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3 怖い顔の人

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「ソファに座ってろ。腹が減ってんだろ? 飯、作ってやるから」
「あの、……はい」

 俺を迎えに来たのは怖い顔をした体が大きな男の人だった。この人もボスがいた事務所の人なんだろうか。

(怖い顔だし雰囲気もそんな感じだし、たぶんそうだ)

 それにボスと同じくらい偉い人みたいだった。この人が部屋に入ったとき、ピンク頭の人も茶髪の人も「ご無沙汰してます」とお辞儀をしていた。怖い顔の人は「ご無沙汰で当然だろうが」って怖い顔をしていたけど、それは事務所に来なくてもいいくらい偉いってことだ。ボスにも「ここに呼び出すんじゃねぇよ」と言っていた。
 そんな人に連れて来られたここは何をする場所だろう。大きなビルだけど風俗店には見えない。

(もしかして、臓器売買のほうだったのかな)

 怖い人たちの事務所では、偉い人や金持ち相手に臓器売買をしているって聞いたことがある。俺を連れて来た人が売る人なのか買う人なのかはわからないけど、すごい金持ちみたいだから両方かもしれない。
 乗せられた車は大きくて高そうだった。連れて来られたこの部屋もすごく高いビルの一番上だ。ソファは事務所のよりずっとフカフカな真っ白で、目の前のテーブルも見たことがないくらい透明でキラキラしている。

(もしかして、全部売るまで逃げないようにするつもりとか)

 臓器売買は一つずつ売っていくから、すごく痛いらしい。臓器売買された人に会ったことはないけど、そういうものだってお店で聞いたことがある。

(……痛いのは、嫌だな)

 それなら風俗店のほうがいい。そう思ったけど俺に選ぶ権利がないこともわかっている。

「飯だ」

 これからのことを考えていた俺の目の前にお皿が置かれた。顔を上げると怖い人が俺を見ている。改めて見たお皿には焼き飯みたいなご飯が山盛り入っていた。

(お母さんが最後に作ってくれた焼き飯に似てる)

 そう思った途端にお腹が鳴った。車の中でも鳴ってしまったけど、いまのは恥ずかしくなるくらい大きかった。

「腹が減ってんだろ。まずは食べろ」

 そう言った男の人が向かい側に座った。もしかしたら俺が食べるのを待っているのかもしれない。

(そっか、食べ終わったら臓器売買の準備をするんだ)

 そう思うと怖かったけど、お腹が空きすぎて目の前のご飯のことしか考えられなくなった。

「いただきます」

 両手を合わせてから銀色のスプーンを持つ。山盛りのてっぺんをそっとすくい、こぼさないように口に入れた。

(……おいしい)

 俺が知っている焼き飯と違ってパラパラしていた。ぼんやり覚えているお母さんの焼き飯とは具材も違うような気がする。きっと味も違うんだろうけど、空腹過ぎて味わう余裕もなかった。

「ゆっくり食え」

 声は聞こえているけど手が止まらない。そのままガツガツ食べていたら、あっという間にお皿が空になってしまった。「もう少し味わって食べればよかった」なんて残念に思いながら、両手を合わせてごちそうさまを言う。

「おぉ、全部食ったな。えらいえらい」

 そう言って怖い顔の人が俺の頭を撫でた。一瞬だけ体が強張る。膝に乗せた両手を握り締めて、とにかく動かないようにじっとした。

「しかしこんな子どもまで売人にするとは、あの辺りもろくでもねぇことになってんな。藤生フジオの奴、気ぃ抜けてんじゃねぇか?」

 もしかしなくても、この人も俺を子どもだと思っているんだろうか。

「おまえ、親は?」

(……俺の親?)

 これから臓器売買される俺に親のことなんて聞いてどうするんだろう。

「いません」

 どこかにお母さんはいるかもしれないけど、どこにいるかわからないならいないのと同じだ。だから「いません」と答えた。

「こんな子どもをほっぽりだして、最近の親は何やってんだ」
「あの、」

 子どもじゃないと言おうとしたけど、怖い顔で見られると何も言えなくなる。

「なんだ、怒らねぇから言ってみろ」

 顔は怖いけど、声はそこまで怖くない。だから「俺、子どもじゃないです」と小声で答えた。

「いくつだ?」
「十七、です」
「十七? は? おまえ、高校生か? そんな小せぇ体で、十七?」
「こ、高校は行ってない、ですけど、十七です」

 一ヶ月くらいしたら誕生日がくるから、ほとんど十八歳だ。

「いや、十七にしちゃあ小さすぎだろ。それにガリガリだぞ? ……おまえ、もしかして虐待されてたのか? あぁ、それで売人なんてさせられてたってことか」

 ぎゃくたい……って、まさか虐待? 違う、そんなことはされてない。

「ぎ、虐待なんて、されてません。小さいのは昔からなんで、虐待とは、違います」
「親、いねぇんだろ」
「十五歳になる前に、お母さんがいなくなった、だけで、」

 怖い顔がどんどん怖くなっていく。もしかして、いなくなることも虐待なんだろうか。そうじゃないと言いたくて、俺は慌てて口を開いた。

「あの! ……あの、お母さんはちょっと病気で、ボーッとしてることが多くて、それで俺、ずっと側にいたんです。でも、久しぶりに学校に行って帰ってきたら、いなくなってたっていうか、」

 虐待じゃないと言いたいのにうまく説明できない。それが悔しくて俯きながら唇を噛みしめた。
 お母さんが虐待していたなんて思われたくない。お母さんは優しかったし、叩かれたことも怒鳴られたこともなかった。たくさん頭を撫でてくれて、元気なときはたくさん抱きしめてくれた。笑いながら「大好きよ」ってたくさん言ってくれた。
 病気になってからは少し変だったけど、一緒にご飯を食べるときは「おいしいね」って一緒に笑ったりもした。だから、お母さんは虐待なんかしていない。

「そのあたりは後で調べさせるからいいか。で、おまえはいま一人なんだな?」
「……はい」

 虐待じゃないってわかってもらえなかった。俺がうまく話せなかったせいで、お母さんが悪者になってしまった。

「よし、いまからここがおまえの家だ。おまえみたいな奴が一人で戻ったところで、またろくでもねぇ奴らにいいように使われるのは目に見えてる。少なくとも、いまは絶対にそうなる。だから帰すわけにはいかねぇ」

 帰すわけにはいかないってことは、やっぱりこのまま臓器売買に連れて行かれるってことだ。それでも「もしかして違うかもしれない」と思ってしまった俺は、おそるおそる口を開いた。

「あの、俺、臓器売買、されるんですか?」
「はぁ?」

 怖い人の声がさっきよりもずっと低くなった。

「なんだそりゃ。誰がそんなこと言いやがった? ……藤生フジオの目の届かねぇところで、んなことやってる馬鹿がいるってことか?」
「し、事務所に連れて行かれたら『風俗に沈めるか臓器を売るかだ』って、お店で怖い人が、話してたから」

 俺の話を聞いている顔がどんどん怖くなる。見ていられなくなった俺は顔を隠すように俯いた。

「……なるほどな。そういう環境で育ったんだとしたら、耳年増にもなるわな」

 みみどしま……って、なんだろう。

「おい、俺を見ろ」
「……!」

 隣に立った男の人に顎を掴まれて上を向かされた。俺を見る顔はさっきよりもずっと怖い。
 どうしよう、俺がくだらなことを言ったせいだ。目を逸らしたらもっと怒られると思った俺は、唇を噛みながら必死に怖い顔を見た。

「臓器売買だとか、んなことはしねぇ。俺は真っ当な商売をしてんだ、そんなことするわけねぇだろうが」
「まっとう、な、商売、」
藤生フジオんとこも、あっちの世界じゃ白いほうのグレーだ。子どもにンなことしたりしねぇよ」
「……でも、俺バイニンってので、だから、連れて来たって、」
「足下でうろちょろしやがってる奴らをぶっ潰すためにな。三玄茶屋さんげんちゃやの連中が関わってるってのはわかってるが、なかなか尻尾を出さなくて藤生フジオんとこも困ってんだよ。そこでようやくとっ捕まえた下っ端が、おまえが売人だと吐いたってところだろうが……。たしかに売人なんだろうが、やってた理由もなんとなく察しがついた。藤生フジオんとこは子どもに優しいからなぁ、それで俺に押しつけてきたんだろ」

 わからないことだらけだけど、俺を押しつけられたんだということはわかった。

(それじゃあ、機嫌が悪くなるはずだ)

 誰だって俺みたいなのを押しつけられたら迷惑に決まっている。

「とにかく、落ち着くまでおまえはここにいろ。いいな」

 押しつけられた俺を、用事が済むまで置いてくれるってことだろうか。

(どうしよう)

 こういうとき、お店では迷惑料を払わなくてはいけない。ここはお店じゃないけど、事務所の偉い人だろうから払わないと大変なことになる。でも、お金がない俺にはどうやって払えばいいのかわからない。

(臓器売買とは別に迷惑料を払う方法って……)

 俺にできることと言えば一つしか思い浮かばなかった。

「おまえの荷物は、近々取りに行かせるから待っ……」

 顎から離れた手を掴んで「あの!」と声を出した。

「俺、迷惑料、払えません」
「……何の話だ?」
「押しつけられて、部屋に置いてもらうのは迷惑だって、わかってます」
「迷惑っていうのは藤生フジオみたいな奴のことを言うんだよ」
「でも、ボスっていう人にも、迷惑、だったと思うし……」

 言えば言うほど顔が怖くなっていく。それでもちゃんと言わないといけない。言わないと後でもっと大変なことになる。

「俺、風俗店で働きます。それで、迷惑料払います」

 俺なんかがどのくらい稼げるのかわからないけど、他の仕事より早くたくさん稼げるはずだ。

「俺、風俗店、大丈夫です」

 俺が働けるお店があるかわからない。でも事務所にいたボスなら紹介してくれるかもしれない。

「それであの、ボスに、……っ」

 ボスにお店を紹介してもらおうと口を開いたところで、また顎を掴まれた。さっきよりも強い力で上を向かされる。掴まれた顎も引っ張られている首も痛いけど、それよりも睨むような目が怖くて体が強張った。

「おまえ、風俗で働きたいのか?」
「……っ」

 さっきよりもずっと低くて怖い声だ。もしかして臓器売買する人は風俗で働いたらダメなんだろうか。

「答えろ」
「……俺、そのくらいでしか、迷惑料、稼げない、から、」

 俺を見下ろす目がますます細くなっていく。

(もしかして、何か間違えた……?)

 でも、俺にはそれしか思いつかなかった。

「……なるほどな。それがおかしいってわからない環境で育ってきたってことか」

 おかしいってことは、やっぱり何か間違えたんだ。でも、何を間違えたのかがわからない。

藤生フジオのことは関係なく、おまえは俺の手元に置く。いいな」

 顎を離されて、慌てて頷いた。

「あの、それで俺は、どこで働けば」
「おまえが働くのはここだ」
「……え?」

 ここっていうのは、この部屋ってことだろうか。ぐるりと見回したけど、俺が知っている風俗店とは全然違う。お店じゃない風俗店もあるけど、このビルは入り口もエレベーターもそんなふうには見えなかった。

「あの、ここで働くんですか……?」
「そうだ」

 この人がそう言うなら、そうなんだろう。

(そっか、ここで練習してからお店に行くってことか)

 きっとそうだ。俺がちゃんと働けるか見極めてからお店を決めるってことだ。そう考えた俺は「よろしく、お願いします」と頭を下げた。そうしたら、「ハァ」ってため息みたいな声が聞こえてきた。
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