下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 体中が疲れていた。泥濘に落ちるように眠る私を、優しく揺り動かす手があった。肩を何度か揺さぶって、私を現へと引き戻そうとしている。穏やかに私を呼ぶ声。ゆっくりと瞼を開く。そこにいたのは、見慣れた淡月の顔だった。

「……宮様」

 私は、黒珠宮にある己の部屋で眠っていた。叔父上の指導のあと、清玖によって体を清められ、そして姫宮の寝所の外で控えていた淡月に引き取られたのだ。

 部屋へ戻る道中から睡魔に襲われ、部屋にたどり着いた頃には倒れ込むようにして寝台で眠った。靴を脱がしてもらったことをなんとなく覚えているが、はっきりとした記憶はない。

「宮様、お休みのところ申し訳ありません」

 普段、淡月が私を起こすことは滅多に無い。私がどれだけ眠っていても、予定がない限りは起こさないのだ。それなのに、淡月が私を揺り動かしている。今日は何か予定が入っていただろうか、と考えても何も浮かばなかった。特に用事はないはずだ。

「……どうした」
「二の宮様が、お越しになっております。宮様と話がしたいとのことですが」
「柊弥兄上が……? 分かった。お通ししてくれ」
「御心のままに」

 今が何時なのかが分からないが、きっとまだ早い時間だろう。朝日が登るか登らないか、と言ったそんな時分。そんな刻限に、兄上が私のもとを訪れる。それは稀なことだった。何かあったのだろうか。

 もしかして、国王陛下が崩御していたり。そんな不安を感じ手すぐに兄上をお通しする。寝台の上で上体を起こし、軽く髪を手で梳かす。私は寝間着姿だった。

「おはよう、吉乃」
「柊弥兄上。このような姿で、申し訳ありません」
「寝ている吉乃のもとへ訪れたのは私だ。気にしなくていい」
「……それで、一体どのようなご用件でしょうか。御用とあらば、こちらから伺いましたのに」

 兄弟の中においても、やはり紫蘭兄上と柊弥兄上は別格だ。そんな人が、自ら私のもとへ訪れるなんて。兄上は、淡月が運んできた大きな椅子に腰かける。寝台に座る私と、寝台傍の椅子に腰かける兄上の距離は近かった。

「……姫宮様に指導を受けた、と聞いた。兄上が朝からもう落ち着かなくてね。吉乃に色々聞きたいのに、根掘り葉掘り聞いて傷つけるのが怖いだの何だのとうじうじしていたから、痺れを切らした私が来たという訳だ」

 指導についてのことだった。陛下の崩御の話でなくて良かったと、心底思う。陛下が亡くなれば、その瞬間、私は姫宮となる。まだ、それを受け入れるための心の準備は整っていなかった。

「兄上たちのお耳にも、もう入っていたのですね」
「この王城内で我々が把握していないことはないよ、吉乃。……少し、触れるよ」

 触れる、と言って兄上は私の首もとに手を伸ばし、襟を開いて私の胸元を開いた。そこに散る赤い痕を、とても冷静な目で見つめる。

「厳しい指導だったようだね」

 兄上の淡々とした口調は有難かった。事実を、ただ事実のまま受け止めることが出来る。それ以上でも、それ以下でもない。昨晩は、厳しい指導だった。ただ、それだけのこと。

「叔父上の指導は、的確で……とても役に立ちました」
「そう……、思ったより元気そうで良かった」
「そう見えるなら、きっとそれは清玖のおかげです」
「あぁ、吉乃の夫君候補だね」

 本当に何でもご存じなんだな、と少し驚く。清玖を夫君にしたいと、私が望んでいることを知っており、その上で清玖のことを夫君候補と呼ぶということは、兄上にはある程度受け入れられているということだろう。姫宮が夫君を得ようなどと、何を言っているのかと、頭ごなしに否定されなくて良かった。

「……彼がいなかったら、きっと昨夜のうちに己の舌を噛み切っていたかもしれません」
「それは困る。夫君候補殿にはこれからもしっかり吉乃を支えてもらわなければいけないね」

 茶化すように、柊弥兄上は軽い口調でそう言った。私が清玖に依存の度を深めるたび、清玖という存在がこの国にとっての重要度を増していくのを肌で感じる。徐々に、兄弟たちの清玖へ向ける目が変わっているように思うのだ。

「……柊弥兄上、教えて下さい」

 姫宮としての教えを受けている。この体が抱かれることに特化していることをも理解した。その上で、私は静かに柊弥兄上に問いかける。黄金色の思慮深い瞳がゆっくりと私を見た。

「陛下の国葬、兄上の加冠の儀を控えている今、私が相手をする可能性が高いのは、どんな方なのですか」

 これから控えている、ひとりの王の死と、ひとりの王の誕生。そのどちらも盛大に弔われ、祝われる。各国の王族が招かれ、大使たちが訪れるのだ。それこそが、姫宮の活躍する場だった。柊弥兄上は、一瞬何かを考えるように視線を動かし、そしてまた私を見る。

「そもそも、我々がどのようにして姫宮の下賜相手を選ぶのかといえば、それは全て対価の如何による。陛下の葬儀であれば弔いの品、兄上の加冠では祝いの品。それが最も多いところに、お前を差し出すことになる」

 国にとって必要なのは、財だ。国民により軽い税で生活してもらうたには、他国よりもたらされる貢ぎ物が必要だった。多く金を払う者に、その対価として姫宮を下賜する。とても分かり易い図式だった。

「隣の琳帝国、北の大国オルドローズ、南方のラ・ガール同盟諸国。我が国に頭を垂れる国を言い出せば、枚挙に暇がないが、吉乃が相手をするのは琳とオルド、その二つだろう」
「琳とオルド……琳のことは、何となく分かりますが、オルドのことはよく、分かりません。肌の色がとても白い方たちですよね?」
「そう。雪深い場所に住んでいるから、肌がみな雪のように白くなるらしい。彼らと我々では文化が大きく異なる」
「文化を異にするという人々が、黒闢天の御使いなどというものを有難がるのですか?」
「それが、天瀬の外交を担当している第三王子ユーリイ殿下は、我々の文化慣習にとても精通していてね。勿論、我ら同様に黒を尊く思っておられる。かの国でも黒髪黒目は存在しない。物珍しさ故かもしれないが、殿下は吉乃に会いたがっていたよ」

 私はオルドローズ国に住まうオルド人を見たことがない。オルドの領土と天瀬の領土の間には、華蛇などの異民族たちが住まう地域がある。そういった地理的な問題もあり、オルドと天瀬の間にはあまり交流がなかった。そんな国の王子に会いたいと言われても、今一つぴんと来ない。

「琳の皇太子は、吉乃に会う前から、黒の姫宮にご執心だ」
「……そうですか。その方は、どのような方なのですか?」
「正直言って、好ましいと思えるところが一つとしてない男だよ。あの男の相手をさせなければならないのが、一番心苦しい」

 柊弥兄上がそう言うということは、余程酷い相手なのだろう。事前に知っておきたいと願ったのは私だが、知らされた事実に鬱々としてしまう。兄上が、ひとつも好ましいところがないと切って捨てるような相手と、私は床を共にしなければならないのだ。

「皇太子は、唾棄すべき相手だが……それでも、琳との関係は良好でなければならない」

 関係を持つ必要のない国で、更にそこの皇太子が唾棄すべき存在であるなら、きっと兄上は私をその国の者には与えたりはしないだろう。その国との良い関係を保たねばならないからこそ、私に姫宮の務めをさせるのだ。

「琳が、我らに手を出さないおかげで、オルドも我らの領土を冒さない。不凍港をいくつも持つ天瀬を、オルドは喉から手が出るほど欲しているが、我らに手を出せば、琳が動く」
「何故、琳は我らを守ってくれるのです?」
「琳は何も、この国を守っている訳ではない。ただ、黒の御使いを守っているだけだ。琳は、この国と同等、もしくはそれ以上に黒闢天信仰が厚い。それに伴って、黒の御使いに対する憧憬も凄まじい。黒の御使いが過ごす天瀬国の安寧は、なんとしてでも守らなければならないと、そんな自負心があるのだ」

 他国の人間が、天瀬の黒の御使いのために力を振るう。それがあまりにも不気味に想えた。何故そこまで盲目的になれるのだ。ただ、髪と瞳が黒いだけ。単なる突然変異だと、何故誰も声高に叫ばない。

 私は黒闢天など見たことはないし、その存在を感じたこともない。信じる心さえ不確かだ。それなのに、民たちはこれほどまでに明確な信仰を持っている。何故、そんなことが出来るのだ。

「……そこまで思うのなら、黒髪の王子を拉致でもしそうですね」
「実際、拉致されたことがある。もう、何百年も前のことだが、琳の手によって当時の黒の姫宮が攫われた。だが、連れ去られる道中で琳の隙を見て姫宮が自害されたんだ」

 冗談で口にしただけの言葉が真実であった。私は驚き、その顛末に言葉を無くす。欲しいからと、拉致をする。なんと浅ましい考え方なのか。

「それ以降、琳にはありとあらゆる災厄が降り注いだ。飢饉、天災、病の流行、王家にも死が相次いだ。誰もが黒の御使いを死に追いやった為だと考えた。そしてその災厄は、今も続いていると琳の人々は思っている」
「……まるで呪いですね」
「あぁ。その一件以降、琳は随分と大人しくなった。天瀬に対し不可侵を誓い、これ以上の災厄がもたらされぬよう祈り続けた」

 だからこそ、琳は黒の王子を攫ったりはしないし、この小さな国を奪い取ったりはしない。黒があるからこそ、この対等に近い力関係を維持している。それが無ければ、国土も人口も圧倒的に少ない天瀬は、あっという間に滅亡するに違いない。

「琳が我らに牙を向くことはないが、それでも、奴らの機嫌を損ねるのは好ましくない。奴らが本気になれば、天瀬などすぐに滅ぼされる」

 姫宮の閨での行為が、国の存亡を左右する。兄上は、暗にそう告げていた。とてつもない重圧を感じる。兄たちは平素から、この圧力に晒されているのだろう。とても、私には耐え切れないことだった。

「……自害した黒の宮がいたんですね」

 誰か一人くらいは、己の役目から逃れるために自害しているのではないか、と思った時もあったが、この時の黒の宮は拉致された現実から逃げるためだった。

 役目から逃れたくて命を絶った姫宮はいないようだ。皆、強い。強く在らなければ、耐えられなかったのだろう。兄弟たちのためにと、血の涙を流して耐え忍んだのだ。

「その時、どんなことが起こったか、想像出来るかい?」
「え……?」
「近衛や侍従の半数以上が殉死した」

 何故、そんなことになる。私は驚愕のあまり、何も語れなくなる。口を開いて、その唇をどうすることも出来ないまま、そっと閉じた。

「黒の宮を守れなかったこと、死に追いやるほど苦しめたこと。それを彼らは許せず、自らを罰するように黒の宮のあとを追った」
「そんな……どうして」
「近衛や侍従だけではない。黒の御使いが自害したと知った市井のものたちからも殉死が相次いだ。天へ帰られた黒の御使いが、少しでもお心健やかに過ごされるようお仕えしに行くと、少なくはない人数の命が散った」

 私の死が、いくつもの死を呼び起こすと、そう言うのか。どうしてそこまで出来るのか私には分からなかった。信奉する者のために、命を投げ出すなんて、私には出来ないことだった。

「……吉乃、お前だけは死んではいけない」

 他の誰よりも、お前の死には影響力がある。兄上は、そう付け加えた。向き合ったままの兄上が、私に手を伸ばし私の頭を撫でる。幼な子をあやすようだった。

「死ぬくらいならば、逃げて欲しい」
「……私は、逃げません。己の使命に、向き合います」
「有難う吉乃。……お前の辛苦を対価に安泰を得る天瀬を許してくれ」

 兄が詫びることではないと、そう思っていた。誰が悪い訳でもない。原罪を求めるのであれば、それは姫宮などという制度を初めた、古き我々の祖先だ。けれど、彼らとて、その時代においては、それが一番であると信じて、この道を選んだのだ。やはり、誰も責められない。

 結局、兄は私がどんな指導を受けたかは詳しく聞かず、私と雑談をして帰っていった。雑談といっても、殆どが姫宮の仕事に関する話で、決して明るい話題ではなかった。

 兄が去った後も、体中が痛みを感じて私は寝台の上から動くのを嫌がった。そんな私に、文句も言わず淡月は寝台の上に食事を用意してくれる。それらを口にして、すぐにまた横になった。ひたすらに、体が睡眠を求めていたのだ。どれだけでも眠れそうなほどに眠たい。

 日がな一日窓から外を眺め、ぼうっと過ごす。以前はそんな日ばかりだった。それを思えば、今は随分と活発になった方だろう。そんなことを考えて、小さく笑った。太陽は穏やかに天上へ登り詰め、そしてだんだんと力を弱めて水平線に沈んでいく。

「宮様、姫宮様がお呼びです。姫宮の寝所へ来るように、と」
「……分かった」

 淡月に声を掛けられ、私は腰を上げる。身に纏うものだけ整えて立ち上がった。そして、淡月を伴って叔父上のもとへ向かった。朱塗りの門を見ただけで嫌悪感を抱いてしまうほどに、昨夜の出来事は私の身に染みていた。淡月をそこで待たせ、私は歩を進める。

 次の間に入るとすぐに、嬌声が耳に飛び込んできた。悲鳴にも似た、よがる声。これは何だ、と戸惑いながらも、それが叔父上の声であることに気付いた。

 叔父上は今、次の間の向こう側で抱かれているのだ。どうしたら良いのか分からず、私を案内した叔父上付きの侍従も何も言わなかった。私はそこで立ち竦み、指示を待つ。

 声は、二つ。叔父上の高い声と、しっかりとした低い声。その声が、清玖でないと気付き、思わず安堵する。若い声だ。恐らく、私の知る人物の声ではない。

 他人の情交の声を聴くというのは、なんとも奇妙な感じだった。叔父上がこの機に私を呼び寄せたということは、この情交を聞いていろ、という指示なのだろうか。聞いているだけで良いのなら、別にどうということはないが、それだけで済むはずがない。

 今日は、清玖は呼ばれていないようだった。別室で待たされているのかは分からないが、とりあえず、この次の間にもおらず、寝所にもいないと思う。一際大きな声が聞こえて、どちらかが、もしくは両者が絶頂を迎えたのだと察する。荒々しい息遣いまで聞こえた。ここは壁が薄いのだろうか。

「吉乃、入ってこい」

 大きな声で呼ばれ、びくりと肩が震える。そして、次の間に控えていた叔父上の侍従が扉をすっと開け、私を見た。促されているのだ。私は指示されるままに、寝所へと入る。

 やはり、そこには叔父上のほかに相手をしていた男がいた。彼は目を見開いて驚いている。彼も、私という闖入者に戸惑っているのだ。

 驚愕のために体を動かせないのだろうが、彼は局部を晒した状態でぽかんとした顔をしていた。だが、その顔は端整で、その甘い顔立ちは女性に好かれることだろう。蜜柑のような爽やかな色合いの髪は、汗で首筋に張り付いて、少し乱れている。

「私は今、丁度姫宮としての務めを果たしたところだ。この男は、左軍の中将補。名は征牙 せいが。最近王都を騒がせていた盗賊団を、たった一人で壊滅させたとかで褒章を与える対象となり、私が下賜されたわけだ。……吉乃、今日はこの男の相手をしろ」

 征牙という名の彼も私も、叔父上の突飛な命令に目を白黒させ、その場から動けなくなる。ただ一人、叔父上だけは楽しそうに、優雅な動きで寝台傍の椅子に腰を下ろした。


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