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第20話 歯車は止まらない
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二人の世界に突如割り込んできた、文字通りの横槍。
ユウキとラスカの元に突如現れた、ロムル。
世界の命運を分ける三人が、この「箱」にそろった。
-3069.12.31 23:55-
歯車は止まらない。世界の命運は動き出す。
想定外の来客で、マキナは恐怖心に捕らわれた。直接受けていないはずなのに古傷が疼き出す。喚起された苦しみの記憶は、与えられた痛みの再現を始めてしまっていた。腕が鈍く痛い、頬が鈍く痛い。怖い。痛い。怖い。眼前の恐怖に、マキナは震え始めていた。
ユウキは理解する。ここまでマキナが縮こまってしまったのはコイツのせいだ。マキナを含め、俺たちから希望を奪っていたのはコイツだったんだ。先ほどは忘れていた心の火が、大きな噴炎となって、傲慢な総督に向けて燃え上がる。
「お前っ……」
一歩、また一歩と歩くロムルに向けて、走り出していた。しかし、突如として圧倒的質量に押しつぶされる。
「そのまま押さえつけておけ」
最初はなにが起こったのか理解できなかったが、ロムルが頭脳部を動かして、巨大なアームで押さえつけられていることを理解した。ロムルがマキナと同じ権限を持っているということは本当だったようだ。人に押さえつけられているのなら、まだ幾ばくか体をよじる余裕がある。しかしさすがは機械の神様、その巨腕はどんな屈強な男よりずっと雄々しく、頑強だった。
ロムルは、そこに這いつくばるユウキなんかに目もくれずに、マキナの元にやってきた。一歩近づくたびに古傷が痛む。恐怖がよみがえる。目の前に立ったとき、その怯えは極地に達し、マキナは何も言えなくなっていた。
「忘れたのか? もはやお前はデウス=エクス=マキナではない。私とお前、二人そろってデウス=エクス=マキナなのだ。だから、お前がどう動こうと、私の目をごまかす事は出来ない。司令部の不審な動きから、こうなるだろうとは思っていたよ」
それは私が指示したわけでは無い。そうマキナの口から出かかったが、眼前の恐怖に呑まれ、言葉が出てこなかった。
「その傷を、私がしてやった教育を忘れたわけではあるまいな。お前は私の道具だ。私の永遠の安寧を約束する機械だ。意思を持ってはならない。自分で行動してはならない。ただ私の言う事を聞いていればそれでいいんだ。それがお前の役割だ。分かっているよな」
その言葉と共に、ロムルはマキナの顎に手を添える。静かに、荘厳に。マキナはされるがままだ。ただ黙ってその手に従うように、頬を差し出すと、鈍い音と共にマキナは横に倒された。マキナにとってはただのいつもの事。いつもの事のはずなのに、今日はなぜだか耐えがたい。頭を巡らすと、理由はユウキにあると分かった。ユウキが見ているからだ。自分のこの情けない、機械仕掛けの姿を見られたくなかったのだ。
その光景はユウキにも耐えがたかった。昔、シュウゾウから「どんなに自分がつらくとも、女に手を上げてはならない」と教わったことがある。どんなにつらくとも、それをするのは卑怯者だと。目の前の総督の姿はまさに卑怯者。満たされていながらも、まだなお求めようとする、傲慢そのものだった。
その傲慢さが故に労働者を見下し、マキナすら見下げる。年端もいかない少女を利用し、その意思をこれっぽっちも尊重しない。ユウキはその振る舞いを許せなかった。
「俺たちがこうやって生きていかなきゃ行けなかったのも、全部お前の為だってのかよ……」
先ほどから心に灯った火が、いつしか業火となって燃えさかっていた。すべて自分の貯めに、都合良く操る目の前の人間を許せなかった。
「お前の為に、俺たちの仲間は死んでいかなきゃ行けなかったのかよ!!」
「私を誰だと思っている!! ここを何処だと思っている!! 私はロムル=デクトル。先の戦争で成果を出し、この国を管理するにふさわしいデクトル家の主人だぞ!」
「だから何だって言うんだよ! ここがお前の国? 俺たちが希望すら持っちゃ行けない理由になっていないだろ!!」
「お前達の出生を思い出せ! 親は居たか? 罪はなにも犯していないか? 労働者は人間ですら無い! 罪を犯した獣だ! 獣になぜ、配慮をせねばならない!! ここはデクトリア! 私の国だ! そんな汚物が存在できるだけ慈悲深いと思え!!」
「俺たちだって生きている……。 お前と同じだ!!」
空気が一瞬凍り付く。
「そこに居るマキナだって生きている。 俺たち人間のように、意思がある。それを奪えるほど、お前は偉くない。同じ人間の夢や希望、意思すら奪えるほど、お前は偉いのか?」
ロムルの拳は硬く握られて、わなわなと震えだしている。
「デクトル家が成果を出した。だがそれはお前じゃないだろ!! ただの先祖の昔話だ!」
何も言い返せないのか、何も言ってこないだけか、これを勝機とみたユウキは、とどめとばかりに禁句をぶつけた。
「お前はただ、ふんぞり返っているだけのただの人間だ!!! 俺たちの希望を奪う権利は何処にも無い!!」
さらに深く息を吸い込んで、ダメ押しにもう一言言ってやる。俺の心が、そうしろと主張している。
「もう一度言ってやろうか! お前は俺と同じ人間だ! 神でも何でも無い、俺たちよりも卑怯で、縋る力が無ければ何も無い、情けない人間だろ!!!」
……。
しばしの沈黙。聞こえるのは肩で息をする音だけで、しかしユウキの言い切った言葉だけが反響しているようだった。しかしその言葉は誰もが言ってこなかった真実、いや、誰もが言う事を許されなかった真実だった。ロムルは何もしていない。生まれついたときから全てを持っていた。金、権利、力、女……。そして機械仕掛けの女神様。それらを持ってしても自分を満たせなかった。その満たされなさから暴走し、いつしか独裁に走っていた。それを、見下していた労働者に言われる。なんの言い逃れも出来ない。それが堪らなく屈辱だった。
「目障りで耳障りだ。頭脳部押しつぶせ」
それなら、虫けらのように潰してしまえば良い。そう思い、指示を出す。しかし……
――指示を拒絶。私には、人間を殺す事が出来ないようプログラムされています。この判断を実行したい場合は……
「ええいうるさい!! この小娘と共に決断しなければならないのだろう!」
全てを踏み荒らすような荒々しい足取りで、倒れ込むマキナの元に近づき、胸ぐらをつかんで起こさせる。そして、叫んだ。
「デウスエクス=マキナ! あの男を殺せ! お前はこの国の神だ! 私の道具だ!! この国のために、あの男を殺せ!」
怒りの顔が、激しく飛び出す唾がマキナの心身に襲いかかり、自分が道具であると否応なしに主張し出す。目を背けたいが、背けられない。意思を持ちたいが、持つことが出来ない。体が震える。あの目を背けたい毎日が、あの日見た労働者達の姿を上書きするように、次々にフラッシュバックする。従わなければ。そう思い、立ち上がり、ふらふらと自分の席に向かって行く。従わなければ、私は私では居られない。
「それでいいのかよ……」
いい。というか、それ以外は選択してはならないんだ。右足を一歩踏み込む。
「お前のやりたいことって何なんだよ。そんなヤツの言う事を聞くことが、お前のやりたいことなのか?」
私の恐怖を知らないからそんなことが言えるんだ。左足がもう一歩踏み込む。
「機械仕掛けで悔しくねぇのかよ」
悔しい。でもそうしなきゃ、生きられない。戻らないように歩みを進める。
「殺したく無かったんだろ? ラスカを、俺たちを。違うのか!?」
違わない。でも、そうしなきゃ、私は神様じゃいられない。
「お前だって人間だろ!!」
その一言が、マキナの歩みを止めた。ユウキの声で我に返る。先ほどまで怒りに染まった目が、今度は優しさを携えて自分の方に向いている。人間らしい目だ。生気があり、暖かい。かつて、そのような目を向けられたことは無かった。自分を畏敬の対象として見る目では無く、気に掛けてくれるような目。マキナの心の欠けていた部分に、ぴったりに収まる。
「神様はお前じゃない。そんな目の前にある鉄くずなんかじゃない! 本当の神様は、お前の胸の中にいる。俺たちの中に居るんだよ!! お前が本当にやりたいこと、それをやれば良いんだよ。」
ユウキの言葉が、心が、自分を取り巻く影を吹き飛ばす。自分らしく生きていい。そう言われたことはこれまでに一度も無かった。生まれてから、神様として生きることを強制され、ただ言う事だけを聞いていれば、それだけで大正解だった。でも、それは機械仕掛けだと目の前にいるユウキに教えられた。そうだ、人間らしく……
「意思などを持って何になる! デウス=エクス=マキナ! 忘れたか!? 私が施してやったあの日々を! 私が居なきゃお前は存在すら出来なかった! 生まれ持ってして人間には役割がある!! それを果たすのがお前の責務だろ!!!」
ロムルの言葉が、自分を道具に引き下げる。ユウキの心の言葉と、ロムルの恐怖の言葉が釣り合ってしまった。人間らしくありたいのに、神様らしくなきゃいけない。これ以上希望を奪いたくないのに、奪わなければいけない。いつもこういうときは、デウスが助けてくれていたっけ。しかし頼ろうにも、今は神様らしく居ることを薦められるだろう。
――それは常に合理的な理由とは限りません。「貴方が正しいと思ったことを実行しなさい」を提言します。
あの時のデウスはこう言ってくれた。でも今は言ってくれないだろうな。本当に、自分で判断しなきゃいけないんだ。
「デウス=エクス=マキナ!!」
「マキナ!!!」
二人の声が同時に耳に届く。音の震動としては同時に届いたはずだ。しかし、届いたのは……
「機械仕掛けの女神様お願い。私のために……」
私らしく生きて良いんだ。心臓部としてではなく、マキナとして、一人の人間として。これまでひた隠しにしていた自分の望みを押さえなくて良いんだ。そう心に決めて、そして、叫んだ。
「この世界を全て壊して!」
それは、誰も望んでいない、世界終焉を望む言葉だった。そして、誰よりも狼狽えたのは、ロムルだった。
「貴様、よくも……!」
「こんな世界いらない。人が自由でいられない世界なんて! 人がのさばれる世界なんて! どんなに小さな希望も夢も認められない世界なんて、私が私で居られない世界なんて!! こんな世界正しいとは思えない!」
「私はあの日、人間の健気さを見た。夢の輝き、希望の光。そのどれもが美しく、綺麗だった。でも、神様として生きるには、それを全て奪わなければいけない。奪って、奪って、それを全て偽りの幸せに還元しなければいけない。そんなの嫌だ。嫌なの!! だから全て壊れてしまえば良い!! 全て壊れて、一から直してしまえば良い!! それが私の、神様として出来る最後の事!!」
――決断を承認。コード:アポカリプス起動。この世界を全て、破壊します。
異様な地響きがなり出す。それは、世界終焉の響きだ。頭脳部の映し出す世界各地の監視カメラの映像では、これまでに培ってきた一般階級の暮らしが崩れ去る光景が映っている。世界終焉というのに、デウス=エクス=マキナから流れるサイレンは嫌に穏やかで、それが世界の終わりだと思えなかった。
ロムルは何かわめいて止めにかかったが、ユウキを押さえていた巨腕に押しつぶされ、やがて床のシミに変貌した。まだ地響きは続いている。カメラはまだ一般階級を写している。青々と植えられていた観賞植物が燃えさかり、人々を狂乱させている。工場は火を噴いて、各地で爆発を起こしているようだ。
サイレンがもう二度鳴った。居住区に流れていた水がいつしか蒸発したようで、ただの溝に成り果てていたのがカメラに写っている。やがて煌々と照っていた街灯や照明が次々に割れ、やがて画面には何も映らなくなった。
震動は止まない。今だ震え続けている。それで脳に異常を来してしまったのか、視界の端が徐々に黒くなっていく。「箱」の壁のような、黒と緑の世界。床が徐々に呑まれていき、やがてその世界だけになる。ユウキに見えているのは、満足そうな顔をしたマキナのみ、画面があったはずの方向を向いて、少し微笑んでいる。それは紛れもない、人間の笑い方だ。無機質ではない、心のある人間の笑い方だ。
その姿を見て安心したのか、ユウキに眠気が襲いかかる。急激に体が重たくなり、立ち上がれなくなった。ここで寝たらおそらく瓦礫に潰されるだろう。しかしそんなことはどうでも良かった。今はただ、自分の心に従った事が報われたことが何よりも嬉しかった。そしてそれを証明するように、マキナが微笑んでくれている。その笑顔に満たされ、心に何か宿った。いつの間にか、彼女はこちらを向いて、何かを言っている。つんざくような耳鳴りが邪魔をして何も聞こえなかったが、もうこれでいいか。恐ろしかった震動もやがて心地よくなっていき、そしてまどろんだ。こうして二人は共に、真っ黒な世界に落ちていった。
ユウキとラスカの元に突如現れた、ロムル。
世界の命運を分ける三人が、この「箱」にそろった。
-3069.12.31 23:55-
歯車は止まらない。世界の命運は動き出す。
想定外の来客で、マキナは恐怖心に捕らわれた。直接受けていないはずなのに古傷が疼き出す。喚起された苦しみの記憶は、与えられた痛みの再現を始めてしまっていた。腕が鈍く痛い、頬が鈍く痛い。怖い。痛い。怖い。眼前の恐怖に、マキナは震え始めていた。
ユウキは理解する。ここまでマキナが縮こまってしまったのはコイツのせいだ。マキナを含め、俺たちから希望を奪っていたのはコイツだったんだ。先ほどは忘れていた心の火が、大きな噴炎となって、傲慢な総督に向けて燃え上がる。
「お前っ……」
一歩、また一歩と歩くロムルに向けて、走り出していた。しかし、突如として圧倒的質量に押しつぶされる。
「そのまま押さえつけておけ」
最初はなにが起こったのか理解できなかったが、ロムルが頭脳部を動かして、巨大なアームで押さえつけられていることを理解した。ロムルがマキナと同じ権限を持っているということは本当だったようだ。人に押さえつけられているのなら、まだ幾ばくか体をよじる余裕がある。しかしさすがは機械の神様、その巨腕はどんな屈強な男よりずっと雄々しく、頑強だった。
ロムルは、そこに這いつくばるユウキなんかに目もくれずに、マキナの元にやってきた。一歩近づくたびに古傷が痛む。恐怖がよみがえる。目の前に立ったとき、その怯えは極地に達し、マキナは何も言えなくなっていた。
「忘れたのか? もはやお前はデウス=エクス=マキナではない。私とお前、二人そろってデウス=エクス=マキナなのだ。だから、お前がどう動こうと、私の目をごまかす事は出来ない。司令部の不審な動きから、こうなるだろうとは思っていたよ」
それは私が指示したわけでは無い。そうマキナの口から出かかったが、眼前の恐怖に呑まれ、言葉が出てこなかった。
「その傷を、私がしてやった教育を忘れたわけではあるまいな。お前は私の道具だ。私の永遠の安寧を約束する機械だ。意思を持ってはならない。自分で行動してはならない。ただ私の言う事を聞いていればそれでいいんだ。それがお前の役割だ。分かっているよな」
その言葉と共に、ロムルはマキナの顎に手を添える。静かに、荘厳に。マキナはされるがままだ。ただ黙ってその手に従うように、頬を差し出すと、鈍い音と共にマキナは横に倒された。マキナにとってはただのいつもの事。いつもの事のはずなのに、今日はなぜだか耐えがたい。頭を巡らすと、理由はユウキにあると分かった。ユウキが見ているからだ。自分のこの情けない、機械仕掛けの姿を見られたくなかったのだ。
その光景はユウキにも耐えがたかった。昔、シュウゾウから「どんなに自分がつらくとも、女に手を上げてはならない」と教わったことがある。どんなにつらくとも、それをするのは卑怯者だと。目の前の総督の姿はまさに卑怯者。満たされていながらも、まだなお求めようとする、傲慢そのものだった。
その傲慢さが故に労働者を見下し、マキナすら見下げる。年端もいかない少女を利用し、その意思をこれっぽっちも尊重しない。ユウキはその振る舞いを許せなかった。
「俺たちがこうやって生きていかなきゃ行けなかったのも、全部お前の為だってのかよ……」
先ほどから心に灯った火が、いつしか業火となって燃えさかっていた。すべて自分の貯めに、都合良く操る目の前の人間を許せなかった。
「お前の為に、俺たちの仲間は死んでいかなきゃ行けなかったのかよ!!」
「私を誰だと思っている!! ここを何処だと思っている!! 私はロムル=デクトル。先の戦争で成果を出し、この国を管理するにふさわしいデクトル家の主人だぞ!」
「だから何だって言うんだよ! ここがお前の国? 俺たちが希望すら持っちゃ行けない理由になっていないだろ!!」
「お前達の出生を思い出せ! 親は居たか? 罪はなにも犯していないか? 労働者は人間ですら無い! 罪を犯した獣だ! 獣になぜ、配慮をせねばならない!! ここはデクトリア! 私の国だ! そんな汚物が存在できるだけ慈悲深いと思え!!」
「俺たちだって生きている……。 お前と同じだ!!」
空気が一瞬凍り付く。
「そこに居るマキナだって生きている。 俺たち人間のように、意思がある。それを奪えるほど、お前は偉くない。同じ人間の夢や希望、意思すら奪えるほど、お前は偉いのか?」
ロムルの拳は硬く握られて、わなわなと震えだしている。
「デクトル家が成果を出した。だがそれはお前じゃないだろ!! ただの先祖の昔話だ!」
何も言い返せないのか、何も言ってこないだけか、これを勝機とみたユウキは、とどめとばかりに禁句をぶつけた。
「お前はただ、ふんぞり返っているだけのただの人間だ!!! 俺たちの希望を奪う権利は何処にも無い!!」
さらに深く息を吸い込んで、ダメ押しにもう一言言ってやる。俺の心が、そうしろと主張している。
「もう一度言ってやろうか! お前は俺と同じ人間だ! 神でも何でも無い、俺たちよりも卑怯で、縋る力が無ければ何も無い、情けない人間だろ!!!」
……。
しばしの沈黙。聞こえるのは肩で息をする音だけで、しかしユウキの言い切った言葉だけが反響しているようだった。しかしその言葉は誰もが言ってこなかった真実、いや、誰もが言う事を許されなかった真実だった。ロムルは何もしていない。生まれついたときから全てを持っていた。金、権利、力、女……。そして機械仕掛けの女神様。それらを持ってしても自分を満たせなかった。その満たされなさから暴走し、いつしか独裁に走っていた。それを、見下していた労働者に言われる。なんの言い逃れも出来ない。それが堪らなく屈辱だった。
「目障りで耳障りだ。頭脳部押しつぶせ」
それなら、虫けらのように潰してしまえば良い。そう思い、指示を出す。しかし……
――指示を拒絶。私には、人間を殺す事が出来ないようプログラムされています。この判断を実行したい場合は……
「ええいうるさい!! この小娘と共に決断しなければならないのだろう!」
全てを踏み荒らすような荒々しい足取りで、倒れ込むマキナの元に近づき、胸ぐらをつかんで起こさせる。そして、叫んだ。
「デウスエクス=マキナ! あの男を殺せ! お前はこの国の神だ! 私の道具だ!! この国のために、あの男を殺せ!」
怒りの顔が、激しく飛び出す唾がマキナの心身に襲いかかり、自分が道具であると否応なしに主張し出す。目を背けたいが、背けられない。意思を持ちたいが、持つことが出来ない。体が震える。あの目を背けたい毎日が、あの日見た労働者達の姿を上書きするように、次々にフラッシュバックする。従わなければ。そう思い、立ち上がり、ふらふらと自分の席に向かって行く。従わなければ、私は私では居られない。
「それでいいのかよ……」
いい。というか、それ以外は選択してはならないんだ。右足を一歩踏み込む。
「お前のやりたいことって何なんだよ。そんなヤツの言う事を聞くことが、お前のやりたいことなのか?」
私の恐怖を知らないからそんなことが言えるんだ。左足がもう一歩踏み込む。
「機械仕掛けで悔しくねぇのかよ」
悔しい。でもそうしなきゃ、生きられない。戻らないように歩みを進める。
「殺したく無かったんだろ? ラスカを、俺たちを。違うのか!?」
違わない。でも、そうしなきゃ、私は神様じゃいられない。
「お前だって人間だろ!!」
その一言が、マキナの歩みを止めた。ユウキの声で我に返る。先ほどまで怒りに染まった目が、今度は優しさを携えて自分の方に向いている。人間らしい目だ。生気があり、暖かい。かつて、そのような目を向けられたことは無かった。自分を畏敬の対象として見る目では無く、気に掛けてくれるような目。マキナの心の欠けていた部分に、ぴったりに収まる。
「神様はお前じゃない。そんな目の前にある鉄くずなんかじゃない! 本当の神様は、お前の胸の中にいる。俺たちの中に居るんだよ!! お前が本当にやりたいこと、それをやれば良いんだよ。」
ユウキの言葉が、心が、自分を取り巻く影を吹き飛ばす。自分らしく生きていい。そう言われたことはこれまでに一度も無かった。生まれてから、神様として生きることを強制され、ただ言う事だけを聞いていれば、それだけで大正解だった。でも、それは機械仕掛けだと目の前にいるユウキに教えられた。そうだ、人間らしく……
「意思などを持って何になる! デウス=エクス=マキナ! 忘れたか!? 私が施してやったあの日々を! 私が居なきゃお前は存在すら出来なかった! 生まれ持ってして人間には役割がある!! それを果たすのがお前の責務だろ!!!」
ロムルの言葉が、自分を道具に引き下げる。ユウキの心の言葉と、ロムルの恐怖の言葉が釣り合ってしまった。人間らしくありたいのに、神様らしくなきゃいけない。これ以上希望を奪いたくないのに、奪わなければいけない。いつもこういうときは、デウスが助けてくれていたっけ。しかし頼ろうにも、今は神様らしく居ることを薦められるだろう。
――それは常に合理的な理由とは限りません。「貴方が正しいと思ったことを実行しなさい」を提言します。
あの時のデウスはこう言ってくれた。でも今は言ってくれないだろうな。本当に、自分で判断しなきゃいけないんだ。
「デウス=エクス=マキナ!!」
「マキナ!!!」
二人の声が同時に耳に届く。音の震動としては同時に届いたはずだ。しかし、届いたのは……
「機械仕掛けの女神様お願い。私のために……」
私らしく生きて良いんだ。心臓部としてではなく、マキナとして、一人の人間として。これまでひた隠しにしていた自分の望みを押さえなくて良いんだ。そう心に決めて、そして、叫んだ。
「この世界を全て壊して!」
それは、誰も望んでいない、世界終焉を望む言葉だった。そして、誰よりも狼狽えたのは、ロムルだった。
「貴様、よくも……!」
「こんな世界いらない。人が自由でいられない世界なんて! 人がのさばれる世界なんて! どんなに小さな希望も夢も認められない世界なんて、私が私で居られない世界なんて!! こんな世界正しいとは思えない!」
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――決断を承認。コード:アポカリプス起動。この世界を全て、破壊します。
異様な地響きがなり出す。それは、世界終焉の響きだ。頭脳部の映し出す世界各地の監視カメラの映像では、これまでに培ってきた一般階級の暮らしが崩れ去る光景が映っている。世界終焉というのに、デウス=エクス=マキナから流れるサイレンは嫌に穏やかで、それが世界の終わりだと思えなかった。
ロムルは何かわめいて止めにかかったが、ユウキを押さえていた巨腕に押しつぶされ、やがて床のシミに変貌した。まだ地響きは続いている。カメラはまだ一般階級を写している。青々と植えられていた観賞植物が燃えさかり、人々を狂乱させている。工場は火を噴いて、各地で爆発を起こしているようだ。
サイレンがもう二度鳴った。居住区に流れていた水がいつしか蒸発したようで、ただの溝に成り果てていたのがカメラに写っている。やがて煌々と照っていた街灯や照明が次々に割れ、やがて画面には何も映らなくなった。
震動は止まない。今だ震え続けている。それで脳に異常を来してしまったのか、視界の端が徐々に黒くなっていく。「箱」の壁のような、黒と緑の世界。床が徐々に呑まれていき、やがてその世界だけになる。ユウキに見えているのは、満足そうな顔をしたマキナのみ、画面があったはずの方向を向いて、少し微笑んでいる。それは紛れもない、人間の笑い方だ。無機質ではない、心のある人間の笑い方だ。
その姿を見て安心したのか、ユウキに眠気が襲いかかる。急激に体が重たくなり、立ち上がれなくなった。ここで寝たらおそらく瓦礫に潰されるだろう。しかしそんなことはどうでも良かった。今はただ、自分の心に従った事が報われたことが何よりも嬉しかった。そしてそれを証明するように、マキナが微笑んでくれている。その笑顔に満たされ、心に何か宿った。いつの間にか、彼女はこちらを向いて、何かを言っている。つんざくような耳鳴りが邪魔をして何も聞こえなかったが、もうこれでいいか。恐ろしかった震動もやがて心地よくなっていき、そしてまどろんだ。こうして二人は共に、真っ黒な世界に落ちていった。
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