下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 闇の中は温かかった。

 温かいものに全身を包まれ、とても良い気持ちで微睡んでいる。この温かさは、吉乃を抱きしめながら寝台で横になっている感覚に似ていた。お互いに裸で、直に体温が伝わってくるようなあの感じだ。

「……んく」

 耳に心地よい声が響く。水の中にいるような、少しくぐもった声。けれど、俺の耳にはしっかりと届く。低くもなく、高くもなく。男とも女とも区別のつきにくい声。

 俺はこの声を知っている。俺の名を、優しい声で呼ぶこの人を。求めてやまない俺の最愛の人。清玖と、俺の名を呼んで欲しい。もっと、もっと。

「……清玖」

 声がはっきりと聞こえた。闇が晴れて、俺の視界には求めた人が映る。とても近い距離だ。そして俺は、これが夢だと気付く。黒闢天が俺に見せている最高の夢だろう。

「吉……、乃」
「清玖……っ!」

 名を呼べば、嬉しそうな顔をして俺の頬に触れる。この人こそが、天の寵愛を一心に受け、そして俺が愛してやまない吉乃だった。相変わらず、美しい黒髪に黒目だ。それよりも何より、吉乃という存在全てが美しい。

「どうして……ここに?」
「どうしても、逢いたくて……、来てしまったんだ」
「そうか……逢いに来てくれて嬉しい」

 夢であっても、吉乃に逢えてとても嬉しい。ここ最近は、夢も見ないほどに深く、泥のような眠りしか味わえていなかった。これほどまでに幸せな夢は、いつぶりだろうか。

 ぽたり、と水滴が落ちて俺の顔が濡れる。感覚を研ぎ澄ませれば、俺の頬は随分と濡れていた。それは全て吉乃の目から零れ落ちているものが原因だろう。

「何故そんなに泣いている? 誰が吉乃を泣かせたんだ」

 吉乃をこんなに泣かせた人物を斬り殺してやりたくなった。こんなに泣いて、目が腫れたらどうしよう。夢の中のことなのに、とても現実みを帯びていて俺はそんなことを心配してしまう。

 
「清玖に泣かされたんだよ」
「そうか……それは、すまない」
「いいんだ。私が勝手に泣いているだけだから。……良かった、清玖が死んでしまったかと思った」
「……大丈夫、ちゃんと吉乃に逢うまでは生きてるよ」

 こんな夢ではなく、本物の吉乃に逢いたい。拒まれるかもしれないが、何度でも願って、必ず逢いに行く。俺の言葉に、吉乃は小さく微笑んで俺の頬を撫でていた。

「俺が……不甲斐なくて、申し訳ない」
「清玖……?」
「もっと、ちゃんと、吉乃を守りたかった。心も、体も。守りたかったんだ……でも、俺が弱いから、吉乃を守れなかった。だから、吉乃もこんな俺に嫌気が差したんだろう」
「そんなことないっ! それは違う……清玖、そんなことを考えないで」

 吉乃が強い言葉で否定をした。俺の夢だからなのだろうか。俺に都合の良い言葉を吉乃が口にしてくれる。夢の中の吉乃の寛大さに、俺は嬉しい気持ちを抱く反面、己の不甲斐なさが強調されるようで苦しかった。

「私が悪いんだ……、私が怖がったんだ。姫宮の務めを続けて、清玖に嫌われるのが怖かった……でも私は姫宮を辞めることは出来ない……だから、遠ざけたんだ」
「嫌うわけないだろ。……嫌えないよ、吉乃のこと。吉乃がどんなことをしても、俺は絶対に嫌えないんだ。愛してる。大好きだ。だから、絶対に嫌えない」

 伝えたかった言葉が、次々に口から溢れ出る。この言葉を、直接吉乃に言いたい。夢の中で言えたなら、きっと本物の吉乃にも言えるはずだ。

 ふいに、視界が暗くなった。そして唇が温かい。それは、吉乃からもたらされた口付けだった。いくら夢とはいえ、こんな幸福なことがあって良いのだろうか。

「……嬉しい、清玖。ありがとう」

 吉乃は、目を潤ませながら微笑んでいた。幸せそうな吉乃の顔を見ることが出来て、俺もとても嬉しくなる。吉乃の手が、俺の頬や頭を撫でて、とても心地よい。

 再び、微睡に落ちていく気配があった。けれど、俺はもう少しこのひと時を堪能したかった。夢でもいい。吉乃を感じられるなら、俺はなんでもいいのだ。
 
「清玖、必ず清玄に戻ってきて。私に逢いにきて。そして、二人でまたあの宿へ行こう。たくさん、たくさん、愛し合いたい」
「吉乃……、あぁ。必ず逢いに行くよ。黒珠宮で待っていてくれ」

 必ず逢いに行く。華蛇との戦いも、きっとすぐに終わる。全てを片付け、吉乃のもとへ一目散に駆けて行く。早く、ちゃんと吉乃を抱きしめたい。

 今だって、夢の中の吉乃を抱きしめたい気持ちでいっぱいなのに、体が言うことを聞かなかった。全身が重たい。少し腕を伸ばそうと体を動かしてみるが、直後、体に激痛が走った。

「……痛っ」
「だ、大丈夫……!? どこか、痛むのか……?」
「あぁ、脇腹に傷があって、少し痛む」

 あの華蛇の男は、強烈な一撃を俺に食らわせた。あれを受けて、生きているだけで重畳なのだろうが、今この瞬間においては抱きしめることも出来ない体に怒りを覚える。

 ふいに、俺の腹の上に吉乃が手を置いた。布団越しではあるが、吉乃の手の感触が体に沁みわたる。陽光に愛撫されているような心地だった。

「痛い……?」
「いや、痛くないよ。有難う。傷が癒えていくようだ」

 温かい。吉乃のそばにいると、とても温かさを感じる。じわりじわりと、俺の体が温まっていく。そのぬくもりが全身を浸し、再び微睡の気配が強くなった。ゆっくりと瞼が下りてくる。抗えないほどの眠気だった。

「……清玖? 眠いの?」
「すこし、な」
「いいよ、眠って」

 閉じた瞼に、吉乃が口付けを落とした。近づくたびに、ふわりと吉乃の香りが広がる。沈丁花の、甘く、それでいて澄んだ爽快な香り。俺はこの香りも深く愛していた。吉乃を取り巻く全てのものが、愛おしくて、大切で、守りたくて、堪らなかった。

「おやすみ、清玖。……逢えて良かった」

 最後に、そんな囁きが聞こえて俺の意識は再び闇へ落ちる。夢を見ながら、夢を見ているようだった。それほどまでに現実味がない。そもそも、吉乃がこんな場所に来るはずがないのだ。

 危険で、不衛生で。こんな場所への訪問を陛下は許さないだろうし、あの恐ろしい侍従長も賛同しないだろう。そんな吉乃がここに来るわけがない。あれほどまでに強く俺を拒んだ吉乃が、あのように優しく俺を受け入れてくれるはずがない。

 全て、俺の妄想と言っても良いほどに幸せで、望み通りの状況だった。頬が濡れた感触も、唇が触れ合った感覚も、すべて鮮明に覚えている。けれど、それでもこれは夢なのだ。夢を、夢と理解しながら受け入れていた。

「……幸せな夢だったな」

 目覚めは穏やかで、随分と頭がすっきりとしていた。眠る前は体中どこもかしこも痛みを孕んでいたが、重傷箇所以外は幾分か落ち着き、体を覆っていた疲労感も和らいだ。ゆっくりと体を起こす。相変わらず腹部は痛んだが、それでも耐え切れないほどのものでもなかった。

「清玖!」

 大きな声と共に、天幕が開かれる。俺は今、怪我の程度が重い者が入れられる天幕にいた。重傷者は、衛生的な判断でひとりひとつの小さな天幕が与えられているのだ。俺は今、その小さな天幕の中でひとり座っていた。そんな空間を裂いてやってきたのは、蛍星と薫芙だった。

「兄上が来てたなら、なんで報告しないんだ!!」
「え……? 吉乃は……あれは、夢で……」
「夢なもんか! 兄上が、清玄から抜け出して清玖に逢いに来てたんだよ!!」
「何……!?」

 夢だと思っていたものは、全て夢ではなかった。信じられないことだが、吉乃が王都を抜け出して俺に逢いに来ていたと蛍星はそう叫んだ。

「しかも、最悪のことになってる。宮様が拉致された。相手は、琳の皇太子だ」
「なんで……そんなことに……!!」
「宮様がお前に逢いに来て、その帰り道に襲われたんだよ!」
「……っ!」
「宮様付きの近衛が瀕死の状態で、なんとか情報を伝えるためにここに戻って来てる。動けるなら、一緒に話を聞きに来い」
「動けなくても行くに決まってるだろ……!」

 どうしてこんなことになっているのだ。夢でもなんでもなく、実際の吉乃が俺に逢いに来て、あの言葉たちを向けてくれていた。そのことに喜ぶ余裕もなく、吉乃が連れ去られたという事実が何よりも重く圧し掛かる。


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