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5 作戦①王太子妃候補の辞退……を妨害するのは兄?
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秘密のお茶会はいつになくしんみりとしたまま終わった。「またお茶会をしましょうね」と微笑むオペラを、ホワイトが「どうかご無理はなさらないで」と今生の別れのように見つめる。そうしてオペラの手をぎゅうぎゅうと握り、なかなか離そうとしない。
それに痺れを切らしたのは迎えに来たホワイトの侍女フィナーシェで、「お嬢様、お帰りの時間でございます」と言ってべりっと音が聞こえるほどの勢いで引きはがした。そのまま引きずるように庭の奥にある隠し扉へ向かうのだが、その間もホワイトは「お姉様~」と手を伸ばして別れを惜しむ。
「あの子はいつも大袈裟ね」
「それだけお嬢様を慕っておいでなのでしょう」
フィナーシェを温室に案内したのは侍女マディーヌだった。昼食の時間が迫る中、さすがに食卓にオペラが姿を現さなければ誰かが温室まで様子を見に来る。それでは秘密のお茶会のことが露見してしまう。それを防ぐために、すべてを心得ているマディーヌがフィナーシェを呼んだのだ。
いまや乳母よりもオペラのことをよく知るマディーヌは、まだ二十五歳と若手の侍女ながら機転が利きオペラのことをよく支えていた。オペラもマディーヌのことを信頼している。黙々とテーブルの上を片付けているマディーヌに「お兄様はどちらにいらっしゃるかしら」とオペラが尋ねた。
「本日は終日お部屋にて執務と伺っております」
「それはよかった」
昼食後、すぐに使いを出してもらえば夕方までには返事が来るだろう。うまくいけば数日後には目的を果たすことができるかもしれない。
(本当なら直接お手紙を差し上げられるとよいのだけれど)
いくら王太子妃候補とはいえ、女性であるオペラが直接王族である王太子に手紙を送ることは許されていない。父か兄に使いを出してもらうのが慣例だが、父に頼めば大騒ぎになる。「ようやく王太子のお心を掴みに動いたか!」と満面の笑みを浮かべるのは想像に難くなく、そこから一気に畳みかけようとあちこちに圧力をかけるに違いない。それはオペラが望むことではなかった。
(かといって、お兄様にお願いするのも本当は嫌なのだけれど)
王太子絡みになると、途端に兄フリューは人が変わった。まるで自分事のように口を出し、最終的にはどれだけ王太子がすばらしいかを延々と語り始める。
「本当に困った人たちね」
ため息をつくオペラに、拡げていたものをすべてバスケットに仕舞ったマディーヌが「心中お察しいたします」と頭を下げた。
「あなたにも苦労をかけるわ」
「もったいないお言葉でございます」
「昨日、例の本が届いたから、あとで取りにいらっしゃい」
「ありがとうございます」
最後の言葉にやけに熱が入っている。オペラは「気にしないで、わたくしも読むのだから」と言って微笑んだ。
早くて数日後だと考えていた王太子との面会だったが、その日のうちに「では、明日の午前中に」との返事があった。返事を見たオペラは「お目にかかることはできるのね」と密かに感想を抱く。てっきり面会すら叶わないものとばかり思っていたせいか拍子抜けに近い気持ちになった。
(では、神様はどうやって邪魔をなさるのかしら)
そんなことを考えながら眠りに就いた。
翌日、朝早くから侍女たちと支度をしていたオペラは、時間に余裕を持って屋敷を出ることにした。それを止めたのは時間にうるさい兄フリューだ。
「どうされましたの?」
「ちょっと来い」
「これから王城に行くのですけれど」
「知っている」
「王太子殿下をお待たせすることはできませんわ」
「わかっている」
明らかに不機嫌な声にオペラが首を傾げる。
「おまえ、昨日の手紙に何を書いた」
部屋に入るなりフリューが眉尻を上げながらそう尋ねた。
「何とおっしゃられても、“お目にかかりたいのでお時間を”とお伺いする文言ですわ」
「本当にそれだけか?」
「えぇ。それにお兄様のことですもの、中身は確認なさったのでしょう?」
妹の指摘にフリューが表情を変えることはない。よく似た兄妹は互いの美貌を無言で見つめ合った。
「では、どうして殿下のご様子が違っていたんだ?」
ソファに座ったフリューが顎を撫でながら気難しい表情を浮かべる。
(王城で殿下にお目にかかったのかしら)
昨日は一日執務室にいる予定だったフリューだが、どうしても確認しなくてはいけないことがあるといって王城に向かったのは夕食の二時間前だった。そうして帰宅時にフリューが持って帰ってきたのが今日の面会時間を指定する手紙で、受け取るときに王太子と会ったのかもしれない。
そういえば夕食のときも浮かない顔をしていた。一晩寝てもすっきりせず、それで出かける直前だというのに呼び止めてまで確認することにしたのだろう。
「殿下のことはわたくしよりお兄様のほうがよくご存知でしょう? わたくしに尋ねられても困りますわ」
「もちろん殿下のことはわたしが一番よく存じ上げている。そのわたしが不審に思うほど昨日の殿下は明らかに様子が違っておいでだった。頬を染めているというか、心ここにあらずというか、心奪われる何かがあったというか……」
「では、そうしたことがおありになったのではなくて?」
「いいや、そのような出来事もご予定も入っていらっしゃらなかった。陛下の元には午後、ボンボール領から使者が来るという話があるようだが、王弟殿下がいらっしゃるわけではないしな」
思わず「調べたのですか」と呆れそうになった。ため息を呑み込みながらじとりと兄を見た。フリューのほうは妹にそんな眼差しで見られていると気づいていないのか、「殿下の心を惑わす何者かがいるのか?」とブツブツつぶやいている。
「では、予定になかったお兄様との面会にお喜びになられたのではなくて?」
「そ……んなこと、あるわけないだろう」
顔をしかめながらも、フリューはまんざらではないという顔をした。しかも目元をやや赤く染め、その姿はまるで恋をする乙女のような様子だ。
(そんなにお慕いしているなら、いっそお兄様が王太子妃になればよろしいのに)
オペラがついそう思ってしまったのは、最近読むようになった本の影響を受けているからかもしれない。そうした種類の本を知ったのは侍女マディーヌの愛読書を偶然見たのがきっかけで、いまではオペラも嗜む程度に読んでいる。
(たしかのほかの恋愛の本より興味深いけれど)
本には美しい殿方同士の恋模様が綴られていた。時に激しく時に深く、家柄や立場に翻弄されながらも純粋な愛を貫こうとする物語は密かに人気を集めているようで、貴族令嬢の間でも話題になっているらしい。
ホワイトも知っている口振りだったが、「それよりアン王女とレミリア侯爵令嬢の物語はお読みになられまして?」と目を輝かせていた。そちらは王女と侯爵令嬢の道ならぬ恋を描いた物語らしく、実在しない人物だというのにホワイトは涙ながらに語って聞かせてくれた。
(あの子はいつも全力で可愛らしいこと)
可愛い妹のためにも二人揃って悪役令嬢にならなくて済む方法を見つけなくてはいけない。改めてそう決意したものの、フリューの話は一向に終わりそうになかった。気がつけばいつもどおり王太子を褒め称える話になり、耳にたこができるほど聞かされた王太子の人柄を熱く語っている。
(殿下のことになるとこうなっておしまいになるのがお兄様の悪い癖)
三十歳のフリューは四歳年下の王太子と学友として親しくしてきた。そういうこともあるからか、フリューが語るのは幼少期から王太子の様子だ。それからいままでの話はあまりに長く、盛り上がる部分も毎回変わらない。おかげでオペラは一度も会ったことがない王太子の寝相のことまで覚えてしまった。
(だから初めてお目にかかったとき何も感じなかったのかしら?)
それとも王太子の姿に口うるさいフリューの顔が重なって見えてしまうせいだろうか。公爵家の中でオペラが王太子妃になることをもっとも強く望んでいるのは兄フリューだ。熱心さは度を超す勢いで、耐えられなくなったオペラの家庭教師がこれまで三人も辞めている。
(お兄様はいったいどうなさりたいのかしら)
いまは妹を王太子妃にすることに情熱を燃やしているが、王太子妃になった後はどうするつもりなのだろう。もしかして外戚として力を振るいたいのだろうか。それにしては公爵家の経営に熱心とは言いがたい。西南にある公爵家領の多くはいまだ父が管理し、フリューが受け持っているのは葡萄園ばかりだ。それも殿下に極上のワインを届けるためという理由で、経営能力があるかと問われれば実の兄でも平凡だと表現するしかない。
「おい、聞いているのか?」
「えぇ、聞いていますわ」
暗記するほど聞かされてきた王太子への賛辞を右から左に受け流しながら、ちらりと時計を確認する。
(一時間前には王城に到着する予定だったのだけれど……)
そろそろ屋敷を出なくては一時間を切ってしまう。それでは控え室でお茶を飲む時間もなく、そうした慌ただしい訪問は貴族らしくなく不作法だとされていた。
それにしても……とオペラの瞳が兄を見た。フリューは時間に厳しく、こうして時間を気にすることなく延々と話をすることは滅多にない。フリューの癖といえば日に何度も時計を見ることで、それが高じていくつもの懐中時計を収拾しているほどだ。
(きっとご令嬢とおしゃべりしていても時計を気になさるのでしょうね)
容易に想像できるものの、フリューが女性と親しくしている話は聞いたことがない。
(それに部屋に入ってから一度も時計をご覧にならないなんて本当に珍しいこと)
そこまで考えたオペラはハッとした。「まさか」と思い、一旦は否定したものの「でも」と考え直す。
(これも神様がおっしゃっていた“ぷろぐらむ”の強制力とやらのせいかしら)
それなら納得できる。なによりも大事な王太子と、なんとしても王太子妃にしたい妹が面会する時間をフリューが気にしないのは不自然だ。
(……なるほど、強制力とはこうして働くのね)
それまですまし顔で兄の話を聞き流していたオペラの目が窓の外を見た。神は天上にいると言われているが、あの神もそうなのだろうか。そんなことを思いながら晴れ渡った空を見る。
「お兄様、このままでは慌ただしく王城を訪ねることになってしまいますわ。それはガトーオロム公爵令嬢としても、王太子妃候補としても許されないことです」
オペラの言葉にようやく時計を見たフリューは、「わたしとしたことが何ということだ」と顔をしかめた。「続きは……」という兄の言葉を遮るように「行ってまいります」と優雅に腰を折ったオペラが部屋を出て行く。
(強制力とやらを少し甘く見ていたかもしれないわ)
妨害はこれだけだろうか。美しく整えられた眉をわずかにひそめながら、やや急ぎ足で玄関へと向かった。
それに痺れを切らしたのは迎えに来たホワイトの侍女フィナーシェで、「お嬢様、お帰りの時間でございます」と言ってべりっと音が聞こえるほどの勢いで引きはがした。そのまま引きずるように庭の奥にある隠し扉へ向かうのだが、その間もホワイトは「お姉様~」と手を伸ばして別れを惜しむ。
「あの子はいつも大袈裟ね」
「それだけお嬢様を慕っておいでなのでしょう」
フィナーシェを温室に案内したのは侍女マディーヌだった。昼食の時間が迫る中、さすがに食卓にオペラが姿を現さなければ誰かが温室まで様子を見に来る。それでは秘密のお茶会のことが露見してしまう。それを防ぐために、すべてを心得ているマディーヌがフィナーシェを呼んだのだ。
いまや乳母よりもオペラのことをよく知るマディーヌは、まだ二十五歳と若手の侍女ながら機転が利きオペラのことをよく支えていた。オペラもマディーヌのことを信頼している。黙々とテーブルの上を片付けているマディーヌに「お兄様はどちらにいらっしゃるかしら」とオペラが尋ねた。
「本日は終日お部屋にて執務と伺っております」
「それはよかった」
昼食後、すぐに使いを出してもらえば夕方までには返事が来るだろう。うまくいけば数日後には目的を果たすことができるかもしれない。
(本当なら直接お手紙を差し上げられるとよいのだけれど)
いくら王太子妃候補とはいえ、女性であるオペラが直接王族である王太子に手紙を送ることは許されていない。父か兄に使いを出してもらうのが慣例だが、父に頼めば大騒ぎになる。「ようやく王太子のお心を掴みに動いたか!」と満面の笑みを浮かべるのは想像に難くなく、そこから一気に畳みかけようとあちこちに圧力をかけるに違いない。それはオペラが望むことではなかった。
(かといって、お兄様にお願いするのも本当は嫌なのだけれど)
王太子絡みになると、途端に兄フリューは人が変わった。まるで自分事のように口を出し、最終的にはどれだけ王太子がすばらしいかを延々と語り始める。
「本当に困った人たちね」
ため息をつくオペラに、拡げていたものをすべてバスケットに仕舞ったマディーヌが「心中お察しいたします」と頭を下げた。
「あなたにも苦労をかけるわ」
「もったいないお言葉でございます」
「昨日、例の本が届いたから、あとで取りにいらっしゃい」
「ありがとうございます」
最後の言葉にやけに熱が入っている。オペラは「気にしないで、わたくしも読むのだから」と言って微笑んだ。
早くて数日後だと考えていた王太子との面会だったが、その日のうちに「では、明日の午前中に」との返事があった。返事を見たオペラは「お目にかかることはできるのね」と密かに感想を抱く。てっきり面会すら叶わないものとばかり思っていたせいか拍子抜けに近い気持ちになった。
(では、神様はどうやって邪魔をなさるのかしら)
そんなことを考えながら眠りに就いた。
翌日、朝早くから侍女たちと支度をしていたオペラは、時間に余裕を持って屋敷を出ることにした。それを止めたのは時間にうるさい兄フリューだ。
「どうされましたの?」
「ちょっと来い」
「これから王城に行くのですけれど」
「知っている」
「王太子殿下をお待たせすることはできませんわ」
「わかっている」
明らかに不機嫌な声にオペラが首を傾げる。
「おまえ、昨日の手紙に何を書いた」
部屋に入るなりフリューが眉尻を上げながらそう尋ねた。
「何とおっしゃられても、“お目にかかりたいのでお時間を”とお伺いする文言ですわ」
「本当にそれだけか?」
「えぇ。それにお兄様のことですもの、中身は確認なさったのでしょう?」
妹の指摘にフリューが表情を変えることはない。よく似た兄妹は互いの美貌を無言で見つめ合った。
「では、どうして殿下のご様子が違っていたんだ?」
ソファに座ったフリューが顎を撫でながら気難しい表情を浮かべる。
(王城で殿下にお目にかかったのかしら)
昨日は一日執務室にいる予定だったフリューだが、どうしても確認しなくてはいけないことがあるといって王城に向かったのは夕食の二時間前だった。そうして帰宅時にフリューが持って帰ってきたのが今日の面会時間を指定する手紙で、受け取るときに王太子と会ったのかもしれない。
そういえば夕食のときも浮かない顔をしていた。一晩寝てもすっきりせず、それで出かける直前だというのに呼び止めてまで確認することにしたのだろう。
「殿下のことはわたくしよりお兄様のほうがよくご存知でしょう? わたくしに尋ねられても困りますわ」
「もちろん殿下のことはわたしが一番よく存じ上げている。そのわたしが不審に思うほど昨日の殿下は明らかに様子が違っておいでだった。頬を染めているというか、心ここにあらずというか、心奪われる何かがあったというか……」
「では、そうしたことがおありになったのではなくて?」
「いいや、そのような出来事もご予定も入っていらっしゃらなかった。陛下の元には午後、ボンボール領から使者が来るという話があるようだが、王弟殿下がいらっしゃるわけではないしな」
思わず「調べたのですか」と呆れそうになった。ため息を呑み込みながらじとりと兄を見た。フリューのほうは妹にそんな眼差しで見られていると気づいていないのか、「殿下の心を惑わす何者かがいるのか?」とブツブツつぶやいている。
「では、予定になかったお兄様との面会にお喜びになられたのではなくて?」
「そ……んなこと、あるわけないだろう」
顔をしかめながらも、フリューはまんざらではないという顔をした。しかも目元をやや赤く染め、その姿はまるで恋をする乙女のような様子だ。
(そんなにお慕いしているなら、いっそお兄様が王太子妃になればよろしいのに)
オペラがついそう思ってしまったのは、最近読むようになった本の影響を受けているからかもしれない。そうした種類の本を知ったのは侍女マディーヌの愛読書を偶然見たのがきっかけで、いまではオペラも嗜む程度に読んでいる。
(たしかのほかの恋愛の本より興味深いけれど)
本には美しい殿方同士の恋模様が綴られていた。時に激しく時に深く、家柄や立場に翻弄されながらも純粋な愛を貫こうとする物語は密かに人気を集めているようで、貴族令嬢の間でも話題になっているらしい。
ホワイトも知っている口振りだったが、「それよりアン王女とレミリア侯爵令嬢の物語はお読みになられまして?」と目を輝かせていた。そちらは王女と侯爵令嬢の道ならぬ恋を描いた物語らしく、実在しない人物だというのにホワイトは涙ながらに語って聞かせてくれた。
(あの子はいつも全力で可愛らしいこと)
可愛い妹のためにも二人揃って悪役令嬢にならなくて済む方法を見つけなくてはいけない。改めてそう決意したものの、フリューの話は一向に終わりそうになかった。気がつけばいつもどおり王太子を褒め称える話になり、耳にたこができるほど聞かされた王太子の人柄を熱く語っている。
(殿下のことになるとこうなっておしまいになるのがお兄様の悪い癖)
三十歳のフリューは四歳年下の王太子と学友として親しくしてきた。そういうこともあるからか、フリューが語るのは幼少期から王太子の様子だ。それからいままでの話はあまりに長く、盛り上がる部分も毎回変わらない。おかげでオペラは一度も会ったことがない王太子の寝相のことまで覚えてしまった。
(だから初めてお目にかかったとき何も感じなかったのかしら?)
それとも王太子の姿に口うるさいフリューの顔が重なって見えてしまうせいだろうか。公爵家の中でオペラが王太子妃になることをもっとも強く望んでいるのは兄フリューだ。熱心さは度を超す勢いで、耐えられなくなったオペラの家庭教師がこれまで三人も辞めている。
(お兄様はいったいどうなさりたいのかしら)
いまは妹を王太子妃にすることに情熱を燃やしているが、王太子妃になった後はどうするつもりなのだろう。もしかして外戚として力を振るいたいのだろうか。それにしては公爵家の経営に熱心とは言いがたい。西南にある公爵家領の多くはいまだ父が管理し、フリューが受け持っているのは葡萄園ばかりだ。それも殿下に極上のワインを届けるためという理由で、経営能力があるかと問われれば実の兄でも平凡だと表現するしかない。
「おい、聞いているのか?」
「えぇ、聞いていますわ」
暗記するほど聞かされてきた王太子への賛辞を右から左に受け流しながら、ちらりと時計を確認する。
(一時間前には王城に到着する予定だったのだけれど……)
そろそろ屋敷を出なくては一時間を切ってしまう。それでは控え室でお茶を飲む時間もなく、そうした慌ただしい訪問は貴族らしくなく不作法だとされていた。
それにしても……とオペラの瞳が兄を見た。フリューは時間に厳しく、こうして時間を気にすることなく延々と話をすることは滅多にない。フリューの癖といえば日に何度も時計を見ることで、それが高じていくつもの懐中時計を収拾しているほどだ。
(きっとご令嬢とおしゃべりしていても時計を気になさるのでしょうね)
容易に想像できるものの、フリューが女性と親しくしている話は聞いたことがない。
(それに部屋に入ってから一度も時計をご覧にならないなんて本当に珍しいこと)
そこまで考えたオペラはハッとした。「まさか」と思い、一旦は否定したものの「でも」と考え直す。
(これも神様がおっしゃっていた“ぷろぐらむ”の強制力とやらのせいかしら)
それなら納得できる。なによりも大事な王太子と、なんとしても王太子妃にしたい妹が面会する時間をフリューが気にしないのは不自然だ。
(……なるほど、強制力とはこうして働くのね)
それまですまし顔で兄の話を聞き流していたオペラの目が窓の外を見た。神は天上にいると言われているが、あの神もそうなのだろうか。そんなことを思いながら晴れ渡った空を見る。
「お兄様、このままでは慌ただしく王城を訪ねることになってしまいますわ。それはガトーオロム公爵令嬢としても、王太子妃候補としても許されないことです」
オペラの言葉にようやく時計を見たフリューは、「わたしとしたことが何ということだ」と顔をしかめた。「続きは……」という兄の言葉を遮るように「行ってまいります」と優雅に腰を折ったオペラが部屋を出て行く。
(強制力とやらを少し甘く見ていたかもしれないわ)
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