孤独なΩはαの牙で目覚める

朏猫(ミカヅキネコ)

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 いつも優一が座っている一人掛けのソファで、優一を生んだという美しい人――雪弥が緑茶を飲んでいる。お茶だ茶菓子だと動いていた優一も、拓巳の隣に座り淹れたてのコーヒーを飲んでいた。そんななか、拓巳はどうにも落ち着かず緑茶の入ったコップを持ったままチラチラと二人の様子を窺う。

「それで、どうしてこちらに?」
「この間、たまたまホテルの近くで優一さんを見かけたんです。そうしたら隣に可愛らしい子を連れているじゃないですか。ようやくつがいができたのかと思ったら、いてもたってもいられなくなりましてね」
「先日、顔を見せに行くとあの人に連絡しておいたはずですが」
「おや、聞いていませんよ。……また隠し事でしょうか」
「わたしが絡んでいるからでしょうね」
「まったくあの人は、いくつになっても大人げないことを」

 よくわからないが、二人が言う「あの人」というのは、もしかしなくても優一の父親のことだろうか。
 それにしても……と拓巳は二人を見た。親子にしてはよそよそしい感じがする。しかし親しくないという雰囲気ではないし、かといって母と息子……には見えない。

(そりゃまぁ男同士だし、年齢も……優一さんのほうが年上に見えるから、かな)

 優一よりも雪弥のほうが若く見える。そのせいであべこべに感じてしまうのだろう。そんなことを考えながら二人を見ていた拓巳に、雪弥がにこりと微笑みかけた。

「っ」

 美しい人に微笑みかけられただけでも心臓に悪いのに、優一を生んだ人だと思うとどう反応していいのかわからなくなる。かといって無視するわけにはいかないし……と、小さくお辞儀をした拓巳は、気分を落ち着かせようとほんの少し緑茶を口にした。

「それにしても、まさかこんな可愛い子をつがいにするなんて」
「……っ、こほ、ごほっ」
「拓巳くん、大丈夫かい?」
「こほっ。あの、大丈夫、です」

 聞き慣れない単語に思わずむせてしまった。先ほども「可愛い子」と言っていた気がするが、これまで拓巳が「可愛い」と言われたことは一度もない。優しく背中を撫でてくれる優一には悪いが、自分が美しいと他人を見る感覚がおかしいのではないかと思ってしまう。

「たしかに拓巳くんは可愛い」

 目尻の涙を拭っていると、今度は優一がそんなことを言い始めた。

「ふふっ、優一さんも言いますね」
「本心ですよ」
「わかっています。優一さんのつがいはとても可愛い」

 もしかしてからかっているのだろうかと雪弥を見るが、微笑んでいるもののそんなふうには見えない。

「これからあなたはΩとしても変わってもいくでしょう。優一さんに愛され、Ωとして花開いていくことになります」
「あ、い……」

 うれしい言葉ではあるが、さすがに親である人に言われるのは恥ずかしかった。

「同時に、人としてのすべてを失っていくことにもなります」

 美しい黒い目がつるりと光ったような気がした。見慣れた人の目というよりも、ガラス玉のような無機質な輝きに見える。それはたまに見る優一の目にそっくりで、ゾクリとした寒気が拓巳の背筋を震わせた。

「いえ、必ずしもそうなるとは限りませんか。人でないもののつがいになっても人であり続ける場合もあるでしょうしね。残念ながら、僕はそうはなりませんでしたけれど」
「雪弥さん」
「あぁ、嘆いているのではありませんよ? むしろ人であったときのほうが、よほど人らしくありませんでしたからね。僕はあの人と出会い、優一さんを授かったことで生き返ったのですから」
「……雪弥さん」

 二度目の優一の声に、雪弥が静かに微笑み口を閉じた。

(よくわからないけど、なんていうか……)

 すごく重たい話だったのかもしれない。二人は静かにお茶やコーヒーを飲んでいるが、拓巳は持ったままのコップに口をつけることができなかった。そうした息苦しさを拓巳が感じ始めていたとき、備え付けのデバイスから来客を知らせる音がした。

「おや、早かったですね」
「雪弥さん、本当に断っていなかったんですか」
「たまにはいいんですよ」
「……はぁ」

 大きなため息をついた優一が額に手を当てながら玄関へと向かった。初めて見る優一の様子に、拓巳はわずかな不安を感じつつ背中を見送る。

「拓巳さん」
「は、はい」

 声をかけられ、慌てて雪弥を見た。思わず背筋がピンと伸びてしまったのは、相手が優一の親だからだろうか。

「優一さんのつがいになってくれて、ありがとうございます」
「いえ……、あの、」

 頭を下げられたが、どう返せばいいのかわからない。それにお礼を言うべきは自分のほうだ。そう思いながら視線をさまよわせる拓巳に雪弥が優しい笑みを向ける。

「優一さんには随分と寂しい思いをさせてきました。αとΩの間に生まれた子としては当然なのかもしれませんが、人であった僕はずっと歯がゆく思っていたのです。どうかその分、拓巳さんが優一さんを愛してあげてください」

 拓巳は返事をすることができなかった。もちろん優一のことは好きで、つがいとしてこの先もずっと一緒にいるのだと決めている。それは「愛する」ということになるのだろうが、雪弥の言葉はとても重く聞こえ簡単に頷くことはできなかった。戸惑い固まる拓巳に、雪弥がにこりと微笑みかける。

「まぁ、嫌だと言っても優一さんが離さないでしょうけれど。αのΩに対する執着は病的ですからね。それが運命ともなれば、地の果てまでも追いかけて来るでしょうし」
「運命……って」
「拓巳さんと優一さんは運命なのでしょう? 優一さんは小さい頃から運命を探していましたから。まさか本当に出会えるとは思いませんでしたけど……いえ、優一さんが何十年もかけて探していたのですから、出会うべくして出会ったのでしょう」

 そうなのだろうか。いまだにつがいも運命もよくわからない拓巳には実感がないが、「それだけ確率の低い出会いを果たした」と言っていた優一の言葉を思い出すと相当な奇跡なのかもしれない。

「運命であればなおのこと、絶対に手放さないでしょう。強いαというのは、それだけ強い執着を見せるものです。もちろん、そうやって求められるΩのほうも悦びを感じる。拓巳さんもそうでしょう?」
「……あの、……はい」

 優一に求められるたびに心も体も歓喜に震えた。自分が必要とされているのだと感じ、たまらない幸福感に包まれる。

「ふふ、よかった。わずかですが、とてもよい香りを感じます。それだけαに愛され、またαを愛しているということなのでしょうから」
「……俺、匂ってますか?」
「つがいになってもΩ同士はわずかに関知し合えますからね。とくに発情前後はなんとなくわかりますよ」
「そうなんですね……」

 そういえば、発情後に会ったメイにも「これは最近発情した感じだ」と言われたことを思い出した。

「まぁ、普通はつがいを持つ発情前のΩに会うことはないでしょうけれど」
「そうなんですか?」
「αが外に出すはずがありませんから」
「それがわかっていて外に出たということかね?」

 聞こえてきた知らない声に拓巳が振り返ると、眩しいくらいの金髪をした背の高い男が立っていた。

「早かったですね」
「わたしの嗅覚を侮っているのか?」
「まさか」
「それともわたしを試しているのか?」
「あなたが優一さんのことを隠すからですよ」

(まさか、この人が優一さんのお父さん……?)

 会話の流れから拓巳はそう判断した。よく見れば整った顔立ちは優一に似ている部分がある。五十代の優一はこんなふうだろうか、そう思わせる雰囲気もあった。ただ、金髪と灰色の目というのがあまりにも外国人っぽくて、優一の父親だと言われてもピンとこない。

「たとえ相手が息子であっても、αを近づけさせたくないと思うのがαだと言っただろう」
「まったく、いつまでも子どものようなことをおっしゃって」

 ハァとため息をつく雪弥はあまりに美しく、こういうΩなら閉じ込めておきたくなるのもわかるような気がすると拓巳は思った。

「帰るぞ」
「その前に、息子のつがいにご挨拶してください」

 驚いて雪弥を見ると、その目は間違いなく拓巳を見ている。そっと振り返ると金髪の人物も拓巳を見ていた。

「失礼した。わたしはランスロード・ドラクロワ、そこに座る雪弥のつがいだ」
「そして優一さんのお父上でもあります」
「あの、は、初めまして。西野拓巳です」

 慌てて立ち上がって頭を下げたものの、こんな挨拶でよかったのだろうか。拓巳は頭を上げ、窺うように金髪の人物を見た。不機嫌そうな表情ではないものの拓巳の言葉に返事や反応はない。何度も視線が上下に動いているということは、息子のつがいとして問題ないか検分しているのだろう。

「ランス、その態度は失礼ですよ」
「あぁいや、気分を害したのなら謝ろう。少し珍しいΩだと思っただけだ」

 自分のどこが珍しいかわからない拓巳は、ただ視線を受け止めることしかできなかった。

「どことなく出会った頃の雪弥に似ているな。この国のΩは、皆こういう感じなのか?」
「……?」

 ランスロードの眉がわずかに寄ったところで「わたしのΩをジロジロ見ないでください」と優一の声が聞こえた。

「車を手配したので、すぐに到着しますよ。あぁ、Ωに耐性のある運転手ですからご心配なく」
「もしかして香りがしますか?」
「息子でもわたしはαですから関知はできません。ただ、この人の様子からそう感じただけです」
「だから、わたしを試しているのかと問うただろう」
「おやまぁ、それは大変だこと」

 大変だと言いながらにこりと笑った雪弥は、ぬるくなったであろう緑茶を飲み干してから立ち上がった。そうして「また会いましょうね」と拓巳に微笑みかけ、「拓巳さんを大事にするのですよ」と優一に声をかける。続けて「帰りましょう」とランスロードの腕を取りリビングを出て行った。拓巳は挨拶をするタイミングを失ったまま二人の背中を見送った。
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