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第3話 帰ってきた「いつもの」

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―3069.10.12―

「本当に心配したんだよユウキぃ! 戻ってきてくれてよかったぁ!!」

 涙目のラスカに泣きつかれる。それもそうだ。この寮に戻ってきたのも2週間ぶりだ。その間ラスカはユウキの消息を一切わからないまま過ごしてきたのだろう。労働者階級の人間に気を遣って連絡をよこすような人間はいない。自分が生きているという事実も、たった今戻ってくる瞬間まで知らなかったのだから、ラスカは涙と鼻水に塗れた顔をユウキの胸に埋めて、まだオイオイと泣いている。ここが、共有スペースで、人が見ているのに、だ。ラスカ以外の労働者は意外と淡白で、そんなタマじゃないもんなと、囃し立てるような奴もいた。誰一人として、一度ユウキが死んだという事実を信じようとせず、ただユウキの帰寮を喜んだ。

「お前が抜けたから、結構大変だったんだぜ」
「で、どうだったんだ? そのビョウインってやつは?」
「悪くなかったよ。思う存分寝てきてやった。ベッド柔らかかったぜ」

 マジかよ!うらやましい!そんな言葉が労働者の口からあちこちで湧き上がる。どうやら今日の仕事は午後かららしい。休んでいたはずの野次馬達が次々と集まっており、いつの間にか共有スペースは集会場のようになっていた。

「俺達はてっきり死んだと思ってたよ。倒れたきり動かなかったから」
「悪かったよ。これからその分働くから」
「そうだな。お前にはウンと働いてもらわにゃならん」

 重く厳しい声がユウキの頭の上から聞こえた。ふと顔をあげると、そこには労働者階級の仕事を管理しているはずのシュウゾウが厳つい顔をして立っていた。この寮の管理者であり、労働者全体の仕事を振る責任者。年寄りのはずなのに、そうとは見えない鋭い眼光。さっきまで騒がしかった部屋が一気に静まる。皆が皆シュウゾウを見ていた。いや、見ざるをえなかった。シュウゾウはこのような騒がしい場所に自ら現れたりしない。言うなれば、皆が皆、その異常事態に目を見張るほかなかった。泣きじゃくっていたラスカですらシュウゾウを見ている。皆の注目の中、シュウゾウは傷だらけの手に持っていた1枚の封筒をユウキに突きつけた。それには「中央管理局」と判を押されている。

「これは……?」
「中央局からの伝達だ。」
「は?」
「首脳地区で蘇生措置を受けたらしいな。お前、一度死んだろ」

 周囲がざわつく。ユウキはややこしくなるからと、病院での経緯を一切語らなかった。聞かれるたびにその質問をことごとく避けてきた。そのツケがたった今、最悪のタイミングで回ってきたのだ。他の労働者たちもざわめき始める。この国じゃ人の死なんて紙のように軽く、簡単に覆せる。当人と近親者が望めば、いつまでも人生を続けられる。しかし労働者は話が違う。生死さえ簡単に覆せる、ということは、ここにいる人間は皆代わりが効くということだ。吹けば飛んでしまうビニールのような命、動かなくなったら変えればいい。だから、労働者が蘇生措置を受ける、というおそらくこのデクトリアが開かれて以来の珍事に、この場にいる誰もが驚いた。ユウキはなんとか誤魔化そうとしたが、皆の前にありありと見せつけられたどうしようもない事実とシュウゾウの圧に負け、首を渋々縦に振った。

「いくらお前が若造とはいえ、労働者に蘇生措置がされるなんてことは初めてだ。今の神様は何考えてるかわからん」

シュウゾウはため息混じりにそう答えた。

「別にお前が死のうがわしには関係ない。だがな、階級的には関係大ありだ。わしらに治療代の請求が来た。こいつには親がいないからな。だから請求金はこの寮の労働者たちで負担することになる。お前らにはしばらくいつも以上に働いてもらわにゃならんな。」

 周囲の空気が凍りつく。嫌な予感がする。この場にいる誰もが、シュウゾウの、次に来るであろう言葉を予期し、落胆し、皆が皆、その言葉が出ないよう祈るのみだった。どうか来週からであってくれ。しかしその祈りは届かない。

「お前ら、凹んどる暇はないぞ。此奴の治療費が出せるまで、しばらく休憩時間を削る。今日からな」

 最悪だと全員が落胆の声をあげるも、シュウゾウは一切気に留めない。ほれ、と全員に自室に戻るよう手で促した。皆、これが冗談ではないと彼の表情から察すると、渋々と寮から出ていく。彼等の背中には、ユウキの帰還を喜んだ活気はもう無かった。

 誰もいなくなり、ユウキもラスカも渋々と準備を始めると、シュウゾウはそれに気づきこう言った。

「ユウキ、お前は1週間寮から出るな。療養してろ」
「は? なんでだよ!」
「病み上がりだろ。今は元気があっても、ぶり返されたらたまらん」
「つってももうだいぶ動けるぜ。それに、治療費がかさんでるんだろ」
「お前が1週間、みっちり働いてどうこう出来る額じゃない。黙って寝てろ」
「だけど……」
「あの……」

ラスカが口を挟む。

「もし、本当に蘇生措置を受けたのなら、ユウキの体は怪我する前の、綺麗な体になっているはずです。蘇生措置は全身の負担を軽減するために、一度全ての細胞を健康な状態にします。健康にしてから、蘇生を図るんです。だから……」
「だから、すぐに働けると?」

 シュウゾウがラスカの言葉を遮る。シュウゾウに対してラスカが意見したのはこれが初めてだった。確かに、ラスカはこの国の機械のことに詳しく、ある程度信頼している。楽園墜ちを経験する前に、そう教えられているのだろう。ましてや、今やラスカにとってこの国の機械は死んだはずの、であり、その信頼は最高潮に達していた。ラスカはシュウゾウの威厳に負けそうになるも、本人の信念に従って、こくりと頷いた。シュウゾウはじっくりと怯えながらも信念を貫いたラスカをじっくりと見ると、やがて諦めがついたかのように話し出した。

「……お前が頭いいのはわかっとる。だがな、わしは70年生きているが、未だにここの機械を信じきれん。だから、お前のように盲目になれん」
「そんな……。」
「それにお前、昨日まで泣きじゃくっていたじゃないか。それだけこいつのこと心配してたんじゃないのか?」
「それはそうです! だから……」
「じゃあ、お前、昨日までべそかいてまで心配していたユウキに、また無理して貰いたいのか?」

ラスカは閉口した。きっと一緒に仕事ができないことばかりを心配して、また一緒に働くことばかりを考えていたらしい。しかしシュウゾウの一言に何か気づかされたようだ、しばらく考え込んだあと、やはり無理はしてほしくないのだろう、首を振った。

「お前にとってユウキが大切なことは分かる。でもな、お前ほどワシは機械を信頼できん。奴らが何かコイツに仕込んだんじゃないかと考えてしまう」

 古い人間らしい価値観だ。機械は俺たちを監視するスパイだと考えて疑わない。以前寮に自走式の掃除機が配備されたことがあった。しかし、この国の首脳達がこんな親切はしない。つまりこれで俺たちを監視するのだと言い切り、罰則があるにも関わらず、全て壊してしまった。機械相手にはユウキたち以上に厳しい。

「だから、この1週間コイツを見張っててくれんか?わしにはそれができん」

 ラスカは顔を明るくし、年相応の元気な返事をして了承した。全く、機械や俺たちには厳しいのに若いラスカには甘いじいさんだ。ユウキはシュウゾウに対する愚痴が喉まで出かかった。出ていたらおそらく3発ほど拳骨をくらっていただろう。そんな内心の愚痴をよそに、シュウゾウはゆっくりと自分の持ち場に戻っていった。

「全く、あのじいさん、お前にだけはほんとに甘いな」

 完全に姿が見えなくなったところでユウキはそうつぶやいた。当の本人は、そう?とキョトンとしている。彼のほおに涙の跡が見えた。心なしか、やつれているようにも見える。おそらく、本当に心配して、何も喉を通らなかったのだろう。1週間、泣きじゃくって、何も食べなかったと同じ寮の労働者から聞いていたが、そこにいるラスカの顔つきを見ると、どうやらそれは本当の事らしかった。しかしなぜこいつはこんな俺を気にかけてくれるのか。思えば倒れた時も真っ先に駆け寄ってきたのはラスカだった。

 こんな俺ににここまで懐いてくれるのは、きっと同室だからだろう。ひとまずユウキは、この考えをもって頭に浮かんだ疑問を結論付けることにした。

「ねぇねぇ!そんなことより、蘇生措置ってどんな感じだった?」
「絶対聞いてくると思った」
「だって気になるんだもん。どんな感じだったの?」
「どうとも言えないな。実際死んでたし」
「何も感じなかったの?」
「何も」
「なんだ、つまんない。じゃあ、神様もきっと見なかったんだね」

 神様、その言葉を聞いた時、ある女を思い出した。病室に勝手にやってきて、綺麗事だけをのたまう、世間知らずな、自分自身を「マキナ」と名乗る女を。

「……いや」

 そうつぶやいていた。つぶやいてから自分のしたことを思い出し、後悔した。あいつはそう名乗っただけだ。確信なんてない。何も確証がないのに、あの世間知らずを神様に祭り上げるわけにはいかない。俺が会ったのは変人だ。ユウキの中でそう結論づけただけなのに、神様という言葉だけでそう思い出してしまった。そして何より、ラスカの前で神様を見たと肯定してしまった。しまった。つぶやいてから後悔した。ラスカは神様を信じてる。しかも、自分が戻ってきたという事実も上乗せされて、いつも以上に敬虔に。これから先1週間は質問攻めになるに違いない。

「待った!さっきのは……」
「会ったの!!?」

 ラスカはやはりユウキそのものに食らいつかんばかりに、質問に食いついた。涙で腫れた目が爛々と輝いている。言わなきゃ良かった。ユウキは心底後悔した。そう後悔してももう遅く、ラスカの怒涛の質問攻めが始まった。ユウキの知る神様がどんなものなのかを徹底的に知ろうと、どこで会ったのか、どんな見た目だったか、歳は幾つぐらいだったのか、答えも言っていないのに次々と聞いてくる。こうなっては仕方ない、答える以外逃げられないと、ユウキは腹を括ってそのときの印象を答えていった。

「きっと綺麗な人だろうなぁ!」

 しかしひとしきり答え終わると、ラスカはうっとりとした表情でそう溢した。おいおい、随分と印象が違うじゃないか、俺はあの、「世間知らず」で、「綺麗事だらけの」「変な女」のことを言ったつもりだが、ラスカは「無垢で」、「世界が変わるのを心から信じてる」「神様」だと捉え、いきなり病室に現れたという出会いを感動的な出会いのように感じている。憧れとは、こうも事実を歪めてしまうのか。純粋さが目に染みる。

 ラスカの質問攻めはまだまだ続き、一晩中続いた。ラスカが我に帰った時には、もう次の朝の起床チャイムが鳴り響いていた。
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