赤い目は震わす

伊達メガネ

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第六章

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 アパートの部屋から出ると、駐輪所に止めてあった、三輪式の原付に跨った。
 原付は以前、アパートの隣に住んでいた男が、何処かから持ってきたものをタダで貰ったやつだ。
 元は飲食店の宅配で使用されていた物らしく、店名が記載された部分を、ガムテープが貼られ消されていた。
 かなりの年代物で大分ヘタってはいるが、屋根が付いているおかげで、多少の雨は平気な上、後部に収納ボックスまで付いているので、使いやすくて割と気に入っている。
 時間帯の割には、道は思ったほど混んでおらず、そのおかげでいつもよりも早く会社に辿り着いた。
 今回会社に足を運んだのは、定期訓練を受ける為だ。
 会社は古い三階建ての建物で、一階が駐車場、二階が事務所で、三階は所長室に銃器保管庫、地下一階は訓練用の射撃場になっていた。
 二階の事務所奥の、簡易に作られた更衣室で、着替えを済ませた。
 時間まではまだ早かったが、特にやることもないので、取り敢えず三階の所長室に向かった。
 ノックして所長室に入る。
「失礼します。おはようございます」
「ハイ、おはようございます」
「オウ、おはよう」
 部屋には会社の代表である小鳥遊所長と、うちの猟人を管理する猪口主任の両名が揃っていた。
 小鳥遊所長は実年齢よりは若く見え、高い身長に細身の体形、それに足も長いので見栄えが良い。
 物腰は常に柔らかくて、紳士然とした立ち振る舞いは、荒事を生業とする猟人の世界とは、おおよそ似つかわしくなく印象を受ける。
 そんな小鳥遊所長とは対照的に、猪口主任はいかにもって感じだ。
 大柄でゴツイ体格に、坊主頭に強面の顔、口うるさくて言葉は少々荒っぽく、容易に一般人とは違う世界に住むことを連想させる。
 同じゴツイ系でも、シゲさんはどこか愛嬌があるが、猪口主任にはそういったものが無く、普通に生活していれば、あまりお近づきになりたくない印象だ。
 そんな猪口主任だが、不思議と小鳥遊所長には従順で、全く頭が上がらない。
 お互いに元自衛官で、どうもその時代の関係が作用しているらしい。
 所長室は仕切りのないワンフロアになっていて、奥には小鳥遊所長と、猪口主任のデスクや、ロッカーなどが置かれている。
 手前の壁際には銃器や、弾薬を保管している鎖の錠の付いた堅牢なロッカーと、その前に広い作業テーブルが設置されていた。
 所長室の構造上、銃器や弾薬は小鳥遊所長と、猪口主任から目に付くようになっていて、持ち出しする際には、必ず両名の許可を得る必要があった。
 ……ん⁉
 作業テーブルの上に、見慣れない狙撃銃が置かれていた。
 小鳥遊所長はコチラの心を、見透かすように言葉をかけてきた。
「気になりますか?」
「もしかして、新しく購入したのですか?」
「ええ、セミオートマチック式の狙撃銃になります」
「最近うちの会社は、業績が良いだろ?」
 猪口主任が意味ありげに笑った。
 猟人は赤目の駆除を生業としており、その対価として政府から報酬を得ている。
 希少性の高い赤目や、それ以外のモノでも大量に駆除することで、当然ながらその報酬は膨らんでいき、会社の業績は上がる。
 ただ、相対的に猟人の労力も増大していく為、コチラとしては喜んでばかりもいられない。
 幸か不幸か、ここ最近はそういう機会が多かったおかげで、割と大変な目にあっていた。
 猪口主任に苦笑いで返した。
「ハハ……そうですね」
 それに小鳥遊所長が微笑みで応えた。
「実は前々から、考えてはいたのですよ。狛彦君たちの活躍のおかげで、丁度良い機会と思いまして、思い切って導入を決めました」
 今度は猪口主任が苦笑いを浮かべた。
「政府や取引先とのしがらみもありますが、元々うちにはボルトアクション式の狙撃銃しか、ありませんでしたからな」
「ええ、ただ、勿論ボルトアクション式は、ボルトアクション式で良い点もあります。使用できる銃弾も豊富ですし、構造が単純な分、動作不良も少ないですから信頼度が高い。何よりも一発で対象を仕留める分には、大変頼りになりますからね」
「しかし、ボルトアクション式ですと、どうしても対象から、目を離しがちになるじゃないですか? 銃を撃つ際にはレバーを引く動作を、必ず行わなければならないので、速射性は失われますなぁ」
「ええ、そこはどうしても、ネックになってしまいますね。赤目のように不規則な動きをする相手には、ちょっと心もとないですね。そこは臨機応変に対応出来るセミオートマチック式の方が、やはり有効だと思います」
「まあ、火力は確かに魅力ですけど、ボルトアクション式ですと、物にもよりますが.300Win Magなどの、威力の高い銃弾も使用出来るじゃないですか、そこは捨てがたいですよね?」
「そこは悩ましい所ですね。対象にもよると思いますが、威力が高い方が有効な打撃を――」
 小鳥遊所長と、猪口主任の会話が熱を帯びていく。
 …………正直、入ってこないな。
 これまでポジション関係で、狙撃銃をあまり使用してこなかったせいか、話の内容にイマイチピンとこない。
 それ以前に、そもそも狙撃銃自体に、そこまで興味がわかない。
 …………これ、いつまで続くの?
 だが、こちらの思いとは裏腹に、二人の話は盛り上がっていく。
 この後もシゲさんと、絹江さんが来るまで、永延と二人の狙撃銃談話を聞かされ続けた。

 片側二車線の道路の真ん中を、堂々と逆走して歩いて行く。
 所々に放置された車や、バイクが転がっていて、道沿いの建物は酷く劣化し窓ガラスや、シャッターなどが破損していた。
 空はどんよりと曇っていて薄暗く、季節柄強い日差しが無いのは助かるのだが、周りの景色も相まって少し切ない気持ちにさせる。
 暫く歩くと、大きな十字路に辿り着いた。
 中心付近には錆びつき、劣化した車が転がっていて、見るも無残な姿をさらしていた。
 周りには更地となっている多くの土地に、老朽化した雑居ビルや、劣化したコインパーキングなどが点々としていた。
 更地となっている土地が多いのは、ここが都市開発の一環で、区画整理の対象地域であった為だ。
 計画通りに事が進めばショッピングモールや、映画館、公園などの遊興施設が建ち並び、多くの人で賑わう筈であった。
 だが、賑わっているのは人ではなく、異形の怪物赤目である。
 手には45口径のオートと、左腿のホルスターに357マグナムのリボルバー、それと肩からボルトアクション式の狙撃銃を担いでいた。
 傍らには絹江さんが立っていた。
 絹江さんの方は導入したばかりの、セミオートマチック式の狙撃銃を担いでいた。
 そして相変わらず、緊張した面持ちを浮かべていた。
 双眼鏡を取り出すと、今回の対象となる赤目を確認する為に、数百メートル先を覗き見た。
 そこには三匹の赤目がいた。
 ブルドックと、土佐犬を足したような姿形で、全長は二メートルを優に超えており、黒みを帯びた茶色い体色に、筋骨隆々としたがっちりとした体格、大きな口から太い牙を生やし、赤い目を光らせている。
 これまでにも何度が駆除してきた赤目だが、そのあまりにも厳つい姿は、会うたびに速やかに帰宅したい気持ちにさせる。
 その赤目たちがタチの悪い破落戸ゴロツキのように、悠々と寝そべって道路の真ん中を占拠していた。
「あ~~いますね。『チワワ』が」
 双眼鏡を渡して、絹江さんも覗き見る。
「………………」
 絹江さんの緊張した面持ちが、より一層険しくなった。
 絹江さんの気持ちが、手に取るように分かった。
 あんな厳つい姿を目にしたら無理もないか……。
「大丈夫ですか?」
 絹江さんが、緊張を振り払うように強く答える。
「別に……問題ないわよ!」
 そして、八つ当たりまがいに毒を吐いた。
「全く何でアレが『チワワ』なのよ!」
 まあ、その気持ちは分からないでもないですけど……。
 大分緊張はしているようですし、それならここはひとつ……。
 絹江さんの質問に、さも常識であるかのように答えた。
「えッ……そういう風に見えませんか?」
 流石と言うべきか、絹江さんが俊敏に突っ込んできた。
「見えないわよッ!」
「そうですか? いかにも『チワワ』って感じがするじゃないですか?」
「どこが⁉ いつ何時、どこから、どの角度で見ても『チワワ』って感じには見えないわよッ‼」
「だからですよ!」
「はィィ……⁇」
 絹江さんは「何言ってんだオマエ!」って表情を浮かべている。
「ですから、いつ何時、どこから、どの角度から見ても『チワワ』って感じに、見えないから『チワワ』なんです」
 絹江さんは暫く考え込むと、口を開いた。
「取り敢えず殴っていい?」
「取り敢えずでも殴ったらダメです!」
 殴られたくはないけど、一応通常運転の絹江さんだな。
 緊張も大分解れたみたいだけど、もう少し遊んでみるかな?
 両手を広げて、大げさな態度を示す。
「アレアレ? もしかして? こんな簡単なことが、まだ分からないのですか? え~~? 本当に~~?」
 瞬時に、怒りに燃える絹江さん。
「くうぅ~~~~このぉ~~~~!」
「イヤイヤイヤ? まさか? あの絹江さんが? そんな筈はないですよね? 絹江さんともあろうお方が? いくら何でも……ねぇ?」
「……………………💢」
 あッ! 絹江さんの左まぶたが、ピクピクと引きつっている。
 そろそろ限界か、この人見た目とは違って、短気で暴力的だからな。
 身の危険を回避する為に、そろそろネタを明かすか。
「しょうがないですね。要するにですね。赤目の名称って猟人が適当に決めているんですよ『チワワ』の場合あまりにも見た目が厳ついので、せめて名前だけでも可愛くしようとして『チワワ』って名前になったんです。まあ、別に『ポメラニアン』でも『チャウチャウ』とかでも良かったのですが、たまたま『チワワ』が好きな人が――」
 絹江さんの両手がおもむろに伸びてきて、両頬を思いっきり引っ張り上げられた。
「いッ痛ひゃい!」
 絹江さんの瞳が、怒りに燃えまくっていた。
「『チワワ』が好きだから『チワワ』と名付けた⁉ 分かるか――ッ! そんなもん‼ どこのどいつよ⁉ それに何よそのドヤ顔ッ! 憎たらしい~~ッ!」
「……ちょ……と……暴力反――」
 なおも絹江さんが、両頬を引っ張り上げてくる。
「大体アンタは! いつも妙にかしこまった口調から、小利口な言葉を並べて、慇懃無礼でムカつくのよ‼」
「チョット……なにどさくさに紛れて、ぶちまけているんですか⁉」
「うるさ――いッ‼ ムキ――ッ‼」
 赤目が近くにいることなどお構いなしに、絹江さんのエキサイトは、止まることを知らなかった。

 デスクワークに勤しんでいた猪口昭正は、一息入れようとして、コーヒーを口に含んだ。
 小鳥遊所長が窓辺に立ち、外を眺めていた。
 平和な日常を感じさせる。
 このシーンだけ見たなら、小鳥遊所長がかつて凄腕の狙撃手だったことなど、誰もが夢にも思わないだろう。
 もっとも、この方は昔からこうだ。
 自衛隊時代から含めて長い付き合いになるが、いかなる場合でも穏やかな表情を崩さずに、落ち着いた態度おられる。
 それでいて難しい任務でも、事も無げに巧みにやり遂げる。
 その姿に尊敬の念と、憧れを抱いたものだ。
 不意に、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します」
 ドアが開き、若い女性が入ってきた。
 事務員の蜂須賀美咲だ。
 美咲はコチラを確認すると、近寄ってきて書類を差し出した。
「猪口主任、この書類に捺印お願いします」
「ああ、分かった」
 書類を受け取ると、確認しながらデスクの引き出しを開け、印鑑を取り出した。
 美咲がデスクに置かれていた資料を見て、驚きの声を上げた。
「うわぁ、ゴツイ顔!」
「ああ、それは今シゲさんたちが、駆除に行っている赤目だ」
「こんなの絶対会いたくないなぁ…………んん⁉」
 美咲は資料を手に取ると、再度驚きの声を上げた。
「なにコレ⁈ 『チワワ』? こんなゴツイ顔なのに『チワワ』って名前⁇ これ本当なんですか?」
 まあ、普通そう思うわな。
「ああ、本当だ」
「えェ――ッ! どういうセンスしているんですか? この名前つけた人⁉ ちょっとキモイですけど!」
 キモイって……。
「イヤ……「キモイ」ってのは、流石に言いすぎじゃないか?」
 コチラの言葉に美咲が直ぐに反応した。
「だって『チワワ』ですよ! あんな顔なのに『チワワ』‼ 普通つけないですよ! まともな神経なら、そんな名前つけなくないですか?」
 ……そこまで言わなくても。
 横目でチラリと小鳥遊所長をみると、先程と変わらず窓辺から外を眺めていた。
「センスの受け止め方なんて、人それぞれだろ? 別に一つくらい、多少変わった名前があってもいいじゃないか?」
 美咲はイマイチ納得いっていない表情だ。
「じゃあ、猪口主任は、この名前良いと思うのですか?」
「……………………」
 しまった⁉ 思わず本音が……。
「ほら、やっぱり! 猪口主任も良いとは、思っていない訳でしょ?」
 何てことを言うんだ……。
「イヤ……そんなことは……」
「ああッ! そう言えば! 赤目の名前って猟人の人たちが、確か決めているのですよね?」
「ああ、そうだが……?」
「でしたら、その名前を付けた人と、会うかもしれませんよね? と言うか、猪口主任は会ったこと無いんですか?」
 思わず美咲から、目を逸らしてします。
「……さあ……どうだったかな……?」
 実は君も、もう会っていたりして……。
「ちょっと気になるな~~。ああいう名前をつけるセンスの人って、どういう人何だろう? う~~ん、もの凄いイケメンだったりしたら、意外性からギャップ萌えするかも?」
 不意に横から声がした。
「そのような期待をされても、困るのですが……」
 いつの間にか傍に来ていた小鳥遊所長が、申し訳なさそうな表情をして、頭をかいていた。
「あまり堅苦しいモノばかりでも、どうかな? と思っていましたから『チワワ』可愛いので好きでしたので、良いと思いまして……」
「……………………」
 一瞬呆気に取られていた美咲は、ここにきてようやく事態を理解したようだ。
「えッ……? それってまさか……?」
 小鳥遊所長が無言で、コクリと頷いた。
 美咲は両手を頬に着けて、驚嘆の声を上げた。
「えええぇぇぇぇぇ―――――――――――ッ‼」
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