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第一章
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「旦那さま。報告書をお持ちいたしました」
「ああ。それで?」
「詳細は、ご自身の目で確認されたほうがよろしいかと」
先日の一件で、以前からアンナに覚えていた違和感がますます強くなった侯爵は、家令であるジムにアンナの身辺調査を命じていた。侯爵が以前に耳にしていたアンナの評判は、男癖が悪く、非常に金遣いの荒いご令嬢というもの。前妻の忘れ形見を育てている継母も手を焼いており、金銭的にも余裕がないため修道院に預けることもできないと父親が嘆いているという話だったのだ。
それならば、お飾りの妻を探している自分がもらい受ければ三方まるくおさまると思ってアンナを選んだのである。素行の悪い娘に手を焼いている家庭も救えるし、行き場がなくこのままでは好色老人の妾になるしかないご令嬢にも「妻」という立場が与えられる。自分は鬱陶しい再婚希望の女たちから狙われることもなくなって万々歳だ。そう、本気で思っていたのだ。
だからこそ、従順なようでいて一線を引いてくるアンナに対して気に食わないという感情を抱いていた。自分の立場をわかっていないのか。苦境を救ってやった自分に感謝してもいいはずではないのか。あのままでは、いつか娼館落ちしても文句は言えなかったのだぞと。そんな風に上から目線で考えていたのである。何もわかっていない常識外れの無礼者は、アンナではなく自分自身だったのだと、報告書を読んだ侯爵は打ちのめされた。
「なんだ、これは。鬼の棲み家か?」
「アンナさまにとっては、物理的な暴力がなく、まともな食事を摂ることができるという部分で、この屋敷の離れの方がまだマシだったということなのでございましょう」
報告書には、いかにアンナがあの家で虐げられていたかが克明に記されていた。父親は後妻と異母妹にかまけており、それを知っている使用人からもないがしろにされていたようだ。事前に渡していた支度金も、実家の借金の返済と継母と異母妹の買い物にあてられたらしい。なるほど確かに輿入れ当日、アンナはとももなく、荷物も小さなかばんひとつでやってきていた。今までの火遊びの後始末に金を使ってきたのかと気にも留めなかった自分が情けなくなる。
――前妻を悼むことなく後妻と後妻との間にできた子どもにかかりきりとなるよりはよほどよろしいかと――
先日のアンナの言葉は、自分への当て擦りなどではなく、まさしくアンナ自身が経験してきたことへの嘘偽りない本音だったのだと思い知らされた。
「ジム、わたしは間違っていたのだろうか」
「間違っていたか、間違っていなかったかで申し上げるならば、大間違いであったかと」
「それならなぜ言ってくれなかった」
「よい大人は自分の行動に責任をとらなければなりません。とはいえ、必要とあらば、ことこまかに助言とサポートをさせていただきますが。ウォルト坊ちゃま」
「坊ちゃまはやめてくれと言っているだろう」
「ご自身の行動の反省もできないようであれば、坊ちゃまとして子ども時代からやり直すべきかと思いましたゆえ」
「……ジム。お前、実は相当に腹を立てているな?」
深々とため息を吐きながら、痛む頭を抑えた。実家で傷つけられ、ようやく新たな場所に来たはずなのに、主人である自分には色眼鏡で見られている。せっかくあの離れで静かに暮らしていたのに、またもや自分が無駄に傷つけてしまった。そのことを理解し、侯爵は呆然となる。
「アンナさまに向き合ってみれば、彼女のひととなりなどすぐに理解できたはずです。まったく、噂に踊らされ、思い込みで行動するなど笑止千万。坊ちゃまがここまで節穴の無神経に育つとは。不肖わたくし、先代に合わせる顔もございません」
「やはりわたしの行動は酷かっただろうか」
「行動は、と申しますか、言動も、発想も、すべてが問題でございました」
「そこまで、なのか?」
「アンナさまから見た坊ちゃまの印象は最低最悪かと」
わかっていたはずだが、他人に言われると反論したくなってしまうのはなぜなのか。思わず立ち上がり、膝の上に乗せていた報告書が勢いよく床に散らばった。
「だが、わたしはテッドの父親だぞ!」
「では坊ちゃまは、愛馬を慈しんでいるからといって、その排泄物と仲良くしたいのですか?」
「わたしを排泄物扱いするな!」
「おっと失礼しました。排泄物は健康状態を知る上でも、非常に大事な物。また肥料にもなって大変有益です。坊ちゃまの例えとして出すには不適切でしたね。この場合は、大切な馬の世話もろくにできない飼い主のようなものでしょうか」
「あの馬の扱いを爪の先ほども理解していない馬鹿どもとわたしが同じだと?」
「寄生虫扱いでないだけ、マシだとご理解ください」
「……一応尋ねるが、ここからの挽回は可能だと思うか?」
「基本的には無理だと考えた方が傷が浅くて済むでしょう」
報告書を集め順番通りに並べ直しながら、淡々とジムは返答した。
「そんな!」
「もしもどうしてもアンナさまからの愛を望むのであれば、地べたにはいつくばって額をこすりつけながら愛を乞うしかありません」
「別に彼女の愛情など欲しいわけではない。ただ、何もわからない哀れな愚か者を見るような目をやめてもらい、大人として対等の関係を築きたいだけだ」
「坊ちゃま、散々無礼を働いた人間が無傷で欲しい物を手に入れようだなんてどこまで傲慢なのですか。アンナさまは非常に情に厚い方です。心から反省し、泣きながら許しを乞えば、きっとほだされてくださるでしょう」
若かりし頃からその才と美しさで有名だった侯爵は、かしずかれることに無意識のうちに慣れ切っていた。そしてジムに指摘されるまで、アンナに蛇蝎のごとく嫌われている可能性など露ほども考えてはいなかったのである。
「ああ。それで?」
「詳細は、ご自身の目で確認されたほうがよろしいかと」
先日の一件で、以前からアンナに覚えていた違和感がますます強くなった侯爵は、家令であるジムにアンナの身辺調査を命じていた。侯爵が以前に耳にしていたアンナの評判は、男癖が悪く、非常に金遣いの荒いご令嬢というもの。前妻の忘れ形見を育てている継母も手を焼いており、金銭的にも余裕がないため修道院に預けることもできないと父親が嘆いているという話だったのだ。
それならば、お飾りの妻を探している自分がもらい受ければ三方まるくおさまると思ってアンナを選んだのである。素行の悪い娘に手を焼いている家庭も救えるし、行き場がなくこのままでは好色老人の妾になるしかないご令嬢にも「妻」という立場が与えられる。自分は鬱陶しい再婚希望の女たちから狙われることもなくなって万々歳だ。そう、本気で思っていたのだ。
だからこそ、従順なようでいて一線を引いてくるアンナに対して気に食わないという感情を抱いていた。自分の立場をわかっていないのか。苦境を救ってやった自分に感謝してもいいはずではないのか。あのままでは、いつか娼館落ちしても文句は言えなかったのだぞと。そんな風に上から目線で考えていたのである。何もわかっていない常識外れの無礼者は、アンナではなく自分自身だったのだと、報告書を読んだ侯爵は打ちのめされた。
「なんだ、これは。鬼の棲み家か?」
「アンナさまにとっては、物理的な暴力がなく、まともな食事を摂ることができるという部分で、この屋敷の離れの方がまだマシだったということなのでございましょう」
報告書には、いかにアンナがあの家で虐げられていたかが克明に記されていた。父親は後妻と異母妹にかまけており、それを知っている使用人からもないがしろにされていたようだ。事前に渡していた支度金も、実家の借金の返済と継母と異母妹の買い物にあてられたらしい。なるほど確かに輿入れ当日、アンナはとももなく、荷物も小さなかばんひとつでやってきていた。今までの火遊びの後始末に金を使ってきたのかと気にも留めなかった自分が情けなくなる。
――前妻を悼むことなく後妻と後妻との間にできた子どもにかかりきりとなるよりはよほどよろしいかと――
先日のアンナの言葉は、自分への当て擦りなどではなく、まさしくアンナ自身が経験してきたことへの嘘偽りない本音だったのだと思い知らされた。
「ジム、わたしは間違っていたのだろうか」
「間違っていたか、間違っていなかったかで申し上げるならば、大間違いであったかと」
「それならなぜ言ってくれなかった」
「よい大人は自分の行動に責任をとらなければなりません。とはいえ、必要とあらば、ことこまかに助言とサポートをさせていただきますが。ウォルト坊ちゃま」
「坊ちゃまはやめてくれと言っているだろう」
「ご自身の行動の反省もできないようであれば、坊ちゃまとして子ども時代からやり直すべきかと思いましたゆえ」
「……ジム。お前、実は相当に腹を立てているな?」
深々とため息を吐きながら、痛む頭を抑えた。実家で傷つけられ、ようやく新たな場所に来たはずなのに、主人である自分には色眼鏡で見られている。せっかくあの離れで静かに暮らしていたのに、またもや自分が無駄に傷つけてしまった。そのことを理解し、侯爵は呆然となる。
「アンナさまに向き合ってみれば、彼女のひととなりなどすぐに理解できたはずです。まったく、噂に踊らされ、思い込みで行動するなど笑止千万。坊ちゃまがここまで節穴の無神経に育つとは。不肖わたくし、先代に合わせる顔もございません」
「やはりわたしの行動は酷かっただろうか」
「行動は、と申しますか、言動も、発想も、すべてが問題でございました」
「そこまで、なのか?」
「アンナさまから見た坊ちゃまの印象は最低最悪かと」
わかっていたはずだが、他人に言われると反論したくなってしまうのはなぜなのか。思わず立ち上がり、膝の上に乗せていた報告書が勢いよく床に散らばった。
「だが、わたしはテッドの父親だぞ!」
「では坊ちゃまは、愛馬を慈しんでいるからといって、その排泄物と仲良くしたいのですか?」
「わたしを排泄物扱いするな!」
「おっと失礼しました。排泄物は健康状態を知る上でも、非常に大事な物。また肥料にもなって大変有益です。坊ちゃまの例えとして出すには不適切でしたね。この場合は、大切な馬の世話もろくにできない飼い主のようなものでしょうか」
「あの馬の扱いを爪の先ほども理解していない馬鹿どもとわたしが同じだと?」
「寄生虫扱いでないだけ、マシだとご理解ください」
「……一応尋ねるが、ここからの挽回は可能だと思うか?」
「基本的には無理だと考えた方が傷が浅くて済むでしょう」
報告書を集め順番通りに並べ直しながら、淡々とジムは返答した。
「そんな!」
「もしもどうしてもアンナさまからの愛を望むのであれば、地べたにはいつくばって額をこすりつけながら愛を乞うしかありません」
「別に彼女の愛情など欲しいわけではない。ただ、何もわからない哀れな愚か者を見るような目をやめてもらい、大人として対等の関係を築きたいだけだ」
「坊ちゃま、散々無礼を働いた人間が無傷で欲しい物を手に入れようだなんてどこまで傲慢なのですか。アンナさまは非常に情に厚い方です。心から反省し、泣きながら許しを乞えば、きっとほだされてくださるでしょう」
若かりし頃からその才と美しさで有名だった侯爵は、かしずかれることに無意識のうちに慣れ切っていた。そしてジムに指摘されるまで、アンナに蛇蝎のごとく嫌われている可能性など露ほども考えてはいなかったのである。
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