リポグラム短編集～『あい』を失った女～

『ま』違い探しなど、『みむ』きもせずに

　図書室としょしつには今日きょうも彼かれが来きていた。わたしは扉とびらに一番いちばん近ちかい席せきから、そっと彼かれの姿すがたを追おう。ここは彼かれの定位置ていいちから一番いちばん遠とおい場所ばしょ。
　夕焼ゆうやけを映うつすガラスの先さきには、グラウンドで練習れんしゅうを続つづける運動部うんどうぶの姿すがた。スポーツも勉強べんきょうも得意とくいなはずなのに、彼かれが帰宅部きたくぶを選えらんだ理由りゆうをわたしは知しらない。

　誰だれもが周囲しゅういに溶とけ込こもうと必死ひっしに擬態ぎたいし、息いきを潜ひそめている。「普通ふつう」になれない人間にんげんは、学校がっこうという閉とじた世界せかいではただの異物いぶつなのだから。

　けれど、彼かれは違ちがう。
　ただひとり、鳥とりのように雲路くもじをゆく。彼 かれの周囲しゅういは心地良ここちよい静しずけさが保たもたれていて、孤独こどくと孤高ここうは違ちがうのだと納得なっとくする。

　校内こうないにはカカオの香かおり。今日きょうならば許ゆるされる気きがして、彼かれにチョコレートを贈おくった。もちろん声こえをかける勇気ゆうきなどなくて、友人ゆうじんから代かわりに渡わたしてもらったのだけれど。彼かれはどんな表情ひょうじょうでそれを受うけ取とったのだろう。

　図書室としょしつを出でたところで、うっかり担任たんにんに捕獲ほかくされた。放課後ほうかごだというのに手伝てつだいを押おし付つけられて、屑くずかごいっぱいの不用品ふようひんを焼却炉しょうきゃくろへ運はこぶ。
　古ふるくて重おもい鉄てつの扉とびらを開あければ、軋きしんだ音おとが響ひびいた。中なかを覗のぞき込こんで、思おもわず手てから力ちからが抜ぬける。強つよい風かぜにあおられて、ぐしゃぐしゃのプリントが校舎裏こうしゃうらに散ちらばった。

　薄うす暗ぐらい焼却炉しょうきゃくろの中なかには、柔やわらかな桃色ももいろの包装紙ほうそうし。友人ゆうじんに頼たのんで彼かれに届とどけてもらったはずのチョコレートだ。優やさしい笑顔えがおをした友人ゆうじんが放ほうり込こんだのか。迷惑めいわくだと彼かれが投なげ捨すてたのか。枯かれた花はなや古紙こしに埋うもれて、場違ばちがいな贈おくり物ものは力ちからなく笑わらっているようだった。

　取とっ手ての鉄錆てつさびが掌てのひらの上うえでざらついている。辺あたりはもうすっかり深ふかい藍色あいいろ。
　きっと彼かれはこの時間じかんも図書室としょしつにいるのだろう。涼すずやかな彼かれには静寂せいじゃくが良よく似合にあう。冬ふゆの夜空よぞらのように澄すんだ横顔よこがおを思おもい浮うかべて、わたしは勢いきおいよく焼却炉しょうきゃくろの扉とびらを閉しめた。