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4.メリーゴーラウンド

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 同僚の莉奈りなは動物好きだ。今日もテレビでやっていた動物の虐待に関するニュースを見て、一人で憤慨している。思わず絵里えりが話しかければ、可愛らしい黒目がちの瞳をうるうるとさせながら必死に訴えかけてきた。下手な子猫なんかよりも、小さくて華奢な莉奈の方がよっぽど可愛らしい。デスクの上に、仕事に不要なメリーゴーラウンドのオルゴールなんかを飾っていても、御局様に嫌味一つ言われないのは莉奈だからこそだ。

 一生懸命に捨て犬について語る姿に女性である絵里だってきゅんとくるのだから、男性ならイチコロに違いない。実際、莉奈は医師たちから結構人気が高いのだ。それなのに莉奈ときたら、医師たちのアプローチには素っ気ない。どうも自分がモテるということを知っている人間は、どこかに傲慢さが見え隠れしていて好きになれないらしい。じゃあどんな相手が好きなのかと聞いたなら、野良犬と答えられて、絵里はがっくりする。結局話は振り出しに戻ったのだ。

「それは人間の好みじゃなくて、あなたの保護対象でしょう」

「元野良犬のペットが懐かないから、叩いただなんて信じられません! 人を信じられない相手だからこそ、こちらがより愛情を注いであげないといけないのに!」

「まあそうは言ってもね。優しくしようとして、噛みつかれるとかっとなっちゃう人も多いのよ。優しくしてあげようとおもったからこそ、裏切られたような気持ちになるのよね。きっと」

「そんなの、飼い主のエゴです! 人間と違って動物とは言葉が通じないんですから、十分な信頼関係のもとで行わないと、しつけだってただの虐待です!」

 本当に莉奈の動物好は筋金入りだ。つい、絵里は猫騒動を思い出してくすりと笑ってしまう。以前、病院の敷地内には、何匹もの野良猫が住み着いていた。勝手に餌を与えたり、糞尿をいろんなところですることに苦情がでて、不衛生だということで保健所行きになりそうだったのを食い止めたのは、誰であろうこの莉奈だ。

 看護師といえど、生活にそれほど余裕があるとは思えないのに、捕まえた猫を全員動物病院に連れて行き、不妊手術をしてもらった。そのまま必要なワクチンまでしっかり接種してもらって、病院関係者でこの人ならと目星をつけた人物にアタックをかけて、すべての野良猫たちをお嫁入りさせてしまったのは流石としか言いようがない。

 どうして患者さんの希望には応じないで、病院関係者だけを里親候補に絞ったのか聞いてみたら、年収がしっかりしていて、持ち家で、アレルギー持ちのご家族がいないかまでチェックしたかったからだと当然のように言われて、意外としっかりしているのだと絵里はびっくりしたものだ。それに病院関係者なら後からちゃんと可愛がられているかチェックもできますし、釘もさせますからね。てへぺろなんて舌を出しながら、お茶目に言ってみせる莉奈がとても可愛らしく思えた。だから、今日も絵里は莉奈の話に相づちを打つ。にこにこと笑う莉奈を見ているのは気持ちがいい。

 くるくると回るメリーゴーラウンドに莉奈が乗ったなら、メルヘンチックでとても可愛らしいに違いない。



 怯えきった野良犬を懐かせるのが好きだと言うと、みんな不思議そうな顔をする。どうして、この楽しさがわからないのかしらと莉奈は思う。誰も信じられないという顔をしている相手に少しずつ近寄っていって、自分だけは特別な存在だとわかってもらうこの楽しみは、一度知ったら手放せなくなるくらいの快感だ。愛情を注いであげれば、ちゃんと彼らはきちんとした愛情を返してくれる。

 でも飼い主以外にしっぽを振る犬は可愛くないなあというのが、莉奈の本音。やっぱり犬といえば忠犬でしょう。飼い主のことだけをよく聞いて、回りの雑音には耳を貸さないようにしておかなくっちゃ。いくら好物を見せられたからといって、涎を垂らしてすぐについていったり、お腹を見せて服従のポーズをしたりするのは情けないことだと莉奈は思う。まったくもう、言うことを聞かないペットはお仕置きだよ。

 新しいマンションは完璧だ。今までは無駄吠えしないように、しっかり必要があったけれど、ここはペットもピアノもOKな物件だけあって、多少の鳴き声なら問題にならない。新しく連れてきた訳ありの野良犬くんのお世話をしてから、莉奈はゆっくりとベッドに潜り込んだ。今日も莉奈は、誰かに教えてもらったおまじないをしてから眠りにつく。

 ねえ、知ってる?
 眠れない夜は、桃色のペンでうさぎを描いてから枕の下に入れて眠ってごらん。
 びっくりするくらいよく眠れるんだって。

 いつも通り、ぐるぐると回る可愛らしいメリーゴーラウンドが出てきて、莉奈はにっこりと笑う。このおまじないを見つけてからは、毎日夢に出てくる素敵なアトラクションだ。けれど走っているのは馬ではなくケンタウロス。みんな、息も絶え絶えになりながら、必死で円盤の上を走り続けている。一匹のケンタウロスが脚をもつれさせて無様に倒れる。

「えへへへ、パパ残念!」

 スッ転んだ中年のケンタウロスを莉奈は、鞭打つ。ぴしりと綺麗な音がして、ケンタウロスの背中の皮膚が破れた。赤い筋がいくつも背中にできて、なんだかとても綺麗だと莉奈はうっとりする。

「痛いよねえ。パパが莉奈の学校の先生と駆け落ちなんてしちゃってさ、ママも莉奈もとっても心が痛かったんだよ? 学校でも恥ずかしくて、みんなに笑われて。大丈夫、莉奈は、許してあげるよ。ちゃんとパパが反省してくれるならね」

 呻く中年ケンタウロスの苦悶の表情なんて、目に入らない。にこにこと鞭を振るい、再度莉奈は走り続けるように命令する。

「お兄ちゃんはさすがだね。でも走っている時に、それはぶらぶらして邪魔でしょう? 莉奈がちょっきんしてあげるね」

 夢の中らしく大きな黒光りする裁ちバサミを振り上げれば、顔の整った若いケンタウロスが慌てて逃げ出そうとする。

「あはははは。ダメだよ。メリーゴーララウンドのお馬さんが勝手にいなくなっちゃ。ちゃんと終わりの時間まで走り続けなくっちゃ。ね?」

 野生動物か種馬でもなければ、動物の世界なんて去勢するのが当たり前なのだ。理性の聞かない下半身を持つ人間も、さっさと去勢不妊手術を受けさせれば良いのに。実の兄だって例外ではない。病院で傷ついた女の子の処置をするたびに、莉奈はそう思う。合意の上でも犯罪でも、責められるのは女性側ばかり。妊娠は一人ではできるものではないとわからない脳みそなら、バールでかき混ぜて生ゴミにしてやろうか。

「もう、ダメだよ。飼い主の部屋に他の雌犬を連れ込んだりしちゃ」

 首輪を巻いて口輪をつけたケンタウロスが、必死で何かを莉奈に訴えている。口で言って、身体で躾けて。それでもわからない馬鹿犬なら、仕方がない。拾った動物は最後まで面倒を見るのが飼い主の責任だ。病気になったら安楽死させてやるのだって、飼い主の優しさなのだ。ここまで言っても理解できない可哀想なワンコの行く末は、自分が見届けてやらねば。莉奈はにっこりと笑って、どこから取り出したのかゴルフクラブを振りかぶった。



「最近、野良犬を拾ったんですけど、もうそれがとっても可愛いんです。いつもは保護施設でお世話をして、里親会に出すばかりだったんですけど、もうこれは運命だって思うワンちゃんに出会っちゃいまして」

 今日も朝から莉奈は絶好調だ。新しく飼い始めたワンコにメロメロらしい。そう言えば、以前にもこうやってメロメロになっていたことがあったと絵里は思い出す。けれど急に何も言わなくなったのでどうしたのか聞いてみたら、なんと別の里親さんに懐いてしまったので、泣く泣く手放したのだという。虹の橋・・・を渡って行ってしまったんですなんて、メルヘンチックな莉奈らしい表現だと絵里は感心した。

「もう毎日ラブラブで。引っ越した甲斐がありました。多少、声が大きくても苦情が来ないって最高ですよね」

 絵里はその恋人を紹介するような・・・・・・・・・・言い方に思わず笑ってしまう。そういえば、防音を売りにしたマンションに引っ越したと話していたから、これを機会にペット可のマンションを選んだのかもしれない。確かに、飼い主が留守の時の犬の無駄吠えは、ご近所トラブルの最たるものだと聞いたことがある。ペット可の防音に優れたマンションを準備してくるなんて、不動産業界もなかなかに賢い。

「ねえ、今度私もそのワンちゃんと遊んでみたいな」

「ええ、先輩とですか?! まあいっか。先輩になら特別に見せてあげても良いですよ」

 莉奈はそう言うと、にっこりと笑ってくれた。ああ可愛い。犬の好物を手土産に持っていくよと言えば、ビールだと言われたので、それはあなたの好物でしょうと絵里はしっかり突っ込んでおいた。でもあれれと絵里は首をかしげる。莉奈ってビール飲めたかしら。甘いチューハイ以外、苦手じゃなかったっけ。
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