祓い屋と妖狐(ただし子狐)

朏猫(ミカヅキネコ)

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妖狐、稲荷神社に行く5

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 頭しかないのに犬神はとても大きく見えた。前回来たとき、どうして犬の匂いしかわからなかったんだろうと不思議に思うくらい強い妖力も感じる。

(しかもすごく嫌な妖力だ)

 あやかしにも嫌なやつはいる。ほかのあやかしを傷つけたり棲み処を壊したりするやつだ。それよりも犬神の妖力はもっと嫌な感じがした。僕たちに何かするというより、どこまでも追いかけてきそうな気配に首のあたりがゾワゾワする。

「さぁて、仕事だ」
「俺は人間のほうってことでいいんだな?」
「狛犬の力、出し惜しみするなよ」

 二人が言葉を交わし終わるのと同時に犬神が叫ぶように吠えた。実際に鳴き声が聞こえたわけじゃないのに、妖力のこもったあやかしの声が僕の頭の中を叩くように響く。思わず外套の中で首をすくめたら、犬の頭を持っていた女の人が勢いよく振り返った。

「誰?」

 女の人の声に合わせるように、体を覆っている黒い塊がウゴウゴ動き出す。ぶわっと膨らんだりギュッと縮んだりする様子は見ているだけで気持ちが悪くなりそうだ。

(甘い匂いも強くなってる)

 吐きそうなくらい甘くてひどい匂いに外套の胸元から顔を出したら、犬神がまた吠えて髭がビビッと震えた。

「その犬神を祓いに来た者ですよ」

 孝志郎の言葉に女がにこりと笑った。その顔は決して怖いものじゃないのに、とても不気味な雰囲気で尻尾の毛がぶわっと膨らむ。

「何を言っているの? 犬神なんて、どこにそんなものがいるのかしら」
「あぁ、先に言っておくべきでしたね。俺は祓い屋です。だから、その手にあるあやかしもちゃんと見えていますよ」
「……」

 女の目が鋭くなった。四日前に見たときと同じくらいギラギラしている。

「そう。もしかして主人に雇われたのかしら」
「いいえ、雇い主は別の人です」
「それじゃあ、あの人が入れあげている遊女のほうかしら?」
「その人でもありません」
「それはおかしいわ。あの二人以外であなたを雇う人なんていないはずよ?」
「さて、それはどうでしょう。直接関係していなくても、いずれ関わってしまうかもしれないあやかしを関わる前にどうにかしておきたいと考える人もいますからね。とくにこの辺りは客商売で成り立っている土地です。変な噂でも立って客足が遠のいては困ると考える人たちもいるんですよ」

 女の目がスッと細くなった。

「生まれたばかりなのに、かわいそうなあやかしね」
「たしかにかわいそうなあやかしです。犬神というあやかしは人の望みを叶えるためだけに生み出される憐れな存在だ。あなたの強い思いによって生み出されたその犬神は、あっという間のご主人を食い殺すでしょう。入れあげている遊女も同じ目に遭うに違いありません。さて、その後犬神はどうなると思いますか?」
「願いを叶えたのだから、それで終わりよ」

 孝志郎が「いいえ」と首を振った。

「願いを叶えた後も犬神はあなたのそばに居続けます。棲み続けると言ってもいいでしょう。そうしてあなたが次に嫉妬を向けた人間を食い殺す。嫉妬する気持ちの大きさは関係ありません。あなたの嫉妬に導かれるまま食い殺し続けるんです」

 じっと話を聞いている女にゆっくり近づきながら、孝志郎がさらに話を続ける。

「犬神は一つ願いを叶えても消えることはありません。一つ終われば次の獲物へ、それが終わればさらに次へと獲物を変え続ける。さらに厄介なのは棲み処が人だということです。一度生み出された犬神は消えることもできず、延々と人を棲み処にしながら人を食らい続けなくてはいけない。生まれ方も生き方も憐れなあやかしです」

 七尺近くまで近づいたところで「さて、問題はその先です」と言いながら孝志郎が立ち止まった。

「犬神の棲み処となったあなたは人間です。いつかは天に召されることになる。あなたが死んだ後、その犬神はどうなると思います?」
「さぁ、自分が死んだ後のことなんて考えたこともないわ」
「そうでしょうね。あなたはまだ若い。老舗の和菓子屋に嫁いで五年と聞きました。実家の呉服屋では大層大事に育てられたでしょうから体も存外強いかもしれません。それでも必ず死は訪れます。その犬神はいずれ棲み処を失うことになる」

 女がじぃっと孝志郎を見ている。

(あれ?)

 さっきまで隣にいたコマジがいないことに気がついた。キョロキョロと目を動かすと、いつの間にか女の背後に立っている。

「犬神というのは人を食らえば食らうほど強くなります。あなたが天に召される頃には手の付けようがないほどのあやかしになっていることでしょう。しかしどんなに強い犬神も棲み処となる人間がいなくては生きていけない。あなたが死んだ後、あなたが生み出した犬神は本能からあなたの血族を棲み処に選びます。子がいればその子に、その子が死ねばさらにその子どもに、そうやって血族を永遠の棲み処にするんです。そうして棲み処となった人間が嫉妬した相手を食らい続ける。そういう血族が犬憑きと呼ばれることをご存知ですか?」

 女が一瞬だけ目を見開いた。

「半年前、待望の赤ん坊が生まれたと聞いています。あなたはその子を犬憑きにするつもりですか?」
「……眞菜まなが……」

 女が誰かの名前を口にした瞬間、背後にいたコマジが素早く女を羽交い締めにした。驚き慌てる手から犬の頭を奪い取り「孝志郎!」と叫びながら勢いよく放り投げる。
 ぽんと天高く上がった犬の頭は、てっきりそのまま孝志郎の足元に落ちてくるものだと思っていた。ところが孝志郎の顔くらいの高さでぴたりと止まる。不自然に宙に浮いている犬の頭は目をカッと見開き、孝志郎を睨んでいるように見えた。

「孝志郎!」
「おまえはその人を捕まえておけ」
「でも!」
「何のために連れて来たと思っている? 自分に与えられた役目を果たすのが先だろう?」
「……っ」

 何か言いたそうなコマジだったけれど、口を閉じて羽交い締めにした女を犬の頭から遠ざけようと後ずさった。ハッと我に返った女は慌てて犬の頭に手を伸ばしながら「離して!」と叫び始める。

「コマジ、しっかり捕まえておけよ」
「わかってるよ!」

 着物の裾が乱れるのも気にせずに女が暴れ出した。「離して!」だの「あれを返して!」だの髪まで振り乱している。その顔は大きなお寺の門に立っている風神雷神にそっくりで、僕はあまりの形相に「ひっ」と首をすくめて外套の中に引っ込んだ。

(孝志郎、僕どうしたらいい!?)
「そこで見ていろ」
(でも、あの犬神すごく強いよ! 僕の狐火じゃ何もできないよ!)
「おとなしく見ていろと言ってるだろう?」

 孝志郎はそう言うけれど、きっと大変な相手だからコマジを連れて来たに違いない。それなのにコマジは女のことで手一杯になっている。女が暴れるからというよりも、女にくっついている黒い塊がコマジの動きを邪魔しているせいだ。

(コマジは孝志郎を助けられない)

 だからと言って僕にできることは何もない。それでも何とかしないとと思って、懐の中で「フーッ、フーッ」と牙を剥いた。そんなことをしてもしょうがないとわかっているけれど、僕だって孝志郎の使い魔だ。最悪、犬の頭に飛びかかって何とかするしかない。

「おいおい、子狐の助けが必要なほど俺は弱くはないぞ?」
(わかってるけど、でもあの犬神はすごく強いよ!)
「まぁまぁ、落ち着け」

 呑気な孝志郎の言葉にムッとして、目の前の犬の頭を見てハラハラした。
 宙に浮いている犬の頭からは真っ黒な煙が出ていて、それが孝志郎を威嚇するように膨れ上がる。黒い煙で何をしようとしているのかわからないけれど、あれは絶対によくないものだ。孝志郎に触れたらどうなるかわかったものじゃない。

「本当に人はろくでもないことをする」

 そうつぶやいた孝志郎に犬の頭が飛びかかった。くわっと開いた口の中は真っ赤で、牙もたくさん生えている。黒い煙もぶわっと広がり、煙ごと孝志郎に襲いかかろうとしているように見えた。

(孝志郎!)

 気がついたら体が勝手に飛び出していた。だけど僕が犬の頭にぶつかるより先に犬が孝志郎の右腕にがぶりと噛みついてしまった。

(孝志郎!)

 慌てて犬の頭に飛びかかろうとしたとき、「ぎゃあ!」という叫び声が聞こえた。
 視線を向けるとコマジが羽交い締めしていた女が泡を吹いているのが見えた。白目を剥いた顔はコマジの肩に仰向けに乗っかっていて、暴れていた手足はだらりと力なく垂れている。

「よくやった」
「俺はこういうの、苦手だって、言ってるだろ」
「狛犬は魔除けの力を持つ。それをうまく使えば祓う力になる。いい練習になっただろう?」
「う、るせぇ、よ」

 コマジはなぜかぜぇはぁと肩で息をしていた。それに、気のせいじゃなければ妖力がグッと小さくなっている気がする。

(あれ……?)

 女にくっついていた黒い塊がなくなっていることに気がついた。地面から噴き出していた黒い煙も消えている。それに神社に漂っていた女の嫌な気配もなくなっていた。
 慌てて孝志郎を見た。右腕はまだ噛まれたままだけれど、犬の頭の周りにあった黒い煙も消えている。それに吐きそうなほど甘くて嫌な匂いもしなくなっていた。

「人の欲につき合わされるあやかしほど悲しいものはない」

 孝志郎が左手の人差し指と中指を口に当てて何かをつぶやいている。きっとあやかしを祓うための言葉だ。そうして口に当てていた指で犬の額にそっと触れた。

「おまえもこんな生まれ方はしたくなかっただだろうに」

 孝志郎がそうつぶやくと、犬の頭が少しずつ真っ黒に変わり始めた。そのまま脆い炭のようにボロボロと崩れ、粉になった黒いものが煙のように空に舞い上がる。
 天に昇る煙を見ていた僕の耳に、犬の遠吠えのような声が聞こえた気がした。
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