下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 蛍星と淡月、そして葉桜に見送られ、私は清玖と二人並んで歩く。こんな風に堂々と二人だけで歩ける日が来るなんて思ってもいなかった。私は、そんなことをぼうっと考えながら清玖の隣で歩を進める。

「まずは俺の馬のところへ行きましょう」
「馬……? 馬に乗るのか?」
「乗りたいと仰っておられたので、如何でしょうか」
「あぁ、乗りたい。じゃあこれは、遠乗り、だな」
「そうですね」

 兄弟三人で仲良く歩いて、清玖に会えて。そして、二人で出掛けることが叶うなんて。嬉しいことが立て続けに起こって、声が弾む。清玖が私のそばで、穏やかに微笑んでくれていることが、何よりも私の胸を熱くした。

 今、私たちの足は、右軍の厩舎に向かっているようだった。厩舎というものが馬たちの家であるというのは知っているが、見たことも行ったこともない。どんな場所なのだろうと想像する。

「……そういえば、先ほどは葉桜と何か話していたのか? 普段から二人が顔をあわせるような間柄だったとは知らなかった」
「いえ、今日は本当に偶然で、非番の彼に会ったのは初めてですよ」
「そうなのか」

 清玖の否定がとても強く感じた。もしかして、清玖は葉桜が苦手なのだろうか。人と人との間に流れる空気に酷く鈍感な私だが、さすがに今の清玖の態度からは不仲を察した。清玖のこんな苦い表情は初めて見た。

「ところで、吉乃様は王家の庭にはよく来られるのですか?」
「んー……昔は兄弟でよく遊びに来ていたが、ここ数年はめっきり行っていないな。……庭は自然そのもので美しいのだが、私は虫が苦手なんだ」
「そうでしたか」
「清玖は虫、平気か?」
「そうですね、あまり得意ではありませんが……野営中は虫だらけの中で生活しますので、平気にならざるを得なかったというか」
「そうか……それは大変だな」

 部屋に名も知らぬ小さな虫が現れただけで大騒ぎする私では、きっと野営は無理だろう。私があまりにも虫を嫌うので、いつも淡月が虫が入り込んでいないか部屋の隅々まで検めてくれるのだ。

「厩舎にも少々虫がおりますので、覚悟してくださいね」
「わ、わかった」

 少しばかり意地悪な表情を浮かべて、清玖がそう囁く。けれど、野外であって、更に言えば馬がいるような場所に虫がいるのも当然だ。騒がないようにしなければ、と意気込む。

 そして、清玖に導かれたのは小さな小屋のような建物だった。右殿の傍らに設けられた厩舎に。入り口に控えていた衛兵らは、私の姿を認めると慌てた様子で膝を屈していた。

 小屋は随分と奥行きのある構造になっており、見た目以上に広く感じた。そして、そこにずらりと並ぶ馬たち。一体何頭いるのだろうか。途中で数えるのを諦めるほどの馬がそこにはいた。

 白い馬、茶色の馬、私と同じ黒の馬、色々な色を持つ馬たち。彼らの輝く大きな瞳を見つめる。優しい瞳だ。彼らの体には、清玖が宣言していたように虫が引っ付いていた。

 蝿か何かだろう。体についたそれをばさばさと、馬の尾が払っていく。目の前にいた黒馬の目力に惹かれ、恐る恐る手を伸ばす。彼らは怒ることなく、その顔に触らせてくれた。温かくて、とても固い。

「馬の睫毛は、すごく長いんだな。……なるほど、尾は虫を払う機能も備えているのか」
「触るのは初めてですか?」
「そうだな、初めてだ。とても艶々していて気持ちがいいな」
「ありがとうございます。吉乃様が今撫でている馬が、俺の相棒です」
「そうだったのか……綺麗な黒色だな」

 馬でも、犬でも、猫でも、黒色というものは自然の中に溢れている。それなのに、どうして人は黒を持って生まれてこないのだろう。どうして、私だけが仲間外れなのだろう。そんなことを思いながら、黒馬の鼻先を撫でた。

「大人しくて、それでいて根性のある頼もしい奴ですよ」
「清玖は普段、この馬に乗って戦場へ行くのか?」
「そうですね。何頭か交換したり、怪我をさせてしまって違う馬に変えたりしますが、こいつとは長い付き合いですね」

 清玖が慣れた手付きで馬に色々な馬具をつけていく。そして、手綱を引いて厩を後にした。小屋を出たすぐそこで、清玖は軽々と馬に乗り上がり、鞍の上に腰を下ろす。

 私はどうしたら良いのだろう、と戸惑っていると様子を察した衛兵が小さな木製の台を持ってきてくれた。感謝を告げて、それに乗り上げる。だが、それでもまだ高さがたりない。馬というのは、こんなにも大きいものだったのか。

「御手をどうぞ、吉乃様」

 差し出された手に手を重ねる。すると、ぐっと引っ張り上げられ、すぐに両腕で抱きしめられた。そのまま、私の体は清玖の前におさまる。一瞬の出来事で驚く暇もなかった。

「清玖は力持ちだな」
「一応、武官ですので」
「視界が高い……良い眺めだ」
「それは良かった。では、動きますね」

 清玖は片手で手綱を掴み、もう片方の手で私の腰を抱きこんだ。落ちないようにという配慮だろう。合図を出され、馬が一歩また一歩と動き出す。体が上下に揺れた。馬の歩みが、体にも伝わってくるようだった。

「厩は、思ったよりも虫がいなくて良かった」
「王城にある厩は、どこにある厩よりも綺麗にされているので、他の場所よりも少なかったかもしれないですね。でも、これから森に入ればもっといますよ」
「……そ、そうか」

 馬に乗ったまま、私たちは王家の庭に向かう。王家の庭は、黒珠宮の更に奥。王城の中で言えば、最奥にあたる場所が入り口となっていた。庭と言いつつも、その実、森に近い。程よく木々が生い茂るそこは、近衛兵の警備範囲だった。

 王家の庭に入る時に、入り口を守護する近衛兵たちが静かに膝を折り、抱拳礼を取っていた。私たちがここを通ることに対し、彼らに異論はないようだった。

 蛍星の言を借りれば、きっと今も私のことを近衛兵は警備していて、それをここに立つ近衛兵も理解しているのだろう。私は常に、近衛たち守られている。だからこそ、こんな自由が許される。

 こうして、私たちは王家の庭に足を踏み入れた。清玖たちは、この森を熟知しているのだそうだ。武官たちは皆、この王城の中であれば黒珠宮以外全ての構造を理解していて、万が一の時、王子たちをどこに隠すか、どこから逃がすかを承知しているらしい。

 静かな空間だった。ただ穏やかに時が流れているのを感じる。遠くに聞こえる水音。小川がこの庭の中にはあるのだ。木々の間から差し込む木漏れ日も輝いていて、私の世界を彩っていく。

 ふいに、私に向かって飛んできた少し大きな虫を、清玖が手で追い払ってくれた。ありがとう、と感謝を伝えると、どういたしまして、と優しく返される。

「俺よりも妹の方がこういったものに強く、俺はよく虫やら蛙やらを持った妹に追い回されては、兄達に情けないと怒られていました」

 本当に情けないことです、と困ったように笑う清玖。彼の身内の話が突然始まって、私は嬉しくなる。

「清玖には兄弟がいるのか……しかも妹」

 妹、というのは私たち天瀬の兄弟からしてみると、酷く遠い存在だった。天瀬の一の宮からは、男児しか生まれない。故に、天瀬の王子たちは男しかいない。

 だが、一の宮以外からは女児が生まれることもあると聞いたことがある。それを己の目で確かめたことはないが、この世に私たちと同じ血を持つ女性がいるのかと思うと、とても不思議な感じがした。

「私は清玖のことを何も知らない。……家族のことだってそうだ。清玖は私の兄弟には殆どもう会っているのに、私は清玖の家族のことを何も知らない」
「俺の家族の話なんて、大して面白くもないですよ」
「面白い面白くない、という話ではない。……私は、慕う相手のことをよく知りたいだけだ」

 何も知らないなんて、あまりにも寂しすぎる。何でもいいから知りたいのだ。今朝は何を食べた、だとか。昨日の夜はどんな夢を見た、だとか。そんな些細なことを知りたい。そんなことを思うのは、清玖が初めてだった。

「……俺は、武官によくあるような家で生まれました。父も母も武官で、幼い頃から許嫁同士だったそうです」
「そうか、市井では結婚相手を幼い頃から決めるんだったな。聞いたことがある」
「皆が皆、そうする訳ではありませんが、ある程度歴史のある花紋を持つ家ではよくありますね」

 結婚する相手を決められているというのは、どんな気持ちなのだろう。私たち二番目以降の王子たちは結婚をするのかどうかさえ定かではない。紫蘭兄上のような思いをする者たちが、市井には一定数いるのだ。私は興味深い清玖の話しに耳を傾ける。

「決められていた相手だったけれど、両親はとても仲が良くて、慈しみあっているように見えました。お互い、剣術馬鹿で馬が合ったのでしょう」
「良いご両親だな」
「ありがとうございます」

 父と母がいて、その二人がとても仲が良いという。どうしても私にはそんな光景が思い浮かべられなかった。母を恋しいと思ったのは、幼い頃だけ。大人になればなるほど、母という存在の意味が分からなくなった。

 睦まじい両親に恵まれた清玖が、少し羨ましくも感じる。私も、そんな環境で育ってみたかったと、そう思ってしまう心が僅かながらに存在した。

「兄弟全員が今では武官となって天瀬にお仕えしております」
「全員? 妹もか?」
「はい。妹は左軍に入って、地方の都市で警邏の任に当たっております」
「それは立派なことだ」

 清玖の妹は、今までの話から察するに随分と闊達で武力も備えた女傑のようだ。会ってみたい。清玖の父母に、清玖の兄妹に会ってみたい。絵に描いたような幸せな家庭を持つ清玖に、私は一抹の不安を覚えた。躊躇いを抱えながら、その不安を口にして問いかける。

「清玖にも……、許嫁がいるのか?」


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