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希望を疑い、敬愛を疑い、自己を疑った俺は一体「何者」になれば良いのだろうか?【アズィンゲイン】

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 歩きやすいように整備された道。
 賑わいを見せる店々。
 道行く人々は皆様々な表情を見せながらも、どこまでも生きる活力を感じる。
 憂いを浮かべ歩く人はおらず、誰もがこの国で生きている事に悲しみを浮かべる事は無い。

 俺が護りたいと思っていた笑顔が咲き乱れる人々の姿がここにはある。

 今歩いている人々は国王が騎士が自分達を守ってくれるのだと一切の疑いも無く信じているだろう。
 嘗ての俺がそうであったように。
 事実、国は民に何かあれば即座動き、騎士達は自らの全力でもって民を守り抜くはずだ。
 その事だけは今の俺でも信じる事が出来る。
 それでも……それでも騎士も又一人の人間なのだと今の俺は知っている。
 だからこそ俺は今、自分自身でも分からない何かを抱えているのだから。





 俺は王国の中でも地方の村出身だ。
 特産というほどのものも無く、森が近くにあるために狩猟と農作物の売買で金銭を得るような極々普通の小さな村。
 そんな村が俺の産まれ故郷であり、幼い俺にとっての全てだった。
 俺は次男だったが、兄と区別され育てられる事も無く、愛されていたと思う。
 男手が貴重な村の中でもそれなりに体格の良い俺達兄弟は必要とされていた。
 特に俺は村の中では狩猟の才能があったらしく、幼い頃から森の中を駆けまわって育った。
 そんな俺が騎士を目指し王都に向かった理由は教会に行き儀式を受けた事によってだった。
 王国に住む全ての子供が一度は行く教会。
 そこで俺は平民にも関わらず魔力がある事。
 ただし、その全てが身体能力を強化する事に使われている事。
 魔術師になる事は出来ないが、代わりに戦う者としてなら大成する可能性がある事を教えてられた。
 戦う者と言われて最初に思い浮かぶのが「冒険者」と「騎士」なのはここで生きているならば当然と言える。
 事実俺も神官に言われた時にこの二つが思い浮かんだ。
 その後、教会の人間に勧められて俺は騎士を目指す事になった。
 儀式から然程時もかからず、村の皆に盛大に祝われて、俺は村を後にした。
 その頃、俺の胸には「何時か村にも名が聞こえる程の何かをなしてみせる」と無邪気な野心が宿っていたように思う。
 意気揚々と村を後にした俺はきっと輝かしい未来しか見えていなかったはずだ。

 だが、そんな希望も王都に来て直ぐに打ち砕かれてしまう事になる。

 俺は何処までも大勢の中の一人でしかないと嫌という程思い知らされたのだ。
 騎士になるための門戸は貴賤関係無く開かれている。
 騎士の世界は完全実力主義の世界と言い切れる程には家格などは重要視されていない世界だった。
 それ自体は決して悪い話ではない。
 平民だろうと騎士なる事が出来るし上に行く事も出来るのだから。
 けれど、その中で自分がいかに「普通」であるかを叩きこまれて心が折れてしまうのも騎士になるための洗礼のようなものだった。
 俺も例外なく、その洗礼を受けて心を折られた。
 同期の中には魔力の多い存在も剣の腕が絶つ存在も山ほどいた。
 確かに俺自身、そこまで低い能力ではなかっただろう。
 それでも上には上が居るのだと心を何度折られた事か。
 厳しい訓練、差が開く実力、身分による格差。
 どれもが田舎の村出身である俺の心を折るには充分だった。
 辞めようかと何度も思ったが、その度に喜んで送り出してくれた村の皆の顔を思い出して歯を食いしばって耐えた。
 身分による格差が酷くなかった事だけがあの頃の救いだったと思う。
 俺がナルーディアス隊長に出逢ったのは、そんなボロボロの時だった。
 当時既に近衛隊の一部隊を率いていたナルーディアス隊長は、才能ある若手を見極めるために度々訓練場を訪れていた。
 俺の何が隊長の目に止まったかは分からない。
 けれど、隊長は俺に才能があると。
 何時か自分の隊に来いと言ってくれた。
 不文律で平民は近衛隊にはなれない。
 だが、暗黙の了解で名義上貴族の養子となる事で平民も近衛隊になる事は出来る。
 実力さえあれば、その言葉の通りになる事も可能だったのだ。
 その言葉を目標に前以上に努力した俺はナルーディアス隊長が後ろ盾となってくれ、さる貴族と養子縁組をし、近衛隊へと配属になる事が出来た。
 隊長の前に立った時、どれだけ誇らしかったか。
 貴方の見る目は間違っていなかったと証明できた事がどれだけ嬉しかったか。
 その頃には俺は隊長を父親のように慕っていたのだ。
 隊長も俺が自分の隊に配属になる事に喜んでくれていた……そうだと思いたい。
 あの頃の俺は隊長に対して盲目だったと思う。
 父代わりであり、俺の才能を信じてくれ、引き立ててくれた恩人。
 そんな相手のいう事だから全部真実なのだと、何処までも盲目に思い込んでいた。

 だからこそ、自分の目の前で繰り広げられる光景――隊長が殿下達にやった事が信じられなかった。

 隊長は騎士として民に尽くすのではなく、現国王陛下に対してのみ、その忠義を捧げていたのだと言っていた。
 確かに隊長が陛下を心酔している事は知っていた。
 だが、その事自体に危機感など一切感じていなかった。
 国王陛下は素晴らしい人であるし、そんな陛下に対して叛意ではなく、敬意を抱いているのならば、問題ないだろうと思っていた。
 いや、違う。
 あの頃の俺は隊長が「そうだ」というのだから、そういうものだと思っていたのだ。
 隊長のいう事は絶対だった。
 ナルーディアス隊長率いるナルーディアス隊は皆、俺のような奴等ばかりだった事が俺の思い込みに拍車をかけた。
 まさか隊長にとって大切なのは国王陛下“だけ”だとは思いもしなかった。
 御子息である殿下達に対して、そして陛下を支える宰相に対してあんな暴言を吐き、そのご息女を殺そうとするなんて、考えていなかった。
 そこまで隊長が歪んでいたなんて。
 挙句、俺達の思想まで洗脳されていたなんて。
 最初聞いた時は「信じるものか!」と叫んだ事を覚えている。
 自分達の想いは洗脳で捻じ曲げられたものでは決してない。
 心からの叫びだった。
 だが現実は無常だ。
 隊長は殿下達に不敬を働き、公爵家の御息女を殺そうとした事で捕まり、利き手の健を切られ、放逐された。
 ナルーディアス隊は隊長に洗脳されたいたと罪が減刑され、一からやり直すか辞めるかという破格の選択肢が与えられた。
 殆どの人間が騎士を辞めたと聞いている。
 俺も騎士であり続ける事は出来なかった。
 事情聴取されていた時、気づいたのだ。
 自分が未だにナルーディアス隊長を慕っている事に。
 そんな不穏分子が騎士にいてはいけない。
 そんな思いが後押して俺は騎士を辞めた。

 だがやめた後に気づいた。
 騎士を辞めた俺は故郷に戻る事が出来ない、と。
 華々しい勇退ではなく、名誉の負傷でも無い。
 不祥事によって騎士を辞めた俺は村の皆に家族に合わせる顔が無い。
 何より俺は未だにナルーディアス隊長を慕う心を捨て去る事が出来ない。
 隊長のやった事が決して許されない事は知っている。
 騎士としての俺は隊長の言動に対して怒りを抱いている。
 けれど、自分を引き上げてくれた、父の様に思っていた心は隊長を慕う事を辞めてくれない。
 常に否定と肯定を繰り返す心は不安定になっていて、とてもじゃないが、こんな状態で村に帰れるわけがなかった。

 だが、騎士を辞めた俺に出来る事なんてあるのだろうか?

 騎士を目指し、騎士となり近衛隊に配属された。
 だからこそ俺は礼儀作法や貴族社会での立ち回り方は多少分かっている。
 けれど、逆に言えば俺は貴族社会の事しか知らないのだ。
 元々平民であるのだから、平民としての生活は知っている。
 だが、幼い頃に王都に出た俺が知識として知っていても現実として生活できるかどうかは別だった。
 戦う者として冒険者になる事を考えなかったわけではない。
 だが、それですら生きていける気がしなかった。
 不安定な心を持て余している俺では早々に死ぬ未来しか見えなかった。
 何よりも俺はこの期に及んで隊長への敬愛を切り捨てられない。
 隊長の慟哭が忘れられない。
 その時、俺ははっとした。
 ――同時にあの冷ややかな夜の眸が忘れない事実に。

 隊長に殺されそうになったが、自力で切り抜けた宰相の御息女。
 自身が殺されかけた事よりも家族を侮辱された事に怒り、隊長の騎士としての矜持全てを叩き壊した少女。
 何処までも冷ややかに、それでいて自分を殺そうとした相手に欠片の興味も抱かず、作業のように隊長を壊した女。
 
 俺達はやり過ぎだと、これ以上隊長を壊さないで欲しいと懇願した。
 そんな俺達の事を路傍の石のように見下ろしていた時の眸は何処までも冷ややかで恐ろしかった。
 だが、俺は何よりあの時ご息女が隊長の事を「過去」の事にしているのだという事に寒気を覚えた。
 自分を殺そうとした相手だと言うのにあっという間に興味を失い忘れていく。
 隊長の事をあっさりと記憶の片隅に追いやる行為に怒りが沸いたのも事実だ。
 だが、それ以上に本来ならば一生忘れられなくてもおかしくはない出来事を、その加害者をあっさりと忘れていく事が出来る性質に寒気がしたのだ。
 あの時俺はこの方は決して普通とは言えない令嬢なのだと感じた。

 あのまま育てば、何時か自分も周囲も傷つく事になるのではないか?

 俺がそんな事を考えるなんて不敬も良い処だろう。
 虫が良すぎると罵られてもおかしくはない。
 事実俺は未だに隊長を慕い、そんな隊長の矜持を打ち壊した令嬢に良い感情を抱いてはいない。
 そんな俺に心配されるなんて屈辱以外の何物でも無いだろう。
 
 それでも俺の足は自然とかの令嬢の居る場所――ラーズシュタイン領へと向かっていた。

 俺にあそこで出来る事なんて無い。
 門前払いされて終わるだろう事も理解していた。
 そうでは無くとも令嬢と顔を合わせる可能性など無いに等しい。
 けれど、それでも、もしがあるならば。
 どうせ不安定な心を持て余し、長生きは出来ない。
 ならば、最期に村の皆に顔向け出来る事をしたいと思った。
 
 そう、分かっている。

 俺は隊長のためと言いながら、令嬢を心配していると感じながらも、結局最後は村の皆のために動いていたのだ。
 そんな心の内が知られれば、きっと俺はすぐさま切り捨てられるだろう。
 それでも良いと思うくらい、あの時、俺には何も残っていないと思っていたのだ。
 あの頃の自身に残っていたのは騎士の矜持の欠片と隊長への捨てきれない敬愛、そして村の皆への郷愁だった。

 ある意味で自分の最期すら覚悟し、俺はラーズシュタイン家の門を叩いたつもりだったのだ。

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