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「贄になるのは聖女だけだと……」
「まあ偶然なんだけれど、私も魔力が高かったのよ。今代の王太子が新たな贄をこちらに寄越さずに済むくらいにはね」
そもそも最終的に私と結婚したところで、夫となるひとの心は永遠にあの子のものなのだ。そんな結婚生活、控え目に言って地獄である。死んだ女には勝てないなんて世間では言うらしいが、似たようなものだ。そもそも別に元婚約者に恋なんてしていなかったし。
「どうして、君は僕に全部教えてくれたんだ? 両親でさえ、ここまで説明してくれなかったのに」
「二人は王太子さまには伝えたそうよ。まあ、あなたが信心深いタイプじゃないから、諦めたのかもね。変に引っ掻き回されて、結界が緩んでも危ないし」
「それでも!」
「それに私があなたに教えて上げたのも、優しさからではないわ」
七不思議に言及すれば、正体がバレることはわかっていた。それでも、彼に私のことを覚えておいてほしかった。
「私はね、あなたを傷つけたかったの」
淡々と語る私のことを、ジョシュアは目を丸くして見ている。
「プリムローズ、僕は君のことが!」
「同情ならいらないわ」
思わず薄い笑みがこぼれた。もういいのだ。自分の存在が擦り切れるまでの時間を、ただ少しずつ伸ばしながら生きていくしかないと思っていた。
「私、婚約破棄なんて意味がないと思っていたのよ。だって、ただの茶番じゃない。でもね、あなたを好きになって初めて気がついたの。好きなひとのいる世界なら、守れるわ。どんなに寂しくても、相手が私のことを覚えていてくれるなら耐えてみせる」
人々から忘れられたら、贄は消えてしまう。それは呪いであると同時に、救いなのだと思う。愛するひとが自分のことを忘れてしまったら、この世界にとどまる理由はきっとなくなってしまうから。
「どうして笑うんだ、こんな時に」
「愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ」
図書室で読んだ戯曲の中から、とびきりの一文を選び出す。芝居掛かった仕草で台詞を吐けば、彼が顔を青ざめさせた。
私は、あらんかぎりの力で咲き誇る満開の桜に向かって彼を突き飛ばす。窓はこっそり開けておいた。咲き誇る桜の枝が、落下する彼を抱きしめてくれるだろう。その間に私はこの図書室を内側から閉じてしまえばいい。
七不思議にも数えられていた告白が絶対に叶う桜の木。ここでいう告白とは、愛を告げることではない。王族が、聖女の役割を婚約者に告げる贖罪の場。意思を持つ桜は、王族の守護神だ。
桜の花はやっぱり嫌いだ。私の大事なものを、全部連れ去ってしまう。私ひとりを置き去りにして。
「ジョシュア、あなたの幸せを願っている。あのひとの息子としてジョシュアが私の前に現れたように、今度はあなたの子どもたちがこの学園に来てくれるのを楽しみに待っているわ。それまでちゃんと守っておくから。安心してちょうだい」
下を見ることなく窓から離れようとしたら、思い切り腕を掴まれた。なんと彼は壁のへりに掴まって、図書室へと舞い戻ってきたらしい。さすが学年首席の第二王子殿下は、座学だけでなく運動神経も抜群のようだ。
「諦めるなんて許さない」
「ちょっと、ジョシュア。何を怒っているの?」
「まさか、僕の父親のことを今でも好いているのか?」
「違うってば。あなたのご両親とは、本当に友人だったのよ。好きになったのは、あなただけ」
「プリムローズ、愛している。絶対に誰にも渡さない」
強く抱きしめられたかと思えば、視界がぐるりと回る。背中には冷たく硬い床。目の前には美しいかんばせ。貪り食らうとはこのことか。押し倒された私の肌には、桜の花弁のような痕がいくつも刻まれていく。
卒業式の前日、私は乙女を卒業することになったのだった。
「まあ偶然なんだけれど、私も魔力が高かったのよ。今代の王太子が新たな贄をこちらに寄越さずに済むくらいにはね」
そもそも最終的に私と結婚したところで、夫となるひとの心は永遠にあの子のものなのだ。そんな結婚生活、控え目に言って地獄である。死んだ女には勝てないなんて世間では言うらしいが、似たようなものだ。そもそも別に元婚約者に恋なんてしていなかったし。
「どうして、君は僕に全部教えてくれたんだ? 両親でさえ、ここまで説明してくれなかったのに」
「二人は王太子さまには伝えたそうよ。まあ、あなたが信心深いタイプじゃないから、諦めたのかもね。変に引っ掻き回されて、結界が緩んでも危ないし」
「それでも!」
「それに私があなたに教えて上げたのも、優しさからではないわ」
七不思議に言及すれば、正体がバレることはわかっていた。それでも、彼に私のことを覚えておいてほしかった。
「私はね、あなたを傷つけたかったの」
淡々と語る私のことを、ジョシュアは目を丸くして見ている。
「プリムローズ、僕は君のことが!」
「同情ならいらないわ」
思わず薄い笑みがこぼれた。もういいのだ。自分の存在が擦り切れるまでの時間を、ただ少しずつ伸ばしながら生きていくしかないと思っていた。
「私、婚約破棄なんて意味がないと思っていたのよ。だって、ただの茶番じゃない。でもね、あなたを好きになって初めて気がついたの。好きなひとのいる世界なら、守れるわ。どんなに寂しくても、相手が私のことを覚えていてくれるなら耐えてみせる」
人々から忘れられたら、贄は消えてしまう。それは呪いであると同時に、救いなのだと思う。愛するひとが自分のことを忘れてしまったら、この世界にとどまる理由はきっとなくなってしまうから。
「どうして笑うんだ、こんな時に」
「愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ」
図書室で読んだ戯曲の中から、とびきりの一文を選び出す。芝居掛かった仕草で台詞を吐けば、彼が顔を青ざめさせた。
私は、あらんかぎりの力で咲き誇る満開の桜に向かって彼を突き飛ばす。窓はこっそり開けておいた。咲き誇る桜の枝が、落下する彼を抱きしめてくれるだろう。その間に私はこの図書室を内側から閉じてしまえばいい。
七不思議にも数えられていた告白が絶対に叶う桜の木。ここでいう告白とは、愛を告げることではない。王族が、聖女の役割を婚約者に告げる贖罪の場。意思を持つ桜は、王族の守護神だ。
桜の花はやっぱり嫌いだ。私の大事なものを、全部連れ去ってしまう。私ひとりを置き去りにして。
「ジョシュア、あなたの幸せを願っている。あのひとの息子としてジョシュアが私の前に現れたように、今度はあなたの子どもたちがこの学園に来てくれるのを楽しみに待っているわ。それまでちゃんと守っておくから。安心してちょうだい」
下を見ることなく窓から離れようとしたら、思い切り腕を掴まれた。なんと彼は壁のへりに掴まって、図書室へと舞い戻ってきたらしい。さすが学年首席の第二王子殿下は、座学だけでなく運動神経も抜群のようだ。
「諦めるなんて許さない」
「ちょっと、ジョシュア。何を怒っているの?」
「まさか、僕の父親のことを今でも好いているのか?」
「違うってば。あなたのご両親とは、本当に友人だったのよ。好きになったのは、あなただけ」
「プリムローズ、愛している。絶対に誰にも渡さない」
強く抱きしめられたかと思えば、視界がぐるりと回る。背中には冷たく硬い床。目の前には美しいかんばせ。貪り食らうとはこのことか。押し倒された私の肌には、桜の花弁のような痕がいくつも刻まれていく。
卒業式の前日、私は乙女を卒業することになったのだった。
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