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九夜目・長男は何処に 其の一
しおりを挟む「くいなに、また美術室出入り禁止を言い渡された……」
僕がしおしおとベンチに崩れ落ちたのは、昼休み、ひたき兄さんを昼食に誘ったときのことだった。
いっそ溜息が出るほど穏やかな陽気の昼下がり。ここ数日ずっと雨続きだったせいか、久々のお天気に浮かれて、生徒達が中庭に集まっては昼食を広げる。そんな青空ランチに便乗して、僕もひたき兄さんと外でご飯を食べることにしたのだが、気分は天気に反してどんよりとしていた。
「つぐみ……さては、また構いすぎでくいなを怒らせたな……?」
僕の隣に腰を下ろして、ひたき兄さんが苦笑いする。ベタベタしすぎなんだと彼は注意してきたが、僕は頬を膨らませて反論した。
「だって、僕からしたら唯一の弟なんだよ? 可愛くて仕方がないに決まってるじゃないか」
「だからって、まるで子供みたいに可愛がるのはどうかと思うよ。くいな、いつも死んだ目で撫でられてるから……」
「愛が溢れてやまないからどうしようもないね。ひたき兄さんはいいよ、くいなに懐かれているから」
「僕はつぐみと違って、過剰に構いすぎたりしないからね」
小気味いい音を立ててプルタブを開けると、ひたき兄さんはカフェオレで喉を潤す。上下する喉仏をぼんやりと眺めながら、僕は深く溜息をついた。
「兄さんもそうだけど、つぐみは少し弟離れしたほうがいい」
「それ、ひたき兄さんが言う? 僕、覚えてるんだからね。子供時代、僕とくいなが虐められたらすーぐあとり兄さんと一緒に報復しに行ってたのはどなたでしたっけ?」
昼食用のカレーパンを取り出しながら告げれば、痛いところを突かれたと苦い顔をされる。
「あ、あれは若気の至りというか……!」
「ふーん、若気の至りね。イジメっ子が泣くくらいえげつなーい仕返ししてたくせに。そもそも、あとり兄さんとひたき兄さんが悪ガキで目立ちすぎるから、その弟である僕達が目をつけられてたんだけどなー」
「そ、それは……! 悪いとは思ってるけど……」
情けないほどオロオロする兄を見て、僕は内心舌を出す。ひたき兄さんにとって幼少期のことは黒歴史なのだ。
でも、ひたき兄さんがあまりにしょげだしたので、少し虐めすぎてしまったかもしれないと思い直す。仕方ないので撤回してやろうとした僕は、ふとこちらに走ってくる生徒に気付いて目を瞬かせた。
「……うん? なんだろう」
僕の呟きに、ひたき兄さんも振り向いて生徒の存在に気付く。その女子生徒は息を切らせながら、間違いなく僕達に向かって走ってきていたのだ。
「どうしたの、そんなに慌てて! 僕達になにか用!?」
遠くから声を張り上げて尋ねれば、彼女はぜえぜえと息を吐き出しながら叫び返す。
「ひたき先生、つぐみ先生! 大変! くいな先生が!!」
その名前に僕達は顔を見合わせ、昼食を放って大慌てで駆け出すのだった。
「あのさ。僕は抱き枕でも安心毛布でもないんだよ」
声にドスを利かせ、心底不愉快そうにくいなは唸る。
彼が激怒しているのは理解しつつも、僕は笑いをこらえるので必死になり、ひたき兄さんは呆れ顔になる。何故ならそう、不憫な末弟は長男に抱きかかえられ、抱き枕扱いされてしまっていたのだ。
現在の場所は保健室。ここは生徒達の療養の場であり、僕達四つ子の長男が勤務する場でもある。どうやらくいなはあとり兄さんの様子を見に保健室を訪ねた結果、ソファーで寝ていた彼に引きずり込まれたようだった。
「あとり先生、全然起きてくれないの。くいな先生は動けないみたいだし、私の力じゃ引き剥がせなくて……」
僕達に助けを求めてくれた女子生徒が、申し訳なさそうに眉を下げる。君が落ち込むことはないと声をかけつつ、くいなの機嫌は相変わらず悪そうだった。
「あとり兄さん、起きて。いい加減放してくれないかな」
くいなは抵抗を試みるが、あとり兄さんはむにゃむにゃと言いながらさらに抱き締めてくる。そのまま気持ちよさそうにすぴすぴと眠り続けるものだから、可哀想に、くいなの目からは段々と生気が失われていった。
「あはは。あとり兄さんってば、本当に寝坊助だなぁ」
「笑ってる場合じゃないよ。もう三十分はこのままなんだから。さすがに苦しい」
「まあまあ、たまにはいいんじゃないの? 最近疲れがたまってるみたいだし、このまま昼休みが終わるまで一緒に寝ちゃったら?」
「いいわけないだろ!」
くいながぎゃんと噛みつけば、傍観していたひたき兄さんがやれやれというように肩を落とす。そして彼は、冷たい声音であとり兄さんに声をかけた。
「ふざけてないで放してやれよ、兄さん。本当は起きてるんだろ」
ひたき兄さんの指摘に、僕とくいなは顔を見合わせる。
そして寝ているはずの長男へと視線を向ければ、彼はくつくつと笑って。
ばれてしまったか、と言いたげに口角を上げるのだった。
「本当、信じられない。子供みたいなおふざけはやめてくれよ」
ようやく解放されたくいなが肩を回しながら睨みつけると、あとり兄さんはまったくこたえた様子がない顔で笑う。
「いやあ、すまないな。戸惑うお前が可愛くて、つい」
「そういうのを悪趣味だって言うんだよ」
くいながつっけんどんに吐き捨てても、あとり兄さんはどこ吹く風であくびを漏らすだけだ。しまいには、くいなのほうが諦めて閉口するほどだった。
僕達四つ子の兄弟の長男、柳瀬あとりは御覧の通りかなりの自由人だ。
寝るのが好きで、いつも保健室のソファーで居眠りをしている。猫のように気まぐれで、予測できない行動で周囲を振り回す。怠惰で気ままで、なにを考えているのかわからない。それが僕達の長男の存在だった。
あとり兄さんの奔放さについて、僕達弟の態度はそれぞれ違う。ひたき兄さんはあまりいい顔をしないけれど、僕は見ていて楽しいので特に口出しはしない。そして、末弟であるくいなは。
「あの……あとり先生とくいな先生って、もしかして仲が悪いの?」
女子生徒にこっそりと耳打ちされ、僕とひたき兄さんは曖昧な笑みを浮かべる。
確かに、このギスギスとした空気を感じたら誰だってそう思うことだろう。もっとも、一方的に険悪な空気をかもし出しているのはくいなのほうだけなのだが。
だけど、僕達は女子生徒の疑問を肯定するようなことはしたくなかった。色々複雑な事情があるんだよと囁けば、彼女は奇妙そうな顔をして二人へと視線を戻す。
つられて僕も視線を移せば、丁度、くいなが勢いよく立ちあがるところだった。
「とにかく、悪ふざけはほどほどにしてほしいよ。僕、あとり兄さんほど暇じゃないんだから」
「なんだなんだ、つれないこと言うなぁ。ちょっとくらい兄ちゃんに構ってくれよ。昔はあんなに僕にべったりだったのに」
あとり兄さんが茶化せば、くいなは冗談だろと言いたげに鼻を鳴らす。
「……本当、あとり兄さんのそういうところ、大っ嫌いだ」
くいなは冷たく吐き捨てると、荒々しい足取りで保健室を後にする。
状況が把握できずオロオロする女子高生をなだめれば、あとり兄さんは軽い仕草で肩をすくめてみせた。そんな長男の反応に呆れながら、僕もまた保健室をあとにする。
「……僕、くいなを追いかけてくるね」
返事を待たずに廊下に出て、くいなの姿を探す。幸いにも、彼の姿はすぐに見付けることができた。廊下の突き当りで棒のように突っ立ったまま固まっていたのだ。
「くいな」
僕が駆け寄って声をかければ、くいなはゆっくりと振り返る。
その顔は、先程とは打って変わって真っ青なもので。
「……つぐみ兄さん。僕、また、またやってしまった……」
くいなは血の気の失せたまま呟くと、力なくその場に蹲って。
どうしていつもこうなんだと、泣き出しそうな声で嘆くのだった。
誰だって学生時代、思春期ゆえに家族とすれ違ってしまったことくらいあるだろう。
素直じゃない物言いをしてしまったり、つい勢いで冷たい態度をとってしまったり。多感な時期に差し掛かり、物事に過敏になってしまった結果、家族に対して反抗的になってしまうのはよくあることだ。
僕の弟であるくいなも、そのうちの一人だった。彼は思春期を迎え、世界が広がると共に、家族関係をこじらせてしまうようになった。
ただ少し皆と違ったのは、その対象が親ではなく、四つ子の長男であったということだ。
「どうして僕はいつもこうなんだろう。本当に嫌になる……」
がっくりと項垂れる末弟の背中を撫で、僕とひたき兄さんは慰めてやる。
今、僕達が居るのは相談室。あとから追いかけてきたひたき兄さんと合流し、ひとまず保健室から離れてきたのだ。だがくいなは相変わらず落ち込んだままで、いつものクールさが嘘のように萎れてしまっている。
「今度こそ……今度こそあとり兄さんに嫌われてしまったかもしれない……」
「うーん……あとり兄さんがくいなを嫌うことはないと思うんだけどなぁ」
僕はやんわりと否定したが、くいなはどんよりとしたままかぶりを振った。
「あとり兄さんだって、僕みたいな可愛くない弟に愛想を尽かすことだってあるだろ。ましてや僕、いつもあんなことばかり言ってしまうんだから……」
これは駄目だ、と僕は困り果てる。完全にネガティブになってしまっている。普段はあれほど冷静で理知的なくせに、あとり兄さんが絡むと決まって悲観的になってしまうのだ。
「……とにかく、もう一度兄さんに会いに行こう。少し言い過ぎたと謝るんだ」
ひたき兄さんが提案すれば、くいなはのろのろと顔を上げる。
「……でも、許してもらえなかったらどうしよう」
「大丈夫さ。兄さんはくいなのことが大好きだから、きっと許してくれるよ」
くいなはまだ半信半疑なようだったが、やがて小さく頷くと、ふらふらとした足取りで歩いて行った。真っ青な顔をしたまま相談室を出ていく末弟を見送って、僕とひたき兄さんは重たい息を吐き出す。
「……くいなと兄さんのことは、相変わらず解決できそうにないな」
「そうだね。せめてくいなが、あとり兄さんに対して少しでも素直になれたらいいんだけど」
くいながあとり兄さんにきつく当たり、一人になってから後悔するのはこれが初めてではない。多少マシになったとはいえ、彼は学生時代からずっとこんなことを繰り返しているのだ。
幼少期のくいなは、むしろあとり兄さんにべったりな子だった。
くいなは昔から口下手で、人見知りなためうまく友達を作ることができなかった。そんなくいなを慰め、いつも遊んでくれたのがあとり兄さんだったのだ。
くいなはあとり兄さんのことが大好きで、なにをするにもいつも一緒に居た。きっとくいなからすれば、いつだって手を引いてくれるあとり兄さんは憧れの存在だったのだろう。あとり兄さんは僕達弟のヒーローだけれど、中でもくいなは、特にあとり兄さんを崇拝している傾向があった。
だけどその羨望は、思春期を迎えると共にこじれてしまうこととなる。
幼い頃はよかった。なにも考えず、ただ無邪気に兄弟を愛することができた。しかしよくも悪くも世界が広がり、多感になった僕達は、少しずつ生きづらさを感じるようになってしまっていた。
それが顕著だったのはくいなだ。彼は周囲の兄弟関係を知っていくうちに、いつまでも長男にべったりな自分のことが恥ずかしいと思うようになってしまったのだ。
あとり兄さんのように、周りの目など気にせず開き直れたらよかったのだろう。だがくいなは周囲の目を気にするあまり、あとり兄さんに対し冷たく接するようになってしまった。
本当は、あとり兄さんのことが大好きなのに。彼はもう、昔のように素直に好意を伝えることができなくなってしまったのだ。
──もっとも、ただそれだけの理由だったら、くいながここまで酷く罪悪感に苛まれることはなかったのだが。
「……幸いなのは、兄さんがそこまで気にしていなさそうなことだよな」
ひたき兄さんの言う通り、あとり兄さんが事態を悲観をしている様子はあまりない。だけどあの兄はなにかと弱音を見せたがらないのだ。いくらあとり兄さんでも、こう何度も冷たく突き放されればまいってくるだろう。
「くいなが本音をあとり兄さんに告げられたら、一番いいんだけど。難しいかなぁ……」
「まあ、そう悩むことはないよ。きっと通じ合えるはずさ。僕達は兄弟なんだから」
僕が頭を悩ませていると、ひたき兄さんが頭を撫でてきた。だったらいいんだけどねと唇を尖らせていた僕は、聞こえてきた慌ただしい足音に瞠目する。
やがて相談室に駆け込んできたのは、先程よりもさらに顔色が悪くなったくいなだった。驚いてなにがあったんだと駆け寄れば、彼は白くなった顔でぐしゃりと顔を歪める。
「つぐみ兄さん、ひたき兄さん。どうしよう、僕、僕……」
「落ち着いて、くいな。どうしたの?」
僕が優しくなだめれば、くいなは苦しそうにこう吐き出した。
「あとり兄さんが居ないんだ。保健室にも、どこにも」
「え……?」
「どうしよう。僕、本当にあとり兄さんに嫌われてしまったのかも」
声を震わせて助けを求める末弟に、僕とひたき兄さんは言葉を失ってしまうのだった。
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