婚約者から悪役令嬢と呼ばれた公爵令嬢は、初恋相手を手に入れるために完璧な淑女を目指した。

石河 翠

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 カルロと出会った十年後の未来から、アンジェラはまた元の世界へと戻ってきた。

 意識を取り戻したアンジェラは、見慣れたいつもの自室に寝かされていた。自分でシーツを引き裂いてロープを作ったあげく、そのロープが切れて自室から庭へ落下したなんてどうやって言い訳をしようかと思っていたが、なんと神さまはアンジェラの願い事におまけをつけてくれていたらしい。

 アンジェラが戻ってきたのは、シーツに細工をするよりもずっと早い時間帯。本来なら、夕食も食べずにアンジェラが部屋に引きこもっていた時間だったのだ。

(これは「断ち物」をする私への神さまからの激励なのかしら)

 ありがたいことだと神に感謝を捧げつつ、アンジェラは自身の野望を叶えるために動き出すことにした。まずは夕食時に拗ねて部屋に引きこもっていたことを詫びて、家族との団らんを楽しむ。家族にとってはいつも通りの、アンジェラにとっては数ヶ月ぶりの家族との食事は、涙が出るほど懐かしく愛おしいものだった。

 そうやってよくよく観察してみれば、アンジェラは確かに家族に愛されていた。よく考えてみれば、公爵家の一存で王太子との婚約を解消できるはずがないのだ。カルロが言った通り、彼らはただ時機を推し量っていただけだった。だから未来で得た情報と推測を元にアンジェラが、王太子が好意を寄せるとある下町の少女とやらの情報だって、笑ってしまうほどに簡単に入手できたのだ。

「儂の可愛い天使よ。あの愚か者を懲らしめずともよいのか?」

 祖父は杖を振り回しているし、父は笑顔で王位の簒奪を唱え始めた。兄弟たちは無言のまま剣の素振りを行っているので、闇討ちを企んでいるのかもしれない。正々堂々と決闘を申し込まれても困ってしまうのだが。母は母で、楽しそうにお茶会の封筒を扇のように開いたり閉じたりしているので、女性ならではの社交で圧力をかける気満々のようだった。

「もうおじいさまったら。以前に、王太子殿下との婚約解消のためには時間が必要だとおっしゃっていたではありませんか。『急いてはことを仕損じる』とも言いますでしょう?」

 みんながアンジェラ以上に不満を持っていることはわかっていたけれど、あくまで笑って首を振った。ここで現場を押さえるだけでは意味がないのだ。それでは、王太子が謝罪をしてなあなあにされるだけ。それで女遊びの取り繕い方だけ学ばれても始末に悪い。

 何しろアンジェラの目標は公爵家に有利な立場で、王子との婚約を解消すること。そして自身がカルロと結婚できるようにすることなのだから。王太子を有責にするための証拠はどれだけあっても足りないということはない。それまでの間、王子と運命の聖女さまとやらには、楽しく踊ってもらった方が都合がいい。

「ぼく、姉上のために王さまになりましょうか?」
「まあ、私のために頑張ってくれるの? 嬉しいわ」
「可愛い妹よ、わたしが国王になっても良いのだぞ?」
「あらあら、頼りにしておりますわ。おふたりなら、どちらが公爵家当主でも国王陛下でも安心ですわね」
「お前が望むのなら女王になるという手もあるのだぞ?」
「それは遠慮しておきますわ」

 アンジェラだって、女王として国を動かすための才覚がないわけではない。けれど、女王の立場は難しい。王配を誰にするかについて、たくさんの横やりが入るだろう。そうとわかっていながら、わざわざ女王に立候補する気など起きなかった。

 今後のために爵位が必要というのであれば、公爵家が持つ複数の爵位の中からいずれかを譲ってもらえれば事足りる。アンジェラ個人としてはカルロと一緒に辺境へ引っ越すこともやぶさかではないのだけれど、商会として辺境領に貢献したいというカルロの望みを叶えるならば、やはりカルロにはお婿に来てもらう方が手っ取り早い。

「我が家の天使よ。お前は実に賢い。一時の感情で行動を起こさないのは、淑女として見習うべき美徳だ。だからこそ、儂はお前が心配なのだよ。あの男と婚約をしてから、お前は大好きだった菓子を口にしなくなった。やはり思い悩んでいることがあるのではないか?」
「おじいさま、大丈夫です。私は、おじいさまたちには甘えることができますもの。みんながとっても甘いので、お菓子は必要ないのです。でも、そうですね。私、家の外ではうんと頑張っておりますでしょう? 家族の前では弱虫になることをお許しくださいませ」

 アンジェラは、カルロの家でたくさんのことを学ばせてもらった。
 正しさだけがすべてではないことを。時には、自分の感情を見せて素直に振舞うことで、正論で理論武装するよりもずっと、相手と分かり合えることができることを。

 今までは身分制度を絶対だと思い込んだ、マナーにうるさい小さな淑女として過ごしてきた。きっとカルロに出会わなければ、鼻持ちならない貴族女性になっていただろう。本当の淑女というのは、たくさんのことを飲み込んだうえで、最後は穏やかに微笑むことができるしたたかな女性に違いない。そしてそんな淑女像は、不思議なほどアンジェラの考えるところの「悪役令嬢」とよく似ている気がしてならないのだった。
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