没落貴族の愛され方

シオ

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 状況が理解出来なかった。

 確かに、透過されたプラズマがセナの足を襲撃した気配は感じ取った。だが、誰がそんな愚かなことをするのだ。最愛のセナを、この俺の眼前で傷付けるなど、一体どこの愚か者がそんな愚行を犯すのか。あまりにも理解の出来ない状況で、俺の思考が固まった。

「……ラーフ、ごめん」

 セナは、泣いていた。涙を流して、俺に詫びている。床に伏して、散らばってしまったクッキーを茫然と眺めて、そして泣いていた。俺の体の中に、熱いものが込み上げる。それは、名状し難い怒りだった。

 立ち上がったセナが走り出す。俺に駆け寄って、酷い目に遭ったから犯人に報復してくれ、と言ってくれたら良かったのに。あろうことか、セナはこのホールから立ち去ってしまった。

「セナ!!」

 慌ててセナのあとを追いかけようとした俺の手首を、強い力が掴む。この場において、こんな力で俺の阻むのは一人しかいない。背後を見て、父であるシェイナ侯爵を睨んだ。

「待てラーフ。お前を祝福するために、皆集まってくれているのだ」
「世界で一番大切な人が泣いてる状況で祝福されても、俺は笑えませんよ」
「ラーフ、弁えろ」
「貴方は、ユリア様が泣いてる横で笑えたんですか」

 父の目が見開かれて、手首を掴む力が弱くなった。それを好機と俺はその拘束から逃れる。父が惚れていたというセナの母、ユリア様の名を出せば、簡単に俺の怒りが伝わると思ったが、まさしくその通りだった。俺が荒々しい足取りで進むと、周囲の招待客たちがその勢いに驚いて引き下がり道を作る。すぐさま俺の背後にやって来たロキは、俺の指示を待っているようだった。

「ロキ、誰の仕業か突き止めろ。セナを嘲笑した者もだ」
「分かった」

 騒然とする空間と、困惑する招待客たちを置いて、俺は邸を出る。セナがどこへ向かったのか、全く見当がつかなかった。生体強化の魔法を紡ぎ、嗅覚を鋭敏にさせる。雑多な空気の中に、セナの血の匂いが混じっていることに気付いた。その匂いのする方へ、全力で走る。ふいに、白いものが視界に入り込んだ。

「……雪」

 ふわふわとしたそれは、雪だった。通りで冷えているはずだ。こんな寒空の下で、セナを一人にするわけにはいかない。俺は匂いの追跡を続けた。セナの匂いの動きが止まる。場所は、貴族街の中にある共用の庭園だった。少しずつ降り積もる雪が、白い絨毯をつくり、その上に足跡を散らしていく。

「セナ」

 その小さな姿は、庭園内のベンチで項垂れていた。小さな体を震わせて、寒さに耐えつつ涙を流している。そんな姿に、俺は胸が張り裂けそうだった。セナが逃げてしまわないように、静かに、そっと近づく。ベンチに座ったままのセナの前に片膝をついて、セナを見上げた。

「……なんで、俺の場所が分かるの」
「セナが大切だからだよ」

 匂いで分かった、などとは言いたくなかった。セナが大切だから追いかけてきたのだし、居場所だって分かるのだと、知ってほしかったのだ。セナの頬は赤く、目も赤らんでいた。涙のあとが、痛々しくて苦しくなる。

「俺だって、ラーフが大切だよ。……それなのに、パーティ、めちゃくちゃにして、ごめん」
「パーティなんて、どうでもいいんだよ」

 こんなことならばセナを誕生日会になど誘わなければ良かった。否、違う。セナには俺の誕生日を祝福して欲しい。二人きりの誕生日会を開けばよかったのだ。セナが来てくれると知っていたなら、他の者など誘わずに、二人だけの誕生日会を開催していただろう。毎年断られてしまうから、今年もそうだろうと思ったのだ。そんな嬉しい誤算が、この悲劇的な現実を引き寄せてしまった。

「セナ、血が出てるんじゃないのか」
「あっ」

 セナの片足を持ち上げる。スラックスの脛部分は裂けていた。捲り上げれば、皮膚は火傷にもにた切傷が出来ており、少量ではあるが血が流れている。怒りで、全てを燃やし尽くしてしまいそうだった。

「……こんなことって」

 こんな非道が許されるのだろうか。セナが一体何をしたというんだ。嘲笑も侮蔑も度し難い悪行であるというのに、傷をつけるなど。万死に値する。セナの白い足に血が垂れていた。セナが力を振るえば、こんな傷は瞬く間に癒えるだろう。だが、それをしていない。そんな気力すら湧かないのだ。
 
「せっかく作ってもらったのに、服、台無しになっちゃった。本当にごめん」
「また作ればいいんだよ。そんなことより、痛いだろう? 可哀そうに」
「体の傷は簡単に治せるからいいんだ。でも……心に負った傷は、なかなか癒えてくれそうにない」

 苦しそうに涙が一粒落ちた。頬を濡らし、顎を伝って落ちてくる。どうしてセナがこんな風に泣かなければならないのか。セナの涙に対する戸惑いと、こんな状況にさせた者への怒りで、頭が可笑しくなりそうだった。
 
「回りの目が怖かった。なんで……こんなに憎まれなきゃいけないんだろうって思った。それに……ラーフに恥をかかせた自分が、心底嫌になった」
「俺は何も恥なんてかいてない。今では、あんな下らない催しに、セナを招いたことを深く後悔してる」
「くだらなくなんてない。大切なラーフの誕生日だ」

 あんな目にあったのに、それでもなおセナは俺の誕生を祝してくれている。俺のせいだと詰ってくれてもいいのに。否、詰って欲しかった。お前のせいだと。

「傷は、俺が癒すよ」

 セナの足を取って、脛に走る傷口に唇を寄せた。そして、舌先をそっと這わせる。口内に鉄の味がした。これが、セナの血の味なのだ。俺はよくよく味わった。

「……っ」

 少し沁みたのか、小さな悲鳴がセナの口から漏れ出た。セナのように医療魔術が使えれば、こんなことをせずとも治せたのだが、俺には医療魔術の系統は全くない。だが、魔力を流し込むという原始的な方法での治癒なら出来る。

 魔力という魔法を使うために必要なエネルギーは、流脈という血管に似たものを通して全体を駆け巡っている。魔力は血液にも溶け込んでいるし、唾液にも含まれているのだ。だからこうして、傷口を舐めて唾液を付着させる行為は、魔力の原液を流し込むのと同義であった。魔力を流せば、魔法使いの体は勝手に活性化され、傷などはすぐに快癒する。セナの足の傷も塞がった。
 
「セナみたいに上手には出来ないけど」
「ありがとう、ラーフ」

 足から顔を上げる。ほっそりとしたセナの足は、ずっと舐めていたいほど俺にとっては甘美なものだった。小さく微笑んで感謝を口にしたセナを見て、少し落ち着いてきたのだと思う。俺は、ベンチの上に投げ出されているセナの手を両手で包んで、まっすぐにセナを見た。

「心の傷も、俺が癒したい」

 俺が負わせてしまった傷なのだから、俺が癒したい。セナの心を温めて、あらゆる全てから守って。その傷が静かにゆっくり癒えていくように、出来得る全てのことをして、セナに尽くしたい。

「……ラーフ」

 セナは、俺の手の内側から逃げて行った。するりと抜けてしまった指先。温かかったものが消えて、一気に寒さを思い出した。静かに雪が積もっている。

「やっぱり、俺はラーフと一緒にいるべきじゃないんだよ」

 その言葉が、俺を絶望の深淵に叩き落すということを、セナは理解しているのだろうか。きっと、理解していないのだろう。だからこそ、そんな簡単に言ってのけるのだ。俺は体が震えているのを自覚する。寒さによるものではない。恐怖ゆえだった。

「なんで……そんなこと、そんなこと言わないでくれ、セナ」
「分かってくれ、ラーフ。俺たちは不相応なんだ。釣り合ってない。俺といると、ラーフまで笑われる」
「笑われたって構わないし、セナを笑ったやつには必ず報いを受けさせる」

 他人に笑われることなど、どうでも良かった。そんなことと、セナと共にいることは、天秤にかける意味すらない。セナと共にいることで笑われるというのなら、その嘲笑を俺はあますことなく受け入れよう。セナへ向けた嘲笑と同等の報いは、当然受けてもらうことになるが。

 今回のことだって、セナを傷付け愚弄した者たちを許す気など、俺には毛頭なかった。見つけ次第、報復するつもりだ。セナを傷付ける全てから、俺がセナを守る。だから、俺のそばにいてほしい。そんな懇願を口にし続けた。けれど、セナは首を縦には振ってくれなかった。

「……俺が、耐えられないんだ。我儘を言ってごめん」

 セナは、泣きながらなんとか微笑もうとした。結果として、見ている俺を傷付けるような悲しい笑みが出来た。

 こんな未来が予想出来ただろうか。最近の俺たちは、とても良い感じだった。エリアス城でデートした時なんて、本当に幸せだった。セナが、俺が贈ったイブニングコートを着ている姿を見て、胸が苦しくなるくらいに幸福を噛みしめていたんだ。それなのに、招いた誕生日会でこんなことになるなんて。

「今まで本当にありがとう、ラーフ」

 そんな感謝は聞きたくない。今まで、なんて酷い言葉を使わないで欲しい。俺の存在を過去にしないで。嫌だ、嫌だ、嫌だ。それ以上は聞きたくない。何も言わないでくれ、セナ。

「さよならにしよう」
「セナ、俺は……っ!」

 決定的な決別の言葉。悲しい笑顔のまま、セナはそれを口にした。慌てて俺は手を伸ばす。セナを捕まえておかなければ、と思ったのだ。けれど、それでは遅すぎた。

 一瞬でセナの姿が消える。

 移動魔法だ。魔法使いの基礎の術である移動魔法。俺は物の移動しか出来ないが、セナはその上の生物の移動まで可能にする。その中でも難易度の高い自身の移動まで習得していた。闘性魔術師が使う武力ではなく、魔法使いとしての魔力でのみ争えば、俺はセナに勝てない。それほどまでに、セナは優秀で有能な魔法使いなのだ。

 セナが移動魔法を使ったのであれば、俺がその姿をことは不可能だった。匂いは途絶えた。セナの行き先は、ようとして知れない。

「……セナ」

 ベンチには、一部分だけ雪の積もっていない所がある。それは、今の今までセナが座っていた場所だった。ここにいたのに、もういなくなってしまった。手足に力が入らず、その場に座り込んでしまう。立ち上がれそうになかった。

 セナなしで生きているほど、俺は強くないのだ。


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