人間と車

星磨よった

文字の大きさ
上 下
1 / 1

人間と車

しおりを挟む
 その日、日本で画期的な発表がなされた。
 なんと、日本の大手自動車メーカーの一つが、全自動型自動車の開発に成功したというのだ。


 その車は、目的地を設定すれば全てをAIが操作するという。
 更にすごいのが、交通事故を99.9%発生させないという。


 後の0.1%は、自然災害などの不測の事態が起きてAIが正常に作動できなくなった場合の予測で、ほとんど完璧に交通事故の発生を抑えるのだ。


 ただ、もちろん相手の過失による交通事故は抑えることができない。
 この数字は、この車の過失による交通事故の発生を抑える確率だ。


 この衝撃的な発表に日本だけでなく、世界中のメディアがこの発表を報じた。
 海外の専門家達はテレビで議論を行った。


「今すぐにでも、この車を輸入するべきだ」


「いや、もっと様子を見てからでなければ、性能を本当に信じることはできない」


「様子を見る必要などない。メーカーの出した試験データを見れば、性能は十分信じることができる」


「試験は試験だ。こんな車は前代未聞だ。今までも一部自動運転が可能な車はあったが、全てが自動運転で、しかも人が操作することはできないんだぞ」


「人が操作できないのは、安全性をより高めるためだ。この車の自動運転をもってすれば、人が運転するよりも格段に安全だ」


「なぜ、そんなに焦る。国内メーカーが今後、同様の性能を持った車を開発するかもしれないではないか」


「いや、それは意味がない。同様の性能の車を開発したときには、世界のシェアは既に日本のメーカーに奪われている。それよりも上の性能をもった車を作らなければならないのだ。だが、そんな事を待っていれば、気付いたときには輸入が難しくなり、国内メーカーの開発を待っている間に多くの人が交通事故によって命をおとすのだぞ」

 議論は紛糾した。


 このような議論は当然、世界の政治家たちの間でも行われていた。
 独裁的な後進国などでは、早くも日本のメーカーに輸出を求めて、日本政府と交渉を行おうとしていた。


 だがそんな中、日本政府は一つの決断を発表した。
 当分の間は、この車を海外へ輸出しないというのだ。理由は簡単だ。


 もし、足早に海外へ輸出して不具合で人身事故など起きたら、国際問題に発展し、多額の賠償金が発生するだろう。


 そんな事態は避けたかったし、とにかく一旦日本で普及させ交通事故が大幅に減れば、そのデータがさらにこの車への信頼に繋がると考えたのだ。


 世界にシェアを広げ、日本の輸出を増やすのも大事だが、政府にとっては一刻も早く自国の交通事故で亡くなる犠牲者を減らしたい理由があった。少子高齢化である。 


 今や日本は異常な程、極端な世代別の人口比率になってしまっている。
 その上、事故で亡くなる犠牲者に多いのが働き盛りの労働者や未来を担う子供たちなのだ。
 

 いくら高齢者に車の運転を辞めるよう訴えかけても、必ず止めない者は出てくる。
 高齢者の母体が増えれば増える程、運転を辞めない者も多く出て来てしまうのだ。


 そんな者達が、犠牲者の出る交通事故を多く起こしてしまっていた。
 政府は高齢者による運転を法律で禁止しようとしたが、それも無理な話だ。


 少子高齢化によって行政に集まる税金は大幅に減り、交通サービスなどを続けられない程に財政は逼迫していた。
 そのため、バスなどは大幅に減便されてしまっている。 


 家から駅が遠い高齢者などは、そこまで歩くことができず、車が自ずと必要になってしまう背景があるのだ。
 しかも、そういった高齢者の意志に反する政策を政府は取ることができない。


 選挙の有権者のほとんどは高齢者なのだ。
 高齢者に重きを置いた政策を取らないと、選挙では勝てないのだ。


 そんなときに、この車が運良く自国のメーカーによって開発されたので、この車を多くの国民、特に高齢者に普及させることで、今までの高齢者の過失運転による死亡事故を大幅に減らせると考えたのだ。


 国としては、これ以上働き手となる世代や子供たちの人口を減らす訳にはいかなかった。
 そうして、国は輸出を一定期間はしないことを発表し、この車の税金を特例として下げ、購入に国から補助金を出すことを決めた。


 これにより、この車は、日本のメーカーの通常自動車と同じくらいの値段で買うことができるようになった。
 発売を始めると購入者はどんどんと増えていった。


 しかし、やがてある一定数が売れたところで、売り上げ台数の伸びが止まった。
 政府が購入をいくら推奨しても、広告を国やメーカーが出しても、一向に売り上げ台数の伸びは緩やかなままであった。


 その訳は、この車を最も安全にしている機能にあった。
 それは人が運転できないこと。


 この車の購入を避ける人の中には、お金が無い人であったり、仕事柄トラックなどを使う人などもいたが、政府の本来の目的は高齢者にこの車を普及させることにある。


 高齢者は仕事の影響で特殊な車が必要にケースは稀であるし、年金がまだ持続されているため、この車に買い換えることが可能な人は多いはずだ。


 なおかつ、どれだけの人が高齢者が運転する車の過失事故によって亡くなっているかは、ニュースを見れば簡単に理解できる。


 しかし、この車を購入しないということはやはり自分で運転がしたい。
 そういう理由なのだ。


 当然、事故を防ぐために、この車に買い替えた高齢者も中にはいる。
 しかし、この車の購入者のほとんどが高齢者より下の世代であった。


 これでは、交通事故はそれ程減ってはいかない。
 そんな間にも多くの交通事故が発生している。
 

自動運転の車が関わった事故も複数発生していたが、その全てが他の自動車の運転手による過失が原因だった。


 当然、死亡事故も起きていて、そのほとんどが高齢者が運転する車の過失によるもので、ニュースなどでも大きく報じられたが、やはりこの車に買い替える者は増えていかなかった。


 この頃、この車の国内での購入台数の伸びがかなり減って来ていたため、政府は海外への輸出を許可し始めた。
 だが、海外でも日本と同じことが起きた。


 最初の内は売れていたのだが、段々とその伸びが落ち着いていく。
 やはり、原因は自分で運転したいという欲求であった。


 しかし、ある国々ではこの車に買い替える者が多く、交通事故やそれによる死亡者が大幅に減った。
 それらの国々で共通していた特徴が、独裁的な国家であるということだった。


 独裁者たちは購入を推奨し、半ば強制的にこの車に切り替えさせた。
 これにより交通事故によって失われる労働者の命は減っていき、時が流れる程、その効果は大きく、他の国々と比べ労働力が増大した。
 

 そして、そういった国々はその後、かなりの経済成長を果たした。 
  

 そんな状況を見て、ある世界的に著名な人類学者は呆れたように言った。


「人間は他人の死など、どうでもいいのである。他人の死よりも、自分の欲求や快楽を選ぶのだ。だが、それが自分の周りに降り掛かったとき、始めてその傷みに気付き、人間の愚かさを知るのだ。独裁者なども愚かであるが、愚かな人間達はより愚かな者によってしか、正しい方には進めないのである」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...