継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?

石河 翠

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第一章

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「事情はわかりました……」

 そう言ったきり、アンナは黙り込んだ。テッドの父親と血が繋がっているという理由だけで、好きでもない……正確に言うならば疎ましい女を娶り、その女が産んだ息子を侯爵家の嫡男として大切に育てている。問答無用で父親役を押し付けられた人間としては、侯爵の対応は合格点なのだろう。現代日本でさえ、兄弟姉妹の子を嫌々養育、あるいは虐待することもまれではないのだから。

 もちろん、だからと言ってこのままでいいとは言えないのが辛いところだった。侯爵はテッドに事情を説明していないとは言っていたが、薄々感じ取っているからこそ、侯爵の前では基本的にわがままを言わずに、手のかからない良い子を演じているのではないだろうか。

 前世の春香の記憶では、家の中では非常に反抗的でどうしようもない子どもたちも、学校では非常に模範的で優秀な生徒であると評価されることが多かった。担任の先生に家庭内の態度について相談しても、「学校で頑張っているぶん、家では取り繕わずに過ごしたいのでしょう。わがままが言える、お母さんに思い切り甘えることができるというのは、良い関係ですよ」といつも笑って流されたものだ。

 当時の春香はそんなことを言われてもと子どもとの向き合い方に悩み頭を抱えていたが、今考えてみれば確かに「家の中では非の打ちどころのない良い子で、学校では誰にも手が付けれらない問題児」であるよりも、よほど良かったのかもしれなかった。ちなみにこちら側のタイプの親御さんは、子どもたちが学校で引き起こした問題を認められないことも多いのか、心労でみるみるうちに毛量が減ってしまった気の毒な担任の先生も見た覚えがある。

 そして侯爵の前ではおりこうにしていて、使用人たちの前でしかわがままを言うことができないのだとしたら……。それはやはり健全な状態とは言えないような気がした。

 黙り込んだアンナに何を思ったのか、侯爵がくるりと背を向けた。

「閣下?」
「あの女の様子を見てくる」

 そうだ、確かにテッドの母親は大丈夫だろうか。さすがに静かすぎる。彼女が軽傷であれば、今まで以上の金切り声でこちらにくってかかってきそうなものなのだが。

「そうですね。急いで、お医者さまも手配した方が」
「それは不要だろう」
「閣下、彼女は一応怪我人ですので」
「たぶん怪我などしていないと思うぞ。おそらく魔力の使い過ぎで昏倒しているだけだ」
「え? ですが、私は相当な力で彼女を」
「残念ながら、あの女にも加護はある。どういう基準で加護が与えられるのか理解に苦しむが。あの女は相当な範囲の攻撃を無効化できるぞ」

 あんな妖精のような見た目の女性が、武人が喉から手が出るほどの勢いで羨望しそうな加護を持っている? にわかには信じられない話に、アンナは目を見開いた。だがよく考えてみると、アンナに与えられた加護もまたどちらかと言えばたおやかな淑女よりも、武人に似合いそうなものである。これで加護の名前が、「剛腕」だったりしたらさすがに泣いてしまうかもしれない。この世界の加護についていぶかしく思いつつ侯爵のあとを追いかけていると、視界の端をこげ茶色の塊が横切っていくのが見えたような気がした。

「あれは……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 口から漏れ出たつぶやきをうっかり拾われてしまったが、アンナは言葉を濁して見なかった振りをした。どうせマシューおじさんのことを話したところで、話がややこしくなるだけだろう。

 そして床に倒れたままになっていた前妻の様子を確認したふたりは、思わず絶句することになった。

 遠くからはあおむけになって気絶しているように見えた前妻だが、よくよく確認すれば幻かと思いたくなるほど儚げな、半透明の茨に包まれるようにして眠っていた。胸が上下に動いているところを見ると、死んではいないようだ。だからと言って、楽しい状況ではないように感じるのは、たびたび眉根を寄せながら小さくうめいているからだろう。

「まるで、夢を見ているみたい」
「それが事実なら、見ているのは相当な悪夢だろうな」
「でも、これは一体何なのでしょう?」
「わからん。だが、おそらくこの現象の原因は、『聖者の指輪』なのだろう」
「でも、それは人間には扱えない代物のはずで……」
「この女の左手を見てみろ。この部屋に来た時には、なかったはずの指輪をつけている。そしてその指輪から出てきた茨が装着者を取り囲み、魔力を吸収している。祖父から聞いた話とそっくりだ」

 テッドの母親の左手の薬指には、虹色の貴石がはめられた不思議な指輪はめられていた。真っ黒に染まった両の爪がどこか異様で、息を呑む。一瞬、アンナの脳裏をあのもっさりとした食いしん坊な生き物が通り過ぎたが、慌てて首を横に振った。さすがに無関係だと思いたい。

「『聖者の指輪』が万能薬に変わるまでに、どれくらいかかるのでしょう?」
「魔獣と人間の魔力量は比べ物にならない。魔獣の観察をした祖父曰く、この半透明の茨がしっかり現れ、赤く染まった蕾が完全に開けば完了とのことだ」
「半透明の茨が本物と同じような形で色づくのですか? この状態では一体どれほどの時間が必要なのか」
「相当に時間がかかることだけは確かだろうな」

 まるで何かの罰を受けるように、端正な美貌を苦し気に歪ませるテッドの母。彼女の夢の中には、彼女が弄んだテッドの父親が恨み言でも言っているのだろうか。

「このことは」
「余計なトラブルしか生まないから、内密にしておく。この屋敷にあの女は来なかった。もともと絶対にこの屋敷には近づかないように厳命しているのだ。これで話は終わりだ」
「ですが、それは……」
「侯爵家の命運どころではない。下手をすれば『聖者の指輪』を巡って、この国が亡びる」
「そんな」

 好きでもない男の子どもを孕んでまで、愛する侯爵を手に入れようとした女の末路。それはひとの命をゆっくりと奪う牢獄に閉じ込められているはずなのに、あまりにも美しかった。
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