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(3)椿-3

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 坂を上りきったところで目に入ったのは、鮮やかな紅の花。面白いことに、花びらにはレースのような白い縁取りが入っていた。辺りにはむせ返るような甘い匂いが立ち込めている。

「わあ、綺麗な山茶花」
「椿でしてよ」

 思わず口をついて出た感想だったが、愛らしくも凛とした言葉で訂正される。いつの間に立っていたのか、花と同じ鮮やかな赤い着物を身にまとった若い女性だった。

 整いすぎた容姿と、この寒さをものともしていない様子に、やはり依頼人のあやかしだろうと確信する。艶やかな黒髪が美しい。椿油は髪を美しくすると聞くが、その効果だろうか?

 髪飾りとして使われているのもやはり同じ色の椿。県内の離島、五島列島は椿の花が有名であることを不意に思い出した。

「あなたは、椿と山茶花の違いもわからないのね。あの方は、わたくしのことをあんなに褒めてくださったのに」
「はあ。えーと、すみません?」
「悪いとも思っていない癖に謝られると、余計に腹が立ちますわ」

 喧嘩腰のあやかしは、わりかしよく見かける。「お客さまは神さまです」というフレーズに対して、クレームを入れたくなる今日この頃だ。

 なおこんな風にけちょんけちょんに言われているが、このお届けものやさん業は、基本的に無料である。なんなら、交通費などを考えると持ち出しが発生することだってあるブラック稼業なのだ。なぜに彼らの我儘に付き合う必要があるのか、さっぱり理解できない。

「こんな方がお届けものやさんだなんて心配だわ」
「まあ、お預かりしたものはきちんとお届けしますので。宛先と住所をお伺いできますか?」
「大切なひとの名前よ。一文字だって分けてはやらないわ」
「……はあ?」
「そもそもあなたには、既に相手がいるじゃない。それなのにわたくしの相手まで欲しいだなんて。欲張りもいいところね」
「何の話ですか?」
「まあいいわ。ちゃんと届けてちょうだいな」
「いや、ちょっと!」

 私の知らないことをたくさん知っているくせに、彼らは大事なことはさっぱり教えてくれない。

 宛先がわからないと届けられないのですが。そう言いかけたときには、既にお相手の姿は消えてしまっていた。ひどい。こちらに完全に丸投げしてくるなんて、あやかしというのはみんなヤバいお客さまである。

 しかも椿を枝ごと渡されても、私にはどうすればいいのかわからない。まあ、枝から外れた花だけ渡されるよりは持ち運びしやすいのだけれど。とりあえず渡す相手が見つかるまで、会社のバケツに入れておけばいいのだろうか。

「なるようにしかならないか」

 経験上、早めに諦めをつけた。気がつけば家の近くの道に戻されている。あやかし坂を抜けたときの出口はさまざまだ。

 元の場所に戻ることもあれば、とりあえず街の近くに下ろされていることもある。どうせなら、職場も近くなるし、坂を下り終えるところまで連れていってくれたら良かったのに。

「完全に遅刻だ……」

 とぼとほどと椿を片手に歩く私のことを、キジトラの集団がまだ会社に行っていなかったのかと、呆れたように見送ってくれた。
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