没落貴族の愛され方

シオ

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 手の中の球体は、無色透明な培養液に満ちていた。直径50センチの正円を描く球体。それを研究室の机の上に安置し、十人の魔法使いが十個の球体に向き合っていた。彼ら彼女らは皆、俺と同じレイゲン教授の研究室に所属する研究員だった。球体の上部には開口部がついており、そこを開いて魔法使いたちが指先から垂らした己の血液を培養液の中に落とした。一滴、二滴と流れて行き、培養液に溶けて交わる。

「さて、皆。頑張って魔力を注ぎ続けるんだ」

 レイゲン教授の掛け声と共に、皆が頭の中で術式を構成し始める。俺もその一員だった。術式を頭の中で紡ぎ、それを両手に展開して球体に流す。球体は、特殊なプラスチックで作られており、魔力を阻害せず通す性質がある。

 魔術を頭の中で展開すると言う行為は、頭の中で無数の魔術問題を解いている状態に近い。刻一刻と状態が変わる培養液の中に満ちる問題を、その次頭の中で解いて、次の問いへ。そんなことを延々に繰り返すのだ。終わりは見えない。

 そんな中、培養液のなかに、ふよふよとしたものが現われる。非魔法使いの受精卵というものは、視認できる大きさではないが、魔法使いの基となる受性核というのは目で見て分かる大きさだ。今、魔法使いたちが対峙する球体の赤には、その受性核が浮いていた。
 人の形にはまだ程遠い。己の血を基に、魔術式を編んで、男性核を作る。そして、同様の手段で女性核を作り、その二つをひとつの存在にする。ここまでは、どの研究員も到達していた。だが、問題はここからだ。

「教授、駄目です。失敗しました」

 一人の研究員の球体には、破裂した痕跡のある微小な物体が。恐らくそれは、受性核であったものだろう。力の入れ具合を誤り、形を維持できなくなったのだ。球体の中には僅かに血液が浮かんでいた。基となった研究員のものだろう。
 同じひとつの存在から作り上げる男性核と女性核は、丁度、磁石の同極のように反発しあう。無理に引っ付けようとすると、手元が狂うのだ。反発しながらも、なんとか安定する位置を探して、形が定まるのをじっと待つ。そんな果てしない作業だった。

 一人、また一人と研究員が失敗していく。残るのは、俺を含めた三人の研究員だけだった。皆の顔に疲労が色濃く表れている。繊細な魔法式を展開しながら、針の穴に糸を通すかのような精緻な安定感を求められる。そして、己の中のエネルギーを体外に放出しているため、それだけで相当の疲労となった。
 体力を根こそぎ奪われて、立ち眩みを覚えるほどだ。座っているおかげで転倒はしないが、それでも椅子から転げ落ちてしまいそうな感覚は何度か抱いた。やはり、昨日は安静にしておくべきだったか。芽生えかけたそんな後悔を振り払う。納得して、ラーフと愛し合ったのだから、それを言い訳にするのは卑怯だ。

「やっぱり、最後まで残ったのはセナだったか」

 ふいに聞こえたその音は、レイゲン教授の声だった。周りの音全てが遠くなるほどに、己の世界に没入していたらしい。見れば、残っていた他の研究員たちも脱落していた。皆、顔が恐ろしく青白い。精も根も尽き果てているのだろう。
 皆がまさしく心血を注いだ培養球をひとつひとつ確認し、観察しながらレイゲン教授が俺のそばにやって来た。そして、俺の培養球を眺める。

「どうだ?」
「疲労感は相変わらず強いです……ですが、前回より、魔術を安定して展開出来ていると思います」
「うんうん、上出来だな」

 レイゲン教授が深く頷いた。上出来、その通りだ。不思議な程に上出来だった。自分でも信じられないほどに安定して、男性核と女性核が溶け合っている。以前と比べると、核同士が反発しあうこともなく落ち着いて術式を展開出来ていた。容赦なく力は持って行かれるが、その辛さを抜きにすれば異常な程に二つの核はお互いを受け入れている。

「ここまでの魔力とはねぇ。魔術王イリスの血筋、恐るべしだなぁ」

 魔術王イリスというのは、フィルリア家の始祖とされる人物だった。伝説ではなく存在が確認されており、かつて王として魔法使いの頂点に君臨したと言われている。俺はその末裔らしいのだが、そんな凄い人の子孫だなんていう実感は少しもない。

「……え? えぇ? ……お、おい、嘘だろまさか」

 満足そうに眺めていた教授の顔色が、一気に驚愕に染まる。その理由は、己が一番よく分かっていた。永遠に続くかのように思われた魔術式、それが解けたのだ。無から有を作り出すに等しいこの術式は酷く難解で長大だった。だがそれでも終わりはある。男性核と女性核が、ひとつになるこを受け入れる瞬間。受性核の誕生という最終式が。俺は今、その式を解き終えたのだ。

「セナ、お前……」
「……もしかして……これ、成功、ですか」

 直後、どっと歓声が湧いた。この実験に携わった全ての者たちが歓喜の声を上げたのだ。だが、俺が発した声は無様な程に震えいる。視認出来る大きさにまで構成された受性核。それに絶えず魔力を送り続ける俺の手も、つられて震えていた。

「ちょ、ちょっと! 静かにしろお前ら! セナの集中状態の邪魔をするな!」

 慌ててレイゲン教授が研究員たちを鎮めた。それは俺にとって有難いことだった。思いがけず成功してしまい戸惑っている中でも、魔力を注ぎ続けなければならない。少しでも落ち着いた環境であってほしいのだ。

 この発生実験は、恐らく誰も、成功するとは思っていなかった。それは俺も同じだ。だが、それでいい。失敗を繰り返しながらも、少しずつ糸口を見つけ前進していく。そんな道のりを行くはずだったのだ。
 それが成功してしまって、俺は酷く困惑している。予想しなかった。己が新たな生命を作り出してしまうなど。

「凄い……明確に受性核になってる。普通に性交を経て作られた受性核と寸分違わぬ姿だ。でも、前回の実験ではここまで到達できなかった」
「はい……俺のものも、皆と同様に制御が出来ず破裂していました」

 前回の実験時、培養球の中には俺の血が浮かび、生まれることのできなかった生き物に似た何かが浮いていただけだった。今回もそれと同じ状態になるか、少し進んだ段階で終わるかのどちらかであると確信していたのだ。だが、自分でも異常だと感じるほどに男性核と女性核は安定してひとつになった。まるで、別々の人間から生成された男性核と女性核であるかのように。

「それがどうして今回は成功するんだ……? 術式は改良を加えたとはいえ、改良術式は皆が展開していた。何故セナだけが……? ん?」

 教授が抱いた疑問は、俺の疑問でもあった。術式改良の結果、成功したのであれば、他の研究員の培養球にも同じく受性核が浮いているはずだ。魔力の質に差があろうとも、もう少し成功例が存在したことだろう。だが、結果は俺のみの成功。謎は深まるばかりだった。
 培養球に浮いた受性核の解析をしていた教授が何かに気付いたかのように言葉を止める。途端、にやにやし始めた。一体なんなのだ。俺は若干の苛立ちを持って訝しげに教授を見た。

「セナ、俺は分かったぞ。今回の成功の理由が」
「なんですか?」
「この受性核はな、完全なる受性核だ。ひとりの魔法使いが作ったんじゃない。二人の魔法使いが作ったものだ。この受性核からは、二つ分の魔力を感じる」

 戸惑いが度を深める。二人の魔法使いとは一体誰のことだ。垂らした血は俺一人のものだった。そこに誰かの血液が混じっていたとでもいうのか。否、そんなことがあるはずがないのだ。そして、教授がにやにやした顔を晒す理由が分からない。

「セナ、きみ、昨日はラーフとお楽しみだったな?」

 お楽しみだったな。などと言われて、一瞬でその言葉を理解出来る訳がなかった。逡巡の末に、俺はその言葉が何を指しているのかを思い知る。お楽しみ、つまりは、昨夜のラーフとのまぐわいだった。顔が一気に熱くなる。教授のにやにや顔の理由が分かった。

「それも随分と楽しんでいたと見える」
「セクハラですよ教授!」
「俺は受性核を解析した結果を言っているだけだ。男性核はラーフのもの、そして女性核は、セナの男性核が変質したものとなっている」

 思わず叫んでしまったが、これは昨今話題となっているセクハラに相違ない。研究員たちは皆、俺がラーフの婚約者であることを承知しているが、だからといってそんな風に皆がいる場所で言わなくても良いと思うのだ。

「……ちょっと待ってください、理解が、追いつかないのですが……つまり、これは俺とラーフの子供ということですか?」
「そういうことになる。この受性核を構成するのは、セナの魔力とラーフの魔力だ。ラーフと愛し合った時の魔力が、セナの中にまだ残っていたんだろう」

 確かに、ラーフは俺の中にたくさん出していた。男である俺に避妊など不要であるし、中に出されることによって発生する不具合も、己の医療魔術で解消できる。ラーフが俺の中に出すことに不都合はなく、俺もその行為を受け入れていた。否、もっと言うのであれば、中に出してもらうのが好きだった。

「……そんな……、こんなことになるなんて、どうしよう」
「喜ばないのかい?」
「よ、喜びたいですけど……実験で生まれた子供なんて……、この子、どうなるんですか?」

 ラーフとの間に子供をもうけたかった。けれど、今回の出来事はあまりにも予想外で、状況を受け入れられていないのだ。混迷の縁に立たされて、今にも崖下に落ちてしまいそうな気持ちだった。そんな憔悴が魔力にも表れて、俺の供給が不安定になる。慌てて教授が培養球の様子を見た。

「落ち着けセナ、安定して魔力を送り続けるんだ。受性核が定形になるまではそうやってセナが安定して魔力を送らないと、他の実験のように破裂するぞ」

 破裂する。俺とラーフの子供が、破裂してしまう。それはあまりにも強い恐怖の言葉だった。俺は全神経を培養球の中にある小さな生命に向けた。この受性核はまだ、生物とは思えないほどに小さく、脆かった。俺の力具合で破裂することもあるだろうし、歪な形になってしまうこともあるだろう。今は、集中するしかないのだ。

「このことは、すぐに貴族会に連絡する。続行か中止かは、そこで判断が下されることになるだろう」

 教授のその言葉は、敢えて聞かないようにした。実験中止などということを考えたくなかったからだ。魔力を送り続けて、もう二時間が経過している。体から何もかもが抜けて行きそうだった。息苦しい。頭が泥のように重たい。

「あの……すみません、ラーフを、呼んでもらえませんか」

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