、あの時と同じ呪を口にしていた。

目の前が暗くなっていく。

子守り唄が聞こえてきた。
わが子を慈しむ優しい声だ。
ああ、あれは母の声だ。

資格など、とうに失ったことは承知しているが、
――もしも、
――もしも、生まれ変わることができるなら。

たった一つ願いがかなうなら。


【輝夜】

酒呑童子が、その大きな手の平で、るりを抱くわたしを救いあげ、ゆっくりと押し出した。
わたしの体は重さを失ったように宙に浮いた。

酒呑童子に目をやると、苦悶に歪んでいるはずの、その顔が微笑んでいるように見えた。

酒呑童子の背に巨大な岩が覆いかぶさっているのが見えた。
その岩は、ゆったりと時をかけ酒呑童子を押しつぶしていく。
わたしを押し出した手だけを残して。

その巨大な岩は――六芒星を刻んだ祭壇岩の上に重なった。

まるで、そこには初めから誰もいなかったかのように。

ほんのわずかな間をおいて、岩の間から鮮血が飛び散った。
そして、隙間から音を立てるように流れ出してきた。
幾筋にも別れて祭壇から流れ落ちるそれは、今が盛りの曼殊沙華の花弁を思わせた。

血の気がひき、視界が狭まり、意識が遠のいていくのがわかった。
かすかに小次郎の哄笑が耳に届いた。

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