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5 続く熱

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 発熱から五日が経ってもスティアニーの熱は下がらなかった。薬のおかげで食欲が完全になくなることはないものの、食べる量は元気なときより随分と少なくなってきている。

(さて、どうしたものかな)

 薬の量を増やすという手はあるが、小柄なスティアニーでは体に負担がかかるだろう。「悩ましいな」と思いながらジルネフィの手が赤らむ頬を優しく撫でる。

「……お師さま」
「あぁ、起こしてしまったね。水は飲めそう?」
「……はい」

 赤くなった目元と揺らめく菫色の瞳がスティアニーの現状を物語っていた。薬の調合を変えようかと思いながら「果物なら食べられそうかな?」と問いかける。

「蜜桃を切ってきたよ」
「蜜桃……」
「そう、ちょっと待ってて」

 芳醇な香りとたっぷりの果汁が特徴の蜜桃は、スティアニーの小さい頃からの好物だ。熱が出たときもこの桃だけはいつも食べていたから、今回も「これなら」と用意した。
 初めて蜜桃を見たとき、銀粉をまぶしたような果肉にスティアニーは目をキラキラと輝かせていた。「こんなに綺麗なものは食べられません」と言いながら視線を外そうとしない姿はいまもジルネフィの脳裏に残っている。
 上半身を起こしたスティアニーのそばに椅子を置き、皿を手に座る。食べやすいように一口大に切った果肉を匙に載せたジルネフィは、いつもより赤い唇に蜜桃をそっと近づけた。

「ゆっくりでいいからね」
「はい」

 そう言って開いた中にちらっと見えた舌も随分赤い。「やっぱり熱がつらいんだろうな」と思いながら、ゆっくりと口の中に匙を入れて果肉を舌に載せる。ちゃんと咀嚼して飲み込むのを確認してから、次の果肉を同じように食べさせた。それを何度かくり返しているうちに、あふれた果汁が唇から顎へとたらりと滴ってしまった。

「あぁ、いけない。ちょっと待って……ほら、拭ってあげよう」

 濡らしたタオルで口元を拭い、ついでにと熱い頬や額、それに首筋を優しく拭っていく。「小さい頃は、よくこうしてあげていたな」と思い出しながら、最後にストロベリーブロンドの前髪を掻き分けて生え際を拭った。

「さぁ、もう少し食べようか。それとも、もう食べられそうにない?」

 潤んだ菫色の瞳がさまようように動いた。どうしたのかとジルネフィが見つめていると、膝の上に置いた指先が何かに迷うようにもぞもぞと動く。

「スティ?」
「……お師さま、治癒で熱を下げてください」

 意を決したように菫色の瞳がプレイオブカラーを見つめた。

「それは魔力でってこと?」

 小振りな頭がこくりと頷く。

「スティ、それじゃきみの体にわたしの魔力が残ってしまう。前にも話したけど、それは人間にはよくないことだよ」
「……お師さまの魔力なら、僕は……」

 スティアニーは魔術の技術とともに魔力についても学んでいた。当然、魔力が人間に与える影響も理解しているはずで、ジルネフィが魔力での治癒を行わない理由も知っている。

「お師さま……ジルさま、お願いです」
「スティ」

 スティアニーがジルネフィを名前で呼ぶことはあまりない。それなのに名前を呼んでまで求めると言うことはよほどつらいのだろうか。

(……いや、そうじゃないな)

 スティアニーは昔から我慢強い子だった。ジルネフィに心配をかけたくない一心で怪我をしても隠すくらいだ。それでもこうして頼むのは、これ以上迷惑をかけたくないと思っているからに違いない。

(気にする必要はないと何度も言っているのに)

 それに迷惑だと思っているのならとっくに見捨てている。魔族とはそういうものだと教えたはずなのに、いつも師のことばかり気にかける弟子に育ってしまった。
 潤んだ菫色の瞳はいつになく必死な様子をしている。ここで駄目だと言っても諦めないだろう。

「わかった。方法は知っているね?」
「……はい」

 魔族が相手なら外側から魔力に干渉するだけで済むが、魔力を持たない人間ではそうはいかない。まずは体内に魔力を注ぎ込む必要があった。

(魔力を注ぎ込むには体液を飲ませるのがもっとも効率がいい)

 何かを飲み込むという動作は人間に“魔力を受け取った”と認識させやすい。それが効果を増大させ安定させる。ほかにも人間の魔術師のように魔道具を介して行う方法もあるが、魔族であるジルネフィには面倒でしかない方法だった。

(さて、何を飲ませるかだけど……効率がいいのは血液だけど、人間は吸血行為をしない生き物だからな)

 体内を巡る血液には元々魔力が含まれているため力を媒介しやすい。しかし人間をよく知る弟に言わせれば「それは嫌がられると思うよ」ということらしく、スティアニーに話したときも眉をひそめられてしまった。
 代わりに弟が口にしたのが口づけだった。血液には劣るものの、唾液にも微量ながら魔力が含まれている。人間の世界にも口づけという行為はあるから、吸血行為よりは抵抗感も少ないだろう。

「ジルさま、僕は大丈夫です。その……キスも、ちゃんとできます」

 潤んだ瞳がじっとジルネフィを見つめた。先ほどより目元が赤いのは熱が上がってきたからだろうか。

(たしかにこのままでは体力が持たないかもしれない)

 それに本人がいいというのなら構わないだろう。ベッドに腰掛けたジルネフィは、もう一度「本当に大丈夫かい?」と問いかけた。ますます顔を赤くしながらも、ストロベリーブロンドの頭がしっかりと頷く。

「よし、わかった」

 スティアニーの顎に手をかけたジルネフィは、上向かせながら「力を抜いて楽にして」と声をかけた。

「少しだけ口を開けてくれるかな」

 そう言うと、瞳を閉じたスティアニーが赤い唇をゆっくり開く。赤い舌先が見えたところで、顔を寄せたジルネフィがそっと唇を触れ合わせた。

「……っ」

 スティアニーの体がわずかに強張った。それでも拒絶することなく口を開き続けている。
「これなら大丈夫そうだ」と判断したジルネフィは、魔力を帯びた唾液を舌に絡めながらスティアニーの口内へと侵入した。少しずつゆっくりと唾液を熱い舌へと載せていく。

(もう少し……このくらいか?)

 唾液が自分の舌を伝うときに魔力を微調整し、口内の熱を舌先で確認しながらゆっくりと注ぎ込む。何度かくり返すと熱が少しずつ収まるのがわかった。
「そろそろいいかな」と思い、念のためにと口内をぐるりと舐めて確認する。最初はどこもかしこも熱かったが、すっかり穏やかな熱に戻った。これ以上魔力を注ぎ込むのはよくないと判断したジルネフィが舌を抜こうと動かしたときだった。

(お……っと)

 スティアニーの舌先が撫でるようにジルネフィのそれに触れてきた。
 触れた瞬間、ジルネフィの魔力がぶわっと膨れ上がった。慌てて収めたものの、抜き去った舌がやけにジンジンする。初めて感じる感覚にジルネフィは内心首を傾げた。

(いまのは何だったんだ?)

 顔を離しスティアニーを見る。まだ熱の余韻が残っているのか、目元を赤くした菫色の瞳がじっとジルネフィを見つめていた。そうして唇をわずかに動かし、静かに顔を伏せた。

(いまの口の動きは、わたしの名前……?)

 もしかして礼を言ったのだろうか。それにしては髪の毛の間から覗く耳がやけに赤い。熱はすっかり下がったはずなのに、どうしたのだろう。

「スティ、もう体はつらくない?」

 念のために確認すると、わずかに震えた声で「はい」と返事をした。

(やっぱり口づけが嫌だったんじゃ……)

 しかし魔力での治癒を望んだのはスティアニー自身だ。最中は拒絶といった雰囲気もなかった。それなのに耳は真っ赤なままで、ほんの少し見える顔も赤らんでいる。

(とにかくいまは寝るのが一番だ)

 人間の回復には睡眠が一番だと聞く。きっと一晩寝ればすっかりよくなるだろう。そう思って「さぁ、もう少し寝ておこうか」と声をかけた。

「はい」

 横になったスティアニーが目元まで掛布を引き上げた。子どもの頃から変わらない仕草にジルネフィが小さく笑うと、なおも熱っぽい菫色の瞳がじっと見つめる。

「スティ?」
「あの……ありがとうございます」
「気にしなくていいから、いまはしっかり休もうか」

 こくりと頷いたスティアニーは、目を閉じてすぐに寝息を立て始めた。侵入してきた魔力に体が驚き休息を欲しているのだろう。

(それにしても、さっきの感覚は何だったんだろう)

 ただ舌先が触れただけで魔力が膨れ上がるなんて、これまで経験したことがない現象だ。
 人間なら三十歳前後に見えるジルネフィも、実際にはもっと歳を重ねている。スティアニーを拾う前は大勢の魔族と肉体関係を持っていた。すべては欲に忠実な魔族らしい行動の結果で、とくに心が動くだとか魔力が暴走するだとかいったこともなかった。

(それなのに、舌が触れ合ったくらいで驚くなんて)

 すっきりしない気持ちのまま、ジルネフィは蜜桃の残りを口にした。
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