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第百話 『長恨歌』
【輝夜】
闇の中にいた。
わたしは義守に問いかけていた。
小次郎と話していたのは何のことですか、と。
むせそうになるほどの腐臭で目が覚めた。
重い瞼を上げる。
天空には幾千もの星が瞬いていた。
空に開けられていたはずの裂け目は見当たらない。
あれは片時の夢だったのだろうか。
あるいは今も夢の中なのだろうか。
なぜなら、わたしは抱き上げられていたからだ。
汗に濡れながらも、あいかわらず、頭のかぶり物をとらぬ男に。
愛想ひとつない男に。
夢であれば醒めないで欲しかった。
ぬくもりが伝わって来た――夢ではなかった。
駆けつけてくれた。
生きていてくれた。
至福の時に酔いしれた。
が、
――あっ、と声をあげそうになる。
「酒呑童子は、るりは……」
と、あたりに目をやろうとすると、
男は表情も変えず、わたしの肩を自分の胸に引き寄せた。
「るりは無事だ」
男の、その声と表情ですべてを悟った。
涙があふれる。
ぽろぽろとこぼれ落ちる。
男は続けた。
「梨の花が春の雨に濡れているようだ」
なんと失礼な言いようだろう。
貴族の間で、梨の花は、かわいげのないおなごの顔の例えとして使われている。
これまでの言葉はなんだったのか、と不満を口にしようとして、
白楽天の『長恨歌』の一節に、思い当たった。
『梨花一枝春帶雨』
(梨花 一枝 春 雨を帯ぶ)
殺されて仙女となった楊貴妃が玄宗の使者に形見のかんざしを渡し、その美しい顔から、ぽろぽろと涙をこぼす様子を歌ったものだ。
だが、これは漢詩である。
それこそ、粗野で無教養なこの男が知っているはずがない。
さらに言えば、梨の花の季節はとうに過ぎている。
まさに野暮を絵にかいたような男の台詞である。
それでも、この男なりの精いっぱいの誉め言葉なのだろう。
少なくとも、この男は梨の花を美しいと思っているのだ。
そう、信じることができた。
男は、壊れ物でも扱うように、わたしをそっと地におろす。
ずっと、このままでいたいという、わたしの気持ちに気づく様子もなく。
男は、懐に手を入れ、いかにも安っぽい端布を差し出してきた。
涙を拭けと言うのだろう。
あいかわらず、おなごの気持ちに疎い男である。
その手を振り払い、抱きついた。
その汗臭い胸に顔を埋めた。
そして、男が『長恨歌』のその一節を口ずさんでくれたらと願った。
「天に在りては――」と、口にしてくれぬことを恨んだ。
気がつくと、屍たちが発する異臭が消えていた
奇妙に思い振り返る。
いつからそこにいたのか、後方に、市女笠を手にした白髪頭の男が立っていた。
あわてて義守の背に回していた手を離した。
恥ずかしさから、思わず皮肉を口にした。
登場が遅すぎるではないかと。
「十二神将を見ることができると思っていたのですが」
「わたしを誰だと思っておられるのです」
老いてなお希代の陰陽師と呼ばれる男は、にやりと笑った。
この程度の騒ぎに、十二神将など出すまでもない、とでもいうように。
癪ではあったが、感謝の言葉を口にした。
「あなたの符だが守ってくれたようです」
【陰陽師】
童の遺体には思ったほど損傷がなかった。
左足の裏が黒焦げになっていることを除けば。
焼け焦げた符だの切れ端がそこにあった。
苦いものがこみ上げる。
これは、私の符だではない。
その横で座り込んだ女童がつぶれた笹餅を童の口元に運んでいる。
姫が、るりと呼ぶ女童だ。
その姫が、嗚咽しながら手を合わせている。
義守と呼ばれる男が、姫に寄り添っていた。
姫に頼まれ、符だを作った。
だが、あれは義守という男の身を守るための符だではない。
厄災が降りかかる符だだ。
鬼を黄泉の国に送る符だだ。
雷(いかづち)が落ちれば、あの男を貫くはずだった。
そして雷は落ちた。
その時のことは、放った式神から報告を受けた。
私の作った符だに誤りはなかった。
にもかかわらず雷は、この男を避け、代わりに人間の童を襲ったのだ。
怨霊が憑りつき、鬼と化したゆえに雷が落ちたのか。
鬼よりも人の方が邪悪であったのか。
――あるいは、酒呑童子が別の符だを持たせたのか。
今となっては知るすべはない。
【輝夜】
陰陽師が、るりの手を引き、わたしと男の目を見て頷いた。
まかせろと言うことだろう。
男と陰陽師は、剣と市女笠を交換した。
屍が散乱している足元から目をそらし、涙を拭き、
市女笠をかぶろうとすると、男が自分の髪の毛を収めている袋状のものを前に回した。
そして背を向け腰を下ろした。
「さあ、行くぞ」
笠をかぶると邪魔になる。
まだ、夜も明けていない。
笠を、そっと足元に置き、背負われる。
こたびは背負子ごしではない。
肩に添えていた手を、おずおずと男の首に回す。
そして、高鳴る胸の鼓動に鼓舞されるかのように声をかけた。
「また、背負うことになりましたね」
わたしの気負いをそらすかのように、愛想ひとつない答えが返ってきた。
「目の離せぬおなごだ。周りの迷惑も考えろ」
ならば、ずっと傍にいて見守っていればよいではありませんか。
その言葉を、ようよう飲み込んだ。
公達(きんだち)であれば、ここぞとばかりに、甘い言葉を囁こうものを、男は口を開く気配も見せず黙々と岩山を降りる。
「口もききたくないのですね? わがままなおなごとは」
と、ことさら殊勝気に尋ねると、わずかに間をおいて答えが返って来た。
「……語らいたいとは思っている」
思わず赤面した。
頭に血がのぼった。
男女間で使う時、その言葉には特別な意味が込められる。
少なくとも、貴族の間では情を交わした後の会話をさす。
むろん、この男は知らないのだろう。
「しっかり捕まっておれ」
照れたように口にする男の背に体を預け、肩に顔を埋める。
花の香りに似た髪油の匂いがたゆってきた。
武官や武士たちが、わたしを背負った男に道を開ける。
彼らは、わたしのことなど知らないだろう。
だが、屍を操る荒覇吐と名乗る童に神剣で挑んだ男に畏敬の表情を浮かべる。
月の光に照らされた境内に、わたしを背負った男の影が映る。
いつまでもいつまでも、それを眺めていたかった。
いつまでもいつまでも、こうして居たかった。
と、男の肩に一本の細く長いものがついていることに気がついた。
色は紅(あか)。
糸くずだろうと取り除こうとした。
だが、月の光を浴びたそれは艶やかに輝いていた。
髪の毛のように見える。
紅(あか)い髪の人間などいるはずがない。
否――
たったひとつ、思い当たることがあった。
父の政敵であった男の姫君を背負って逃げたという武士、義光様は剛力の鬼を使役していたという。
その鬼は、燃えるような紅い髪を持ち、赤鬼と呼ばれていたとも。
先ほど男が口にした、「語り継がれた」という言葉。
蝦夷と呼ばれる地に住む者たちという言葉……それは果たして人であったのだろうか。
――ああ、やはり、そうなのだ。
男が、もし、その赤鬼であったとしたら、父を大層憎んでいることだろう。
その娘をも許さぬだろう。
――それでも伝えたかった。
伝えねばならなかった。
たとえ、その意図が伝わらぬとしても。
松明の火も増え、あたりが騒がしくなってきた。
寺社近辺の混乱が収まったとは伝わっていないのか、都城の方向から、武官や武士の一団が続々と詰めかけてくる。
蹄やいななき、具足の音があたりに響きわたる。
男は、それを避けるように麓近くにある人けのない小さな丘陵に上がった。
樹木は数えるほどしか生えておらず、見晴らしは申し分なかった。
都城につながる道と近辺の荒地が見渡せた。
男はわたしを地に降ろすと、こちらを向いた。
その表情には決意が見えた。
「おまえに言っておかねばならぬことがある」
聞かなくてもわかった。
言わせてはならなかった。
さえぎるように首を振った。
そして、男の顔を見上げた。
「あなたに伝えなければならないことが……」
酒呑童子から託された翡翠の玉と籠目紋の守袋を襟元から取り出し、男に差し出した。
「酒呑童子からの言伝です」
男のとび色の瞳を見つめる。
「あなたに会えてよかったと……」
その瞳が揺らいだ。
「そして……」
勇気を振りしぼり、もう一度その瞳を見つめた。
「わたしの名は……彰子と言います」
声が震えていた。
男は、なにを言い出すのかという表情を見せた。
わからないのだろう。
貴族の娘が、男に、わが名を――諱を告げることの意味が。
我儘で世間知らず、加えて見目形も優れぬおなごが何を言いたいのかが。
わかっていれば――憎からず思っているおなごから、その名を打ち明けられたのであれば――満面の笑みを浮かべるであろうに。
男は、戸惑ったように、「ああ……」と、かすかにうなずくのみだ。
救いは、名を騙っているのではないかと、疑がわれていないことだ。
それだけは確かだった。伝わって来た。
陰陽師との約定を違えることはできなかった。
ゆえに、震える胸に両手を当て、生涯最大の嘘をつく。
これ以上はないという笑みを浮かべて見せる。
――そして、覚悟を決めて口にした。
これから先、幾度も幾度も繰り返し呼びたかった名を。
「わたしは、義守と会えて……」
【義守】
うつむいた顔に艶やかな黒髪がこぼれ落ちる。
そして顔をあげる。
微笑む姫の目に、見る間に涙が浮かび、そして頬を伝った。
そして、五年前の姫と同じように自らの名を口にした。
続けて、おれの名を口にした。
――と、言葉を切って、困惑した様子を見せた。
おびえたように、あわてて、涙にぬれた顔を扇で隠し、後ずさりした。
なぜ、自分の前に見知らぬ男が立っているのだ、とでも言うように。
「どうした?」と、口を開いたとたん、宙に星が流れた。
ひとつではない。
次から次へと星が群れをなして流れた。
丑寅(うしとら)の方角だ。
姫は空を見上げた。
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