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5.めっきとガラス玉の願い
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「何を言っているんだい?」
「今さら取り繕う必要なんてないでしょう。屋敷にいた頃は、ずっとあなたのことを優柔不断だけれど、優しいひとだと思っていたのです。いいえ、屋敷にいた頃だけではありません。私は神殿を出て、この森で暮らし始めるまでずっと、あなたのことをそう認識していたのです」
「今は違うの?」
「全然違うことに気が付きましたわ」
「リリィは酷いなあ。まるで俺が極悪人みたいな言い方だ」
「目的のためには手段を選ばないひとだということは理解しておりますもの」
リリィがよどみなく答えれば、アッシュの笑みが消えていく。いや、消えたのではない。そもそも彼の目元も口元もただ意味もなく孤を描いていただけ。記号的に笑っていると判断していたが、実のところ彼はそもそも笑ってなどいなかったという方が正しいのだろう。
「ねえ、リリィ。どうしてそんな風に思ったの? もしかしたら君と離れてから、君の大切さに遅まきながら気が付いただけかもしれないじゃないか」
「それはあり得ません」
「断言できる根拠なんてあるの? 君との婚約を解消する前も、エリンジウムと婚約してからも、俺が君のことを気にかけていたのは事実だろう?」
家族中から爪弾きにされていたリリィのことを、確かにアッシュは気にしてくれていた。むしろアッシュがリリィを無視しないからこそ、両親や異母妹がリリィに嫌味を言っていた可能性だってあるくらいだ。その癖、自分には何ら恥じるところはないとでもいうように、アッシュは小首を傾げている。
「この森に来てから、森の番人の代理人としてたくさんの人々の話を聞いてまいりました。不思議なほどに恋のお悩みが多かったのですけれど、そのおかげで気が付いたこともございます。具体的には彼らとあなたの違いです」
「ふうん、何が違うのかな?」
「彼らの目にはね、恋焦がれる相手への熱があるのです。愛しい、恋しい、寂しい、悲しい。心が温まるなどという生易しいものではありません。見ているだけの私が苦しくなるような、火傷をしてしまいそうなほどの熱を孕んでいます。ですが、あなたにはそんな熱量はない。ここまで熱心に私との結婚を望んでいるはずなのに、あなたが私を見る目はひどく冷たいものなのです」
アッシュは忙しなく何度も足を組み替えている。彼にしてみれば、当てが外れたのだろう。確かにかつてのリリィほど孤独であれば、アッシュが手を差し伸べたなら思わずその手を取ってしまったかもしれない。婚約当初からいずれ離れる相手だと距離をとっていたとはいえ、それでもまともに会話をできる相手として認識するくらいには彼女は愛情に飢えていたのだから。
けれど今のリリィはひとりぼっちではない。誰にも繋がっていなかったはずの手は、ふわふわの毛皮を持つ白い狼の背中を撫でている。そして反対側の手の先には、眠っているはずなのにすっかりリリィと家族めいた関係を築いている森の番人が眠っているのだ。
(この家で聖獣さまや番人さまと穏やかに暮らしていなかったなら。あるいは番人さまの代理人として、誰かの役に立つ幸せを知らなかったなら。私はこの男に乞われたことに何らかの意味を見出して、すがりついてしまっていたかもしれないわね)
でも今ならわかるのだ。アッシュはリリィのことを愛してはいない。家族として大切にすら思っていない。それどころかむしろ。
「自分で言うのも嫌になってしまいますが、あなた、私のことが嫌いでしょう?」
リリィの問いかけに、アッシュはゆっくりと瞬きをした。日頃から貼り付けていた笑みが消えているからこそよくわかる。彼は継母や実父よりも冷たく鋭い目つきでリリィをにらんでいた。ただただリリィを邪魔だという感情を隠しもしていない。
「そっかあ。バレちゃったなら仕方がないね。それじゃあリリィ、俺と結婚して。それからエリンジウムのために死んでくれないか」
直後、アッシュから放たれた強烈な一言に、さすがのリリィも息を呑んだ。
「今さら取り繕う必要なんてないでしょう。屋敷にいた頃は、ずっとあなたのことを優柔不断だけれど、優しいひとだと思っていたのです。いいえ、屋敷にいた頃だけではありません。私は神殿を出て、この森で暮らし始めるまでずっと、あなたのことをそう認識していたのです」
「今は違うの?」
「全然違うことに気が付きましたわ」
「リリィは酷いなあ。まるで俺が極悪人みたいな言い方だ」
「目的のためには手段を選ばないひとだということは理解しておりますもの」
リリィがよどみなく答えれば、アッシュの笑みが消えていく。いや、消えたのではない。そもそも彼の目元も口元もただ意味もなく孤を描いていただけ。記号的に笑っていると判断していたが、実のところ彼はそもそも笑ってなどいなかったという方が正しいのだろう。
「ねえ、リリィ。どうしてそんな風に思ったの? もしかしたら君と離れてから、君の大切さに遅まきながら気が付いただけかもしれないじゃないか」
「それはあり得ません」
「断言できる根拠なんてあるの? 君との婚約を解消する前も、エリンジウムと婚約してからも、俺が君のことを気にかけていたのは事実だろう?」
家族中から爪弾きにされていたリリィのことを、確かにアッシュは気にしてくれていた。むしろアッシュがリリィを無視しないからこそ、両親や異母妹がリリィに嫌味を言っていた可能性だってあるくらいだ。その癖、自分には何ら恥じるところはないとでもいうように、アッシュは小首を傾げている。
「この森に来てから、森の番人の代理人としてたくさんの人々の話を聞いてまいりました。不思議なほどに恋のお悩みが多かったのですけれど、そのおかげで気が付いたこともございます。具体的には彼らとあなたの違いです」
「ふうん、何が違うのかな?」
「彼らの目にはね、恋焦がれる相手への熱があるのです。愛しい、恋しい、寂しい、悲しい。心が温まるなどという生易しいものではありません。見ているだけの私が苦しくなるような、火傷をしてしまいそうなほどの熱を孕んでいます。ですが、あなたにはそんな熱量はない。ここまで熱心に私との結婚を望んでいるはずなのに、あなたが私を見る目はひどく冷たいものなのです」
アッシュは忙しなく何度も足を組み替えている。彼にしてみれば、当てが外れたのだろう。確かにかつてのリリィほど孤独であれば、アッシュが手を差し伸べたなら思わずその手を取ってしまったかもしれない。婚約当初からいずれ離れる相手だと距離をとっていたとはいえ、それでもまともに会話をできる相手として認識するくらいには彼女は愛情に飢えていたのだから。
けれど今のリリィはひとりぼっちではない。誰にも繋がっていなかったはずの手は、ふわふわの毛皮を持つ白い狼の背中を撫でている。そして反対側の手の先には、眠っているはずなのにすっかりリリィと家族めいた関係を築いている森の番人が眠っているのだ。
(この家で聖獣さまや番人さまと穏やかに暮らしていなかったなら。あるいは番人さまの代理人として、誰かの役に立つ幸せを知らなかったなら。私はこの男に乞われたことに何らかの意味を見出して、すがりついてしまっていたかもしれないわね)
でも今ならわかるのだ。アッシュはリリィのことを愛してはいない。家族として大切にすら思っていない。それどころかむしろ。
「自分で言うのも嫌になってしまいますが、あなた、私のことが嫌いでしょう?」
リリィの問いかけに、アッシュはゆっくりと瞬きをした。日頃から貼り付けていた笑みが消えているからこそよくわかる。彼は継母や実父よりも冷たく鋭い目つきでリリィをにらんでいた。ただただリリィを邪魔だという感情を隠しもしていない。
「そっかあ。バレちゃったなら仕方がないね。それじゃあリリィ、俺と結婚して。それからエリンジウムのために死んでくれないか」
直後、アッシュから放たれた強烈な一言に、さすがのリリィも息を呑んだ。
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