BL短篇集

朏猫(ミカヅキネコ)

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ドラゴンの卵~「旅の思い出にドラゴンの卵買わない?」

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『お兄さん、一人旅?』

 急に声をかけられて驚いた。いつの間に隣に来たのか、右側に少年が立っている。褐色の肌に明るい髪色ということは地元の子なのだろう。それにしては流暢な英語だ。

『そうだよ』
『じゃあさ、旅の思い出にドラゴンの卵買わない?』

 一瞬、何と言われたのかわからなかった。

『何だって?』
『ドラゴンの卵。ほら、これだよ』

 聞き間違いかと思ったけれど、少年はたしかに「ドラゴン」と口にした。「まさかな」と思いながら少年の手のひらを見る。

(これがドラゴンの卵?)

 卵にしては少しだけ歪んだ形の物体が載っていた。全体的に茶色っぽくて割れているように見える部分もある。よくよく見れば、その割れている部分は複雑な形をしていた。

(なるほど、そういう土産物なんだな)

 きっとこの辺りで採れる鉱石か何かに違いない。偶然割れてできた形なのか、そういう形にわざわざ割っているのかはわからないけれど、これまで旅をしてきた地域でも似たような土産物を見かけたことがある。

『これ、卵じゃないだろう?』

 そう言いながら卵だという石を人差し指でつついた。

『卵だよ。このあたりでは砂漠の薔薇とも呼ばれてるけど』
『砂漠の薔薇?』

 名前を聞いて、もう一度少年の手のひらの物体を見た。なるほど、たしかに複雑な形の部分は薔薇の花びらのように見えなくもない。名前に“砂漠”と付くくらいだから、砂漠が多いこのあたりで採れる鉱物の特徴なんだろう。

『たしかに薔薇っぽくは見えるけど、ドラゴンの卵には見えないな』
『そんなことないよ。しかもこれ、このあたりでは珍しい水のドラゴンの卵だよ』

 少年の言葉に思わず「水ときたか」と苦笑した。
 このあたりは随分昔から砂漠が広がっている。古代遺跡が見つかるくらい歴史が古く、その頃から砂漠が広がっていたと言われていた。そんな場所で見つかったと言うなら、たとえばサンドドラゴンだとか言えばまだ納得がいく。それなのによりにもよって水のドラゴンとは。
 十歳くらいに見える少年は、おそらく家の手伝いで土産物を売っているのだろう。それにしては商売はうまくないなと逆に微笑ましくなった。

『ねぇ、旅の記念にドラゴンの卵、買わない?』
『そうだなぁ』
『安くしておくよ』
『どのくらい?』
『うーん……このくらいならどう?』

 少年が指で示した数字は、ちょうど僕が昼食代にと考えていた額だった。

(ま、そのくらいならいいか)

 旅先での思い出作りとしては安いほうだ。僕は「OK」と言って現地の紙幣を取り出した。「thank you」と言った彼が僕の手のひらにドラゴンの卵を置く。そのとき触れた少年の指先が硬いことに気がついた。「もしかして素手で石を掘り出しているんだろうか」と少し心配になる。

『ね、卵を耳に近づけてみて』

 手のことを気にしていた僕に、少年が内緒話をするようにそう囁いた。

『耳に?』
『いいから』
『……こう?』

 買った石を右耳に近づけると、ぴゅるるる、という高い音が聞こえた気がした。驚いて石を耳から離すと、少年が『聞こえた?』と尋ねてくる。

『聞こえたって、』
『ドラゴンの鳴き声』
『鳴き声?』
『ドラゴンの卵じゃないと聞こえないんだよ』

 そう言ってにっこり笑った少年は「アリガトウ」と聞き慣れた母国語を口にして去って行った。

  :::

(あれから十年か)

 学生時代にふらりと一人旅で訪れた砂漠の街で、僕は“ドラゴンの卵”という謎の鉱石を手に入れた。帰国してから調べてみると“砂漠の薔薇”と呼ばれる鉱石は実際にあった。いくつか写真も見てみたけれど、買ったものはなかなかよい状態のものだったらしい。

(それにしても、水のドラゴンの卵とはなぁ)

 いつも研究室の机の右側に飾ってある砂漠の薔薇を手に取り、これまたいつものようにぐるりと回しながら全体を見る。

(まぁ、間違いとまでは言えないだろうけど)

 砂漠の薔薇は、かつて水があった場所で採掘されると後で知った。ということは「水の」というのはあながち間違いでもない。それに砂漠に馴染みがない僕のような人間なら、見たことがない見た目と“砂漠の薔薇”というネーミングに心惹かれるだろう。そこに「水のドラゴンの卵だ」と言われたら、いまでもやっぱり手に取ってしまいそうだ。

「先生、それ好きですよね」
「うん? あぁ、僕が鉱物研究の道に進むきっかけになった石だからね」
「たしか、旅先で買ったんでしたっけ」
「そうだよ。なんでも水のドラゴンの卵なんだそうだ」

 そう言ったら、研究室に残っていた学生たちが「先生ったらお人好しだからなぁ」と笑った。どうやら僕が騙されて買ったものだと全員が思っているらしい。「言われるほど僕はお人好しじゃないんだけどな」と思っていると、ピロンという着信音が聞こえた。スマホを見ると“arrived at the airport”というメッセージが表示されている。

「珍しい、先生が嬉しそうな顔でスマホ見てる」
「もしかして彼女ですか?」
「違うよ。知り合いの子が来日するっていうから、宿を提供することにしたんだ。その子から空港に到着したっていう連絡が来たんだよ」
「先生の家って一軒家でしたっけ」
「そう。一人暮らしだから部屋が余ってるんだ」
「いくら一軒家だからって、やっぱり先生はお人好しですよ」

 あははと笑っている学生たちに「さぁ、今日はもう帰った帰った」と帰宅を促しながら僕自身も帰る準備をした。緩衝材を敷き詰めた箱に砂漠の薔薇を入れ、鞄の一番上に仕舞うのも忘れない。それから予定表を表示していたパソコンの電源を落とした。

(両日ともに聴きに行けそうでよかった)

 帰り際に確認した予定表では、その付近に大事な学会やイベントは入っていなかった。この後急に入ることもないだろう。これなら間違いなく聴きに行ける。そう思うと自然と笑みがこぼれた。

(指先が硬かったのは、それだけ練習してたからだったんだなぁ)

 僕に砂漠の薔薇を売った少年は、いまは石の代わりにバイオリンを手にしている。小さい頃から砂漠の薔薇を売ってお金を貯め、ようやく自分のバイオリンが買えたのだと聞いたのは砂漠の街を出る直前だった。「お兄さんが買ってくれたおかげだよ」と言われ、お礼にと聴かせてくれたバイオリンはとても美しい音色だったのを覚えている。
 八年後、砂漠の街初のバイオリニストが誕生したという小さな記事をインターネットで見かけた僕は「あっ」と思った。

(あのときの少年じゃないか)

 居ても立ってもいられなくなった僕は、小さなカバンを一つ持ってあの街まで少年に会いに行った。さすがに忘れているだろうなと思っていたのに少年は僕のことを覚えていて、何度もハグをしながら再会を喜んでくれた。

(来日が決まったと聞いたのは半年前だったなぁ)

 駆け出しの演奏家ながら外国の舞台に立てるなんて、それだけ才能があるということに違いない。話を聞いた僕はすぐに宿の提供を申し出て、彼には内緒で初日と最終日のチケットを購入した。
 研究室を出たところで、またピロンと着信音が鳴った。画面を見ると『コンサートのあと、十日間休みがあるんだ』というメッセージが表示されている。

(十年前なら、そのまま「泊まっていいよね?」と続いただろうに、すっかり大人になって)

 褐色の肌も明るい髪色も変わらないけれど、随分大人になったんだなと感慨深くなる。それでも二年前に会ったときの笑顔は相変わらず眩しくて、僕に砂漠の薔薇を売ったときの輝く笑顔そのままだった。

(それなら、いろいろ案内してあげるよ……っと)

 メッセージを送ると、すぐに「ありがとう!」と返事が返ってきた。何て言葉が返ってくるか、きっとそわそわしながら画面を見ていたに違いない。

(そういえば日本の竜は“昇り竜”なんていいイメージだけど、向こうのドラゴンはどうなんだろう)

 ふと、そんなことを思った。欧米の映画を見るとドラゴンは悪者で描かれることが多い気がするけれど、あの街ではどうだったのだろうか。

(ま、買ったのは僕だし、竜もドラゴンも縁起がいいってことにしておくか)

 先日、新宿に寄って芸能のお守りを手に入れた。それと一緒に旅の思い出になった“ドラゴンの卵”を渡そうと思っている。ついでに“昇り竜”の話もしようと思っていた。

(まさか僕がまだ持っているなんて思ってないんじゃないかな)

「さて、どんな顔をするかな」と思いながら、空港に行くため急ぎ足で地下鉄の駅へと向かった。
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