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◆ 第二章 異邦への旅路
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目覚めを促したのは、強烈な空腹だった。胃の中が空っぽで、何か食べさせろと体が吠えているようだ。ゆっくりと目を開く。見慣れない天井に、嗅いだことのない匂いのする寝台。クッションという名の、ふかふか過ぎる枕に頭を乗せながら、視線だけで周囲を伺った。
広い寝台の上に、清玖もいる。すでに目を覚ましていて、上体を起こしていた。何かを読んでいるように見える。覚醒しきらない頭で清玖を見つめた。すっと通る鼻筋が美しく、格好良い横顔だった。ふいに、彼が私の視線に気づいて本を閉じ、口元を緩める。
「起きたのか、吉乃」
清玖の手が伸びて私の頭を撫でた。昔は黒髪を持つ頭に触れることに対して、畏怖を抱き、戸惑っていた清玖だが、今では躊躇うことなく触れてくれる。私の頭をこんな風に撫でるのは、二人の兄と清玖くらいなものだった。
「……お腹が、すいた」
「宮様、すぐにお食事をご用意致します」
空腹を訴えればすぐに、寝台の傍らに控えていた淡月が他の侍従に何かを命じた。きっと私の食事を持ってきてくれるのだろう。小さな欠伸を漏らしながら清玖を見る。清玖は、手にしていた本を、寝台のそばにある背の低い机の上に置いていた。どれほど読書をしていたのだろう。
「もう起きていたんだな」
「少し前にな」
「どうやら、私は随分と眠ってしまっていたようだ」
「今日は何も予定が無いんだ。好きに休めばいいさ。もう少し眠るか?」
「まだ眠たいような気はする……けど、それよりもお腹が減ったんだ」
「ずっと何も食べていなかったもんな」
昼食の前にこの離宮に到着して、まずは身を清めようということになったのだが、そのあとに私たちが愛し合ってしまったのだ。そのせいで昼食を食べ損ねてしまった。ぐう、と腹が鳴る。恥ずかしかったが、こればかりはどうしようもない。
「清玖は何か食べた?」
「あぁ、食べたよ。侍従の人が握り飯をくれたんだ」
「そうだったのか」
清玖が食事をしている間も、私は眠りこけていたのだろう。体はとても疲れていて、その疲れを癒すために多くの睡眠を要した。節々は痛むが、気分は爽快で、清々しい。部屋の扉が開き、侍従の一人が淡く湯気の立った膳を持ってきた。それを受け取った淡月が私の前に持ってくる。
「宮様、卵粥をお持ちしました」
食欲を誘う香りがする。清玖に支えてもらいながら、私は体を起こした。行儀が悪いと思いながらも、寝台の上に膳を置いてもらう。椀の中には、とろりとした粥が盛られていた。卵の色合いが米に混ざって、全体的に黄色く見える。
「ありがとう、淡月」
淡月を通して、運んできてくれた侍従、調理してくれた料理番に感謝を伝える。匙を手に持ち、ひと掬いして、口の中に入れる。甘さと、程よい塩気が私の空腹を癒していった。美味しくて、ぺろりと平らげる。もっと食べたいと思ってしまうが、夕食のことを考慮しての量なのだろうと考え、その一杯で我慢した。
「美味しかった」
私の食事は、淡月と清玖に見守られながら恙なく終わった。膳が下げられ、温かいお茶が差し出された頃に、扉が軽く叩かれた。それが何なのかは知っている。ノック、というやつだ。淡月が動き、来訪者を確認しに行く。そしてすぐに淡月は戻ってきた。
「宮様、ユーリイ殿下がお見えですが」
「ユーリが? 通してくれ」
この離宮の主ともいえるユーリが訪ねてきた。相応の格好で出迎えたいと思いながらも、私は今、眠りから覚めたばかりで襦袢姿だ。だが、着替えをするとなればユーリを随分と待たせてしまうことになる。どうしたものかと思いながら、とりあえずユーリを出迎えた。
「すまないユーリ、こんな格好での出迎えになってしまって」
「良いよ、気にしないで。たっぷりと愛し合ったようで何よりだ」
「おかげさまでな」
寝乱れたままの姿を詫びれば、ユーリはそんな軽口で私の非礼を許す。私の手の内にあったお茶は、零すといけないから、と清玖が掴んで机の上に置いてくれた。そんな私たちを見つめながら、ユーリは手近な椅子を引いて、寝台のそばに置き、腰掛ける。
「疲れ果てるまで、睦み合ったんだろう? 良いねえ、私も混ざりたいよ」
「それだけは絶対に駄目だ」
「こっそり見ているだけでも?」
「夫婦の営みを覗き見るなんて、不調法にも程がある」
「私の悪癖を詰るなんて、今更すぎるだろう?」
自分ではない者を愛している人を、愛したくなるという困った性癖を持つユーリ。彼にとっては、清玖を想いながら姫宮の務めを果たす私が、その癖に合致するのだという。そんな悪癖のおかげで、姫宮の務めの最中の失敗も、大事にはならずにすんだという過去があった。
「この上なく幸せ、と言ったところかな? 全く羨ましい限りだよ。私だって、望んでこんな悪癖を抱いたわけではないのだけれどね」
肩を竦めて笑うユーリのおもては、悲しげだった。ユーリのそれは、容易く幸せにはなれない悪癖だ。誰かの幸福を破壊しなければ、ユーリは幸喜を得られない。そして、自分に愛を向ける人には、愛情を抱けないという困った側面もある。幸せになりたいと願う気持ちはあるのに、それを実現することが出来ないユーリが憐れだった。
「いつか、ユーリの理想通りの人が現れるよ」
「虚しい慰めをどうも」
しまった、と思った。ユーリは憐れんで欲しいわけでも、慰めて欲しいわけでもなかったのだ。私の発した言葉は、少しも彼の心には届かない。ユーリは自分自身の悪癖を受け止めて、それを抱えて生きていく覚悟を固めている。私が彼に向けられる言葉など、ひとつもなかったのだ。
「ところで、何か私に用事でもあったのか?」
「あぁ、そうだった。本題を忘れていた」
ユーリの触れてはいけない心の奥に、無遠慮に触れてしまった私は慌てるように話題を変えた。そんな私にユーリは合わせてくれる。今までの話はここで終わり、と区切りをつけてくれたのだ。そんな彼に感謝しつつ、ユーリの言う本題とは何だろうと首を傾げる。
「明日からの予定を聞こうと思ってね」
「予定?」
「そう。今日は一日ゆっくりしてもらって、明日の夜は歓迎の晩餐会……とは言っても、小規模なものだけど、そういう感じで吉乃をもてなそうと思っててね」
「わざわざありがとう、ユーリ」
「私が招いたのだから、目一杯もてなしをするよ。当然だろう?」
何やら、色々と考えてくれているようだ。ユーリのことを親しく思っていても、彼の本質はなかなか見えてこない。彼が清玄にいたころに、何度か体を重ね、言葉を交わす機会があったけれど、飄々とした彼の人となりは、なかなか見えてこなかった。
まさか、こんなに甲斐甲斐しくもてなしをしてくれるとは。失礼なことを承知で言えば、そこまで献身的な人物には見えない。自由に振舞い、自由に生きる。私の目には、ユーリがそんな風に映っているのだ。だから、しっかりともてなしの計画を考えてくれていることに少なからず私は驚いた。
「それで、夜は晩餐会を予定しているんだけど、日中はどうするかなと思って」
「どうというのは?」
「よければ、街を案内するけど。興味あるかい? セーレンの街に」
「あるっ」
思わず、大きな声を出してしまった。頭で考えるよりも先に、口が叫んでしまったのだ。セーレンの街に対する興味は、大いにある。その思いが逸って、大きな声が口から飛び出て行ったのだ。大声を出したことに気付いた瞬間、恥ずかしくなる。
「す……すまない」
「いや、興味を持ってくれているようで嬉しいよ」
「セーレンの街をユーリに案内して欲しい」
「任せて。吉乃に楽しんでもらえるように努めるから」
私はこの旅で色々な街を見てきた。天瀬国内の街ですら、私にとっては目新しくて、心が高鳴ったのだ。天瀬国外であるオルドローズの地方都市、セーレンを歩いて回ったら、私の心臓は興奮のあまり壊れてしまうかもしれない。
「兄弟たちに土産を買いたいんだ」
「お土産ね、了解。兄弟って、何人分の?」
「えっと……、六人……あ、いやでも双子にはいらないかな……うーん、四人か六人分」
「兄弟がたくさんで、賑やかだね」
二人の兄上と、すぐ下の弟の黎泉、末の弟である蛍星への土産は必ず買おうと思った。だが、羅環と眞咲にはどうだろうか。双子の弟たちは、私よりも多くの場所を訪れている。セーレンにだって滞在したことがあるかもしれない。土産など不要なのだろうか。
唸りながら悩んでしまった私に清玖が、明日見て回りながら考えたらどうか、と声をかけてくれた。その助言に従い、今は双子への土産をどうするかは考えないでおくことにする。頭の中に兄弟の姿がよぎり、そして消えて行った。胸に沸くのは、寂しさだ。
「……旅は楽しくて、毎日が驚きと興奮の連続なんだけれど……少し、兄弟たちが恋しくなってきた」
「ホームシックだね」
「ほーむしっく?」
「あー……、えっと、郷愁? かな?」
「郷愁……か、そうだな。郷愁、だな」
オルドの言葉を、ユーリが天瀬の言葉に訳してくれた。郷愁。その言葉は、すとんと私の胸に落ちてくる。その言葉でしか、今の心を描写することは出来ないと思うほどに、ぴったりの一言だった。
「清玄から離れなければ、郷愁というものを感じることもなかっただろう。……本当に、この旅で色々なものを私は得た。私を招いてくれてありがとう、ユーリ」
「どうしたしまして。大したことはしてないけれど、吉乃が喜んでくれたのなら何よりだよ」
離れたから、寂しいと思うのだ。距離をおいたからこそ、大切で愛しいことに気付く。兄弟たちに囲まれて、黒珠宮で穏やかに暮らす日々を、これほどまでに有難いと思ったことがなかった。それに気付かせてくれる旅でもあった。
「楽しい旅だったかい?」
「あぁ、すごく」
「それは良かった」
「明日は朝から忙しくなるだろうから、あまり激しく愛し合わないようにね」
冗談を言うような口ぶりでそれだけを言い残して、ユーリは去っていった。そんなユーリの言葉に、私と清玖は顔を見合わせて笑ってしまう。明日に備えて、今夜は互いを求め合うことなく眠ることだろう。
「清玖も土産を買ったらどうだ?」
「そうだな……、薫芙と蛍星……あ、蛍星には吉乃が買うか。薫芙あたりに買っていけば良いかな」
「ご家族には?」
「あぁ、そうだな。実家にも買って行くか」
家族のことを忘れている清玖に驚いてしまう。私など、土産を買おうと考えた時、まず家族である兄弟のことを思ったというのに。実家を離れた男というのは、そういうものなのだろうか。
「……土産を買うのに、どれほどのお金が必要なのだろう」
「そのあたりは侍従長殿が考えてくれるだろう。吉乃は思うままに選べば良い」
物の価値も、値段も、何も分からない世間知らずな私だが、きっと清玖と淡月が助けてくれることだろう。胸に沸いた不安は一瞬で失せて、私は明日の買い物に思いを馳せる。
「兄弟に土産を買うなんて初めてだ。楽しみだな」
広い寝台の上に、清玖もいる。すでに目を覚ましていて、上体を起こしていた。何かを読んでいるように見える。覚醒しきらない頭で清玖を見つめた。すっと通る鼻筋が美しく、格好良い横顔だった。ふいに、彼が私の視線に気づいて本を閉じ、口元を緩める。
「起きたのか、吉乃」
清玖の手が伸びて私の頭を撫でた。昔は黒髪を持つ頭に触れることに対して、畏怖を抱き、戸惑っていた清玖だが、今では躊躇うことなく触れてくれる。私の頭をこんな風に撫でるのは、二人の兄と清玖くらいなものだった。
「……お腹が、すいた」
「宮様、すぐにお食事をご用意致します」
空腹を訴えればすぐに、寝台の傍らに控えていた淡月が他の侍従に何かを命じた。きっと私の食事を持ってきてくれるのだろう。小さな欠伸を漏らしながら清玖を見る。清玖は、手にしていた本を、寝台のそばにある背の低い机の上に置いていた。どれほど読書をしていたのだろう。
「もう起きていたんだな」
「少し前にな」
「どうやら、私は随分と眠ってしまっていたようだ」
「今日は何も予定が無いんだ。好きに休めばいいさ。もう少し眠るか?」
「まだ眠たいような気はする……けど、それよりもお腹が減ったんだ」
「ずっと何も食べていなかったもんな」
昼食の前にこの離宮に到着して、まずは身を清めようということになったのだが、そのあとに私たちが愛し合ってしまったのだ。そのせいで昼食を食べ損ねてしまった。ぐう、と腹が鳴る。恥ずかしかったが、こればかりはどうしようもない。
「清玖は何か食べた?」
「あぁ、食べたよ。侍従の人が握り飯をくれたんだ」
「そうだったのか」
清玖が食事をしている間も、私は眠りこけていたのだろう。体はとても疲れていて、その疲れを癒すために多くの睡眠を要した。節々は痛むが、気分は爽快で、清々しい。部屋の扉が開き、侍従の一人が淡く湯気の立った膳を持ってきた。それを受け取った淡月が私の前に持ってくる。
「宮様、卵粥をお持ちしました」
食欲を誘う香りがする。清玖に支えてもらいながら、私は体を起こした。行儀が悪いと思いながらも、寝台の上に膳を置いてもらう。椀の中には、とろりとした粥が盛られていた。卵の色合いが米に混ざって、全体的に黄色く見える。
「ありがとう、淡月」
淡月を通して、運んできてくれた侍従、調理してくれた料理番に感謝を伝える。匙を手に持ち、ひと掬いして、口の中に入れる。甘さと、程よい塩気が私の空腹を癒していった。美味しくて、ぺろりと平らげる。もっと食べたいと思ってしまうが、夕食のことを考慮しての量なのだろうと考え、その一杯で我慢した。
「美味しかった」
私の食事は、淡月と清玖に見守られながら恙なく終わった。膳が下げられ、温かいお茶が差し出された頃に、扉が軽く叩かれた。それが何なのかは知っている。ノック、というやつだ。淡月が動き、来訪者を確認しに行く。そしてすぐに淡月は戻ってきた。
「宮様、ユーリイ殿下がお見えですが」
「ユーリが? 通してくれ」
この離宮の主ともいえるユーリが訪ねてきた。相応の格好で出迎えたいと思いながらも、私は今、眠りから覚めたばかりで襦袢姿だ。だが、着替えをするとなればユーリを随分と待たせてしまうことになる。どうしたものかと思いながら、とりあえずユーリを出迎えた。
「すまないユーリ、こんな格好での出迎えになってしまって」
「良いよ、気にしないで。たっぷりと愛し合ったようで何よりだ」
「おかげさまでな」
寝乱れたままの姿を詫びれば、ユーリはそんな軽口で私の非礼を許す。私の手の内にあったお茶は、零すといけないから、と清玖が掴んで机の上に置いてくれた。そんな私たちを見つめながら、ユーリは手近な椅子を引いて、寝台のそばに置き、腰掛ける。
「疲れ果てるまで、睦み合ったんだろう? 良いねえ、私も混ざりたいよ」
「それだけは絶対に駄目だ」
「こっそり見ているだけでも?」
「夫婦の営みを覗き見るなんて、不調法にも程がある」
「私の悪癖を詰るなんて、今更すぎるだろう?」
自分ではない者を愛している人を、愛したくなるという困った性癖を持つユーリ。彼にとっては、清玖を想いながら姫宮の務めを果たす私が、その癖に合致するのだという。そんな悪癖のおかげで、姫宮の務めの最中の失敗も、大事にはならずにすんだという過去があった。
「この上なく幸せ、と言ったところかな? 全く羨ましい限りだよ。私だって、望んでこんな悪癖を抱いたわけではないのだけれどね」
肩を竦めて笑うユーリのおもては、悲しげだった。ユーリのそれは、容易く幸せにはなれない悪癖だ。誰かの幸福を破壊しなければ、ユーリは幸喜を得られない。そして、自分に愛を向ける人には、愛情を抱けないという困った側面もある。幸せになりたいと願う気持ちはあるのに、それを実現することが出来ないユーリが憐れだった。
「いつか、ユーリの理想通りの人が現れるよ」
「虚しい慰めをどうも」
しまった、と思った。ユーリは憐れんで欲しいわけでも、慰めて欲しいわけでもなかったのだ。私の発した言葉は、少しも彼の心には届かない。ユーリは自分自身の悪癖を受け止めて、それを抱えて生きていく覚悟を固めている。私が彼に向けられる言葉など、ひとつもなかったのだ。
「ところで、何か私に用事でもあったのか?」
「あぁ、そうだった。本題を忘れていた」
ユーリの触れてはいけない心の奥に、無遠慮に触れてしまった私は慌てるように話題を変えた。そんな私にユーリは合わせてくれる。今までの話はここで終わり、と区切りをつけてくれたのだ。そんな彼に感謝しつつ、ユーリの言う本題とは何だろうと首を傾げる。
「明日からの予定を聞こうと思ってね」
「予定?」
「そう。今日は一日ゆっくりしてもらって、明日の夜は歓迎の晩餐会……とは言っても、小規模なものだけど、そういう感じで吉乃をもてなそうと思っててね」
「わざわざありがとう、ユーリ」
「私が招いたのだから、目一杯もてなしをするよ。当然だろう?」
何やら、色々と考えてくれているようだ。ユーリのことを親しく思っていても、彼の本質はなかなか見えてこない。彼が清玄にいたころに、何度か体を重ね、言葉を交わす機会があったけれど、飄々とした彼の人となりは、なかなか見えてこなかった。
まさか、こんなに甲斐甲斐しくもてなしをしてくれるとは。失礼なことを承知で言えば、そこまで献身的な人物には見えない。自由に振舞い、自由に生きる。私の目には、ユーリがそんな風に映っているのだ。だから、しっかりともてなしの計画を考えてくれていることに少なからず私は驚いた。
「それで、夜は晩餐会を予定しているんだけど、日中はどうするかなと思って」
「どうというのは?」
「よければ、街を案内するけど。興味あるかい? セーレンの街に」
「あるっ」
思わず、大きな声を出してしまった。頭で考えるよりも先に、口が叫んでしまったのだ。セーレンの街に対する興味は、大いにある。その思いが逸って、大きな声が口から飛び出て行ったのだ。大声を出したことに気付いた瞬間、恥ずかしくなる。
「す……すまない」
「いや、興味を持ってくれているようで嬉しいよ」
「セーレンの街をユーリに案内して欲しい」
「任せて。吉乃に楽しんでもらえるように努めるから」
私はこの旅で色々な街を見てきた。天瀬国内の街ですら、私にとっては目新しくて、心が高鳴ったのだ。天瀬国外であるオルドローズの地方都市、セーレンを歩いて回ったら、私の心臓は興奮のあまり壊れてしまうかもしれない。
「兄弟たちに土産を買いたいんだ」
「お土産ね、了解。兄弟って、何人分の?」
「えっと……、六人……あ、いやでも双子にはいらないかな……うーん、四人か六人分」
「兄弟がたくさんで、賑やかだね」
二人の兄上と、すぐ下の弟の黎泉、末の弟である蛍星への土産は必ず買おうと思った。だが、羅環と眞咲にはどうだろうか。双子の弟たちは、私よりも多くの場所を訪れている。セーレンにだって滞在したことがあるかもしれない。土産など不要なのだろうか。
唸りながら悩んでしまった私に清玖が、明日見て回りながら考えたらどうか、と声をかけてくれた。その助言に従い、今は双子への土産をどうするかは考えないでおくことにする。頭の中に兄弟の姿がよぎり、そして消えて行った。胸に沸くのは、寂しさだ。
「……旅は楽しくて、毎日が驚きと興奮の連続なんだけれど……少し、兄弟たちが恋しくなってきた」
「ホームシックだね」
「ほーむしっく?」
「あー……、えっと、郷愁? かな?」
「郷愁……か、そうだな。郷愁、だな」
オルドの言葉を、ユーリが天瀬の言葉に訳してくれた。郷愁。その言葉は、すとんと私の胸に落ちてくる。その言葉でしか、今の心を描写することは出来ないと思うほどに、ぴったりの一言だった。
「清玄から離れなければ、郷愁というものを感じることもなかっただろう。……本当に、この旅で色々なものを私は得た。私を招いてくれてありがとう、ユーリ」
「どうしたしまして。大したことはしてないけれど、吉乃が喜んでくれたのなら何よりだよ」
離れたから、寂しいと思うのだ。距離をおいたからこそ、大切で愛しいことに気付く。兄弟たちに囲まれて、黒珠宮で穏やかに暮らす日々を、これほどまでに有難いと思ったことがなかった。それに気付かせてくれる旅でもあった。
「楽しい旅だったかい?」
「あぁ、すごく」
「それは良かった」
「明日は朝から忙しくなるだろうから、あまり激しく愛し合わないようにね」
冗談を言うような口ぶりでそれだけを言い残して、ユーリは去っていった。そんなユーリの言葉に、私と清玖は顔を見合わせて笑ってしまう。明日に備えて、今夜は互いを求め合うことなく眠ることだろう。
「清玖も土産を買ったらどうだ?」
「そうだな……、薫芙と蛍星……あ、蛍星には吉乃が買うか。薫芙あたりに買っていけば良いかな」
「ご家族には?」
「あぁ、そうだな。実家にも買って行くか」
家族のことを忘れている清玖に驚いてしまう。私など、土産を買おうと考えた時、まず家族である兄弟のことを思ったというのに。実家を離れた男というのは、そういうものなのだろうか。
「……土産を買うのに、どれほどのお金が必要なのだろう」
「そのあたりは侍従長殿が考えてくれるだろう。吉乃は思うままに選べば良い」
物の価値も、値段も、何も分からない世間知らずな私だが、きっと清玖と淡月が助けてくれることだろう。胸に沸いた不安は一瞬で失せて、私は明日の買い物に思いを馳せる。
「兄弟に土産を買うなんて初めてだ。楽しみだな」
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【攻】鷲尾準一(32歳)…黒髪美形α、クールで辛口な美食評論家兼コラムニスト。現在嗅覚異常に悩まされている。
※東京のデートスポットでスパダリに美味しいもの食べさせてもらっていちゃつく話です♡
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