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「セナ」
自室の戸を叩く音。俺の名を呼ぶ声は、父のものだった。返事をすれば、父が戸を開けて俺の部屋に入ってくる。
「勉強中だったか」
「これは、別に……趣味の延長みたいなものだから気にしないで」
机の上に広がる様々な書物を見て、父が申し訳なさそうに眉を下げる。確かに勉強はしていたが、もう試験も何も俺にはないのだ。卒業試験は随分前に通過して、進学試験も控えていない。ただ、知りたいことがあったから書を開いていただけの話だった。
「それより、どうかしたの?」
「ちょっと……報告なんだがな」
夜も更け、部屋は薄暗い。蝋燭で部屋の中を照らしているが、非魔法使いが使うという電灯に比べると、蝋燭の灯は随分と淡いものだった。
「……エリアス城を、売却しようと思って」
父の言葉に俺は絶句する。俺の反応を予想していたのか、父は俯きながら目だけをこちらに向けて様子を伺っていた。
「そんな……、だって……あそこは、母さんがあんなに好きだったのに……、父さんだって、あそこだけは手放さないって、そう言ってただろ」
五年前に他界した母は、エリアス城をとても愛していた。俺が生まれた城でもあり、ラーフと出会った場所でもある。俺もエリアス城が大好きだった。母を深く愛していた父も、母との思い出を守る為、あの城だけは売らないと言っていたのだ。
「……すまない、セナ」
俺が生まれた頃からゆっくりと傾き始めたフィルリア家だったが、母が亡くなった時に没落の速度が速まった。母を失ったことで父が心に深い傷を負ったということが、強く影響しているのだろう。
母が他界した頃から、使用人の数を減らし、土地や他の城を売り、なんとかここまでやってきた。昔はそこらじゅうにいた使用人たちは、今は一人もおらず、家事は俺と父との分担でなんとかしている。もう他に売れるものは何もなかった。
ここまでして俺たちが守りたいのは、この家だった。フィルリア家のこの邸宅を守りたいのだ。もっといえば、この家の庭にある代々の墓碑。そこに眠る母の亡骸を守りたい。
貴族は、貴族街と呼ばれる区画に邸宅を持つことで貴族として認められている。その邸宅の面積によって、爵位の序列がつけられるのだ。かつては侯爵家であったフィルリア家も今では子爵まで落ちた。
この家に住み続けるには、多額の税金を納めなければならず、それの支払いに紛糾しているのだ。
墓を掘り起こして、別の場所へ移せばいいと他人にはよく言われるが、俺も父も、安らかに眠っている母や先祖たちの墓を荒々しく掘ることなどしたくなかったのだ。母の安眠のためなら、貧乏も嘲笑も我慢できた。
でも、それでも俺は、大切な思い出の詰まったエリアス城を手放したくなかった。
「……エリアス城だけは、嫌だよ」
「セナ……」
「父さん、前に援助してくれる人がいるって言ってたじゃないか。あの人はどうなったの?」
必死さのあまり、矜持すら捨てた。今日、ラーフに怒ったのに、それと同じことを俺は願ってしまっている。他人の助けを期待しているのだ。
「あ、あぁ……あれなんだが……」
白髪だらけになった父が言いにくそうに言葉を濁す。何か、よくない状況にでもなっているのだろうか。
「先方は、当家との婚姻を条件に援助を申し出ていたんだが……、どうやら、我が家に娘がいると思っていたらしい」
「それで……破談になったの?」
「そういう、ことだ」
俺は一人っ子で、当然ながら姉も妹もいない。娘なんてどこにもいない。こういった援助は今までに何度もあったが、俺が男であるため全て破談になっていた。
フィルリア家は医療魔法の家系で、現在の価値は低いが、魔法使いとしての血は非常に長く、濃い。即ちそれは、魔法使いを産む上で良い母胎になるということなのだ。フィルリア家の者にはもはや、子を産むくらいしか価値がないということだった。
「……俺が、女だったら良かったね」
気付けば涙が零れていた。俺が女であれば、どこかに嫁いでいける。フィルリア家は無くなっても、その財産は守っていけたかもしれない。悔しくて、情けなくて、涙が止まらない。そんな俺を、父はそっと抱きしめた。
翌日、俺は早い時間から学校に行き、図書室に籠った。
医療魔法の書架を漁り、目的に該当する分厚本を何冊も引き抜いて隅の方にある机にどさりと乗せる。そしてそれらを片っ端から読み続けた。
性転換魔術について、俺は調べていた。
その手の魔術が存在することは知っていたが、今まで興味が無かったし、授業においてもその手合いは不要とされていた。
だが、今の俺にはこれが必要なのだ。女しか必要でないのなら、俺は女になるしかない。もう俺の未来が真っ暗であることは確定なのだから、せめて大切なものを守るためにこの体を使いたいのだ。
だが、読み進めれば進めるほど、その困難さを理解する。複雑な魔方式や、見たことも聞いたこともない理論が当たり前のように並んでいる。人間の体を作り替えてしまうのだから、複雑な術であることは覚悟していたが、まさかここまでとは。
それに、この魔法は性転換する本人と、術を施す医療魔術師が必要となる。つまり、自分以外の誰かに協力を仰がなければならないのだ。
高度な医療魔法を会得している医療魔術師など、身近にはそうそういない。まず第一には父だが、父がこんなことに協力してくれるとは思えない。となると、他には。
「……教授なら」
アラウド教授なら、頼めばやってくれるだろうか。技術的に、アラウド教授であれば何の問題もないだろう。けれど、性転換魔法には、施術にあたり国へ提出しなければならない書類が山ほどある。そんな煩雑な仕事を教授に頼めるわけがない。どうすれば良いのだろう。思わず俺はうつ伏せになる。
「セナ。何が、教授なら、なの?」
耳元で聞こえた声に驚いて、勢いよく身を起こした。驚きすぎて息が詰まる。そこに立っていたのはラーフだったのだ。
「ラーフ、お前っ、急に話しかけるなよ! 驚くだろ!」
「ごめんね。それで、教授がなんなの?」
「教授は別に……なんでもないよ」
「でも今、教授ならって言ってたよね。それに、これなに?」
素早く俺の隣に腰かけたラーフは、机の上に置いてあった本を一冊手に取ってそのタイトルを俺に見せる。性転換魔術の手ほどき、と書いてある。ラーフの目は随分と剣呑な光を孕んで、どこか恐ろしい。まるで怒っているようだ。
「これって、どういうこと? 教授に、女の子になれ、とでも言われてるの?」
「は? いや、全然違う。教授とその本には繋がりはない」
「じゃあなんでこんな本読んでるの?」
「それは……ちょっと、必要があって」
「セナは女の子になりたいの?」
「別にそんなんじゃ……」
「じゃあなんで?」
ラーフの追及は厳しい。言葉を濁していても、まったく訴追の手は緩まない。なにより、ラーフの目が怖くて何故だか言い逃れが出来ないのだ。
「……女になりたいわけじゃないけど」
「けど?」
「その……女になる必要があって」
「どういうこと?」
「……家を、援助してくれるっていう人がいたんだけど、俺が男だから駄目だって言われてて」
ドン、と鈍い音がした。肩を震わせて驚いてしまう。見れば、ラーフの拳が机を殴りつけていたのだ。
闘性魔術師であるラーフが訓練において力を振るうところは見たことがあったが、こんな風に日常の中で、というのは初めてだった。まるでラーフではないようだ。
「ラーフ……怒ってるのか?」
「ごめん、なんでもないよ。続けて。その援助してくれる人は、セナが女の子になったとしたら、それでどうするの?」
「……よくは分からないけど、たぶん、子供を産むことになるんだと思う。フィルリアの濃い血を母胎にして、魔力の強い子供を作りたいんじゃないかな」
ラーフは激しい音を立てて机に肘をつき、手で額を覆って俯いた。行動のひとつひとつに怒りが満ちていて、とても怖い。ラーフはこんな態度を取るやつだっただろうか。
「それってつまり、犯されて産むだけの道具ってことだろ。セナはそんなものにされていいの? 正妻でも、愛人でもない。ただの道具になりたいの?」
「だって……仕方ないんだ。……とうとうエリアス城を手放さなくちゃいけなくなって、でも俺は、絶対にそれは嫌なんだ」
「だからって……、たかが城ひとつにセナが身を捧げる必要なんてないだろ!」
図書館の隅に来ていて良かったと、心底思った。背の高い書架のおかげで音は大きく響くこともなく、書物たちに吸収されていく。ラーフがこんな風に怒鳴る姿を初めて見た俺は、驚いて身動きひとつとれなくなっていた。
「……た、たかがじゃない。エリアス城は、大切な城だ。母さんとの思い出も詰まってるし……それに、あの城は。……お前と過ごした城だろ」
母との思い出ももちろん大切だ。でも、母との記憶は貴族街の邸宅にも残っている。けれど、ラーフと過ごしたあの日々は、エリアス城にしかないのだ。まだ貴族然としてラーフと対等でいられた、輝かしくて懐かしくて、何にも代えがたい思いではあの城にしかない。
「セナ……」
「城のために自分を犠牲にするなんて馬鹿だって、俺も思うよ。でも、それでも守りたいんだ。俺のことを愚かだって言うなら言えばいい。だからもう放っておいてくれ」
ラーフの持つ本を奪い返す。愚かであっても、己を差し出す以外に術はない。力のない俺は、こうするしかないのだ。ラーフには一生理解出来ないことだろう。それでいい。理解して欲しいなんて、はなから思ってない。
「……俺の援助は断るくせに」
「お前の援助とは全然違うだろ。今回の件は、俺の体を対価として差し出せと言われている。それならいい。でもお前は対価もなしに、簡単にお金を渡そうとする。お前のそれは援助じゃなくて、施しだ」
「対価を求めればいいんだ?」
そこからは、何もかもが一瞬だったと思う。ラーフは、俺との間の距離を詰めたかと思うと、俺の唇を塞いだ。塞いだのは、あいつの唇だった。
信じられないことに、俺たちはキスをしている。状況が全く理解できないままに、逃れようともがくが、ラーフの大きな手が俺の後頭部を押さえていてまったく動けない。
「……んっ……ッ」
苦しくて、苦しくて、涙が溢れる。なんとか鼻で呼吸をする術を見つけたが、それでも苦しい。口付けなんて生まれて初めてだ。やり方なんて、俺は知らない。
ラーフを押し退けようと肩を押すが、びくりともしない。それどころか腰を強く引かれて、引き寄せられるくらいだった。
「……はぁ、はぁ……っ」
やっと解放された時には酸欠で頭がぼうっとし、体から力が抜けていた。ラーフは満足そうな顔で俺を抱きしめている。
「なんで……こんなこと」
「対価がいるって、セナが言ったんだろ。俺はそれをもらっただけだ」
「だからって、こんな、こんなの……っ」
「とにかく、俺はエリアス城を買い取って、所有者をセナにする。城は永劫、セナのものだ。だから絶対に馬鹿なことは考えないで」
溢れ出る涙が止められない。何故泣いているのかは、よく分からなかった。感情がぐちゃぐちゃになって、自分自身が翻弄されている。ただただ、悲しみに心も体も浸されていた。
「泣かせてごめんね、セナ。でも、俺はセナが誰かの道具に成り下がるなんて、絶対に許さないから」
自室の戸を叩く音。俺の名を呼ぶ声は、父のものだった。返事をすれば、父が戸を開けて俺の部屋に入ってくる。
「勉強中だったか」
「これは、別に……趣味の延長みたいなものだから気にしないで」
机の上に広がる様々な書物を見て、父が申し訳なさそうに眉を下げる。確かに勉強はしていたが、もう試験も何も俺にはないのだ。卒業試験は随分前に通過して、進学試験も控えていない。ただ、知りたいことがあったから書を開いていただけの話だった。
「それより、どうかしたの?」
「ちょっと……報告なんだがな」
夜も更け、部屋は薄暗い。蝋燭で部屋の中を照らしているが、非魔法使いが使うという電灯に比べると、蝋燭の灯は随分と淡いものだった。
「……エリアス城を、売却しようと思って」
父の言葉に俺は絶句する。俺の反応を予想していたのか、父は俯きながら目だけをこちらに向けて様子を伺っていた。
「そんな……、だって……あそこは、母さんがあんなに好きだったのに……、父さんだって、あそこだけは手放さないって、そう言ってただろ」
五年前に他界した母は、エリアス城をとても愛していた。俺が生まれた城でもあり、ラーフと出会った場所でもある。俺もエリアス城が大好きだった。母を深く愛していた父も、母との思い出を守る為、あの城だけは売らないと言っていたのだ。
「……すまない、セナ」
俺が生まれた頃からゆっくりと傾き始めたフィルリア家だったが、母が亡くなった時に没落の速度が速まった。母を失ったことで父が心に深い傷を負ったということが、強く影響しているのだろう。
母が他界した頃から、使用人の数を減らし、土地や他の城を売り、なんとかここまでやってきた。昔はそこらじゅうにいた使用人たちは、今は一人もおらず、家事は俺と父との分担でなんとかしている。もう他に売れるものは何もなかった。
ここまでして俺たちが守りたいのは、この家だった。フィルリア家のこの邸宅を守りたいのだ。もっといえば、この家の庭にある代々の墓碑。そこに眠る母の亡骸を守りたい。
貴族は、貴族街と呼ばれる区画に邸宅を持つことで貴族として認められている。その邸宅の面積によって、爵位の序列がつけられるのだ。かつては侯爵家であったフィルリア家も今では子爵まで落ちた。
この家に住み続けるには、多額の税金を納めなければならず、それの支払いに紛糾しているのだ。
墓を掘り起こして、別の場所へ移せばいいと他人にはよく言われるが、俺も父も、安らかに眠っている母や先祖たちの墓を荒々しく掘ることなどしたくなかったのだ。母の安眠のためなら、貧乏も嘲笑も我慢できた。
でも、それでも俺は、大切な思い出の詰まったエリアス城を手放したくなかった。
「……エリアス城だけは、嫌だよ」
「セナ……」
「父さん、前に援助してくれる人がいるって言ってたじゃないか。あの人はどうなったの?」
必死さのあまり、矜持すら捨てた。今日、ラーフに怒ったのに、それと同じことを俺は願ってしまっている。他人の助けを期待しているのだ。
「あ、あぁ……あれなんだが……」
白髪だらけになった父が言いにくそうに言葉を濁す。何か、よくない状況にでもなっているのだろうか。
「先方は、当家との婚姻を条件に援助を申し出ていたんだが……、どうやら、我が家に娘がいると思っていたらしい」
「それで……破談になったの?」
「そういう、ことだ」
俺は一人っ子で、当然ながら姉も妹もいない。娘なんてどこにもいない。こういった援助は今までに何度もあったが、俺が男であるため全て破談になっていた。
フィルリア家は医療魔法の家系で、現在の価値は低いが、魔法使いとしての血は非常に長く、濃い。即ちそれは、魔法使いを産む上で良い母胎になるということなのだ。フィルリア家の者にはもはや、子を産むくらいしか価値がないということだった。
「……俺が、女だったら良かったね」
気付けば涙が零れていた。俺が女であれば、どこかに嫁いでいける。フィルリア家は無くなっても、その財産は守っていけたかもしれない。悔しくて、情けなくて、涙が止まらない。そんな俺を、父はそっと抱きしめた。
翌日、俺は早い時間から学校に行き、図書室に籠った。
医療魔法の書架を漁り、目的に該当する分厚本を何冊も引き抜いて隅の方にある机にどさりと乗せる。そしてそれらを片っ端から読み続けた。
性転換魔術について、俺は調べていた。
その手の魔術が存在することは知っていたが、今まで興味が無かったし、授業においてもその手合いは不要とされていた。
だが、今の俺にはこれが必要なのだ。女しか必要でないのなら、俺は女になるしかない。もう俺の未来が真っ暗であることは確定なのだから、せめて大切なものを守るためにこの体を使いたいのだ。
だが、読み進めれば進めるほど、その困難さを理解する。複雑な魔方式や、見たことも聞いたこともない理論が当たり前のように並んでいる。人間の体を作り替えてしまうのだから、複雑な術であることは覚悟していたが、まさかここまでとは。
それに、この魔法は性転換する本人と、術を施す医療魔術師が必要となる。つまり、自分以外の誰かに協力を仰がなければならないのだ。
高度な医療魔法を会得している医療魔術師など、身近にはそうそういない。まず第一には父だが、父がこんなことに協力してくれるとは思えない。となると、他には。
「……教授なら」
アラウド教授なら、頼めばやってくれるだろうか。技術的に、アラウド教授であれば何の問題もないだろう。けれど、性転換魔法には、施術にあたり国へ提出しなければならない書類が山ほどある。そんな煩雑な仕事を教授に頼めるわけがない。どうすれば良いのだろう。思わず俺はうつ伏せになる。
「セナ。何が、教授なら、なの?」
耳元で聞こえた声に驚いて、勢いよく身を起こした。驚きすぎて息が詰まる。そこに立っていたのはラーフだったのだ。
「ラーフ、お前っ、急に話しかけるなよ! 驚くだろ!」
「ごめんね。それで、教授がなんなの?」
「教授は別に……なんでもないよ」
「でも今、教授ならって言ってたよね。それに、これなに?」
素早く俺の隣に腰かけたラーフは、机の上に置いてあった本を一冊手に取ってそのタイトルを俺に見せる。性転換魔術の手ほどき、と書いてある。ラーフの目は随分と剣呑な光を孕んで、どこか恐ろしい。まるで怒っているようだ。
「これって、どういうこと? 教授に、女の子になれ、とでも言われてるの?」
「は? いや、全然違う。教授とその本には繋がりはない」
「じゃあなんでこんな本読んでるの?」
「それは……ちょっと、必要があって」
「セナは女の子になりたいの?」
「別にそんなんじゃ……」
「じゃあなんで?」
ラーフの追及は厳しい。言葉を濁していても、まったく訴追の手は緩まない。なにより、ラーフの目が怖くて何故だか言い逃れが出来ないのだ。
「……女になりたいわけじゃないけど」
「けど?」
「その……女になる必要があって」
「どういうこと?」
「……家を、援助してくれるっていう人がいたんだけど、俺が男だから駄目だって言われてて」
ドン、と鈍い音がした。肩を震わせて驚いてしまう。見れば、ラーフの拳が机を殴りつけていたのだ。
闘性魔術師であるラーフが訓練において力を振るうところは見たことがあったが、こんな風に日常の中で、というのは初めてだった。まるでラーフではないようだ。
「ラーフ……怒ってるのか?」
「ごめん、なんでもないよ。続けて。その援助してくれる人は、セナが女の子になったとしたら、それでどうするの?」
「……よくは分からないけど、たぶん、子供を産むことになるんだと思う。フィルリアの濃い血を母胎にして、魔力の強い子供を作りたいんじゃないかな」
ラーフは激しい音を立てて机に肘をつき、手で額を覆って俯いた。行動のひとつひとつに怒りが満ちていて、とても怖い。ラーフはこんな態度を取るやつだっただろうか。
「それってつまり、犯されて産むだけの道具ってことだろ。セナはそんなものにされていいの? 正妻でも、愛人でもない。ただの道具になりたいの?」
「だって……仕方ないんだ。……とうとうエリアス城を手放さなくちゃいけなくなって、でも俺は、絶対にそれは嫌なんだ」
「だからって……、たかが城ひとつにセナが身を捧げる必要なんてないだろ!」
図書館の隅に来ていて良かったと、心底思った。背の高い書架のおかげで音は大きく響くこともなく、書物たちに吸収されていく。ラーフがこんな風に怒鳴る姿を初めて見た俺は、驚いて身動きひとつとれなくなっていた。
「……た、たかがじゃない。エリアス城は、大切な城だ。母さんとの思い出も詰まってるし……それに、あの城は。……お前と過ごした城だろ」
母との思い出ももちろん大切だ。でも、母との記憶は貴族街の邸宅にも残っている。けれど、ラーフと過ごしたあの日々は、エリアス城にしかないのだ。まだ貴族然としてラーフと対等でいられた、輝かしくて懐かしくて、何にも代えがたい思いではあの城にしかない。
「セナ……」
「城のために自分を犠牲にするなんて馬鹿だって、俺も思うよ。でも、それでも守りたいんだ。俺のことを愚かだって言うなら言えばいい。だからもう放っておいてくれ」
ラーフの持つ本を奪い返す。愚かであっても、己を差し出す以外に術はない。力のない俺は、こうするしかないのだ。ラーフには一生理解出来ないことだろう。それでいい。理解して欲しいなんて、はなから思ってない。
「……俺の援助は断るくせに」
「お前の援助とは全然違うだろ。今回の件は、俺の体を対価として差し出せと言われている。それならいい。でもお前は対価もなしに、簡単にお金を渡そうとする。お前のそれは援助じゃなくて、施しだ」
「対価を求めればいいんだ?」
そこからは、何もかもが一瞬だったと思う。ラーフは、俺との間の距離を詰めたかと思うと、俺の唇を塞いだ。塞いだのは、あいつの唇だった。
信じられないことに、俺たちはキスをしている。状況が全く理解できないままに、逃れようともがくが、ラーフの大きな手が俺の後頭部を押さえていてまったく動けない。
「……んっ……ッ」
苦しくて、苦しくて、涙が溢れる。なんとか鼻で呼吸をする術を見つけたが、それでも苦しい。口付けなんて生まれて初めてだ。やり方なんて、俺は知らない。
ラーフを押し退けようと肩を押すが、びくりともしない。それどころか腰を強く引かれて、引き寄せられるくらいだった。
「……はぁ、はぁ……っ」
やっと解放された時には酸欠で頭がぼうっとし、体から力が抜けていた。ラーフは満足そうな顔で俺を抱きしめている。
「なんで……こんなこと」
「対価がいるって、セナが言ったんだろ。俺はそれをもらっただけだ」
「だからって、こんな、こんなの……っ」
「とにかく、俺はエリアス城を買い取って、所有者をセナにする。城は永劫、セナのものだ。だから絶対に馬鹿なことは考えないで」
溢れ出る涙が止められない。何故泣いているのかは、よく分からなかった。感情がぐちゃぐちゃになって、自分自身が翻弄されている。ただただ、悲しみに心も体も浸されていた。
「泣かせてごめんね、セナ。でも、俺はセナが誰かの道具に成り下がるなんて、絶対に許さないから」
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