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1部 3章
ひとまず安息の地へ
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灰の体毛に黒いたてがみの馬はかなり屈強なようで、オレとシルキアと無感動な瞳の子どもという三人を乗せているのに、足取りは滑らかだ。
とはいえ、この馬にとって過酷な状況であることは間違いない。オレもシルキアも、そして元から乗っている子も肉付きが薄っぺらいとはいえ、三人も運んでいるのだから。
本当にありがとう。そう、心を込めて灰の毛を右手で撫でる。
「――ゴホッ、ゲホゲホッ……ンンッ」
手綱を引きながら歩く女性が、激しく咳き込んだ。何かねっとりしたものが絡んでいるような咳だった。声を聞いたときにも思ったが、やはり何かしら患っているのかもしれない。
「……コテキから逃げてきた、と言いましたよね」
こちらを見ずに言った声は、変わらず酷く掠れたものだった。
「あ、はい。町が魔族に襲われてっ、それでっ」
頭に浮かぶ、凄惨な光景。
破壊された町。
崩れ燃え盛る建物。
鼓膜を打つ悲鳴と雄叫び。
あまりにも醜悪な魔族。
そして――殺されてしまった人々。
母親、父親、グレンさんの最期。
一生、忘れることはないだろう。
ぎゅっと、オレに凭れるように座っているシルキアが、オレの肌着の右袖を掴んだ。
左手で妹の黒紫色の髪を撫でる。優しく、何度も何度も。
……そういえば、妹は母さん父さんの最期を見てしまったのかな。
オレが駆けつけたとき、井戸広場でシルキアは倒れていた。すでに意識を失っていた。
そして、そんな妹の真正面に、ヤツがいた。あの、貝とミミズを合体させたような、醜悪極まりない姿の魔族が。
両親は、すでに、死んでいた。
シルキアは、殺されるところを見たのだろうか。
それともオレと同じく、死んでいる状態を……ミミズに突き刺され宙にぷかぷかと浮かぶ両親の頭を見たのだろうか。
……できれば、オレと同じであって欲しいな。
どちらがマシか、なんてことはない。
どちらも絶望だ。オレたち兄妹にとっては深い、あまりにも深い闇だ。
しかし、殺される瞬間を目撃してしまうのとそうでないのとでは、深刻さに僅かな違いはあるだろう。殺される瞬間を見るくらいなら、当然、見ないほうがマシだ。
マシ、なはずだ。
だから、オレと同じであって……いや。
やっぱり、マシなんてことはないな。
悲劇は悲劇。
絶望は絶望。
両親は殺され、死に、二度と会えない。
殺された瞬間を見ていようが見ていなかろうが、その事実はまったく変わらなくて。
その事実だけが、どうしようもなく、すべてだ。
……守らなきゃ。オレが。オレが守るんだ。
シルキアだけは守る。
シルキアだけは、絶対に幸せにしてみせる。
「魔族ですか……とうとう、こちらの方面でも攻めてきましたか」
こちらの方面という言い方は、魔族との戦いについて詳しい人のもののように思った。
尋ねてもいいのか、どうなのか。
「町から逃げた方々はいらっしゃるのですか?」
気になったことを訊いてもいいのか悩んでいると、カノジョに先に言葉を続けられた。
「馬車で、何台か、町から離れました」
頭に浮かんだのは、親友の泣き顔。
今ごろ、ネルはどうしているだろう。
無事に逃げられただろうか。
ぞわっと、悪寒に襲われる。
不安になることを考えてしまったからだ。
魔族を燃やし滅したあの人――ルシェル=モクソンは、戦いが起きていると言っていた。
オレは、首を捻れるだけ捻って、左後方の空を窺う。
今も変わらず黒煙は何本も上がっていた。
あのひと筋ひと筋が戦場なのだとしたら……。
ネルは。
モエねぇは。
無事なのだろうか。
いや、考えないって決めただろ!
振り切るように、顔を正面に戻す。
ここにいるオレが遠く離れたカノジョたちのことを心配しても、安否で不安になっても、何も変わらない。何もすることはできないのだから。
今は。
今はとにかく、自分たちのこと。
大切な妹と生きていくことだけを。
考えなければ。
直面している問題以外に使えるほど、オレの頭に、能力に、余裕なんてない。
「逃げた方々は、リーリエッタに向かっているのですか?」
「それは、わかりません」
「……まあ、恐らくはそうでしょうね。この辺りで最大の都市なのですから」
「そう、ですね」
「とはいえ、あの黒煙……いえ、今はポラックに戻ることに集中しましょう」
オレたちは今、《ポラック》に向かっている。
オレたち兄妹が元々、目指していた村。
この人たちは、そこから来たのだと言った。
つまり、わざわざ戻ってくれているのだ。
悪党どもから助けてくれたこともあるし、本当にいくら感謝しても足りない。
「ありがとうございます、本当に」
オレは、こうして馬に乗ってから何度目かわからない感謝を、また伝えた。
とはいえ、この馬にとって過酷な状況であることは間違いない。オレもシルキアも、そして元から乗っている子も肉付きが薄っぺらいとはいえ、三人も運んでいるのだから。
本当にありがとう。そう、心を込めて灰の毛を右手で撫でる。
「――ゴホッ、ゲホゲホッ……ンンッ」
手綱を引きながら歩く女性が、激しく咳き込んだ。何かねっとりしたものが絡んでいるような咳だった。声を聞いたときにも思ったが、やはり何かしら患っているのかもしれない。
「……コテキから逃げてきた、と言いましたよね」
こちらを見ずに言った声は、変わらず酷く掠れたものだった。
「あ、はい。町が魔族に襲われてっ、それでっ」
頭に浮かぶ、凄惨な光景。
破壊された町。
崩れ燃え盛る建物。
鼓膜を打つ悲鳴と雄叫び。
あまりにも醜悪な魔族。
そして――殺されてしまった人々。
母親、父親、グレンさんの最期。
一生、忘れることはないだろう。
ぎゅっと、オレに凭れるように座っているシルキアが、オレの肌着の右袖を掴んだ。
左手で妹の黒紫色の髪を撫でる。優しく、何度も何度も。
……そういえば、妹は母さん父さんの最期を見てしまったのかな。
オレが駆けつけたとき、井戸広場でシルキアは倒れていた。すでに意識を失っていた。
そして、そんな妹の真正面に、ヤツがいた。あの、貝とミミズを合体させたような、醜悪極まりない姿の魔族が。
両親は、すでに、死んでいた。
シルキアは、殺されるところを見たのだろうか。
それともオレと同じく、死んでいる状態を……ミミズに突き刺され宙にぷかぷかと浮かぶ両親の頭を見たのだろうか。
……できれば、オレと同じであって欲しいな。
どちらがマシか、なんてことはない。
どちらも絶望だ。オレたち兄妹にとっては深い、あまりにも深い闇だ。
しかし、殺される瞬間を目撃してしまうのとそうでないのとでは、深刻さに僅かな違いはあるだろう。殺される瞬間を見るくらいなら、当然、見ないほうがマシだ。
マシ、なはずだ。
だから、オレと同じであって……いや。
やっぱり、マシなんてことはないな。
悲劇は悲劇。
絶望は絶望。
両親は殺され、死に、二度と会えない。
殺された瞬間を見ていようが見ていなかろうが、その事実はまったく変わらなくて。
その事実だけが、どうしようもなく、すべてだ。
……守らなきゃ。オレが。オレが守るんだ。
シルキアだけは守る。
シルキアだけは、絶対に幸せにしてみせる。
「魔族ですか……とうとう、こちらの方面でも攻めてきましたか」
こちらの方面という言い方は、魔族との戦いについて詳しい人のもののように思った。
尋ねてもいいのか、どうなのか。
「町から逃げた方々はいらっしゃるのですか?」
気になったことを訊いてもいいのか悩んでいると、カノジョに先に言葉を続けられた。
「馬車で、何台か、町から離れました」
頭に浮かんだのは、親友の泣き顔。
今ごろ、ネルはどうしているだろう。
無事に逃げられただろうか。
ぞわっと、悪寒に襲われる。
不安になることを考えてしまったからだ。
魔族を燃やし滅したあの人――ルシェル=モクソンは、戦いが起きていると言っていた。
オレは、首を捻れるだけ捻って、左後方の空を窺う。
今も変わらず黒煙は何本も上がっていた。
あのひと筋ひと筋が戦場なのだとしたら……。
ネルは。
モエねぇは。
無事なのだろうか。
いや、考えないって決めただろ!
振り切るように、顔を正面に戻す。
ここにいるオレが遠く離れたカノジョたちのことを心配しても、安否で不安になっても、何も変わらない。何もすることはできないのだから。
今は。
今はとにかく、自分たちのこと。
大切な妹と生きていくことだけを。
考えなければ。
直面している問題以外に使えるほど、オレの頭に、能力に、余裕なんてない。
「逃げた方々は、リーリエッタに向かっているのですか?」
「それは、わかりません」
「……まあ、恐らくはそうでしょうね。この辺りで最大の都市なのですから」
「そう、ですね」
「とはいえ、あの黒煙……いえ、今はポラックに戻ることに集中しましょう」
オレたちは今、《ポラック》に向かっている。
オレたち兄妹が元々、目指していた村。
この人たちは、そこから来たのだと言った。
つまり、わざわざ戻ってくれているのだ。
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「ありがとうございます、本当に」
オレは、こうして馬に乗ってから何度目かわからない感謝を、また伝えた。
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